「喜んでだって?」
 レオンの顔が険しくなった。
 今はまさにゲームのクライマックスシーン。パーティーに列席していた貴族たちは、王子と聖女、そして婚約者の私が話をしている姿に気づき、好奇の目でこちらを見ている。
 私は右手に扇子を持ち、彼にだけ見えるようにそっと回した。扇子言葉の意味は『私は別の猫(ひと)を愛しています』だ。
 扇子を使った仕草の意味を知っているレオンの眉間には縦皺ができた。美形が凄むと迫力がある。怯みそうになったが、顔に出ないように努めた。

「偉大なる未来の王、レオン殿下のご決断ですもの。婚約白紙、謹んでお受け致します」
 本来のゲームシナリオでは、悪役令嬢は王子に近づく聖女を、あの手この手でいじめて邪魔をする。その罪がこの断罪イベントで明るみになり、一家は爵位を剥奪。没落し、片田舎で質素な生活を送ることになって歯噛みをするが、今日まで私は聖女と接触しないように回避し続けてきた。ユリアとは今が初対面だ。
 そもそも私は、聖女を妬むほど王子を愛していない。興味がないのだ。ユリアをいじめる理由がない。

「聖女さま。国を救ったあと、王妃教育をしっかり受けられて、立派な王妃になってくださいませ」 
 私は右手の薬指に嵌めている婚約指輪を外すと、彼女の手を掴み、手のひらに乗せた。
「サイズは直してもらってね」
 笑顔を添えて、もう一度カーテシーをするとドレスの裾を翻し、二人に背を向けた。
「ごきげんよう」
 邪魔者は去ります。これでもう、私は自由!
 聖女が王妃となり、国に繁栄をもたらしてくれる。お役御免の私は、平和になったこの国で旅をしまくれる。なんて最高に幸せなの。ああ、大変。わくわくが止まらなくて笑いが込み上げてくる!

「待て。ジュリア」
 一刻も早く立ち去りたかったけれど、相手は王子。無視はよくない。しかたなくレオンに向き直る。
「まだ何か?」
 レオンの碧い瞳は猫を思わせる。内側から光り輝くようで美しい。その瞳が憂いを帯びていた。彼が口を開き、まさに声を発しようとしたときだった。

「虫だ! 外から一匹、蝗虫(バッタ)が入ってきた!」
 男性のあわてる声と貴婦人の叫び声、ガラスのような物が割れる音がほぼ同時に聞こえた。護衛兵が駆けつける足音で会場内は一気に緊張感が増した。レオンも騒ぎの方へ意識が逸れる。
 私はその隙に、ドレスの裾を掴んで持ち上げると駆け出した。