なにもない。

 そう言うユイ先輩は、もしかしたらこの世界の誰よりも、自分のことを人形だと思っているのかもしれない。不意にそんなことを思う。

 それが悲しくて、私はユイ先輩の手に自らの手を重ねて強く握りしめる。

 触れ合った箇所から私の不安を汲み取ったのか、先輩は大丈夫だと目を細めた。

「でも、他でもない鈴の言葉だからかな。もうね、すごく響いたよ。毎日精一杯生きて、他愛のないことで笑って。そんな鈴がなんだか俺には眩しくて。見ていられなくて。だからこそ、触れてみたくなったんだと思う」

「触れて……?」

「うん。──鈴の、心に」

 ユイ先輩は名残惜しそうに私から離れて、た、た、と数歩うしろに下がる。

 そうして、枯れがかった色を重ねつつある桜の木を振り仰いだ。

「まだわからないことばかりだけど、俺がわからないことは大抵、鈴が答えを教えてくれるんだ。鈴は俺にとっての道標──羅針盤みたいなもので、いつでも、どんなときも俺の歩く道を照らしてくれる。きっとそんな鈴だから、俺は好きになった」

 ユイ先輩が微笑んだ。この世のなによりも綺麗だと、そう思える笑みで。

 当たり前に目を奪われて、私はただじっと先輩を見つめるしかできなくなる。

「……それとね。もうひとつ、やっとわかったことある」

「わかったこと、ですか?」

「うん。鈴が初対面で、俺の名前を間違わずに呼んだ理由」

 ユイ先輩の名前。頭のなかでその言葉をゆっくりと咀嚼してみるけれど、いまいち意味を汲み取りきれなくて、私は首を傾げる。