――――――…死人に口無し、という言葉がある。
人間は、都合の悪い出来事をなかったことにしたがる生き物。
だから殺す。
都合の悪い人、都合の悪い出来事を、なかったことにする為に。
死んでしまえば、全ては無に帰る。
どろどろに淀んだ悲劇は、全て美談となる。
生きている間に起きたあらゆる事象が、全て過去になる。
だから殺す。
誰しもそう。自分にとって都合の悪い人がいるなら、死体にすれば良い。死体になれば良い。
そうしたら、何もかも全てが解決する。
誰にも平等に、等しく訪れる命の終わり。
それは同時に、あらゆるしがらみに満ちた、現世からの解放だ。
死んでしまえば、もう何も感じることはない。何も憂うことはない。
時間の経過と共に、死人達は風化され、忘れられ、過去という箱の中に入れられ、忘却という蓋をされる。
人間の命なんて、そんなものだ。
それが自然の摂理であり、この世の理である。
…本当に?
俺は、そうは思わない。
死体にだって、死体の権利がある。
死人にだって口はある。忘却されることを望んでいない。
死人に口がないなんて、全ては、生きている者が都合良く解釈した結果に過ぎない。
死んでしまえば、それで終わりだから。それ以上は何も続かないから。
だから、何もかも綺麗に解釈して、美談として終わらせたがる。
でも、それは生者の都合に過ぎない。
死んだ本人が、何を望んでいるか。
誰もそんなことは考えない。
死人の気持ちを、誰も考えようとしない。
どうして?
どうして?
どうしてなのか。
その答えは一つ。
「皆、『君達』には黙っていてもらわないと、都合が悪いんだよ」
可哀想にね。勝手に口を封じられて。
…可哀想だから。
俺が、君達の代わりになってあげるよ。
―――――――…ルーデュニア聖王国、王都セレーナにある、イーニシュフェルト魔導学院にて。
その夜、ちょっとした事件が起こる。
…と、いうのも。
「うぅ…。真っ暗…」
「ねぇ、やっぱり引き返そうよ。明日で良いじゃない」
「駄目だよ…。今夜中に取りに行っておかないと、明日の試験に間に合わないよ」
「そ、それはそうだけど…」
パジャマ姿の二人の少女が、女子学生寮からこっそりと抜け出し。
学生寮から学院校舎に繋がる廊下を、そろそろと歩いていた。
「机の中に、入れっぱなしにしちゃって…」
少女は、教室の自分の席に忘れ物をしたらしい。
一冊のノートなのだが、たかが一冊のノートでも、今の少女にとっては黄金より価値のあるものだった。
夜が明けたら、朝一番の授業で、そのノートの科目の小テストが行われる。
つまりそのノートがないと、少女は今夜試験勉強が出来ないのだ。
しかも、小テストが行われる科目の担当教師は、イーニシュフェルト魔導学院で一番厳しい女教師、イレース・クローリアである。
彼女相手に、「ノートを持って帰るのを忘れていたので、勉強していません」などという、ふざけた言い訳は通用しない。
ガミガミネチネチと怒られ、補習授業を受けさせられることは必至。
門限を過ぎ、消灯時間が過ぎてから、少女は明日の小テストの存在を思い出し、飛び起きた。
そして、同室の女子生徒に相談し。
じゃあ、こっそり校舎に忍び込んで取りに行こう、という話になった。
それで、二人はこんな時間に、こんなところにいるのだ。
最初は、校舎にノート一冊を取りに行くなんて、何でもないことだと思っていた。
しかし、寝静まった学生寮の廊下を、人目を忍んでそっと歩き。
学生寮を出て、校舎に向かう為に外に出ると途端に、真っ暗な闇の中を歩くことになって。
二人共、最初の威勢の良さは何処へやら。
内心、引き返したいという思いを抱えながら、それでも「ここまで来たからには…」と、ゆっくりと歩みを進めた。
普段何気なく歩いている、校舎までの道のり。
周囲が真っ暗なだけで、こんなにも長く感じるとは。
「校舎…鍵かかってたらどうしよう?」
「そのときは、もうどうしようもないから…諦めるよ」
二人の少女は、夜間に校舎に忍び込んだ経験などなかった。当たり前だが。
従って、夜の間、校舎は施錠されることを知らなかったのだ。
これが普段通りであれば、二人は施錠された校舎の扉を前に、諦めて学生寮に引き返すしかなかったのだが…。
「あ、良かった。開いてる…」
何故かその晩、校舎の扉は開いていた。
施錠のし忘れ?
そんなことは有り得ない。
何故なら、夜、外に通じる全ての窓や扉を施錠するのは。
他でもない、前述のイレース教師だからである。
何事も完璧主義の彼女が、うっかり鍵を締め忘れました、なんてことは有り得ない。
なら、何故この扉は開いていたのか。
その理由を、二人の少女が知ることはない。
二人はさっさと帰りたい一心で、急いで校舎の中に足を踏み入れた。
「うわぁ…。真っ暗…」
夜の空も真っ暗で、二人にとっては恐ろしかったが。
建物の中に入ると、先程までとはまた違う、別の不気味さを感じた。
昼間の明るい校舎内しか知らない為に、余計、静まり返った校舎内が不気味だった。
二人共、執拗に視線を動かし、きょろきょろしながら校舎内を歩いた。
その足取りは重く、忍者のように静かだった。
「ね、ねぇ…」
片方の少女が声をあげた。
「な、何?」
「こ、この校舎って…その、幽霊とか出ないよね?」
二人共、内心怯えていたことを口にした。
「ま、まさか。変なこと言わないでよ」
「でも…。聞いたことない?学院の七不思議って…」
「それは…あるけど、でもあれって、デマなんでしょ?」
「そうなの…?」
「学院長先生とグラスフィア先生が、実際に確かめたって…」
「そ、そうなんだ…。じゃあ、大丈夫だよね…」
「…」
大丈夫だと言いながら、二人はちっとも安心していなかった。
俺とシルナが、いつぞや校舎内を歩いて確かめた、七不思議の噂が本当か否か。
二人の少女には知る由もなかったし、そもそも七不思議の噂がなくても、怯える理由は充分にある。
イーニシュフェルト魔導学院は、ルーデュニア聖王国建国以来、古くから存在する、歴史ある学院だ。
建物は、何度も改修工事をしているとはいえ、やはり古いものだし。
歴史があるということはすなわち、それだけこの校舎で、様々な出来事が起きたということだ。
二人が知らないだけで、もしかしたら、校舎内で死亡事故が起きたことがあるんじゃないか、とか。
学院に恨みを持つ誰かの魂が、校舎内を彷徨ってるんじゃないか、とか。
想像力豊かな思春期の少女達が怯えるには、充分過ぎるシチュエーションである。
…ちなみに、学院の名誉の為に断っておくが。
校舎内で、生徒の死亡事故が起きたことはない。
学院が創立されて以来、そのような不名誉は一度も起きていない。
全ては、学院内の生徒を何としても守るという、学院長シルナ・エインリーの献身的な努力の賜物である。
…それはともかく。
二人の少女は、きょろきょろと周囲を見渡しながら、何とか教室に辿り着いた。
校舎に鍵がかかっている為、教室の扉は施錠されていない。
二人共、がらがらと教室の引き戸を開けて、中に入った。
相変わらず真っ暗で、不気味な校舎ではあったが。
少しずつ、二人共慣れてきていた。
「早く、急いで」
「ちょっと待って。…確かここに…」
少女は机の引き出しの中を覗き込み、目当てのノートを探り出した。
「良かった、あった…」
胸を撫で下ろしながら、ノートを掴む。
これでもう、不気味な夜の校舎に用はない。
あとはノートを持って、学生寮に帰るだけだ。
二人共ホッとして、教室を出た。
…そのときだった。
「っ!!誰!?」
二人は、何者かの視線を感じて振り向いた。
安心しかけていた身体が、緊張のあまり固まった。
二人が振り向いた、その先には。
「お…お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛…」
嗄れた呻き声をたてながら。
謎の黒い影が、カツン、カツン、と、何か硬いものを引き摺りながら、こちらに向かって歩いてきた。
それを見た二人の少女は、堪えていた恐怖を爆発させた。
「…っ!!きゃぁぁぁぁぁ!!」
夜の校舎内に響くその叫び声に、俺は驚いて飛び起きた。
少女の叫び声を聞きつけたのは、俺だけではなかった。
「え、何々?どーしたの?」
「凄い叫び声だった」
蠟燭の灯るランタンを持った二人の元暗殺者が、少女達の叫び声を聞きつけ。
俺が飛び起きるより先に、現場に急行していた。
「嫌ぁぁぁ!助けてぇぇぇ!」
「え、何から?何かいたの?」
「きゃぁぁぁぁ!?」
漆黒の闇に溶けるような、黒装束を着た二人の元暗殺者が。
全く気配を感じさせず、あまりに唐突に目の前に現れたことにより。
少女達は、先程の黒い影の出現とは、また別の理由で叫び声をあげていた。
二人にしてみれば、立て続けに不審な人物が目の前に現れたのだ。
ただでさえ恐怖に怯えているときに、そんな目に遭えば、パニックを起こすのも無理はない。
しかし元暗殺者達は、何故二人が叫んでいるのか分からず、首を傾げる。
「どうしたの?何かいたの?」
何かいたの、じゃねぇ。
お前達の方こそ、何でいるんだ。
と、そのときにようやく、俺は現場に辿り着いた。
二人の少女にとってもそうだろうが。俺にとっても、目の前の光景が信じられなかった。
校舎内で叫び声が聞こえたから、何事かと慌てて駆けつけてみたら。
パジャマ姿の少女二人が、互いに互いを抱き抱えるようにして、廊下にへたり込んでおり。
そんな二人の様子を、イーニシュフェルト魔導学院の元暗殺者組がランタン片手に、不思議そうに眺めている。
な、何事…?
「お前達、何でこんなところにいるんだ?何があった?」
「…」
二人の少女に尋ねるも、二人共恐怖に引き攣った顔をして、一言も口が利けずにいた。
とにかく、二人を落ち着かせないと。
俺は廊下にしゃがんで、努めて優しい口調で言った。
「大丈夫だ。俺が誰か分かるか?羽久(はつね)・グラスフィアだ」
「ぐ…グラスフィア…先生…?」
「そうだよ」
ようやく、二人は目の前にいるのが自分達の教師だと気づいたようだ。
…ん?よく見たらこの二人、四年生の女子生徒じゃなかったか?
俺はシルナと違って、全ての生徒の顔と名前を覚えている訳じゃないから。正直、ちょっと自信がないが。
確か、四年生の生徒だったと記憶している。
「お前達、一体どうしたんだ?何があった?」
消灯時間はとっくに過ぎているのに、何故二人がこんなところにいるのか。
先程の叫び声は何だったのか。
聞きたいことは山ほどある。
「お…お化け…」
「は?」
片方の女子生徒が、震えながら廊下の先を指差した。
「い、今、そこに…お、お化けが…」
お…お化け?
俺は、女子生徒の指差す方向を向いたが。
「…」
そこには、何もいなかった。
ただ、真っ暗な空間が広がっているだけだった。