そんな椋毘登の思いをよそに、厩戸皇子は続けて話をする。それは彼の身内のものだった。

「だが椋毘登、私は逆に君が羨ましいとも思うよ。私にも複数の妻と子供達がいるが、自身の立場上、その者らを優先出来ない時も今後起こりうるかもしれない」

(厩戸皇子、それは……)

 それはつまり、政を優先する余りに大切な自身の家族を犠牲にしないといけない場合が起こるかもしれないといっているのだ。

 もちろん、彼がそんなことを本気で望むことはないだろう。きっと何としてでも彼は自身の大切な人達を守ろうとするはずである。

「厩戸皇子、それはあくまでも最悪の場合でお考えでしょう。あなたが軽々しく自身の家族を犠牲にするとは思えない」

「あぁ、もちろんそうだ。だが私にしか成しえない宿命もきっとあるだろう」

 そういって彼はまた前を向いて歩きだした。

 そんな彼の後ろ姿を、椋毘登はただただ眺めていた。

(俺はただ自分の大事な人を守れたら、それで良いと思ってた……まぁ、人それぞれ持って生まれた宿命は違う。だから俺にも皇子とは違う何かがあるかもしれない)

 椋毘登はそんなことを考えながら、再び彼の後について前に歩き出した。


 それからしばらくして、厩戸皇子がどうやら1匹の若い鹿を見つけたようで、とっさに肩に担いでいた弓矢を取り出した。

 椋毘登も彼に続いて、その場で背をひそめ声を消した。

 それから厩戸皇子はひと呼吸おくと、弓を構え、鹿をめがけてすっと矢を引いた。

 すると矢は真っ直ぐに飛んでいき、見事にその鹿に命中させることができた。

 厩戸皇子と椋毘登は、そのまま鹿の側までやってくる。どうやら皇子の矢が急所に刺さったようで、その若鹿はあさったりと息たえた。

「よし、何とか1匹仕留めたな。きっと遊びに夢中になって、群れからはぐれたのだろう」

 厩戸皇子は側にやってきた従者に、この鹿を任せてから、先を急ぐことにした。

 しばらく歩いていると、ざわざわと音した。
 2人はその音のする方向に目を向ける。

 するとその場所に鹿の群が現れた。どうやら厩戸皇子の言っていた事は正しかったようだ。

「上手く鹿の群れに出くわしたようだ」

 厩戸皇子はふと椋毘登に目を向ける。

 彼の意図することを理解したい椋毘登は、さっと自身の弓矢を取り出した。

 そして鹿が逃げてしまわないうちに、一気に矢を引いた。

 だが矢は鹿の横をかすってしまい、それに驚いた鹿立ちは一目散に走り出してしまった。

(しまった、矢がそれてしまったか)

 しかしまだ1頭だけ、後れをとっている鹿がいる。この鹿ならまだ矢が届くかもしれない。

(大丈夫、落ち着いてやればまだ間に合う)