秋が近づくと夜の気温もぐっと下がる。
エステルは暖を求めてゼファーの胸に顔を押しつけた。
「お兄ちゃんが帰ってきたらフライドチキンを食べさせてあげるんだ」
しみじみと言い、エステルは目を閉じる。
「……秋も冬もこんなふうに過ごして、無事に春を迎えられたらいいな」
「あまり気にする必要はなさそうだがな」
「そう思う?」
エステルが顔を上げると、思いがけず近くにゼファーの端正な顔があった。
暗闇に浮かぶ深紅の瞳がエステルを捉えている。
そこには相変わらずこれといった感情が見えない。
「村の雰囲気もかなり変わったもんね。あとはお兄ちゃんが戦い方を伝授したら、魔物との攻防も安定するんだろうな」
「異様なほど目覚ましい成長だ。人間の分際で」
余計なひと言のせいで、褒めているようには聞こえない。
「ゼファーが気にしなくていいって言うなら大丈夫なんだろうね」
エステルが安堵の息を吐く。
(本当に、このままなにごともなく過ごせたらいい)
エステルの脳裏に浮かぶのは、本来このゲームであるべき悲惨な未来たちだ。
(この世界では、父親代わりのハーグさんを失うディルクもいないし、魔物のもとでつらい生活を送るレスターもいない。悪い貴族の奴隷にされて魔力を奪われるレナーテもいないし、フェンデルだって盗賊団に入って望んでない悪事に手を染めなくていい。それになにより、私も死ななくてすむ)
エステルの死に一番深くかかわる人物は、今、彼女を腕に抱いてベッドに横たわっている。
(ゼファーもこのまま魔王になっちゃだめだよ)
そんな思いを込めてゼファーをぎゅうっと抱きしめたエステルだったが、鬱陶しそうに肩を押しのけられる羽目になった。
いつしかリンバーグ山が赤く色づき、メイナ村にも秋がやってきた。
「多くねーか?」
大量の食糧で圧迫された氷室から出てきたディルクが言う。
「備えあれば憂いなしって言うでしょ? だからこれでいいんだよー」
エステルが冬に備えて張り切った結果、来年の春までなにもしなくても問題ないのではないかというほど食糧事情が安定していた。
「これなら今年の冬は、干し肉をかじって乗り切ることもなさそうだよな」
ディルクに続いて氷室から出てきたフェンデルの手には、村の窯場で焼いた陶器の壺がある。
その中になにが入っているのかを知っていたエステルは、腰に手をあてて怒った顔をしてみせた。
「そのお酒は収穫祭まで熟成させておく予定だったんだけど?」
「ちゃんと熟成できてるかどうか、味見が必要だろ? だから俺が村を代表してだな」
村での酒造りもかなり進んでいた。
今ではベリーから造った度数の弱い酒だけでなく、余った芋や米を使ったものや、ハーブを漬け込んだ薬酒が生産されている。
麹によってできた甘酒も、酒が苦手な村人に大好評だった。
これらは日持ちもするため、村で消費するよりは交易品として使われている。
先日、村を訪れた商人によると、メイナ村の名物として街で一定の人気があるそうだった。
「毎日味見したらなくなっちゃうからだめ」
エステルがフェンデルから酒の入った壺を取り上げる。
それを見てくすくす笑ったのはレナーテだ。
「もう大人なんだから、エステルに叱られるようじゃいけないわよ」
「心はまだ五歳だからな」
「じゃ、酒飲めねーじゃん?」
「ディルクの言う通り!」
エステルはフェンデルの手を逃れて氷室に酒をしまいに行く。
数か月前までは村人のほとんどが口にしたこともなかった魚貝類が目についた。
季節が変わってもラズは仲間とともにメイナ村へ海産物を届けに来てくれた。
(バターが安定供給されるようになったら、絶対ホタテのバター焼きを食べるんだ)
エステルが氷室から出ると、ひと仕事終えたレスターがやってくる。
「お兄ちゃん、今日もお疲れ様!」
「ありがとう。でも教えてるだけだから、そこまで疲れてないよ」
レスターは街で学んだ戦闘技術を村の若手に伝授している。
最近では狩りもかなり安定し、怪我をして帰ってくる人数が極端に少なくなった。
さらにエステルも予想していなかった思わぬ副産物がある。
身体の使い方を知った村人たちは、より効率よく運搬する技術を身につけたのだ。
リンバーグ山から運ばれる粘土や材木など、荷車が日に何度も往復するさまを見かけるようになっている。
「みんなも朝の仕事は終わったのか? だったらうちで昼ご飯にしよう」
レスターが言うと、ディルクが待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべる。
「エステル。俺、タタキ丼がいいな!」
「ディルクはアレが好きだねー」
エステルが幼馴染たちに料理をする回数も、以前よりぐっと増えている。
単純に喜んでもらえるのがうれしかったのと、エステルの料理による能力アップの効果が彼らの生活に役立っていたからだった。
それになにより、ゼファーの件がある。
人間を好まないらしいゼファーは、長きにわたる封印のせいで食と睡眠を必要としていなかったが、エステルの頑張りのおかげで少なくとも眠れるようになった。
食事に関してはエステルが作ったものしか口にせず、偏食っぷりも相変わらずである。
「ご飯の話をしたらお腹空いちゃった。早く作らなきゃ」
エステルを先頭に、その後ろを幼馴染たちが続く。
その様子は冒険に出る勇者の一行(パーティー)のようだった。
そんなある日のこと、村に初めての客がやってきた。
メイナ村を領内に置く地方貴族、キュラス男爵の使者だった。