◇
「レオン殿下。頬に、肉球のあとが」
俺が王太子専用の控え室で手当を受けていると、侍従長のメイソンが心配そうな顔でのぞき込んできた。
差し出した手鏡を受け取り覗いて見ると、確かに頬と額に猫の足跡がある。擦ってみると煤だった。
「メイソン、俺のことはいい。早くジュリアを連れ戻してくれ」
「殿下。夜の追跡は危険です。令嬢もそう遠くまでは行かないでしょう」
「夜は危険だから今すぐ追えと言っているんだが?」
語気を強めると、侍従長は「仰せのままに」と言って頭を下げた。
「そうよ。早く猫さまを連れ戻して!」
白い包帯で頭をぐるぐるに巻き、腕の引っ掻き傷に薬を塗り込む俺の傍で、ユリアは声を荒げた。
彼女から甘ったるい匂いが香った。前の世界から持ってきた物のようだ。ユリアはいつも同じ匂い袋を持ち歩いている。
「護衛兵が見たんでしょう? ジュリアさまが猫を抱えて馬車に飛び乗る姿を。きっと今も一緒にいるはずよ」
「猫よりも、大事なのは私の婚約者だ」
自分を引っ掻いた仔猫を捕まえてどうこうするつもりはない。ただもう一度、ジュリアに会いたかった。
ユリアはわざとらしく口と目を見開いた。
「王子さま、それでも王族? この物語は猫神さまがメインなのよ?」
「聖女さま、いくらあなたでも殿下を侮辱するのは許されませんよ」
長年王家に仕えてくれている老臣、セタンタが聖女を諫める。
「セタンタ。これはそういうものだ。いちいち目くじらを立てるな」
異世界から来たという聖女には身分を重んじる考えや礼儀作法というものが欠如している。あちらの世界では常識が違うのだろう。
「王子さまに近づけば、たくさんの猫と触れ合えると思ったのに。だからパーティーにも出席したのよ。話が違います!」
猫と触れ合えるなんて、言った覚えはない。
ユリア嬢がまた何か理解できないことを言いはじめたと、うんざりしながらも口を開く。
「勝手にパーティーに参加したのは貴女じゃないか。老臣たちは喜ぶし、無下にできないから相手にしていたまで」
異世界からきた聖女が不憫だった。見知らぬ土地に知らない文化と人々、きっと不安だろうと思い匿った。だが、それが間違いだった。
みんなが聖女と王子が仲睦まじいと勝手に喜び、はやし立てた。これで蝗虫の被害は収まる。聖女が助けてくれると多大な期待をさせてしまった。
「猫のことまでは世話できない。そもそも、」
そこで言葉を切ると立ち上がった。ユリアを見下ろす。
「聖女は猫に愛される者、猫神さまの使い。なのに、ユリア嬢に猫が寄りつかないのはなぜだ。話が違うと言いたいのはこちら側だ」
「レオン殿下。頬に、肉球のあとが」
俺が王太子専用の控え室で手当を受けていると、侍従長のメイソンが心配そうな顔でのぞき込んできた。
差し出した手鏡を受け取り覗いて見ると、確かに頬と額に猫の足跡がある。擦ってみると煤だった。
「メイソン、俺のことはいい。早くジュリアを連れ戻してくれ」
「殿下。夜の追跡は危険です。令嬢もそう遠くまでは行かないでしょう」
「夜は危険だから今すぐ追えと言っているんだが?」
語気を強めると、侍従長は「仰せのままに」と言って頭を下げた。
「そうよ。早く猫さまを連れ戻して!」
白い包帯で頭をぐるぐるに巻き、腕の引っ掻き傷に薬を塗り込む俺の傍で、ユリアは声を荒げた。
彼女から甘ったるい匂いが香った。前の世界から持ってきた物のようだ。ユリアはいつも同じ匂い袋を持ち歩いている。
「護衛兵が見たんでしょう? ジュリアさまが猫を抱えて馬車に飛び乗る姿を。きっと今も一緒にいるはずよ」
「猫よりも、大事なのは私の婚約者だ」
自分を引っ掻いた仔猫を捕まえてどうこうするつもりはない。ただもう一度、ジュリアに会いたかった。
ユリアはわざとらしく口と目を見開いた。
「王子さま、それでも王族? この物語は猫神さまがメインなのよ?」
「聖女さま、いくらあなたでも殿下を侮辱するのは許されませんよ」
長年王家に仕えてくれている老臣、セタンタが聖女を諫める。
「セタンタ。これはそういうものだ。いちいち目くじらを立てるな」
異世界から来たという聖女には身分を重んじる考えや礼儀作法というものが欠如している。あちらの世界では常識が違うのだろう。
「王子さまに近づけば、たくさんの猫と触れ合えると思ったのに。だからパーティーにも出席したのよ。話が違います!」
猫と触れ合えるなんて、言った覚えはない。
ユリア嬢がまた何か理解できないことを言いはじめたと、うんざりしながらも口を開く。
「勝手にパーティーに参加したのは貴女じゃないか。老臣たちは喜ぶし、無下にできないから相手にしていたまで」
異世界からきた聖女が不憫だった。見知らぬ土地に知らない文化と人々、きっと不安だろうと思い匿った。だが、それが間違いだった。
みんなが聖女と王子が仲睦まじいと勝手に喜び、はやし立てた。これで蝗虫の被害は収まる。聖女が助けてくれると多大な期待をさせてしまった。
「猫のことまでは世話できない。そもそも、」
そこで言葉を切ると立ち上がった。ユリアを見下ろす。
「聖女は猫に愛される者、猫神さまの使い。なのに、ユリア嬢に猫が寄りつかないのはなぜだ。話が違うと言いたいのはこちら側だ」