独学で知識を仕入れたレナーテと違い、彼らは人型の魔族を『ちょっと耳が長い人』くらいにしか受け取らなかったからだ。
この村によそからの移住者が少なくなかったのも大きいのだろう。
ゲームの公式設定としてエステルは拾われて育てられた子だし、親の姿が見当たらないほかの幼馴染たちもそういう処理がされているようだ。
こういう細かい設定の部分はどうも甘い。
エステルは小さな身体でひと抱えもある薪を懸命に運び、倉庫に入れてから額の汗をぬぐった。
「今やっておかなきゃ、寒い冬を過ごすことになるんだよ」
「私を人間と同様に扱うな」
「……じゃあ今も暑くないの?」
手が空いたエステルは小走りでゼファーのもとへ向かうと、背伸びをして顔を覗き込んだ。
(涼しい顔、ってこういう顔のことを言うのかな)
少し日に焼けた腕をむき出しにしたエステルと違い、ゼファーは着込んでいると言っていいほど厚着だ。
それなのにじりじり刺す日差しをまったく気にしていない。
「どうして涼しいの? 魔法?」
(もしそうなら、私にもかけてくれないかなぁ)
エステルは自身の背中に汗が伝うのを感じながら期待したが、ゼファーは鬱陶しそうに顔を背けただけだった。
そこに足音が近づく。
「またエステルをいじめてるのか?」
過保護な兄、レスターだ。
エステルよりも大量の薪を持っており、彼もまた額に汗を浮かべている。
「今度やったら追い出すって言ったよな」
「いじめられてたわけじゃないよ」
慌ててエステルが間に入る。
「手伝ってくれないからお説教してたとこ」
エステルが言うと、ゼファーが嘲笑するように鼻で笑った。
「冬になってから寒いって言っても、暖炉にあたらせてあげないんだからね」
「そのときはお前の住居ごと燃やして暖を取る」
「そんなことしたら怒るから」
最初はエステルもゼファーの物言いにいちいちびくついていたが、もうすっかり慣れてしまった。
彼と接するようになってからもう十日以上経つ。エステルを脅す発言は多くても実行した数はいまだゼロだ。
それが単に行動に移すのを後回しにしているだけなのか、多少はエステルに好意があるのかまだわかっていない。
「エステルを怒らせると後が怖いぞ」
妹がいじめられているわけではないとわかったらしいレスターは、ひと言残して持っていた薪を倉庫にしまいに行った。
「この私が人間など恐れるものか」
ゼファーのつぶやきが聞こえ、エステルは心の中で苦笑する。
(そうでしょうね。今はただの無駄飯食らいでしかなくても、本当は魔王って呼ばれる存在なんだから)
そうしていると、今度は村の住民がふたりのもとにやってきた。
大らかすぎる村民は異質な外見をしたゼファーにまったく物怖じしない。
「ゼファーラントさん、そろそろ羊がいるとありがたいんだけど、次に来る商人は羊を連れてきてくれそうかい?」
「知らん」
律儀に返事をするだけまだいいほうである。
エステルは慌てて村人とゼファーの間に割り込んだ。
「ごめんね、予言者って言ってもなんでもわかるわけじゃないみたいなの」
「そうかぁ。もし羊を買えそうなら、街に行かなくてもいいかと思ったんだけどねえ」
それじゃあ、と村人は特に残念そうな様子も見せず彼らのもとを立ち去る。
その姿が充分見えなくなってから、エステルはちらりとゼファーを見上げた。
「最近、ああいうのを聞かれることが多くなったよね」
「誰のせいだ」
「だってあなたがここに留まる目的を、どう説明すればいいかわからなかったんだもの」
村人たちは予言者と聞いて、ことあるごとにゼファーのもとを訪れるようになった。
これまでエステルが聞いた中では、『来年、子牛は何頭生まれるか』『ひよこが生まれる卵はこの中のうちのどれか』などの質問がある。
そのほとんどの質問にゼファーは沈黙を返した。
今のように返事をするのは稀だ。
大抵の場合は、ゼファーのそばにいることが多いエステルが代弁するため、最近は彼女を通じて質問する者も増えている。
「ここに住むって決めたんだったら、もう少し村に馴染む努力をしてほしいな」
ゼファーはエステルの言葉を無視した。
なかなかに気難しいゼファーだが、なんとなくエステルは彼を放っておけないでいる。
(村の未来のことを教えてくれたのもそうだけど、悪い人ではなさそうなんだよね)
それが勘違いではないと最近のエステルは学びつつある。
その証拠に次の日の朝を迎えたエステルは、家の倉庫に誰も運んだ覚えのない薪が山のように積まれているのを発見した。
収穫物の多い夏の忙しさは毎年のことだったが、今年はエステルの目的もあって一層忙しさを増していた。
夏野菜の収穫を終えて氷室に運び終えたエステルは、その足で村にある燻製小屋に向かった。
小屋に入ると、独特な燻製臭が鼻をつく。
つんとした刺激的な香りに一瞬顔をしかめるも、エステルは中にいたフェンデルに声をかけた。
「フェンデル、おはよう」
「やあ、おちびちゃん」
狩った獲物の肉を燻製処理していたフェンデルがエステルを見て破顔する。
「こんなところに来るもんじゃない。ちびちゃんなんか、一瞬で燻されちまうよ」
フェンデルはきれいに手を拭うと、いつもやるようにぽんぽんとエステルの頭を撫でた。
「ほら、もう鼻の先っぽが燻製になってきた」
きゅむっと鼻をつままれ、エステルはいやいやと首を振る。
「ならないよ!」
「なるなる。俺に用があるなら外で待ってな。すぐ終わらせるから」
「うん、わかった」
素直にフェンデルの言葉を聞き入れたエステルが外へ出る。
室内の煙たさが抜けたことに安心し、胸いっぱいに空気を吸った。
(ゼファー、ちゃんとやってるかな)
あとをついて回るばかりだったゼファーに、今日はレナーテの補助をするようお願いをしてある。