今は魔王の手も借りたい。~転生幼女のほのぼのチートスローライフ~


 レスターよりひと足早く村に戻ってきたエステルは、思いついた仕事から着手を始めた。

 まずはセイレンの一族との交易について村人に伝え、興味を持った者と村から送る物品の精査を行った。

 海にはないものがいいだろうということで、エステルが以前フェンデルと作ったベリーの果汁を乾燥させただけの菓子や、試行錯誤の末に完成したベリーの酒が主なものとしてあがった。

 ほかには石窯パンや干し肉、普段から村で食されている野菜も一応用意し、いずれやってくるラズに選んでもらう形で話が落ち着いた。

 レスターがいない間、畑の世話をするのはエステルだけだ。

 相変わらず成長が早すぎる作物を収穫して家に戻ると、珍しくゼファーが中にいる。

「なにしてるの?」

 収穫した作物から形のいいものを選別して分けるエステルだったが、ゼファーからの返事はない。

 尋ねはしたものの、特になにかをしている様子はなかった。

 どうやらいつものようにエステルを観察しているようだ。

(お兄ちゃんがいないから家にいるんだったりして)

 エステルの予想は正しかったらしく、その夜、ゼファーは初めてエステルとともに屋根の下で過ごした。

 食事を取らず、眠る素振りも見せないが、エステルがベッドに潜り込むとなぜか枕もとまでやってくる。

「一緒に寝る?」

「いや」

「じゃあ、おしゃべりする?」

「寝ろ」

 エステルは毛布の中から手を伸ばし、ゼファーの手を握った。

「眠らないで過ごすには、夜って長すぎると思う」

「慣れた」

 ゼファーはエステルに手を握られたまま、彼女のほうを見ずにつぶやく。

「食事を取らずにいるのも、眠らずに過ごすのも、もう慣れた」

 もう一度言うのを聞き、エステルの胸が少し痛む。

「それは……封印されていたせい?」

「そうだな」

「……そっか」

 エステルにはもうなにも言えなかった。

(そういえば、封印されている間も意識があったって……)

 正気を失ってもおかしくないほどの年月を、ゼファーはなにもできずに囚われ続けてきたのだ。

「ゼファー」

「眠れと言ったはずだ」

「寝るから、こっちに来て」

 エステルはゼファーの手を引っ張り、自分のベッドの中に招き入れた。

 レスターがいたら嫉妬でゼファーを追い出していたに違いない。

「ちょっとずつ眠れるようになったらいいね」

「なんのために」

「そうしたら夜も寂しくないよ」

「寂しさなど感じたことはない」

「私が寂しいの」

 ひとつのベッドに、しかもエステル用の小さなベッドに入るにはゼファーは大きすぎた。

 それなのにベッドを出ていこうとはせず、エステルのやりたいようにさせて毛布の中に落ち着く。

「目、閉じて」

「あれこれと要求ばかり煩い」

「目を開けたままじゃ寝られないでしょ」

 ほら、とエステルは手本を見せるように目を閉じる。

 そんな彼女の身体を、なにを思ったかゼファーがそっと抱きしめた。

「私、抱き枕じゃないよ」

「だろうな。お前は私が知る中で最も鬱陶しい人間だ」

 レスターにも抱き枕扱いされたことのなかったエステルは、しばらくゼファーの腕の中でもがいていた。

 しかしやや強引に背中を押さえつけられ、最後は諦めておとなしくなる。

「ゼファー」

「煩い」

「……おやすみって言おうと思っただけだよ」

 エステルはゼファーの広い胸に顔を押しつけ、静かに息を吐いた。

「おやすみ」

 返事はない。

 もとから期待していなかったため、エステルは気にせず心地よいぬくもりに身を委ねる。

(ゼファーが眠れないってもっと早くに気づけばよかった。みんなが寝ている間、ずっと外でなにをしてたんだろう)

 つきん、とまたエステルの胸が小さな痛みを訴える。

(かわいそう、なんて思ったらきっと嫌がるだろうけど。……でも、かわいそうだ)

 エステルの脳裏に眠れない夜をたったひとりで過ごすゼファーの姿が思い浮かぶ。

(……この人は独りに慣れすぎてる)

 微かに動いたゼファーの手が、エステルのやわらかな髪に触れる。

 まるで撫でているかのような穏やかな手つきのせいで、エステルはあっという間に眠りに落ちていった。



 翌日から、エステルはやや強引にゼファーを食事に誘った。

(食べなくても平気みたいだけど、食べられないわけじゃないんだな)

 エステル自身申し訳なくなるほどしつこく誘ったおかげで、渋々ながらもゼファーは彼女の作った食事をとった。

 量は幼いエステルの半分以下だし、肉ばかり食べようとする偏食っぷりは見せたが、これまでに比べれば大きな変化である。

 こうしてエステルはレスターがいない間も、暇を感じるときがなかった。

 そんなある日、すっかり村の住民たちに顔を覚えられたラズがエステルのもとへやってくる。

「君の真似をしてみた」

 そう言ってラズが差し出したのは、わずかばかりの塩だった。

「えっ、すごいね!」

 ラズは毎朝、違うものを村に持ち込む。

 魚に貝に海藻、浜辺に流れ着いたものや、海辺に自生する植物、それから狩った魔物の素材など、そして一番大切なのが海水だ。

 知性のある魔物だからなのかラズは人間の生活や文化に興味津々で、先日エステルが海水から塩を作るところをおもしろそうに見ていた。

「君ほどうまくはできなかったが、どうだろう」

「充分だよ。メイナ村以外に持って行ったら、もっといろんなものが手に入るかもしれないね」

「ほかの人間の縄張りには君も王もいない」

「まあ、それはそうだね」

 人間に興味があっても、あくまでラズやその一族にとって重要なのはゼファーの存在だった。

「せっかくだからうちで作った塩と交換しようか。味比べしてもおいしいかも」

「同じ海から作られたものなのに、違うのだろうか?」

「それをたしかめてみるの。楽しそうでしょ?」

「君は次から次に私の知らないことを考えつく。やはり、王のそばを許されるだけの能力を持った人間なのだな」