「僕がこんなにも時間も手間ひまをかけたというのに、会ったばかりの勇者と結婚しやがって……どうせ、噂通りにしつこい聖女ベアトリスの求婚を断るための口実だろう。状況証拠が揃いすぎている。こっちはもう、わかっているんだよ」

 つかまれた腕の痛みと恐怖で、私は何も言えなかった。悲鳴をあげなきゃ……馬車の御者か、近くに居る誰かが気がついてくれるかも。

 けど、ここで私が声をあげれば、尋常ではない様子に見える彼が、どうなってしまうのか……それが怖い。

 エミリオ・ヴェルデの目には、今までに見たこともない狂気が見えていた。

「……離して。私は夫が居る身です。こんなことが知られれば……貴方も」

「確かに貴族院へと結婚証明書は提出されているようだが、肉体関係のない白い結婚であれば、すぐに婚歴も取り消せるだろう。何。僕のヴェルデ家は歴史ある由緒正しい貴族だ。世界を救ったからと、叙爵したての勇者とは人脈も権力も圧倒的に違う」

 彼の言葉を聞いた私は、全身にふるえが走っていくようだった。

 確かに私とシリルは、夜をともに過ごしてはいない。けれど、それを彼が正当な手段で知っているとは思えない。