今は魔王の手も借りたい。~転生幼女のほのぼのチートスローライフ~

 最後にフェンデルが軽口とは裏腹に厳しい表情をしてすぐに追いかけた。





 やがて五人はとうとう巨大な水晶に封じ込められた魔王のもとへたどり着いてしまった。

 水晶を見上げたディルクが呆然としながら言う。

「これ、人間……じゃねーよな?」

「違うと思うわ……」

 レナーテがこわごわと水晶に触れる。

「だってこの水晶、とても強い魔力を宿しているもの。欠片ひとつで私の魔力のすべてに値するくらい」

「じゃ、売れるってことか?」

 エステルは場違いなほど軽く言ったフェンデルに抱きあげられる。

「魔石って売れるんだろ? 街から来た商人が言ってたぜ」

「どうやって石を切り出すんだ? 村にあるようなツルハシじゃどうにもならないよ」

 レスターの言葉はもっともだった。

 目の前の水晶はどう見てもただの水晶ではない。

(魔王が封印されてるんだから、当たり前といえば当たり前なんだけどね……)

 それにしても、とエステルは改めて幼馴染たちと一緒に魔王を見つめる。

 相変わらずぞっとするほど美しい男だ。

 人間からすれば永遠にも等しい時間を水晶の中に封じられていたのは、この神秘的な存在を失わないようにしたかったのではないかと思ってしまうほどに。

(私たちが目の前に現れても魔王が復活しない。ゲームなら落ちた辺りから操作できなくなって、自動で話が進むんだけど)

 エステルがそう思ったときだった。

「これが──」

 レスターがなにかつぶやいて水晶に触れる。

 その瞬間、触れた場所にぴしりと音を立ててヒビが入った。

「うわっ!? なにやってんだよ、レスター!」

「おいおい、怪力担当はディルクだろ?」

「危ないわ、レスター。魔力が漏れ出してる……!」

 幼馴染たちが声を上げる。

「お兄ちゃん、だめ……!」

 エステルもレスターを水晶から引き離そうとしたが、フェンデルに抱かれているせいもあってままならなかった。

 ひと呼吸置くうちに一気にヒビが水晶全体に広がり、やがて切ないほど澄んだ音を立てて砕け散った。

 先ほどレナーテが行使した魔法のように、水晶の粒がランタンの光を反射しながらきらきらと地面にこぼれ落ちていく。

 誰もが幻想的な光景に目を奪われる中、地に落ちた水晶を踏み砕くぱきりという音がした。

「……長かった」

 五人の誰でもない声は低く、抗いがたい魅力と同時に身体の芯が凍りつくような冷たさを持っていた。

「本当に、長かった」

 封じられている間はそよりとも揺れなかった銀糸の髪が、空気をはらんでなびく。

(そんな)

 無意識にエステルはフェンデルの服をきつく握りしめていた。

(だって、このセリフは)

 命令されたわけでもないのに、幼馴染たちは一斉に後ろへ下がった。

 その存在から発せられる圧倒的な力にあてられたのか、レナーテがくずおれる。

 いつもなら真っ先にレナーテを支えるディルクも、今は動けない。

「お前たちが私を解放したのか」

 ひゅっとエステルの喉が鳴る。

(魔王が復活した)

 この状況で答えられる者などいるはずもなく、意思を強く保っていたディルクが、次にレスターが、最後まで耐えようとしていたフェンデルが糸の切れた人形のように倒れ込む。

 フェンデルの腕に抱かれていたエステルは当然地面に投げ出された。

 這いつくばったまま立ち上がることもできず、全身を恐怖と絶望に震わせながら、ついに封印から解かれた魔王ゼファーラントを見上げる。

(私はゲームの流れを変えられなかった……)

 ゼファーラントは自身を見つめるエステルに視線を向け、切れ長の目を細めた。

(もう終わりだ)

 限界を感じたエステルも仲間たちに続いて意識を失う。

 視界が完全に暗転する直前、水晶の欠片を踏む音がまた響いた。

(もうだめだって思ってたんだけどなぁ)

 結論から言うと、メイナ村も幼馴染たちもエステルの知るストーリー通りの悲劇を迎えなかった。

 椅子に座ってミルクを飲んでいたエステルは、手つかずのままのもうひとつの器を持って自身のベッドの上に座る男のもとへ持っていく。

「いらないの?」

「いらん」

 素朴な家にまったく似つかわしくないこの男こそ、封印から解放された魔王ゼファーラントである。

「お前がそういう態度だと、俺たちもどう扱えばいいかわからない」

 ぴりついた空気を漂わせて言ったのはレスターだ。

 ゼファーラントはレスターの言葉を無視して、エステルをじっと見ている。

(き、気まずい)

 エステルにだってこの状況を説明できなかった。

(あの後、気づいたら村に戻ってきてた。それで……なぜか魔王がうちにいる)

 不機嫌そうな表情をしているが、ゼファーラントから敵意は感じない。

(本当なら村は滅びてるはずなのに)

 村が滅びていないから、幼馴染たちも散り散りになっていないし、魔王が世界を滅ぼすためにどこかで力を蓄えることにもならない。

 物語はたしかにプロローグ通り進んだはずだったが、今の事態は明らかに異常だ。

「私たちを助けてくれたのはあなた……?」

 おずおずと尋ねるも、ゼファーラントはエステルに答えようとしない。

 軽く鼻を鳴らしただけで、組んでいた長い足を組み直した。

「あの……あなたは何者なの?」

 思わずエステルはそう聞いていた。

(ゼファーラントの封印が解けたから村が滅びて、溢れ出た魔力のせいで魔物が活発化して、魔物と人間が争う世界になった。だからこの人は魔王になったのに、村が無事ってことはまだ魔王じゃない? だとしたら、なに?)

 ゼファーラントはエステルを冷ややかな目で見つめると、たったひと言だけ告げた。

「借りは返した」

「えっ、借りってなに?」

 再びゼファーラントが口をつぐむ。

 さすがにエステルが焦れていると、後ろからレスターにひょいっと抱き上げられた。