凍える冬も終わりを迎え、新緑が芽生える季節がやってきた。日本人が大好きなあのピンクの花ももうすぐ開花宣言を迎える時期になるだろう。

毎年姿を変え人々の心を埋め尽くして、一週間ほどで散っていく儚い美しさを持ち合わせた風情のある花。もう少しで私の何もない病室の窓からも眺めることができるのだと思うと、ちょっとだけ嬉しい。

冬に花火をした日以来、一度も私の病室に来ることがなくなった彼。あまりにも突然の出来事に、初めのうちは風邪でも引いたのかと心配したが、日が経つにつれてそんな優しいものではないのだと私でもわかった。

日向と千紗に聞いてもどうやら二人もわからないらしい。担任の先生に聞いても休学と言われただけらしく、詳しい詳細は個人情報だからとはぐらかされてしまったみたい。

彼が来ない日々はとても長く感じた。毎日毎日、彼のことを想う日々。何もできない私には、彼を探しに外に出ることも許されない。その無力さだけが、私を苦しませ続けた。

毎日私に会いにきてくれた日向と千紗もきっと、日に日に変わり果てていく私を見るのが辛かったのだろう。いつからか二人も毎日のように顔を出すことは減ってしまった。

最近では、一週間に一回顔を合わせればいい方かもしれない。体の調子といえば、もう死期が近づいてきているのだろう。季節が冬だった頃の睡眠時間は十時間程度だったのが、今では二十時間超えることが当たり前になりつつあった。

これが、何を意味しているのかは言われなくてもわかっている。それに余命宣告をされてからもう少しで一年になろうとしているのだ。むしろ、ここまで生きられていることの方が奇跡に近いのかもしれない。

「冬夜・・・どこにいったの」

彼が一番私の心を支えてくれた人だった。彼がいなくなってしまった今、私はなんのために生きているのかがわからない。むしろ生かされていると言った方が...

「火花!!!」

病室の扉をノックすることもなく、荒々しい表情を貼り付けたままの母が私の元に駆けつけてきた。

「どうしたのお母さん」

「あ、あのね。落ち着いて聞いてね」

その言葉に私は息を呑んだ。もしかしたら、冬夜のことで何かがわかったのかもしれないと淡い期待を胸に抱く。

「し、心臓が見つかったのよ。あなたの体に適合できる心臓が・・・」

私が聞きたかった答えとは全く違うものが聞こえてくる。

「そ、そうなんだ」

一年間待ち続けたはずの心臓が手に入るというのに、なぜか嬉しさが込み上げてこない。この場に彼がいたら私は間違いなく、飛び跳ねたに違いない。でも...ここに彼の姿は。

「火花、もちろん移植手術するわよね?」

鬼気迫る様子で私の返答を待っている母親の姿。答えは決まっているけれど、素直に喜ぶことができない自分が醜い。名前も知らない誰かが私のために心臓を与えてくれるというのに、私は...私はどこにもいない彼を探している。

「うん・・・」

「早速先生に話してくるわね。これで火花が・・・」

ハンカチで目元を押さえながら話す母の様子を見る限り、これでよかったとも思えてしまう。もし、手術がうまくいったら、自分の足で彼を探しに行こうと心に決める。



誰かの声が聞こえる...私を呼ぶ声が。ゆっくりと瞼を開くと、蛍光灯の光が私の瞳を刺激するほどの光で貫く。

「火花!よかった・・・これで、これからも・・・」

私のベッドの周りには、担当医の先生、看護師さん、両親、そして親友の二人が囲むように私を見下ろしていた。みんなの目には涙が浮かべられている。やはり、彼の姿はない。

「みんなどうしたの?」

なぜこんなにみんなが集まっているのか、私には全く理解ができなかった。

「あのね、火花・・・今日何日かわかる?」

「え?昨日、私お母さんに手術するよって話をしたばかり・・・もしかして私眠ってたの?」

よく周りを見てみると、一瞬ではわからなかったことが見えてくる。特にわかりやすかったのは、みんなが半袖の服を着ていること、そして真っ黒に日に焼けた親友の肌。

私が母と話したあの日は、まだ桜が開花宣言すらしていない時期だった。まだ冬の肌寒さが残りつつある春だったはずなのに。まるで、今は夏のような季節感が私の周りに集まっている。

「あなたは三ヶ月の間眠っていたのよ。最初の一ヶ月はみんなであなたが目を覚ますのを待っていたわ。でも、目を覚ますことがなくてどんどんあなたの心臓が弱っていくから、眠っている間に手術をしてしまったの。あなたに相談なしにしてしまってごめんなさい」

「わかってるよ。そうしなかったら私、生きてなかったかもしれないんでしょ?みんなありがとう。先生、私はいつになったら一人で外を歩けるようになりますか?私、探したい人がいるんです」

「そうだね。三ヶ月も眠ったままだったし、手術後ってこともあってだいぶ時間はかかりそうだね。本人の頑張り次第だけど、早くても一ヶ月は・・・ま、奇跡的なこともあるから諦めなければ、可能性は無限大だよ」

「それじゃ、私たちはこれから先生とお話があるから、少し抜けるわね。また後でくるから」

「うん」

三ヶ月も眠っていたのに、その実感がいまだにやってこない。外の気温や外観は夏そのものだが、現実味が全く湧いてこない。当然といえば、当然かもしれないがなんとも変な感覚。

外のカラッとした暑さが、病室の少しだけ開かれた窓から流れ込んでくる。むわっとした空気感と同時に夏特有の気持ちのいい匂いが鼻をくすぐる。

カラッとした季節のはずなのに、病室に残された親友二人はどこか辛気臭い雰囲気を醸し出したまま。そんなに私と会うのが、気まずいのだろうか。そう思われていたとしたら、ちょっとだけ悲しい。

「あのさ、二人とも・・・」

「ごめん、火花!俺たち日に日に元気がなくなっていく火花が見ていられなくて、来なくなったよな。寂しい想いさせて悪かった」

「いいよ、私が空気を悪くしてたんだから」

「あのね、私と日向で火花を元気付けようと思って、ずっと冬夜のこと探してたんだ。私たちが可能な限り探し尽くしたの。なんなら、前に冬夜が住んでいた場所にも親には旅行って言って探しに行ったりしたんだ」

「え・・・」

知らなかった。自分のことばかりで二人が、私のためにそこまで冬夜のことを探していることなんて知る由もなかった。二人のことを信じられなかった私自身が恥ずかしく感じる。

たまに顔を出しにきていた時も懸命に探していたのだと思い返すと、心が痛くなってくる。二人は懸命に探しているのに、私はどんどん元気がなくなっていく。それが、どんなに苦しいことかぐらいは私にもわかる。

結果が伴わない努力ほど苦しいものはないんだ。

「でもね、私たちは冬夜を見つけることはできなかったんだけど・・・ついこの前偶然ここで会ったんだ」

「ここって・・・私が眠っていた時ってこと?」

「そう。私たちもその日は眠っている火花に会いにきたんだけど、病室に入ったら椅子に座った冬夜がいたの。何かをしているわけでもなく、ただ眠っている火花を大事そうにずっと見ていたの」

ここに冬夜が再び来ていた。それを聞けただけで、胸の内が熱くなる。

「だからさ、俺気になって冬夜に聞いたんだよ。今までどこにいたんだよって。そしたら、それだけは話すことが出来ないって言われて、代わりにこの手紙を火花に渡してくれって言われたんだよ」

日向の手には水色の封筒に『夏目火花様』と達筆な字が書かれている。

「これを私に・・・」

「そうだよ。あと、火花をよろしく頼むって・・・俺らに泣きながら頭下げてきたんだ。それだけ言って冬夜は部屋から出て行ったよ。それ以来は今日まで一度も会えていない」

「そっか・・・この手紙に真実が書かれているってことなんだよね。二人もここにいてくれない?」

「火花がいいって言うなら、私たちはここにいるよ」

正直この手紙を見ることが怖い。どんなことが書かれているのかが、わからないのが私の不安を駆り立てていく。彼が泣いていたのが、どうも私には気がかりで仕方がない。

糊付けされた封筒を丁寧に、雑な開け方にならないように破いていく。中から出てきたピンクの花柄の私が好みそうな手紙。

手紙の表面には何も文字が添えられていることはない様子。二つ折りにされた手紙を開いたら、そこに彼の真実や想いがあるのだと思うと緊張して開けられそうにない。

乱れる心臓の鼓動を落ち着かせるために、息を大きく吸い込み肺に空気を満たす。数秒の時間をかけて溜めていた空気を吐き出すと、鼓動が先ほどよりも落ち着いた感じがする。

手に滲む手汗をベッドのシーツで拭き、手紙をゆっくりと開く。紙が擦れる音が、緊迫した私たちをさらに煽っていく。



火花へ

突然、姿を消してしまい本当にごめん。

何も言わずに去ったことを許してほしい。

きっとこの手紙を君が読んでいる時、僕はこの世にはもういないと思う。

今頃空からみんなのことを見ているよ。

僕は、生まれた時から『頭の中に悪い虫がいる』と言われて育ってきた。

初めはそんなこと気にもしなかったんだけどね。

小学生になった頃から頭が割れるくらいの痛みが度々僕を襲うようになったんだ。

ある日、あまりの痛さに僕の体が耐えられなかったのか、倒れちゃったんだ。

目が覚めたらそこは病院で、先生に僕はあと十年も生きられないって言われたんだ。

原因は僕の脳の中にあるものが原因らしいんだ。

世界的にも珍しい症状で、大人になる前に脳機能が停止してしまう病なんだって。

世界でも症例数が少ないから病名はついていないらしいんだけどね、この病に罹ったら最後は植物人間になるのがオチらしいんだ。

最先端の医療を使っても、ダメらしい。

そんな時、僕はこの地に転校してきたんだ。

僕が小さい頃に大好きだったおばあちゃんが住んでいたこの地で、僕の一生を終えたかったから。

転校して僕にはすぐにわかったよ、火花も命が長くはないんだってことが。

僕と同じ目を君はしていたからね。

未来が塞がれる、光が届かない。そんな目だった。

だからなのかはわからないけれど、僕は君のことが気になってしまった。

君の未来を僕は見てみたくなったんだ。僕が見ることができるのは少しの間だけだけどね。

いつかは忘れたけど、僕が倒れた時は本当に焦ったよ。

どうやって火花のことを騙そうか真剣に悩んだし、何よりも大好きな人に嘘をつくのがあんなにも辛いなんて知らなかった。

君から余命の話を聞いた時は、驚いたと同時に僕は大いに喜んだんだよ。

君の悪い部分は、『心臓』だった。そして、僕の悪い部分は脳で、心臓は健康的だった。

覚えているかな?僕が君に血液型を聞いたの。同じ血液型で安心したよ。

その時に僕は決心したんだ。『僕が君の心臓になるって』

君は僕が遠くに行ってしまったと思っているかもしれないけれど、僕はずっと君の側にいるんだよ。

これから先何年経っても、僕は君の中で君と共に生き続けるんだ。

火花のしたいことをこんなに近くで見守り続けることができるなんて、僕は幸せ者です。

僕は絶対に亡くなる運命だったけど、火花にはまだまだ長い人生があるんだよ。

僕の分までとは言わない。僕と一緒にこれから先の人生歩んでいこうね。

僕はいつまでもいつまでも君の中から君の世界を見続けて、楽しませてもらうとするよ。

最後に、僕と出会ってくれてありがとう。

僕の初めての恋人になってくれてありがとう。

僕にたくさんの幸せをくれてありがとう。

全部全部、ありがとう!この一年間、本当に幸せな一年でした。

火花がこの世に未練なく寿命で亡くなった時は、僕が天国から君のことを迎えに行きます。

それまでお別れだよ。元気でね。日向と千紗にもよろしく!

柊冬夜



「・・・・・」

手紙にはいくつもの涙の跡が残っていた。彼も辛かったんだ。泣きながら、この手紙を書いている姿を想像するだけで、辛いのがわかってしまう。

私と違って、誰にも打ち明けずに一人で戦っていた彼。彼の弱さに気づけなかったことが悔しい...

そんな私の気持ちとは裏腹に今も私の心臓は鼓動をし続けている。彼から授かった『彼の心臓』が私の中に。

当然手紙を読んでいる最中から涙は止まらなかった。彼の涙が溢れた跡がある上から私の涙が零れ落ち、手紙のインクが滲んでしまっている。

「火花・・・」

「千紗・・・」

彼女も、日向も顔がぐちゃぐちゃになるほど涙で汚れている。私も同じなのだが...

「私、気付けなかった・・・か、のじょなのに・・・」

嗚咽しながら話しているせいか声が途切れ途切れになってしまい、うまく話すことが出来ない。

「仕方ないよ・・・冬夜はバレたくなくて本気で隠していたんだから」

「でも・・・でも・・・」

「おい!冬夜がどんな気持ちで火花に心臓を託したんだ?生きて欲しかったからだろ。冬夜の気持ちだけは絶対に無駄にすんなよ。いくら後悔したって構わない。でも、あいつの気持ちだけは考えてやれ。あいつも手紙では強がってるけど、本当は火花の隣で笑って歳を重ねて生きたかったんだだから」

私から目を真っ直ぐそらさずに見つめ続けてくる日向の目。

「うん・・・私が今生きているのは冬夜のおかげだから・・・」

「あとは火花次第だからな。俺が言えるのはここまでだな」

「ありがとう日向・・・」

「ねぇ、火花。封筒にまだ何か入ってるよ?」

手紙ばかり意識していたせいか、もう一つ何かが入っているのを見落としていた。細い糸のような物が入っているのが見える。封筒を逆さまにし、中に入っているものを取り出す。

出てきたものは普通の夏の風物詩の一つ。私たちの思い出が詰まった線香花火だった。

私たちが出会い、付き合った思い出の夏がもうすぐそこまできている。あと何回私は夏になるたび、この気持ちを思い返すのだろうか。五十回...いやもっと多いだろうな。

まだ空には太陽が昇っているが、どこからか花火が開花する音が聞こえた気がした。私の明日を祝っているかのような大きな花火がこの世界のどこかで。