帰り道、店を出てほんの数秒で会話は消え、結局瀬名くんの家までマジカルバナナをして過ごした。

 家につくと、各々午前中に座っていた場所に座る。


「・・・・向こうのみんな、遅いね」


 沈黙に耐えかねて、私はそういった。

 向かいに座っていた瀬名くんは、無言で何度かうなずいた。


「マスのほうが少し遠いからな」

「そうですね」


 するとちょうどスマホが震えて、グループに連絡がきた。


「・・・あ、凜が・・・『途中トラブって遅くなった!今からマス出る!』・・・・って」

「・・・・今から・・・」


 今から出るってことは・・・たぶん20分以上はかかるだろう。


「・・・トイレ行ってくる」


 気まずさから逃れるためか、そう言って瀬名くんが立ち上がった。
 しかし彼が立ち上がったと同時、肘がぶつかった拍子に瀬名くんの前に置いてあったカップが倒れた。


「わっ・・・」


 瀬名くんのお腹あたりに、盛大にお茶がこぼれる。


「・・・あー・・・」


 やらかした、って感じの顔で瀬名くんが固まる。
 さすがに見過ごせないので、私は水がしたたっている彼のもとへ、ハンカチをもって近づいた。

 しかし思ったより床が濡れていた。


「!?」


 私は瀬名くんにハンカチを渡そうとした直前で、足を滑らせる。


「えっ!?」

「ちょ」


 お互いどうしていいかわからないまま、私は瀬名くんともつれ合いながら派手にこけた。


「っ・・・」


  私は今・・・・瀬名くんと抱き合うような姿勢で、座り込んでいる。

 瀬名くんのにおいが、息が、私の至近距離にある。
 この息遣いも、このにおいも・・・月曜日の朝、何度となく感じたそれだった。

 その記憶が脳裏をよぎった瞬間、ぞくりとした感覚が、全身をつたった。


「っ!」


 これは・・・、自分の中の、本能が目覚める感覚だ。


「せ、・・・せなく・・・離れて・・・っ!」

「!!」


 瀬名くんは二度目だからだろうか、一瞬にして悟った。
 私の中の抗いがたい本能が、目を覚ましたことに。

 何も考えられなくなる。

 目の前にある首筋に咬みつく欲望だけが、頭を埋め尽くす。

 捕食されることを、瀬名くんは肌で感じ取ったはずだ。
 だけれど彼は、小さく目を見開いただけで、一切の抵抗をしなかった。むしろ私を受け入れるかのように、肩の力を抜いた。


「はな・・・っ!離れ・・・っ!!」


 私は自分の中のどす黒い欲望から逃れるために、全身全霊で瀬名くんを突き飛ばそうとした。

 でももう遅い。

 私の口は、私の意思を置き去りにして大きく開き、そこからぎらりと牙がのぞく。

 瀬名くんの首筋に私の牙が差し込まれる、その瞬間。


「え・・・・」


 瀬名くんが驚きの声をあげた。

 それもそのはず、私と瀬名くんとの間に、白い腕が伸びてきて・・・、

 私の口を、覆った。


「・・・・きょー・・・ちゃん・・・?」


 愕然とする瀬名くんとは裏腹に、私は本能のままにその白い腕・・・チカラさんの腕に牙を立てた。


「っ・・・!!」


 手加減なしに咬みついたため、チカラさんは痛みで顔をゆがめる。
 だけれどその瞬間の私に、理性なんてかけらも残されていない。

 瀬名くんの血とはどことなく違った甘さが、口の中に流れ込んできた。

 それをごくんと飲み込んだ瞬間、本能が一瞬鳴りを潜め・・・私の頭の霧が晴れた。


「・・・・~~~っ!!」


 私はあわててチカラさんの腕から牙を抜いた。


「あ、あ・・・」


 白い腕に血がつたうのを見た瞬間は動揺したが、そんな場合ではない。
 まずは止血だ。

 私は急いでチカラさんの腕にしたたる血をなめとる。

 少しずつ舌に触れる血が減っていき、やがて完全に止血が終わる。


「・・・ん、もういい」


 チカラさんが私の頭を撫でた。


「・・・・はい・・・・すみません、でした・・・」


 私の言葉で、チカラさんはまた何も言わず頭を撫でてくれた。


「・・・・どゆ、こと・・・?なんできょーちゃん・・・・」


 私の前に座り込んでいた瀬名くんが、困惑したような表情でそうつぶやいた。

 これ以上はもう、隠し通せないだろう。

 私は小さく息を吸うと、本当のことを話すための覚悟を決めた。