ピーンポーン

 チャイムの音が響き、少し遅れて、スリッパの音が近づいてきた。


「はい」


 扉が開いて、瀬名くんが姿を現した。
 私の顔を見たとたん、瀬名くんが小さく安堵の息をもらした。


「・・・あかりちゃん、よかった、今日来ないつもりかと思った」


 もしかしたら、瀬名くんがいることで私が行くのをためらっていると、察していたのかもしれない。

 そして瀬名くんは、私の隣に立っていたチカラさんに目を留めた。


「え、なんできょーちゃんがここに?」

「いや、たまたまそこで九鬼さんと会ってな。ちょうど場所変えて勉強しようと思っていたところだったから、他の人さえよければ俺も涼我の家で勉強してもいいか?」

「全然いいけどきょーちゃん気まずくない?」

「大丈夫だ。俺は俺の勉強しているし、必要なら教える側にもまわる」


 私が心配していたことと同じことを瀬名くんは心配していたが、チカラさんは私に対して述べたのと同じ返答を返した。


「えーっと・・・じゃあ一応他の子に確認とってきてもいい?」

「もちろん」


 瀬名くんはしばらく奥に引っ込んでいたが、無事みんなからOKをもらえたのか、私とチカラさんをリビングに通してくれた。

 リビングに入ると、すぐに凜が抱き着いてきた。


「あかりーっ!普段全然遅刻しないのに急に遅れるとか言うから心配したじゃーん!!」

「あはは、ごめんごめん。たまたまそこでチカラさんに会って、話しこんじゃってさ」

「あ、そういうこと?」


 凜はチカラさんに目を向けた。


「えっ、瀬名くんとあかりの知り合いの先輩って話だったけどこの人!?ミスコンとミスターコンで三位だった人じゃん!!」

「・・・一応言っておくが俺は男だからな?」


 私は凜に連れられて、凜とののちゃんの間に座らされた。

 チカラさんはというと、瀬名くんの家にはもう何度も来ているのか、慣れた感じで一人ダイニングテーブルのほうに腰かけた。
 瀬名くんのおうちはリビングとダイニングがつながっているので、ダイニングにいればリビングも見渡せるということだ。


「てかあかりまじちょうどいいところに来た!英語の問題がわからなさすぎて死んでたの!!」

「ん?見せて」


 凜の問題集をのぞき込む。


「あー、時制の問題か。この文章見るとさ、『私は彼が引っ越したと聞いた』ってなってるから、彼が引っ越したのはさ、私がその話を聞いたのより前のことでしょ?」

「んーと?・・・あ、そうだね、そうなるね」

「こういうときは大過去っていうのを使います」

「ほう、強そうですね」

「いや強いかはわかんなけど。大過去っていうのは・・・・」


 凜に説明をして、その後の問題をいくつかいっしょに解いてあげた。


「お、そうそう・・・ってことは次の問題は?」

「えーっと・・・空欄が二つだから・・・had lost?」

「うん!完璧!!」

「やったぁ」


 私が凜と話していると、斜め向かいに座っている音央ちゃんが、隣の瀬名くんに話しかけているのが目に入る。


「ね、涼我、ここ教えて!」

「どれ?あー、二次関数の応用のページね・・・・、音央ちゃんって数学苦手って言ってたよね?」

「めっちゃ嫌いー」

「じゃあ二次関数の応用より、先に三角比の範囲に入ったほうがいいかも。こっちの単元はまだ入ったばっかだからこっち重点的にやったほうが点取れると思うよ」

「まじ!?じゃあそうする!ってか三角比も教えてほしい!」

「いいよ」


 音央ちゃんと瀬名くんは、しばらく二人して楽しそうに笑いながら、いっしょに問題を解いていた。


(音央ちゃんと瀬名くん・・・いい感じ、かも?)


 二人とも、しゃべり上手で、明るくて、人気者で。
 音央ちゃんは・・・私なんかよりずっと、瀬名くんの隣にふさわしく思えた。


(・・・・友達の恋だもん、うまくいったら喜ばなきゃ、だよね)


 一瞬、心に覚えた引っかかりを振り払うように、私はシャーペンを走らせた。

 こうして、時折雑談をはさみつつ、勉強会はつつがなく進んだ。

 しばらく私が一人で問題集に向き合っていると、また音央ちゃんと瀬名くんが話し出したのが耳に入る。


「涼我、さっきから手止まってなーい?」

「あ、バレた?」

「バレてますぅ」


 音央ちゃんは小さく瀬名くんの肩を小突いた。


「あ、てかもしかしてどっかわかんないの?」

「いやー実はそうなんだよねー、俺数学はいけるけど英語壊滅的でさー」

「知ってる知ってる。中間のとき英語で赤点とってたもんねー」

「ちょ、なんで知ってんの?」

「えへへー?ないしょー!」


 音央ちゃんがかわいらしく人差し指を唇にあてた。
 私が男ならイチコロだ。

 そんなことを考えていると、凜が二人に口をはさむ。


「あ、ならあかりの出番だ。あかり英語はめちゃくちゃ得意だから」

「そうなん?」

「そうそう。小学生のときから英会話通ってたんだよぉ?」


 なぜか私より得意げに、凜がそう言った。


「おー、それは期待大。涼我教えてもらいなよー」

「え、あー・・・うん」


 音央ちゃんにそう勧められた瀬名くんは、困ったように笑った。


「えーっと・・・」


 瀬名くんが少しためらいつつ私に視線を向けてきた。


「・・・・いい?」


 いいも何も・・・ここでだめとは言えない。

 返答に詰まりかけた私だったが、機を見計らったように、チカラさんがダイニングからこっちにやってくるのが目に入る。
 そしてそのまま瀬名くんの手元をのぞきこむ。


「・・・なんだよ涼我、そんなんもわからないのか?」

「わっ・・・急にのぞき込まないでよ!びっくりするだろきょーちゃん!」

「いや涼我が悩んでたからからかいにきた」

「性格悪っ」


 チカラさんはにやっと笑った後、瀬名くんの隣に座った。


「見してみ?」


 そして問題を一瞥する。


「仮定法ね。これは過去完了が使われるんだけど・・・涼我はまず過去完了が何かわかるか?」

「わかんない」

「だろうな・・・、現在完了はわかるな?haveと過去分詞使ったやつ」

「・・・わかんない」

「・・・まじか」


 チカラさんの懇切丁寧な解説の甲斐あって、瀬名くんはどうにか問題を解けたようだった。
 そしてチカラさんはその後も時折助け船を出してくれて、私は瀬名くんと関わることなく、時間が過ぎていった。

 数時間ほど経った頃、私の隣で盛大なお腹の音が鳴り響いた。


「えへへ・・・、ごめーん」


 お腹の音の主、凜は照れたようにはにかんだ。


「さすがにお腹空いたよぉ・・・」

「もう12時半だもんね。一旦休憩にする?」

「うんっ!ご飯!ご飯!」


 さっき問題集と向かっていたときはこの世の終わりみたいな顔をしていたのに、急にいきいきと小躍りを始める凜。


「てかなんにも考えてなかったけどお昼どうする?」


 瀬名くんの言葉に、凜が元気よく手を挙げた。


「ハンバーガー食べたい!!」

「お、いいね」


 みんなに確認をとると、それで構わないとのことだったので、ハンバーガー屋さんに行くことになった。


「じゃあ行こっかー!マスバーガー!!」

「え待って!?ハンバーガーといえばモックでしょ!」


 思わず凜に突っ込んでいた。


「あかりがモック派なのは知ってる!でも今日という今日は譲れない!!」


 凜が、断固、といった感じでそう言い放ってきた。

 でも私も譲れない。
 実をいうとこれは九鬼家と天野家で集まったときの恒例のやり取りなのだ。


「いやモック!譲らないからねー?」

「もー!いっつもそう言ってー!そりゃ普段は海があかりの味方するから二対一でたいていモックになるよ?でも今日は海はいないんだからね?」

「たとえ海くんがいなくてもモックが勝つから!」


 私と凜がばちばちに争いだしたのを見て、思わずって感じで音央ちゃんが笑い出した。


「あははっ!あかりも凜も・・・っ!がちすぎでしょ・・・っ!」


 音央ちゃんに突っ込まれてはたと止まる。
 つい凜に対抗してしまったけど、ここは九鬼家と天野家の集まりではないんだった。


「こだわりがあるなら、好きなほうテイクアウトで買ってきてここで食べるにする?」


 瀬名くんがそう提案してきた。
 確かにそれが一番無難な気がしてきた。

 他の人もそれに賛同したので、モック組とマス組に分かれることになった。


「じゃあマス派、手ぇあげて!」


 意気揚々と凜がそう言うと、なんと音央ちゃんもののちゃんも愛架ちゃんも勢いよく手を挙げた。

 まじか。九鬼家と天野家で多数決とると大体モック派が勝つんだけどな・・・。


(・・・っていうかちょっと待って、この場合・・・)


 もしかしてだけど・・・私は瀬名くんと二人でモックに行くことになる・・・のか。


「・・・やっぱみんなそっちなら私もマス行こうかなー・・・」

「え!?あかりのモックへの愛はその程度だったの!?じゃあこれから九鬼家とハンバーガー食べに行くときはマスで決定だね!」

「うぐっ・・・」


 鬼の首をとったように嬉しそうな凜の発言で、私は言葉に詰まる。

 勝ち誇ったような凜に何も言えないでいると、すっとチカラさんが私の前に進み出てきた。


「よければ俺も同行していいか?俺もモック派だ」

「!」


 さきほどの多数決には加わらず遠くから眺めていたチカラさんだったが、突然同行を申し出てきた。
 おそらく、私と瀬名くんが二人きりにならないで済むよう、配慮してくれたのだろう。


「も、もちろんです!ありがとうございます・・・!」

「ん」


 そんなこんなで、四人組と三人組に分かれ、それぞれ買い物を終えて瀬名くんの家まで戻ってくることになった。

 私は瀬名くんとチカラさんとともに家を出た。
 けど・・・・。


「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」


 チカラさんが加わったとしても、やはり気まずいものは気まずい。

 私はなんとか話題を絞りだそうと、チカラさんに視線をやる。


「あの・・・・来てくれてありがとうございました、チカラさん」

「ん?いやお礼を言われることじゃない。さっきも言ったように俺はモック派だしな」

「いや買い出しのこともそうなんですけど・・・、今日の勉強会に対して」

「そっちか。それに関しても気にしないでくれ」


 瀬名くんは、私とチカラさんをちらりと一瞥したが、何も言うことはなかった。


「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」


 そしてまた訪れる沈黙・・・。


「・・・しりとりでもするか」


 沈黙に耐えかねてそう言いだしたのはチカラさんだ。

 しりとりってまじで会話がないときにするやつじゃないですか、と突っ込みたかったけど、実際そうなので突っ込まなかった。


「じゃあ・・・しりとりの「り」な。りんご。はい次、涼我」

「えー、俺?・・・・じゃあごま」

「えっと・・・・まいく」


 その後もモックに着くまでの間、永遠に淡々としりとりが続けられた。
 モックに到着すると、列に並ぶ。

 ちょうどお昼時だったからか、まあまあな列ができていた。


(・・・どうしようかなぁ・・・、ハンバーガーはもう決めてる。あの期間限定のやつ、絶対あれにしよう。ただデザートがなぁ・・・・チョコパイにしようか、アップルパイにしようか・・・)


 真剣にメニューと向き合っていると、隣でチカラさんが噴き出す音が聞こえた。


「ふ、九鬼さん、いくらなんでも真剣すぎないか?」

「そ、そうですか・・・・?」


 突っ込まれるとさすがに恥ずかしい。


「何だ、なにか迷っているのか?」

「・・・チョコパイもアップルパイも食べたいなぁって・・・・」

「ははっ、なるほど」


 チカラさんが、優し気に笑った。
 チカラさんが自然に笑うのを見るのは、久しぶりだった。


「よければ半分ずつにするか」

「えっいいんですか!?」

「ああ」


 こうして私がチョコパイを、チカラさんがアップルパイを買うことになり、三人とも無事に目的のものを買って、店をあとにした。