「ねえ、椋毘登。私ね、今本当に幸せだなって思うの」

「え?」

「だって、椋毘登と一緒にこんなに綺麗な蛍を見られたんだから!」

 稚沙は満面の笑みをで彼にそう答える。
 まわりではたくさんの蛍が飛んでいるなか、今の彼女の表情は本当に輝いている。

「......そうだな、俺も」

 椋毘登も何か心に思うことがあったのか、そういうなり、彼女を自身に軽く抱き寄せてきた。

「お前は俺にとって、特別だから」

(椋毘登?)

 椋毘登は何かいいたそうなそぶりだが、今はその言葉だけでも、彼女はとても胸が熱くなる思いがした。

「また来年も、ここに一緒に来ようね」

 てっきり椋毘登も『そうだな』といってくれるとばかり思ったが、彼は急に真面目な表情をしてくる。

(え、何で急に真顔になるのよ)

「稚沙...」

 椋毘登は稚沙の名前をささやくと、彼女の耳下にそっと手を添えてくる。

「俺は、その先もずっと一緒にいたいし、たぶん今後はもっとお前を欲してくるんだと思う」

「椋毘登はそれってどういう......」

 だが稚沙がその先をいう前に、彼に口でとっさに唇を塞がれてしまう。
 そこまで強引な口付けではなかったものの、まさかそんな行動に出てくるとは思わなかったので、彼女は思わず動揺した。

 そしてさらに背中には彼の手が回され、彼女は逃げられなくなってしまう。ふいの口付けと違って、彼の腕の力は意外にも強かった。

(え、急になに)

 椋毘登も稚沙が少なからず動揺し始めたのを感じ取ったようで、さっと彼女から唇を離した。
 そして彼女を抱きしめたまま、頭の後頭部に手をそえてくる。

「悪い稚沙、今日は純粋に蛍を見るだけのつもりだった。でもどうしてもお前に触れたくなって」

(椋毘登...)

「ねぇ椋毘登、私こうやって触られるの全然嫌じゃないよ?むしろこうやって抱きしめられると、なおのこと愛しく感じられるから」

 それを聞いた椋毘登は一瞬体が反応する。だが何かを思いとどまったような素振りで、彼女から体を少し離し、顔をそらしていった。

「お前って、時々こうヒヤッとするような発言をするよな。まぁ、そこらへんも可愛いから良いんけど...」

「そ、それは素直に喜んで良いことなの?」

 稚沙はどう反応して良いか分からず、少し不思議そうな顔をして彼に問う。

「まぁ、良くも悪くも稚沙らしくて良いんじゃないかな?」

(結局、椋毘登のいってることの意味は良く分からない)

「まぁ、今ことの時だけは、俺に稚沙を独占させてくれ」

 そういって彼は、彼女の額に一度唇を落としてから、彼女を強く抱きしめてきた。

 2人の周りでは、そんな彼らを全く気にすることなく、蛍が自由気ままに飛んでいる。

 そんな中で『この幸せが、この先もずっと続いていきますように』と彼等は互いにそう切に願った。

 そののち蛍も減り出したので、そのまま稚沙は椋毘登に連れられて、彼の住む蘇我の住居へと向かっていった。






 それから数週間後のことである。

 斑鳩の地に新たな寺院が完成したことを受けて、一人の皇子がその建造物の元にやってきた。その人物とはあの厩戸皇子である。

「ついに完成したのか、この寺院が」

「はい、厩戸皇子様の悲願でございますね」

 彼の側にいた従者も、その建造物を見てひどく感銘を受けている様子だった。

「あ、そうだな。ついに斑鳩寺の完成だ」

 この寺院はのちに、人々に法隆寺と呼ばれるようになり、厩戸皇子の建てた偉大な寺院となった。