なにを勘違いしていたんだろう。

 結弦が急にわたしを嫌いになるなんてこと、あるはずない。

 たとえそうだとしても、誠実な結弦はきちんと理由を話してくれる。

 そんな当たり前のことにも気づけずにいた。

 結弦の気持ちを考えていなかった。

 なぜ結弦があんな約束をわたしに求めたのか?

 なぜ結弦はその約束ができなかったのか?

 わたしはなぜを疎かにして、勝手に決めつけて勝手に傷ついていた。

 結弦に謝らなくちゃ。

 そして、ちゃんと理由を訊かなくちゃ。

 朝の輝きの中で、あんなに苦しそうな顔をしていた理由を。


 旅館に着くと玄関先に結弦の姿が見えた。

 結弦だけじゃなくて美輝も怜もいて、辺りを見渡している。


「琴音っ!」


 わたしを見つけて一番に駆け寄ってきてくれた美輝は、わたしの胸に飛び込むと力強く抱きしめてくれた。


「どこ行ってたのよ! ほんとに心配したんだから」


 本気で心配してくれていたのが、込められた力と手の冷たさから伝わってくる。

 わたしは美輝の手をそっと離して言った。


「ごめんね、勝手なことして」

「謝らなくていいよ。もう会えないかと思った」


 美輝の言葉に首を横に振って返すと、視線を結弦に向けた。


「ねえ、結弦はどうして、生きる約束をしてくれないの? その理由をわたしに教えて」


 躊躇わずそう口にすると、結弦はふっと笑って長い睫毛を伏せた。


「……葵と、会ったんだね」


 葵と会っていたことを言い当てられても、もう驚かない。

 なんとなくふたりは繋がっている。

 そんな気がしていたから。


「葵が言っていたの。結弦は苦しんでるって。でもまだ間に合うって。わたし、結弦が苦しんでるのになにもしてあげられないなんて、そんなのいやだ。わたしも結弦のためになにかしたい」


 これほど強く誰かのためになにかしたいと思ったことって、今まであったかな……?


 わたしはいつも助けてもらってばかりだった。

 喋るのも苦手だし、いやなことを素直にいやだと言うこともできない。

 したいことをしたいとも言えない。

 人に流されるばかりで、自分の意志をはっきりと口にできなかった。


 でもわたしは変わった。

 変わることができた。


 呼びかけられてばかりだったわたしが、今では自分から呼びかけることができる。

 素直に返事ができる。

 美輝がわたしの前で初めて涙を見せたとき、誰かのためにも強く生きると決めた。

 みんなと過ごしたこの旅で、わたしは成長できたんだ。


 想いに羽根が生えたように次々と溢れ出すこの気持ちを、全部結弦に届けたい。

 いつも助けてもらってばかりだった恩返しがしたい。

 なによりも、今目の前で苦しんでいる愛する人を助けたい。


「琴音がそんな目をするなんて、初めて見たな……」


 結弦に穏やかな笑みが戻っていた。

 美輝も怜も固唾を呑んでその様子を見守っている。


「あんな約束がなくても、琴音は強くなってたんだね」


 結弦の言葉に、わたしは自信を持って答える。


「ここで出会った人達と、みんなのおかげだよ。結弦は勿論、美輝も怜も、そして葵も」


 美輝と怜を見ると、ふたりの顔からも不安な表情が消えていた。


「いつの間にか葵ともすっかり仲よしみたいだし、これなら本当に安心だ。出来ることなら葵にもう一度会って、お礼をしたいな」


 朝日を見ながら流れた涙は、もう決してこぼさない。

 心を見つめて向き合う勇気を、葵からもらったから。


 この決意を見据えたように、結弦はわたしに訊ねた。


「もうすぐ旅も終わる。この旅が終わったら本当のことを伝えるから、それまではこの旅行を楽しみたい。それじゃ駄目かな?」


 そう言って結弦は、美輝と怜にちらりと目配せをした。


 今の結弦に苦しそうな様子はない。

 それに旅行が終わったら全部話してくれるって言ってくれているし、わたしも最後までこの旅行がみんなにとって楽しい思い出になるようにしたい。

 わたしと結弦の問題で、美輝と怜を巻き込んでしまうのも少々忍びない。


 しばらく考えてわたしは「わかった」と言葉を返した。

 そこに「でも」と付け足しておく。


「この旅行が終わったら、悩みとかつらいこととか、ちゃんとわたしに吐き出してね。わたしは結弦の彼女なんだから。わたしにも結弦を守らせてよね」


 そう言うと結弦は少しだけ微笑んで、「はいはい」とわたしの頭に手を乗せた。

 せっかく少したくましくなれた気がしたのに、またわたしを子ども扱いして!


「ありがとう、琴音」


 でも、結弦からもらったありがとうに、わたしはどこか誇らしげだ。

 美輝がそれを見てふはっと笑う。


「仲直りできてよかったね。じゃあ朝ごはん食べよう。安心したらお腹空いちゃった」


 時刻はそろそろ八時になるところだった。


「よかったな結弦。あのまま俺らのコブにならずに済んで」


 迷惑をかけたわたしを責めることなく、みんな普段通りに接してくれたのが、申しわけなくもあり嬉しくもある。


 なにがあっても黙って心配をかけるようなことはもうしないと、わたしはみんなの背に誓った。