「……損……」


 記憶のなかの征一さんが、古ぼけた写真みたいに色あせていく。

 損傷。

 脳を。

 あまりにも生々しい響きだった。


 ずっと心のなかを占めていた、征一さんに対する違和感。違う、恐怖。得体のしれないものに対する。

 異常な暴力さえ引き起こすそれを、私はボタンをかけ違えたような行き違いの連鎖で、時間をかけて話し合えば解決できる問題なのだとどこかで思っていた。


 でも。


「医者は一時的なショックによるもので時間が解決すると言い、兄はリハビリとしてあちこちに出かけた。帰ってくるたびに表情は増えたよ。人間がどういう時に、どんな顔をするか覚えたから」


 でも、淡々と語られる現実にはひとすじの光すら見出せず、


「楽しくて笑うんじゃない。腹が立って怒るんじゃない。何も感じないから状況に応じて表情を引っぱってきているんだ。今も、ずっと」


 出口のないトンネルを覗いているようだった。


 治らない、治せない小さな傷。

 私が見た笑顔も、困った顔も、仮面みたいなものだったのだろう。

 抜群の記憶力であつめた表情のパターン。小さなずれや引っかかりも、周りがいい方に解釈するから破綻せずに済んだ。


『完璧なのに、どこかずれている征一さん』


 私だって、真相を知らなければ同じように思ったはず。

 あの笑顔が空っぽの心から生まれたものだなんて、一体だれが想像できるだろう。