その3
夏美



当時、総長の達美と総長補佐の私は、南玉内に過激な赤塗りイケイケ路線が浸透したことを危惧し、従来の紅組がポリシーとしていた少数精鋭方針の踏襲を重視していた

その結果、組織内は荒子イズムを支持する急進派と当時の執行部を軸とした保守穏健派による対立が根付いたわ

私達執行部は、荒子とはライバル関係にある矢吹鷹美を次期執行部候補のイスとも言えた補佐控えに抜擢し、組織内のバランス保持を図ったわ

元より鷹美も、あくまで力を持つ者は、陰ひなたで旗を振り、いざとなったら女がやりたいことにトライできる環境を理想としていた

南玉はまさに、そのサポーター集団であるべきという考えだったのよ

言わば、本来の紅丸理念を内包させていたわ

そんな彼女を達美と私は、荒子の楯に仕立ててしまった

当然、あの子たちの代になった時の南玉連合を思ってのことだったよ

でも…、どこか打算やエゴがあったのは否定できないな


...



そんな二人が私たちの代を継いで、ツートップとして力を合わせて南玉を引っ張って行ってくれてる姿に、私は感動した…

だけど、それさえも、自己満足に過ぎなかったのかも知れない

私は、荒子のイケイケ路線が過激になりすぎず、南玉内のバランスが取れたことに安堵しきっていたわ

ところが…

その最中…、荒子体制になったことで返って赤塗り推進のアクセルが緩んだと、そう中学生や他県の後続グループらに受け取られていたようだったのよ

私達は、早くも彼女らに南玉新体制への不安・不満が充満していたことに気付けないでいた

そこを本郷に突かれた…