私の大好きなお母さんは天国に行った!
あれは2016年の夏頃だった。
急にお母さんが背中が痛いと言いだした。
その時は、まさかお母さんを失うとは思っていなかった。
夏頃からなんか少し痩せたように見えた。
私のお母さんは体型はぽっちゃり系だった。それが少し痩せた姿を見て、
私が離婚したばかりで、お母さんに心配やストレスをを与えたのかなって思いました。
食欲もあまりなかった様に感じました。
いつもならケーキとか2個とか3個は食べてたけど食べれても1個だけでした。
私が離婚をして心配かけたり子供が4人居たので、その子供達の面倒を見てもらってました。
1人は当時高校2年生でした。2人3人目は小学生で一番下がまだ小さかったです。
一番下の子が一番手がかかりました。
子育てはお母さんと一緒にしてきました。
色々教わりながら二人で一生懸命育てました
忘れもしない2016年12の初めに別れた旦那さんから連絡があり1番上以外は引き取ると急に言われた!
それも12月24日に迎えに来るといきなり言われ私とおとうさんとお母さんと弟はかなりビックリしました。
あ〜あ子供達とお別れなんだなあって思うと
涙が止まりませんでした。その事があって私はかなり精神的にしんどくなってしまいました。
そして、あってはならない事が起きました。
2016年12月16日
お父さんがお母さんに言いました。
そろそろ病院に行けよって!
お母さんは大丈夫よと言いました。
でも私はお母さんにちょっとキツめに病院に行こうって言って、
そしてしぶしぶ二人で近くの総合病院に行きました。
受付を済ませてから色々と検査に回されて
半日かかりました。
そして先生に呼ばれました。
先生はゆっくりと説明をしてくれました。
悪性マーカーとか言ってたのは覚えています
そして、その後に言われた言葉が衝撃すぎました。先生はあっさり私とお母さんに膵臓がんですって言われました。その時は頭が真っ白になりました。
お母さんは涙を浮かべていました。私はその場では泣くのは我慢しました。
お母さんが辛い思いしているのに私がその場で泣いたらダメだなあと思い必死に我慢した
先生に言われたのは、この病院では治療が出来ないと言われ先生が大学病院を紹介してくれました。運良く12月28日に予約が取れた。
奇跡なのかなと思った。
年明けになるかと思ってたから、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
先生に紹介状を書いてもらい会計も済ませて
家に帰りました。
流石に車の中は無言でした。その無言が凄く辛かったのを覚えている。
家に帰りおとうさんに話したら、やっぱり
膵臓がんだったかと言われた!
だから早く病院に行けよって言っただろうと言った。
そしたらお母さんは崩れ落ち泣き崩れた!
私は自分の部屋にに戻り泣き崩れた。
涙が泣いても泣いても止まらなかった!
なんで気づいてあげれなかったんだろうって自分責めた。
2016年12月20日は町内のお餅つき大会;ああり、子供達とお母さんと私と最後のお餅つき大会になりました。
お汁粉ときな粉餅を一緒に食べました。
お母さんはかなりしんどそうにしてたけど
孫と最後のお餅つき大会だからかなり無理していたのを覚えています。
帰りにお土産につきたてのお餅を買って帰りました。
帰ってからお母さんはかなり無理をしていたのでずっと寝ていました。
日に日に弱って行く姿を見ていたらかなり辛かった。
2016年12月23日は私の誕生日だった。
プレゼントをもらいました。
今に形見にになりました。
12月24日はクリスマスパーティをしました。
ケンタとクリスマスケーキとサンドイッチと
シャンメリーを準備しました。
後は子供達に最後のクリスマスプレゼントを渡しました。
お母さんも孫たちにクリスマスプレゼントを渡しました。
そして子供達は夜中に別れた主人が迎えに来たのでお別れをしました。
お母さんは号泣してました。
もう二度と会えないのが分かっていたみたいです。
子供達が居なくなり私とお母さんとお父さんは一気に元気がなくなりました。
そしていよいよ12月28日になりました。
その日はお父さんも一緒に病院に行ってくれました。
初めての大学病院だったので手続きに時間がかかりました。
そして消化器内科を受診しました。
それから色々と検査に回されて検査が終わったので先生に呼ばれました。
言われたのが黄疸がかなり出ているので
このまま入院して下さいと言われ、
私もお父さんもお母さんもビックリしました
そして弟と娘に連絡をして入院の用意をしてもらい
お母さんはそのまま病室に連れて行かれた
部屋はめちゃくちゃ綺麗だった。
そして、お母さんは軽い手術をする事になり
お父さんが同意書にサインをして
お母さんは手術室に入りました。
1時間ぐらいで終わりました。
聞いたらカテーテルを入れる手術だったみたいで大変だったのが中々、麻酔が効かなくて
困ったそうです。
だから麻酔はキツいの使ったらしくなかなか
起きませんでした。
お父さんと私はお母さんが目覚めるまで側に居ました。
この日から闘病せ活が始まった!
12月29日
今日からお母さんの闘病生活が始まった!
まずは私は先生とお話しをしました。
その時には、お父さんと弟もも居ました。
でも娘は学校があるので居ませんでした。
そして先生から言われたのは抗がん剤治療を
始めましょうと言われました。
それで癌が小さくなれば手術ができますと言われ私達は喜びました。
でもこの喜びもすぐになくなりました。
その日は先生の話しが終わったらお父さんと弟は帰りました。
私はお母さんが居る病室に戻りました。
そして先生に言われた事を伝えた。
お母さんはこう言った。
私はもう長くないから抗がん剤治療なんてしないと言いました。
その時は流石に私も腹が立っていい加減にして!
家族で頑張ろうと言ってるんだから、
そんな事を言わないでとちょっと強めにお母さんに言いました。
そしてお母さんは言いました。
分かったわ!
抗がん剤治療を受けるわと言ってくれました。
私は心の中で
きっと
大丈夫って!