桜の木が花びらを散らしていく様子を上から見ると、それは綺麗でもなんでもない。
人間だって見た目はみんな違うのに、誰が誰だかわからない。
石ころなんてないようなものだ。
この高さから見れば、すべてがちっぽけに見える。
それは、わたしも変わらない。
これからそちら側へ飛び込んでみようか、とかなんとか思ってみたりしている。
もう、いいかもしれない……。
重力に身を任せてみようか、と思った時に風が強く吹いた。
すると、背にしているスチール製の柵が揺れる。
老朽化しているためだ。
普通に危ない。
今すぐ壊れてもおかしくないから、屋上は立ち入り禁止になっている。
さっき、わたしがこちら側へ来たときも揺れたから正直びっくりした。
覚悟も曖昧なまま、本当に落ちるんじゃないかって……。
「え……?」
ハッとして顔を横に向ける。
そこには同じ制服を着た男子が、俯きがちに立っていた。
わたしの声に気づいて顔を上げた彼は、虚ろな瞳をしていた。
わたしがここにいることに気づかないほど追い込まれていたのかもしれない。
彼がここにいる理由。
それは、ひとつしかない。
気づいた瞬間、血の気が引いていく。
「あ、あのっ‼危ないよ‼」
思わず声をかけると、虚ろな瞳の彼は目を見開いた。
目の焦点が合うと、口をパクパクさせてなぜか焦りはじめる。
「こ、こんなことやめてください!まだ早まらないでください‼」
「それは、わたしのセリフだよ!今すぐ戻ってきて‼」
「先輩も反対側にいますよ⁉」
「あ、そうだった‼」
って、自分の状況を再認識している場合じゃない。
今は彼の気持ちをどうにか変えてもらう。
それが最優先事項だ。
「考え直して、ね?」
「それは俺のセリフです!俺もちゃんと戻るんで先に先輩が!」
「そんなこと言って飛び降りる気でしょ⁉君が飛び降りるくらいならわたしが……」
「何意味わかんないこと言ってんすか⁉」
目を見開いてツッコミを入れられた。
けど正直、わたしも混乱している。
気持ちがどん底で、なんかもう全てがどうでも良くなった。
だからいっそ、終わらせてみようかな?という迷いの中、屋上のちゃっちい柵を乗り越えた。
ここに来たら、自分の気持ちに向きあえるのではないかと期待して。
それなのに今、わたしと同じように柵を乗り越えて、自殺をしようとしている人がいる。
わたしは本気で自殺をする覚悟をもってここにいるわけではない。
覚悟を決められるかを確かめにきただけ。
でも、彼はわからないから……。
「折れるな少年。負けるな」
「あ……」
もしここで、本当に自殺しようとしているのならやめさせないと。
もう、わたしの覚悟とかはどうでもいい。
驚いたような顔をする彼に一歩近づく。
少し踏み外せば下に落ちるとかも、いまは気にならない。
「制服綺麗だし一年生でしょ?まだまだ若いんだから、こんなことして人生を無駄にしたらだめだよ!」
「ブーメランですよ⁉先輩も俺とひとつしか変わらないじゃないですか。何があったか知りませんけど、飛び降りなんてよくないですよ‼」
「それもブーメランだよ⁉君は飛び降りるためにここにいるんでしょ⁉」
「もうやめました!でも、先輩が飛び降りるって言うなら俺も飛び降ります!今ふたりで飛び降りたら心中って言われちゃいますけど、いいですか⁉」
「それは良くないね?わたしの動機と君の動機がごっちゃにされたら、君は迷惑だよね⁉」
「先輩に飛び降りられるほうが迷惑です‼なので、一緒に戻りましょう‼」
「わかった。一緒に戻ろう!」
彼と一緒に、もう一度ちゃっちい柵を飛び越える。
内側に戻ると、いっきに疲労感に襲われてその場に座り込んだ。
思いもよらない出会いに、ふたりともパニックに陥ってたと思う。
自殺しようと(わたしの場合は覚悟が決まればだけど)屋上へ来たら、同じように自殺しようとする人に会うだなんて……。
けっこうな衝撃だった。きっとお互いに。
そのせいで無駄に大きな声で言い合ってしまった。
でも、おかげでふたりとも、今ここにいる。
「はぁ……」
深く息を吐きだす。
何やってるんだろう。
息を吐いて吸ったあとに、思わず吹き出してしまった。
そのあと、笑いが込み上げて抑えられなくなる。
「……ふっ。あはははっ」
「え?どうしました?」
彼も疲れていたのか、脱力してしゃがみ込んでいた。
けど、わたしの笑い声に不思議に思ったようで、顔を上げて尋ねてきた。
その顔は、さっきみたいな虚ろの瞳はしておらず、目に光があった。
「いや、おかしいね?ふたりとも死にそうになってたのに、相手を説得しようと必死になるなんてさ」
「……たしかに、そうですね。はははっ」
同意すると、声を出して笑ってくれた。
思いつめてるのかと思っていたけど、そうではないみたいで安心する。
本当に自殺しようとしていたのなら、こんなにすぐに笑えないから。
まず説得に応じてもくれなかったと思う。
自分も同じ立場だったのに、それを棚に上げて胸を撫で下ろした。
「なんか、バカらしくなって気が抜けちゃったよ」
「俺もっす」
コンクリートにお尻をつけて座り、両足を前に伸ばす。
見上げれば、今死ぬにはもったいないくらいの澄んだ綺麗な青空が広がっていた。
「君はさ」
「あ、山科大吾っす。俺の名前。大吾って呼んでください」
「山科大吾くん。かっこいい名前だね」
「あざっす」
わたしの隣に、わたしと同じ態勢で座る大吾くん。
少し照れたようにお礼を言う大吾くんは、体育会系っぽい。
そして、すでに明るい。
「わたしは橋田綾。二年生」
……あれ?
そういえば、彼はわたしとひとつしか変わらないって言ってたな。
入学式で見かけたりでもしたのかな?
「綾先輩。先輩に合う素敵な名前っすね」
無邪気な笑顔。
さっきまで虚ろな瞳をして、覇気がなかった人とは思えない。
そんな彼が、なぜこんなところにいるのか不思議でたまらない。
「大吾くんはさ、どうしてここに?その……自殺しようとしたんだよね?」
言葉を選ぼうとしても思いつかなかったから、直球で聞いてしまった。
こんなセンシティブな質問は、ほんの数分前に命を絶とうとしていた人に聞くべきじゃないとわかっている。
でもいま、同じ状況で出会ったからこそ、話を聞いてあげることはできるかもしれないと思った。
心が折れていたわたしなんかがその役目をしようとするのはおかしな話だけど。
まだわたしは、誰かの話を聞きたいと思うくらいには、覚悟が決まっていなかったみたいだ。
「えっと、ですね……好きな人、にその……好きな人がいると気づいてしまったという感じで……」
「そうなんだ。でも、まだ好きな人がいるってだけでしょ?」
「まぁ……」
「じゃあ、まだ頑張れるよ。……って、すごくつらかったから、飛び降りようとしてたんだよね。そんな大吾くんにかける言葉じゃないや……」
「先輩?」
膝を曲げて抱えるようにする。曲げた膝に顔を埋めて、ぐっと涙をこらえる。
「ごめん、八つ当たりした」
「いや、気にしてないですよ」
そんなわけないよ。
好きな人に好きな人がいると知っただけで、絶望して飛び降りようとしているんだから。
わたしが先に柵を乗り越えていたことに近づいてても気づかないくらい、周りが見えない状態だった。
それくらい影響力のすごい好きで好きでたまらない人。
そんな人が、自分ではない他の人が好きとか、受け入れられるわけがない。
「先輩はどうして……?」
「わたしも失恋。好きな人に彼女ができたんだ」
だから大吾くんの気持ちはよくわかる。
本当に好きだからこそ、自分へ気持ちが向いていないと、辛くて苦しくて悔しい。
恋って本当に厄介。
失恋したら死にたくなる。
それほどに、打ちのめされてしまう感情。