急にどうしたの?

 なにがあったの?

 なんで?

 どうしてそんなこと言うの?

 こんなの、いやだ。

 わからない。

 納得、できないよ……。


「わたし、結弦になにかした? もしそうならちゃんと反省するから。結弦の気が済むまで謝るから……だからお願い、ひとりにしないでよ。もう困らせたりしないから、ずっとそばにいるって、そう言ってよ」


 激しい感情が、涙とともにあふれ出す。


「そんなんじゃないよ。琴音が気にするようなことなんて……なにもない」


 悔しそうな表情と少し投げやりな声。結弦はそのトーンを変えないまま、「でも……」と続きを口にした。


「俺はきっと、琴音のそばにいられない」


 ……聞きたくなかった。


 結弦の声色が、氷のように冷たいその言葉が、わたしをはっきりと拒絶しているみたいだ。

 天邪鬼とか照れ隠しとか、そんなんじゃない。

 結弦の強い意思の言葉。

 それは他でもないわたしに向けられている。


 求めるほどに注がれ続けた、愛した人からの愛情。

 それがこんなにも突然に途絶えるだなんて、想像もしていなかった。


 わたしはたった今、愛を失ったの……?

 ほんとうにもう、戻れないの……?


「あぁ……、うぅ……」


 泣きながら、縋るように結弦に手を伸ばそうとするけれど、その手はきっと、もう掴んでもらえない。


「たとえ俺がいなくなっても、琴音は幸せに生きるんだ」


 結弦に伸ばした手が動きを止める。

 蛇のようににじり寄っていた腕は行き場を失い、だらりと岩の上に垂れた。


 あぁ、そうか……。

 わたしは今、結弦に振られているんだ。

 ひとりになって別の幸せを探せと、そう言われているんだ。


 朝日に浮かれて子どもみたいにはしゃいで、みっともなくて馬鹿みたい。

 でも、思い当たるふしはある。

 敵わない。

 もう、どうしようもない。



 ――天伽葵。



 やっぱり彼女のことが忘れられてなかったんだろうな。

 昨日話しているのを傍から見ていても、ふたりにしかわからないなにかがあった。

 わたしが割って入ることができない、なにかが。


 それならもう、仕方ない。


 高校一年からの付き合いのわたしなんかより、彼女のほうがずっと長く結弦といたんだから。

 きっと彼女のほうがわたしなんかより結弦のことを理解している。

 一緒にいた時間の長さと重さは、そう簡単に埋められるものじゃない。


 瞬きもせず、折れたように垂れた腕を見つめていると、結弦との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。


 わたしが結弦からもらったものって、どれくらいあったのかな?


 穏やかな安らぎ、優しい時間、ぬくもりに触れる喜び、遊ぶ楽しさや人を想う心の強さ、仲間達との思い出……。

 挙げるときりがないけれど、全部わたしの宝物だ。


 結弦からもらった幸せな夢。

 これ以上叶うことはないけれど、せめて去り際だけは潔くしたい。

 思い出の中にある輝きがこれだけあるなら、きっともう十分だ。


「……わかった」


 俯いていても、肌に感じる陽の温もりが鬱陶しい。

 さっきと変わらないのに、すべての景色が違って見えるのが不思議だ。

 優しく感じていた潮騒も、今では騒音のように喧しい。

 目の前に広がる果てしない空と海は、なにも変わらずにその澄み切った青を称えている。

 けれど、その青色すら煩わしい。

 数分前まで心を弾ませた海が、今では荒れた砂地のようだ。


 これ以上、結弦を苦しめたくない。

 そう決意して右手で力強く涙を拭い、すっくと立ち上がった。


「今まで……ありがとう」


 端的に告げ、海に背を向けて躊躇いなく走り出す。


 背中にわたしの名を呼ぶ声が僅かに届いたけれど、振り返らずに走り続けた。