クールで一途な後輩くんと同居してみた




「~~っ! ご、ごちそうさまでした!」



 俺は急速に食器の片付けをし、自分の部屋にこもることにした。


 体の熱が顔に集中する。


 あんなの、あんな表情。



 ――緋織先輩、絶対俺のこと好きじゃん……!



 いや、わかっている。俺はフラれた身。あれは親に対する、家族愛のようなもので。


 いやわかんねぇよ。


 あからさま視線からハート飛んでただろ。



「っあ~~……諦めつかないってあんなの……」



 もうこれを利用するしかなくないか?


 緋織先輩があんな感じで距離を縮めてくるなら、同じように応えるのがスジってものだ。


 緋織先輩とイチャイチャ、して~~。



「するか」



 なんかもうわからないし、やりたいようにやる。


 考えがまとまったので、緋織先輩の元に戻ることにした。


 今日はおばさんの帰りが遅いらしく、まだ二人きり。深く考えると何かを破壊してしまいそうだった。


 今から壊します。



「あ、スイくん。お風呂もうすぐ沸くけど先入るー?」

「一緒に入りましょう」

「はぇ、へ?」



 あっ、ちょっとこれはライン越えすぎ。



「先に入ります」

「ん、うん……、……?」



 緋織先輩は小さく首を傾げて、俺の顔を覗き込む。



「……一緒に入りたいの?」



 入りて~~(やめとけ~~)。


 相反する意見が頭の中でぶつかり合う。






 なんとなく、いけそうな雰囲気なのが余計に惑わせる。


 フった男のわかりやすい下心、普通なら気持ち悪いはずなのに。


 じ~っと俺の反応を待つ緋織先輩と数秒間見つめ合う。


 え、まさかいけるのこれ?



「い、いいんですか?」

「いいわけないよっ!」



 緋織先輩がそっぽを向く。


 ダメでした。


 当たり前だ。



「う、うぅ、やっぱりそうなんだっ……」



 ショックを受けた様子で、緋織先輩はなにやら頭を抱えている。


 なにが『そう』?


 俺の下心が気持ち悪いって話?



「え、えっとね」



 そろり、目線だけを向けてきたその頬は赤く。



「せ、背中流すくらいなら……いいのかな?」



 自信なさげに放つ言葉は弱々しい。




「いいんだ……」



 いいんだ……。


 いけちゃったよ……。



「あ、う、うっ、うぅ~、期待させてごめんっ、やっぱりよくないよぉっ!」



 しかし現実は甘くなかった。緋織先輩の顔はみるみる内に赤みを増していき、俊足で廊下に移動したのだ。


 ドアが完全に閉まる前、少しだけ顔を残したかと思えば、
 


「スイくんの……すけべっ」



 到底緋織先輩から出るなんて考えていなかった悩殺台詞を浴びることになるなんて。


 ドッッッッッ(心臓に衝撃が走る音)。


 さすがの俺も、うまく対処できない。


 地面に膝を付く。


 やば……やばー……最高。


 狂いそうなほど可愛い。


 おい、フラれてから始まってどうすんだよ……。





 スイくんと一生一緒にいたい。


 だけどそんなの無理だって知ってるよ。


 だってスイくんには好きな人がいるんだから。


 私より、一緒にいるべき素敵な人がいるんだ。


 もしそんな心の内を全てさらけ出したとしたら、スイくんは優しいから『いいよ』って言ってくれるかもしれない。


 でもね、そんなのよくないよ。


 スイくんには、本気で好きな人と一生一緒にいてほしいよ。


 だから私、考えたんだ。



 ――スイくんの好きな人が私になれば、解決するんじゃないかって。



「というわけなんだけど、どうしたらスイくんの好きな人を私に変えられるかな!?」



 机を強く叩きながら、しぃちゃんと大ちゃんに相談する。



「どうするもなにも」



 バチンッ!!



「ってえぇー! なにすんだ詩歌!」



 しぃちゃんが顔をこっちに向けたまま、大ちゃんの開かれた口に平手打ち。


 痛がる大ちゃんの口の周りは赤くなっている。


 だけどしぃちゃんは、まるで止まっていた虫を追い払いましたよ、みたいな態度だ。



「いい? 緋織、男なんて単純よ。例えばこうして、」



 しぃちゃんが大ちゃんの腕を取る。



「ぴったりくっついて目なんて見ちゃえば…………大吉、あなたは異常な部類だわ」

「なんで急に叩かれて貶されなきゃいけないんだよ」

「これだから野球バカは……。あなたにはこういう方がいいわよね、『甲子園、大吉の好きな曲を全力で演奏するから頑張りなさいよ』」



 最後に、にこっと笑顔。



「おー、それは嬉しい」

「……。……ま、単純なことには違いないわね」



 な、なるほど……?




 スイくんが喜ぶようなことを考えて言えばいいのかな?


 ……な、なんだろう。スイくんの喜ぶこと。


 そういえばわたしの好きなものは教えたけど、スイくんのものは聞いてない。


 でもスイくんもドーナツは好きだって言ってたな。



「それにしても、いつ自覚したのよ?」

「自覚?」

「そう、恋の自覚」



 恋の自覚?


 自分の中にピンと来るものがなくてポカンとしてしまう。


 私の反応を見て、しぃちゃんも同じような顔をした。



「……嘘でしょ?」

「えっと……なんとなくわかるけど、誰が誰に、恋の自覚?」

「言わせるの?」

「念のため……」



 しぃちゃんは深く息を吐いて、吐き終わって、私をまっすぐ見つめた。



「緋織が、スイくんに、……でしょ」

「…………」

「……あっきれた。それでスイくんの好きな人枠を略奪したいとか言ってるの?」



 私の悪いところ、出ちゃった。


 好きって気持ちがよくわかってない。



「好きになってほしいなら、まず緋織から好きにならないと駄目でしょ?」

「……そう、だよね」



 スイくんのことは好き……一生一緒にいたいくらい好き。


 でも好きの区別がわからない私にしてみれば、恋愛なのかそれ以外なのか判断がつかない。


 だからスイくんから恋愛の好きをもらえば、それで解決すると思った。


 もしそうなった場合、スイくんが私からの恋愛の好きをほしがる――という可能性を消したまま。




 不誠実だ。とっても不誠実。


 私のしようとしていたことは、スイくんに好かれるような行為じゃなかった。



「で、でも、恋愛の好きってどうやって決めたらいいの?」



 スイくんを好きなことには変わりないんだよ。


 自分で恋って言い張っちゃえば、恋になれるもの?



「そうね……わたしは……」



 しぃちゃんはちらっと大ちゃんを見る。



「……考えてみたら恋したことなかったわ。
大吉はどう思う?」

「えっ、オレ?」



 しぃちゃんもしたことなかったの!?


 めちゃくちゃ百戦錬磨のモテ女だと思ってた……!


 ならしょうがない、大ちゃんに聞くしかないね。


 ……大ちゃんの恋愛話も聞いたことないけど。



「や、オレもよくわかってないけどさぁ……。一般的に言ったら、他のやつに取られたくないから付き合いたいって発想になるんじゃねぇの……?」

「じゃあ当てはまってるね? 恋、なんだ……? これ……?」



 全然しっくり来てないけど、これでいいんだ?



「恋じゃないなら……執着、って考え方もあるわよね」



 顎に手を当てながら呟くしぃちゃん。



「わたしもお気に入りのおもちゃは他の人に取られたくないもの。でも恋と決定的に違うところは……」

「違うところは……?」

「キスしたいと思わないわ」

「きっ……え!?」

「キスというか、性的な行為?」

「え、え!?」



 急に思いもよらない方向へ話が切り替わった。


 そういう話、あんまりしたことなくて耐性がないっ……!





「わたし、恋愛感情と性的欲求には近しいものを感じているのね。そういうのがないって人もいるだろうけれど……」

「そ、そっ、かっ?」



 声が裏返る。


 どういう反応をするのが適切なんだろっ……!?



「どう? 緋織はスイくんとキスしたいって思う?」

「へえぇ……っ!?」



 スイくんと、キス!?


 そんなの考えたことなかった!



「確かに……。オレ、緋織と詩歌にはキスできねぇわ」

「は? わたしもお断りよ、気持ち悪い」

「私も大ちゃんとは嫌かも!」

「……全員同じ意見だったのに、なんでオレ悲しくなってんだろ」



 おお、大ちゃんとは嫌だってはっきりわかる!


 大ちゃんへの好きは恋愛感情じゃないんだ。でも、これはなんとなくわかってたな。


 じゃあこの調子でスイくんとも想像して……。


 想像、して……。


 …………。


 ポンと浮かんだのは、目を閉じてこっちに近付くスイくんの姿。



「……す、スイくんとも、できないよ?」



 想像の私は思いきり押し退けてしまった。


 恋じゃなかったかぁ……。


 なんか、残念。



「待ちなさい緋織、これを見なさい」



 掲げられたのは、小さな手鏡。


 鏡に映るのは私の顔。


 ……とびきり、真っ赤な。



「ええ!? 私、赤っ!?」

「赤いわね? 大吉とはそうならないわよね?」

「なるわけないよっ! 大ちゃんは、なんか……生理的に無理っ!」

「この話のテーマ、『大吉を傷付けよう!』じゃないよな……?」


 


 赤いって気付いてから、じわじわ顔に熱が集まってきた。


 これ、大ちゃんみたいな生理的嫌悪はないってことは。


 スイくんとキスするの、嫌じゃないってことだ。


 嫌じゃないけど、めちゃくちゃ恥ずかしいんだ……!



「これは恋って言えるかな!?」

「そこまでは助言しないわよ。緋織の気持ちなんだから、最後はきっちり自分で決めなさい」

「……うん、そうだよね。私の気持ちだもんね……!」



 たくさん考えよう。


 考えることを避けてた今までの分、全部。


 スイくんと手を繋いだとき感じること。


 寝ぼけて抱き締められた意味。


 私の、スイくんへの気持ち。


 全部、全部、全部。


 そんでもって、スイくんに好かれるための努力も欠かさない!



 スイくんと一生一緒計画、始動っ!


 気合いを入れ直し、拳を作ったときだった。





「なんや、まだ付き合ってへんかったん?」





 後ろから聞こえてきた関西弁に表情が強張る。



「あら、成世先輩。最近見ないと思ってたわ」

「どの口が言うてんねん」

「くっ、ふふ……チャウチャウ、マルチーズ……っ」

「華麗なフェードアウトやったやろ?」

「めちゃくちゃ不自然だったわよ……っ」



 え、しぃちゃん?


 最悪武器にしようと考えていた拳を下ろす。


 なんでしぃちゃんと成世先輩が談笑し始めるの?





 ――スイくんも成世先輩に目を付けられちゃったのね。



 あ……そんなことをしぃちゃんが言っていたような。


 ということは。



「次はしぃちゃんのこと狙ってるんですかっ!?」



 成世先輩を睨み付ける。


 私の周りの人にこれ以上迷惑かけたら許さないんだけど!


 しぃちゃんは肩を震わせながら下を向いた。



「…………狙われてるんは、ずっと緋織ちゃんだけやで」

「なんですか!? 声が小さいです!」

「ははは、狙ってるで~。こんな美人とお近づきになれたら誰でも嬉しいやん?」

「やっぱり……!」



 成世先輩を追い出そうと近付いたわたしに、しぃちゃんが制止する。



「いいのよ。わたしも成世先輩のことは気に入っているから」

「ええええ!?」



 そうなの!? 二人、良い感じなの!?


 む、難しっ……! 恋愛、難しいよ!



「そういうことらしいで。で、彗くんの話してたんやろ?」



 俺も話したいことある♡ と楽しそうに成世先輩は輪の中に入ってきた。



「思春期の男が同世代の異性と一緒に住んでて、なんも思わんわけないやん? ギリギリで耐えてるもんは、揺らしたら簡単に崩れるで」



 そしてアドバイスをくれる。


 今日の成世先輩、もしかして頼りにできる?


 ……あっ、ちょっと待って同居のこと成世先輩に話してないね?


 なんで知ってるんだろうね?




 危ない。騙されかけた。


 成世先輩も自分の失言に気付いたのか、あぁと声を出して、



「詩歌ちゃんが教えてくれたで」



 あっさりと白状。


 ねええっ、しぃちゃん!?



「ごめんなさい緋織。ちょっとした雑談のつもりだったのよ」



 私も、別に口止めとかしてなかったけどね?


 よりにもよって成世先輩にバレてるなんて思ってなかったよね。


 二人の繋がりを知った今、しぃちゃんに話す話題は慎重にならないとだ……。



「雑談、ねー……?」



 この事態を唯一傍観していた大ちゃんは、しぃちゃんを怪訝な目で見ていた。



「もうこれ以上は広めなくていいからねっ!?」



 人差し指を立てて口の前に持ってくる。


 しーっ! と口止めのポーズ。


 しぃちゃんが「わかったわ」と頷くと、成世先輩もそれに続いた。


 ひとまずこれで許しておくよっ!



「ん! 続きをどーぞ!」



 成世先輩に話を促す。



「なんやったっけ? ……あ、そうそう、色仕掛け、彗くんには効果抜群やと思う」

「へ!? な、成世先輩じゃないんですから……!」

「どうやろなぁ……? 意外と彗くんも期待してるんちゃうかな~?」

「え、え、っ」



 成世先輩ってこんな感じだけど女の子にはモテるみたいだし。


 経験、知識共に敵わないわけで。


 色仕掛け……。


 恋愛感情と性的欲求は近い……。


 ぐるぐる頭を駆けずり回る、自分では出せない単語の数々。


 だんだん意識が遠のいてきた。


 これが、大人になるってことなの……?