誰かわからないけれど、とても懐かしい響きだ。
その名前を口にするだけで、切なさが込み上げてくる。
「なんか今、ふいに口をついて出ちゃったんだけど……」
「葵の元カレとかじゃないの? なんかいっぱい彼氏いそうだし……」
「失礼ね! いないわよ!」
葵の元カレはひとまず置いておくとして……、ゆづるって誰なんだろう。
でも、いい名前だな。
弦を結ぶって書くのかな?
それならわたしは琴の音だし、なんだか運命的だ。
名前しかわからないその人といつか会えるような予感と期待が、わたしの胸を密かに駆け巡る。
「さあ琴音。くだらないこと言ってないで、帰る前に美輝ちゃんと怜くんに挨拶していこう」
「うん、そうだね。今までありがとうって伝えなきゃ」
葵に促されて慰霊碑の前で腰を落とす。
「あれ?」
「どうしたの? 琴音」
暗くて気づかなかったけれど、慰霊碑の前に白い無地の封筒が置かれている。
宛名以外、装飾も柄も入っていないとてもシンプルな封筒。
それを手に取り月明りを頼りに宛名を見て、わたしは目を疑った。
『――琴音へ』
わたしに宛てた、手紙……? 手の中にある封筒を葵が横から覗き込んだ。
「なに? どういうこと?」
この封筒に見覚えがあることに気づいたわたしは、美輝と怜に宛てた手紙を持っていたことを思い出した。
カバンの外ポケットを確認すると、そこには間違いなく二通の封筒が入っている。その封筒は慰霊碑の前に置かれていた物と同じ物だ。そしてその宛名を確認した瞬間、わたしはまた息を詰まらせた。
「これって……」
わたしが美輝と怜に宛てて書いた手紙が、二通ともわたし宛てに変わっていた。
「ふたりに宛てて書いた手紙が、どうして……。どういうことなの? 葵」
「あ、あたしに訊かれてもわかんないわよ。巫女だからって、おかしなことが全部わかるわけじゃないんだから」
訝しみながら手紙に目をやるが、その手紙からいやな感じはしない。
寧ろどこか懐かしいような温かい気持ちになるのは、三通すべて宛名の筆跡に見覚えがあるからだ。
遠い昔……。
みんなでテストの反省をしたとき。
授業中、美輝から回ってきた手紙。
わたしの家に集まって試験勉強をしたとき。
みんなの字を何度も何度も見てきた。
この懐かしい字を忘れるはずがない。
わたしはその三通の中から、一通を選んで左手に持つ。
少し丸くてかわいらしい文字。
これは美輝の字だ。
ためらいながらも丁寧に封を切る。
封筒の中から手紙を取り出す手が、小さく震えた。
溢れそうになる涙をこらえて、わたしは便箋に書かれた文字を、ゆっくりと目で追い始めた。
【やっほー琴音!
旅行楽しかったね。
段々変わっていく琴音には驚かされてばかりだったけど、繰り返した世界の中で、わたしの一番の思い出になりました。
一日目の夜は泣いちゃってごめんね。
本当はもっと、これからもずっと琴音と一緒にいたかったんだけど、そんなにうまくはいかないよね。
わたしはひと足先に、怜と一緒に新しい世界で頑張ってきます。
そういえばさ、入学式の日のこと覚えてる?
わたしと琴音は初対面のはずなのに、間違えて琴音を名前で呼んじゃったんだよね。
変な子だと思われて避けられたらどうしよう、なんて焦っちゃったよ。
でも何度出会っても、どんな出会いかたでも、琴音は変わらずわたしの親友になってくれたよ。
もしも生まれ変わって遠い未来でもう一度出会えたなら、そのときはまた、わたしと友達になってね。
今までありがとう。
七年間、淋しい想いさせてごめんね。
これからはずっと、幸せでいてください。 巡里 美輝 】
封筒には、古びた写真が一枚同封されていた。
夏祭りの前に浴衣を着てふたりで撮った写真だった。
それを見た瞬間、全身を突き抜けるような切なさが込み上げる。
写真には、朝顔の柄の浴衣に身を包んだ美輝が笑っていた。
朝顔柄の浴衣の意味は……『固い絆』
美輝という素晴らしい親友がいてくれたことを、わたしはこれからも誇りに思って生きていく。
そしてわたしが着ている浴衣には、染め上げられた蝶の柄。
その意味は……『長寿』
美輝……、わたしも旅行楽しかったよ。
大好きな美輝とずっと一緒にいられて、それだけでわたしは幸せだったよ。
入学式のあと、おかしいなと思ったのは、繰り返していた証だったんだね。
なんだか美輝らしいね。
そんなちょっぴりドジな美輝が、わたしはずっと大好きだったよ。
それにいつも明るくて美人な美輝は、今でもわたしの憧れなんだ。
こんなすてきな人がわたしの親友でいてくれたことは、わたしの一番の自慢だよ。
いつか未来で出会えたら、もちろんまた友達になろうね。
今度こそ一緒に大人になって、ふたりでお酒を飲んだりしようね。
そこでまた女子会もしようね。
それまで少しの間、わたしはこの世界で頑張ります。
だから美輝も、わたしの知らない世界で幸せになってね。
――写真の中で笑っている美輝へ、わたしは心で語りかけた。