出勤の時間が近付いているのに、私は部屋の中で動けずにいる。結局、DVDも借りなかった。
 
 進藤さんは、結婚している。
 
 そういうことがあっても、全然不思議じゃない。でも、こんな形で知りたくなかった。こんな……こんな気持ちを知りたくなかった。
 もう、好きになってしまったから。進藤さんのこと。
 できることなら、せめて本人の口から聞きたかった。
 
 
 失恋くらいで仕事を休むわけにもいかず、私は気持ちを切り替えていつも通り図書館のカウンターに座った。閉館時間まで進藤さんの姿は無く、私はホッとした。どんな顔をして会えばいいのか、今はわからない。
 
「ひなたちゃん、お疲れさま。今日はホントありがとう、シフト変わってくれて。お陰ですごく助かったわ」
 
 コンピューターの電源を落とし、帰り支度をしていると紗織さんが声をかけてくれた。
 
「いえいえ、とんでもないです。また何かあったらいつでも言ってください。私一人暮らしなので、多分一番融通利くと思うんで」
 
 そう言って笑うと、紗織さんは眉根を少し寄せた。
 
「ひなたちゃん、何かあった? ちょっと顔色悪くない?」
 紗織さんには隠せそうにない。進藤さんとのことも応援してくれていたし、紗織さんには言っておかなきゃ。
「紗織さん」
「うん?」
 ふーっ、と息を吸い込んで吐いた。
「進藤さんね、結婚してたんです」
「え……? そう、なの? 彼がそう言った?」
 私は首を振る。
「いえ。本人からは何も。——今日ね、進藤さんの知り合いに会ったんです、偶然。それで、その人が言ってて。進藤さん、結婚してから付き合いが悪いんだ、って。ああもう、私バカみたいですねえ。最初から無理な人、好きになったりなんかして。でも進藤さん、図書館に来る時いつも指輪なんてしてないんですよ。だから、勝手に独身だって思ってて。酷いですよね。何でわざわざ指輪外して来たりするんだろう。何でそんな、騙すようなこと。何で……何で、私に声なんてかけてきたんだろう……」
 
 言いながら、何だか泣けてきた。
 失恋が悲しくて。騙されたような気持ちがして。何より、自分の愚かさが情けなくて。
 紗織さんが背中を優しくさすってくれる。
「そっか……。でもね、ひなたちゃん。本当のことは、やっぱり本人から聞いた方がいいと私は思うわ。だって進藤さん、人を騙すような人間には見えないじゃない。ひなたちゃんだって、そう思っているでしょう?」
「そう、ですけど……でも」
「だったらちゃんと本人と話さないと。あのね、思っていることは口に出さないと相手に伝わらないこともあるのよ? それがたとえ、どんなに近しい関係であったとしても」
 
 進藤さんを信じたい。だけど、本当のことを知るのは怖い。ごめん、からかってただけなんだ——そう言われてしまうのが、怖くてたまらない。
 だけど、やっぱり信じたい。彼のことを。あの笑顔を。言葉を。
 
 あの夜のキスを。