神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜

…これで。
  



俺達が何と敵対しているのか、そして俺達の倒すべき敵が何なのか、はっきりした。

そうと分かれば、最早躊躇いも、容赦も、情けも必要ない。

ただ、倒すべき相手を倒し、死者を墓の下に埋め戻すだけだ。






―――――――…あぁ、全く本当につまらないことになったものだ。





「許さぬ…。里の悲願を踏みにじった…。我らの悲願を…。許さぬ…裏切り者、裏切り者…」

「…やれやれ」

口を開けば、ぶつぶつぶつぶつと同じことばかり。

…「あの」伝説のイーニシュフェルトの里の族長だというから、どんな威風堂々たる大賢者様が現れるのかと思いきや。

蓋を開けて出てきたのは、下らない復讐に燃える老いぼれ爺さんだった。

こんなにつまらないことがあるだろうか。

こんなつまらないことになるなら、ハナからあのような誘い…受けなければ良かった。

なんて、今更後悔しても遅い。

今からでもやっぱり「彼ら」を裏切って、何処かにトンズラしてやろうかと思わなくもなかったが…。

…でも、つまらない仕事の中にも、多少の面白いことはある。

それが、あのときあの場にいた魔導師達だ。

今ここにいる、老いぼれ族長の復讐相手。

名前は確か…シルナ・エインリーだったか。

あいつと、あいつの周りにいた魔導師達。

あいつらは…若干の興味をそそられる対象だった。 

「あいつらは強そうだったもんなぁ…」

嬉しくて、思わず微笑んでしまいそうになる。

さすが、イーニシュフェルトの里の族長に目をつけられた一味だよ。

「彼ら」が言っていたのは、こういうことだったんだ。

揃いも揃って、一筋縄では行かなそうなメンツが揃っていた。

それに何より、蘇った死体を見たときの、シルナ・エインリーの顔。

何度見ても、ああいう顔は飽きない。

死人に口はないと思ってるだろう?

誰しも死んでしまえば、物を言う資格も、権利もなくなると思っている。

でも、それは生者が勝手にそう思い込んでいるだけだ。

死人には、死人の言い分がある。

僕は、そんな死者達の代弁者になるのだ。
…生まれついたときから、僕にとっては生者より、死者の方がずっと身近な存在だった。

死人だ、死体だと聞くと、それだけで嫌悪する者は大勢いるけど。

僕にしてみれば、死者の方が生者よりずっと単純で、ずっと素直だと思う。

悪事を働くのも、人を騙すのも殺すのも、みんな生者のやることだ。

死者は何もしない。悪いことなんて何も。

それどころか、死者は素直だ。自分の気持ちに正直だし、他人を騙すこともしない。

勝手に喋ったり、動いたりもしないしね。

唯一死者に欠点があるとしたら、身体が氷のように冷たいところだろうか。

それ以外は、死者の方が生者よりずっとマシだ。

幼い頃から、僕は生者と接する時間より、死体と一緒にいる時間の方がずっと長かった。

死体を墓の下から暴き出し、その死体を自在に操る能力。

僕に備わったこの力は、何かの修練や技術の会得によって手に入れたものではない。

僕が、生まれつき持っていた能力だ。

最初に僕がこの力を使ったのは、3歳の頃だったか、4歳の頃だったか。

正確な年齢は覚えてないけど、呼び出した死体は覚えている。

母親だ。母親の死体。

僕が3歳だか4歳だかのときに、母親は病気で亡くなった。

周囲の人間は悲しんでいたけど、僕はちっとも悲しくなんてなかった。

だって、僕にとって母の死は、皆が考える「死」ではなかった。

温もりをなくし、心臓が動きを止めても、肉体が失われることはない。

僕の頭を撫でることも、抱き締めることも出来る。

流暢ではないけれど、喋ることだって出来るのだ。

ただ命が失われたというだけで、僕にとって母は「生きて」いた。

それなのに、何故周囲の人間がそんな母を、そして僕を恐れ、気味悪がり、敬遠するのか…僕には分からなかった。

命が宿っていないだけで、母は普通に「生きて」いるのに。

村の人々は言った。死者は、土に還してやらなければならないのだと。

そう言われても、僕には理解出来なかった。

目の前にあるのは、魂の宿っていない抜け殻なのだ。

誰だって、セミの抜け殻を集める子供に「土に還してやれ」と叱ったりはしないだろう。

小さな子供が、セミの抜け殻を拾い集めて遊ぶように。

僕はただ、死体を墓の下から暴き出し、人形代わりに動かしていたに過ぎない。

だけど、そんな僕の類まれな力を…僕の父を含む村の人々は、許してくれなかった。

ある日の朝、僕が目を覚ましたとき…僕は両手両足をロープで縛られ、牢屋の中に閉じ込められていた。
僕はびっくり仰天した。

目が覚めたら、ろくに身体を動かせない芋虫状態になってるのだから、そりゃ驚くだろう。

父親の仕業だった。

父は牢屋の鉄格子の向こうにいて、いかにも憐れだという目で僕を見つめていた。

眠っている間に縛られ、牢屋に入れられたのに、気づかず眠りこけているとは。

今になって思えばあの日、寝る前に父にお茶を飲まされた。

恐らくあのお茶の中に、睡眠薬みたいなものが入っていたのだろう。

…ともかく。

牢屋に入れられた僕は、当然ながら、ここから出してくれるよう頼んだ。

何故、自分がこのような扱いを受けているのか分からなかった。

しかし、父は牢屋から出してくれることはなかった。

「こうするしかないんだ」

父は、泣き出しそうな顔でそう言った。

「お前には申し訳なく思っている。でも…お前の為に、村の為に…こうした方が良いんだ」

「…?」

父が何を言っているのか、何を泣いているのか分からなかった。

更に、奇妙なことに。

牢屋の中には、枯れ木や藁、紙などが敷き詰められ…僕はその上に寝かされていた。

降りたかったけど、身体が不自由で降りられなかった。

「すまない。許してくれ…すまない」

父は繰り返し、涙を流しながら僕に謝罪を繰り返した。

その謝罪の意味も、僕には分からなかった。

まるで、永遠の別れのようじゃないか。

何か嫌な予感がして、腹の底からじわじわと恐怖心が湧き上がってきた。

父親の顔を見るに、何かの間違いとか、ふざけているのではないと分かった。

早く、今すぐにでも、この牢屋から出なくてはならない。

そこに、険しい顔をした村人が数人やって来た。

僕を助けに来てくれたのかと思ったけど、そうじゃなかった。

「…もう良いだろう、離れなさい」

鉄格子に縋るようにして泣く父に、村人がそう言った。

村人にたしなめられ、父は鉄格子から離れ、泣きながら後ろに下がった。

父はそのまま僕に背を向けて、こちらを見ようとしなかった。

まるで、見たくないものから目を背けるように。

…そして。

「…良いか、お前は生きていてはならない子だ」

村の中では、村長のような役割をしていた年長の村人が、僕にそう言った。

そのとき、僕は気がついた。

村長が、メラメラと燃える松明を手にしていることに。
「お前は忌み子だ。人でありながら、人ではない力を持って生まれてしまった」

「…」

僕はポカンとするばかりで、何も言えなかった。

忌み子?

人でありながら、人でない力を持っている?

それは何のことだ。死体を動かしていることか?

それが何だと言うのだ。別に大した力ではないだろう。

そのときの僕は、自分の能力が特別なものだと知らなかった。

生まれつき足が速いとか、生まれつき頭が良いとか、そういう個性の範疇だと思っていた。

でも、僕のこの能力は。

個性の範疇と呼ぶには、あまりに危険な力だった。

だからこそ。

「今ここで、我々はお前を葬る」

硬い顔で、村長はそう言った。

…葬る?

幼い僕は、その言葉が何を意味するのか分かっていなかった。

言葉の意味は分からなかったけど、涙を流す父と、険しい顔の村長の様子を見るに。

これから何が起ころうとしているのか、朧気ながら理解した。

恐ろしいことが起ころうとしている。何か、とても恐ろしいことが。

「何をするの…?やめて。ここから出してよ」

幼心に焦燥を感じた僕は、村長にそう懇願した。

しかし村長は、黙って首を横に振った。

村長だけではない。

父を含め、この場にいる村人全員、僕を助ける気はないようだった。

それどころか、全てを諦めたような顔で、何かを覚悟したような顔で、僕を睨みつけるかのように見つめていた。

どうして、大人達がこんな恐ろしい顔をしているのか。

僕は怖くなって、再度ここから出してくれるように頼んだ。

しかし、村長は答える代わりにこう言った。

「これはお前の為なのだ。人ならざる力を持って生まれたお前を、土に還し、神の御下に返す」

何を言っているのか分からなかった。

それが恐ろしい意味を持つということ以外、僕には理解出来なかった。

僕の為?これが?

眠っている間に、両手足を縛り、牢屋の中に閉じ込め。

恐ろしい顔をして僕を取り囲むのが、僕の為?

「どうか、我らを恨まないでくれ…。そして、次に生まれてくるときは、普通の子供に生まれるんだよ」

村長は悲しそうにそう言って。

そして。

「…さぁ、やりなさい」

傍らの村人達に指示した。

村人達は、いつの間にか…大きなポリタンクをいくつも手にしていた。

ポリタンクの中の液体を、鉄格子の隙間から、こちらにぶち撒けた。

水かと思ったけど、鼻をつくような不快なその匂いから、水ではないと分かった。

それが何の液体か、当時の僕には分からなかった。

ただ父は泣き、ポリタンクをぶち撒ける村人達も、悲痛な顔をしていた。

良くないことが起ころうとしている。何か、良くないことが。

「…助けて。お願い、助けて」

僕は、必死に村人達に命乞いをした。
しかし、誰一人僕をこの危機から救ってくれる者はいなかった。

「何をするの?ねぇ。何が起きるの?」

「…」

僕の問いに、誰も答えなかった。

「やめて、怖いよ。助けて。ここから出して。ねぇ…」

「…それは出来ないんだよ」

村長がそう答えた。

出来ない?どうして?

「お前は、神様のもとに帰るんだ」

神様?

神様って何だ。

「それがお前の為なんだよ。その力は…お前の持つその力は、お前を生涯に渡って苦しめる」

「…」

「誰からも忌まれ、疎まれ、恐れられ…お前を孤独にする」

「…どういうこと…?」

意味が分からなかった。まだ幼い僕には。

自分の持つ力の意味。そして、そんな力を持つ僕を、村人達がどう思っているのかも。

何も分かっていなかったのだ。

「だから、そうなる前に…我々の手で、お前を神様のもとに送るんだよ」

綺麗な言葉を並べて、自分達の行いを正当化しながら。

結局、彼らがやろうとしていたことは一つだけ。

「…さようなら」

片手に持っていた松明を、鉄格子の隙間から僕に向かって投げた。
巻き上げる赤い炎が、僕の身体を焼いた。

炎は真っ赤だったはずだが、僕の視界は一面、真っ暗だった。

あまりの痛みに、あまりの恐怖に、ぎゅっと目を閉じていたから。

苦痛に耐えきれず、必死に叫び続ける自分の声だけが、何処か他人事のように響いていた。

炎に焼かれながら、自分が何を叫んでいたのか、今では覚えていない。

が、助けを求めて叫んだはずだ。当然ながら「助けて」と叫び続けていたはずだ。

それでも、僕を助ける者はいなかった。

目の前で僕が焼かれているのを見ているはずの、父でさえも。

誰も僕を助けない。僕が焼かれ、死ぬのを待っている。

僕は死にたくなかった。当たり前だけど。

こんなところで、理不尽に大人達に殺されて良いはずがなかった。

苦痛と、死への恐怖が頂点に達したそのとき。

僕の中で、何かが弾けた。

僕はそのとき起こったことを記憶していない。

でも、そのとき何が起こったのか、推測することは容易かった。

気がつくと、僕は真っ黒に煤けた燃え殻の中に座り込んでいて。

目の前に生きている人間は、僕以外誰もいなくなっていた。

先程までそこで、僕が燃えているのを見ていた大人達がいたはずなのに。

父を含め、その大人達は全員…死体になっていた。

代わりに、僕を取り囲むように…動く死体達が僕を守っていた。

自分では覚えていないけど、恐らく僕は、焼かれる苦痛に耐えかねて、咄嗟に力を使ったのだろう。

まず操った死体達に炎を消させ、そして…。

…僕を殺処分しようとした大人達を、殺した。

首を捩じ切られて、床に倒れている父親の骸を…僕は、無表情に見下ろした。
当然の報いだ。何もかも。

だって、僕はこの人達に殺されるところだったのだから。

これは正当防衛なのだ。

殺される前に殺した。それだけだ。

僕は自分の身を守る為に、当然のことをしたまでだ。

父だってそう。

僕は父親を殺してしまったことに、何の罪悪感もなかった。

だって、この人は僕の父親なのに、僕を助けてくれなかった。

それどころか、僕を殺そうとする人に加担したのだ。

子を殺す親がいるか?

だから、逆に僕が殺してやったのだ。

親が子を殺そうとしたのだから、子が親を殺したって、何もおかしくはない。

燃え殻と横たわった死体達を、僕はしばらく眺めていた。

生きている人間は駄目だ、と思った。

生きている人間は、僕の力を認めようとしない。

それどころか、勝手な理屈をつけて、僕を殺そうとした。

自分で自分の身を守らなかったら、危うく殺されているところだった。

助けてくれたのは、生きている人間じゃなくて、今僕の周りにいる死体達だ。

彼らは死してなお、僕の求めに応じ、僕を助けてくれる。

…生きている人間なんかより、ずっと信頼出来る。

あの日から、僕が信じるのは死人だけになった。

しばらく燃え殻を眺めていた僕は、やがて飽きて、その場を立ち去った。

あれ以来、僕は自分の生まれ故郷に帰ったことはない。

でも、忘れることは出来なかった。あの日受けた所業を。

自分の親に殺されかけたことを。

忘れるはずがない。

あのとき、炎に焼かれて殺されかけたときに出来た酷い火傷の痕は、今も僕の身体に刻まれている。

顔だけは、かろうじて火傷を免れたけど。

一枚服を脱げば、腕も脚も背中も、焼けただれた痛々しい皮膚があらわになる。

この傷は、生きている人間につけられたものだ。

死者は僕を傷つけない。傷つけるのは、いつだつて生者なのだ。

だから僕は、生きている者を信用するのをやめた。

死体の力を借り、死体に囲まれて、死体と喋りながら生きてきた。

彼らは決して僕を裏切らない。僕を傷つけない。

僕の思い通りに動いてくれる。いつだって僕の傍にいてくれる。

僕のこの力と、この力によって使役された死体達。

これだけが、僕にとって唯一信頼出来るものだった。
で、結局この力の正体は何なのか。

村を出たときの僕は、まだ幼くて、自分の力の正体なんて知らなかった。

知ろうともしなかった。どうでも良かったから。

あるのは事実だけだ。自分は死者の身体を操れるという、紛れもない事実。

それ以上に大切なことなんてなかった。

だから当分の間、僕は自分の力の正体を知らずに生きてきた。

でも、年齢を重ねるに従って…段々と僕は、この力が何なのか気になってきた。

まぁ、当然と言えば当然か。

僕は村を出てからというもの、何の目的もなく、ただ毎日生きる為だけに生きていた。

暇を持て余した僕は、特に意味なく近隣の村々を襲ったり、道行く旅人を脅かしたり、色々やっていたのだが。

その度に、僕の類まれな力を見て、人々は僕を恐れた。

まるで、僕が人外生物であるかのような目で見るのだ。

僕にとってこの力は、生まれながらに持っていた力で、当たり前のように使うことが出来るけれど。

他の人にとっては、そうじゃない。

だからこそ父も、村人達も、僕の力を恐れて僕を焼き殺そうとしたのだ。

どうやら僕のこの力は、特別なものであるらしい。

そのことに気づいた僕は、この力の正体を知りたいと、初めてそう思った。

それを知れば、身体に刻まれた火傷の意味が分かるだろうから。

そして、僕が自分の力について知りたいと思った理由はもう一つある。

成長しなかったからだ。

どういう意味かと聞かれたら、その通りの意味だと答えるしかない。

僕は成長しなかった。

何年経っても、僕の身体は幼い子供のままなのだ。

いや、厳密に言えば…村から出てしばらくの頃は、一応ちゃんと成長していた。

ただしその成長は、物凄くゆっくりだった。

普通の子供なら、生まれてから10年も経てば、今の僕と同じくらいの背丈に成長するだろう。

でも、僕が今の背丈までに成長するには、村を出て500年以上が経過してからだった。

しかも、それ以降は何年経とうと、全く成長しなかった。

ぱたりと時間が止まってしまったかのように、僕の身体はそれ以上の成長をやめた。

だから今でも…生まれてから3000年以上経った今でも、僕の身体は10歳かそこらの子供のまま。

成長しない身体も、この力と何か関係があるのかもしれないと思った。

何もかも、推測するしかなかった。

死者は僕の思い通りに動いてくれるけど、知恵を授けてくれる訳ではなかったから。

僕が自分で調べて、理解するしかなかった。

僕は時間をかけて、この身体に宿る力について…あらゆる手段を用いて調べ尽くした。