(こうやって思ってるうちは、将来どうするか考えなくてすみそう)
なにもかもが終わった後のことを想像し、エステルはにへらっと気の抜けた顔で笑った。
秋に向けて、村での生活は順調だった。
エステルはレナーテと塩の増産に向けてあれこれと考えるうち、魔力を宿した道具──魔道具による発酵装置を開発してしまった。
これによって麹が作られたため、村には新しく甘酒が生まれた。
これはラズだけでなく街からやってきた商人に卸す村の特産品となった。
高値で取引されたおかげで村の財政が潤うと、村人たちの間で使われる道具に鉄製品が増え、ますます日々の生活が豊かになる。
さらにエステルがフライドチキンやポテトを広めたことにより、村では揚げ物ブームが訪れた。
ついにはエステルが作っていないのに天ぷらのようなものが誕生し、小麦粉から作られた麺と合わせて天ぷらうどんが爆誕したのだった。
やがておもしろい特産品が多い村だと商人を通じて街に噂が広まると、もう夏も終わりに近いのにぽつぽつ観光客や冒険者が現れるようになった。
となると今度は村外からやってくる人々をもてなす施設が必要になり、宿屋と酒場が作られることとなる。
いつしかメイナ村はちょっとした観光地となり、さらに財政が潤って村人の生活が豊かに変化し……と、いい流れがきていた。
エステルのお願いで渋々街にレスターの様子を見に行ったゼファーからは、近日中に村へ帰還するようだという報告が上がっている。
しばらく兄に会えていなかったエステルは、もうすぐレスターに会えると知り、楽しみのあまり眠れない夜を過ごすようになった。
その夜もまた、ゼファーを引きずり込んでベッドに入ったはいいが、なかなか眠れずおしゃべりが長引いている。
「お兄ちゃん、元気かなぁ。こんなに長く離れ離れになったのは初めてだよ」
「少し距離を置くくらいがいいとは思うが」
「やっぱりゼファーから見ても過保護だって思う?」
「過保護などという言葉で収まる人間か?」
「あはは、そうだね」
秋が近づくと夜の気温もぐっと下がる。
エステルは暖を求めてゼファーの胸に顔を押しつけた。
「お兄ちゃんが帰ってきたらフライドチキンを食べさせてあげるんだ」
しみじみと言い、エステルは目を閉じる。
「……秋も冬もこんなふうに過ごして、無事に春を迎えられたらいいな」
「あまり気にする必要はなさそうだがな」
「そう思う?」
エステルが顔を上げると、思いがけず近くにゼファーの端正な顔があった。
暗闇に浮かぶ深紅の瞳がエステルを捉えている。
そこには相変わらずこれといった感情が見えない。
「村の雰囲気もかなり変わったもんね。あとはお兄ちゃんが戦い方を伝授したら、魔物との攻防も安定するんだろうな」
「異様なほど目覚ましい成長だ。人間の分際で」
余計なひと言のせいで、褒めているようには聞こえない。
「ゼファーが気にしなくていいって言うなら大丈夫なんだろうね」
エステルが安堵の息を吐く。
(本当に、このままなにごともなく過ごせたらいい)
エステルの脳裏に浮かぶのは、本来このゲームであるべき悲惨な未来たちだ。
(この世界では、父親代わりのハーグさんを失うディルクもいないし、魔物のもとでつらい生活を送るレスターもいない。悪い貴族の奴隷にされて魔力を奪われるレナーテもいないし、フェンデルだって盗賊団に入って望んでない悪事に手を染めなくていい。それになにより、私も死ななくてすむ)
エステルの死に一番深くかかわる人物は、今、彼女を腕に抱いてベッドに横たわっている。
(ゼファーもこのまま魔王になっちゃだめだよ)
そんな思いを込めてゼファーをぎゅうっと抱きしめたエステルだったが、鬱陶しそうに肩を押しのけられる羽目になった。
いつしかリンバーグ山が赤く色づき、メイナ村にも秋がやってきた。
「多くねーか?」
大量の食糧で圧迫された氷室から出てきたディルクが言う。
「備えあれば憂いなしって言うでしょ? だからこれでいいんだよー」
エステルが冬に備えて張り切った結果、来年の春までなにもしなくても問題ないのではないかというほど食糧事情が安定していた。
「これなら今年の冬は、干し肉をかじって乗り切ることもなさそうだよな」
ディルクに続いて氷室から出てきたフェンデルの手には、村の窯場で焼いた陶器の壺がある。
その中になにが入っているのかを知っていたエステルは、腰に手をあてて怒った顔をしてみせた。
「そのお酒は収穫祭まで熟成させておく予定だったんだけど?」
「ちゃんと熟成できてるかどうか、味見が必要だろ? だから俺が村を代表してだな」
村での酒造りもかなり進んでいた。
今ではベリーから造った度数の弱い酒だけでなく、余った芋や米を使ったものや、ハーブを漬け込んだ薬酒が生産されている。
麹によってできた甘酒も、酒が苦手な村人に大好評だった。
これらは日持ちもするため、村で消費するよりは交易品として使われている。
先日、村を訪れた商人によると、メイナ村の名物として街で一定の人気があるそうだった。
「毎日味見したらなくなっちゃうからだめ」
エステルがフェンデルから酒の入った壺を取り上げる。
それを見てくすくす笑ったのはレナーテだ。
「もう大人なんだから、エステルに叱られるようじゃいけないわよ」
「心はまだ五歳だからな」
「じゃ、酒飲めねーじゃん?」
「ディルクの言う通り!」
エステルはフェンデルの手を逃れて氷室に酒をしまいに行く。
数か月前までは村人のほとんどが口にしたこともなかった魚貝類が目についた。
季節が変わってもラズは仲間とともにメイナ村へ海産物を届けに来てくれた。
(バターが安定供給されるようになったら、絶対ホタテのバター焼きを食べるんだ)