「え、蛍!私も凄い見てみたい!」

 稚沙は元々そういった綺麗ないものが割と好きなので、この提案はとても嬉しいと思った。

「ただ蛍は薄暗くならないと、見られないから、お前は蘇我の家に泊まっていったら良いよ。まぁ、他の人達の目もあるから、あくまで客人の部屋に……」

「椋毘登、ありがとう!もちろん蘇我の人達の迷惑にはなりたくないから、翌日になったら、直ぐに帰るね」

 稚沙はにこにこしながら、そう答える。

 そんな稚沙を見て椋毘登は、何とも複雑な様子を見せる。彼女からそれなりに信頼されてるのは良いことだが、もっと別のことを意識して欲しいと思う。

「あのな、他に思うことがあるだろう。まぁ、稚沙が喜んでいるなら別に良いけど」

 だが彼のそんな思いは、稚沙には全く通じていないようで、すっかり彼女は舞い上がっていた。

(椋毘登と、出掛かけられる!)

「まぁ、そういう訳だから、蛍が現れるようになったら、また教えるよ」

「うん、楽しみにしてるね」

(えぇ〜と、蘇我の住居の側ということは、飛鳥川から見るんでしょうね。わぁ、楽しみだな〜)

 蘇我の住居の横には、飛鳥川が南から北に向かって流れている。さぞ今年も沢山の蛍が見られることだろう。稚沙は期待に胸を弾ませる。

 またそんな幸せそうな様子の彼女を見て、椋毘登も安堵した表情を見せている。


「明日香川、明日渡らむ、石橋の、遠き心は、思ほえぬかも」

「うん?」

「前に聞いたとある人の歌なの。あの飛鳥川を明日にでも渡って逢いに行きましょう。石橋のようにとびとびではなく、私はずっとあなたを思っているから」

 石橋とは、川の中に並べられた飛石のことで、川の反対側に移動する際に、人々はこの石の上を歩いて渡っていた。

「へぇ〜稚沙が、好きそうな歌だな」

「うん、そうなの!」

「それに川を詠んだ歌なんて、どちらかといえば暗い内容のものばかり浮かんでしまう......」

「もう!椋毘登、あなたなんてことをいうのよ!」

 稚沙はそういって、ちょっとふてぶてしい様子で顔を膨らませる。

(椋毘登は、やっぱり和歌の良さがまだよく分かってないんだわ)

 そう思った稚沙は、和歌がいかに素晴らしいのかということを、その場で椋毘登に急に語り始め出した。


 椋毘登もこれは思わぬ墓穴を掘ったなと思ったが、時すでに遅く、稚沙が凄い熱量で語り出したので、よう逃げれなくなる。そしてそのまま散々に稚沙の話を聞く羽目になってしまった。

 その後やっとのことで稚沙から解放された椋毘登は、仕事に戻るといって、さっさとその場を離れていった。

(もう、椋毘登ったら、まるで逃げるようにいっちゃって。まぁ、私も少しやり過ぎたかしら?)

 こうして、稚沙も自身の仕事へと戻っていった。