オーギュストはふと、昔の父の面影が宿る真顔で言う。

「彼女は自分のことを、捨てられない人間だと言っていた。諦めの悪い、意地汚い人間なのだと……だから、家も家族も今の自分も捨てるのが怖いくせに、誰かが自分の人生を変えてくれることをずっと期待していたのだと。でもな……」

 彼は嬉しそうにセシリーの方を眺めた。

「サラは、お前が生まれた時……こう言ったよ。自分は今変われたんだと思うと。この子のためなら、きっと何だって捨てられると……。お前はサラにとってそういう存在だったんだよ」 
「そっかぁ……」
 
 なんだかこそばゆくて、御者台で目一杯小さくなって膝を抱え、セシリーは母のことを思い出す。そんなに多くの記憶は残っていない。でも、いつもそこが専用席であるかのように、細い体でセシリーを抱き上げ包んでくれていたその温かさだけは、ずっと記憶の底にある。

 父がいたとはいえ、貴族の娘がひとりきりで旅をしながら子育てをするのはきっと、ものすごく大変だったと思う。でも、セシリーの中には母と離れて不安だったという記憶は無い。きっと母はいつも一緒に居てくれた。できる限り、精一杯のことをして、短い時間でも目一杯の愛を与えてくれていた。