あの娘のキスはピリリと魔法の味 ~世界は今、彼女の唇に託された~

 儀式が終わり、紗雪は静かに目をつぶり、まるで英斗との熱い営みを心の奥で温めるかのように手を胸に当て大きく息をついた。刹那、黄金色の光がブワッと噴き出して、全身が光に包まれる。龍族に与えられたその神聖な力は紗雪に限りない力を与えていく。

 悪逆非道な魔王を打ち滅ぼして人類の未来を勝ち得なくては、と紗雪は取り出したシャーペンに力をこめ、赤く光らせた。


     ◇


「おーい、もういいぞ」

 レヴィアがニヤけながら英斗の耳元でささやく。

 英斗は渋い顔でレヴィアをにらみつけると、わざと大きな声で、

「あー、良く寝た!」

 と、言いながら起き上がる。

 紗雪は腕組みをしながら険しい顔で遠くを眺めていた。それはまさにいつもの【三組のクールビューティ】。隙のない完璧な美少女だった。

 英斗はゴホッと咳ばらいをすると、

「さ、紗雪……、ど、どうしたんだ?」

 と、渾身の演技をする。

「『どうしたんだ』じゃないわ。呼び出されて、いい迷惑なんだけど?」

 紗雪はムスッとした顔でぶっきらぼうに言うと、手の甲で髪の毛をかき上げるしぐさをする。しかし、ショートになった髪型ではそこに髪の毛はなかった。

 それを恥ずかしく思ったのか、口をとがらせて苛立たしそうに英斗をにらみつける。

「ご、ごめんよぉ。でも、助けに来てくれたんだね……、ありがとう」

 さっきとは打って変わった態度に苦笑しながら、英斗は頭を下げる。

「別にあんたのためじゃないわ。私は魔物退治に来ただけ。勘違いはやめて」

 紗雪は不機嫌そうにそう言うとプイっと顔をそむけた。白く透き通る肌が紅潮し、照れているのが一目瞭然(りょうぜん)である。

 紗雪の本心を知ってしまった今では、そんなぶっきらぼうな態度すら英斗には愛しく思えてしまう。

 英斗は微笑みを浮かべながら、謝り続ける。

 早く全て終わらせてちゃんとした両想いの関係を築いていくのだと、英斗は秘かにギュッとこぶしを握った。


         ◇


 ズン! と、激しい地響きを響かせながらドラゴン形態のレヴィアが着地する。

 まるでアパートが落ちてきたような圧倒的な迫力で、エイジは改めてファンタジーな生き物であるドラゴンの凄まじさに気おされる。

「早く乗れ!」

 ドラゴンは頭を地面にまで下ろし、腹の底に響く重低音で言った。

 漆黒のいかつい鱗に覆われたドラゴンだったが、鱗にはとげが伸びており、それをつかんでいくとよじ登っていけそうだった。

 英斗がとげの具合を引っ張って確かめていると、横をタニアが登っていく。

「タ、タニアも行くのか?」

 英斗が驚くと、

「あたちも行くー! きゃははは!」

 と、上機嫌に笑った。

 ピョンと身軽に飛び乗った紗雪は、タニアをにらみ、

「ちょっと! 遊びに行くんじゃないんだからね!」

 と、渋い顔で怒る。

 しかし、タニアは器用にまるで猿のようによじ登ると、

「ママー!」

 と、言いながら紗雪に飛びついた。

「マ、ママ!?」

 目を皿のようにして驚いた紗雪は、幼女にしがみつかれてどうしたものか困惑し、

「ちょっと、この娘なんとかしてよ! なんで私がママなのよ?」

 と、口をとがらせ、英斗に助けを求める。

「同じ龍族だから紗雪とも親戚なんだと思うよ? どことなく目元もそっくりじゃないか」

「こんな娘、知らないわよ!」

 すると、タニアは紗雪と英斗を交互に見ながら言った。

「パパ! ママ! ケンカはダメ!」

「ちょ、ちょっと待って。なんでこいつがパパなのよ?」

「だってさっきチュウ……」

 タニアがそう言いかけると、紗雪は真っ赤になって、言葉をさえぎるように、

「あ――――! 分かった! 分かったわ! いい子ね、よしよし!」

 と、叫び、タニアをギュッと抱きしめ、プニプニのほっぺにすりすりと頬ずりをした。

 タニアは、目をつぶり、幸せそうにつぶやく。

「ママぁ……」

「もう、しょうがないわねぇ。子供には勝てないわ」

 紗雪は幸せそうな顔をしながら、サラサラのタニアの髪を優しくなでた。

 美少女と可愛い幼女の組み合わせは尊く、英斗はうんうんとうなずきながら目を細める。

 決戦前の心温まるひと時。英斗はこんな時間がいつまでも続けばいいのにと軽く首を振った。













17. 凸凹魔王討伐隊

 タニアを連れて行ったらいいのかどうかは英斗にもよく分からない。タニアは強い。それこそ訳の分からない力で魔物十万匹を瞬殺するほど強い。しかし、その強さの正体が分からないのでどうしたものか悩む。何しろ、あの『手のひら』について本人は何も覚えていないようなのだ。

「でも、これから恐いところへ行くのよ? お家で待っててね」

 紗雪は(さと)しながらプニプニのほほをなでる。

「やだやだやだやだ! いくの!」

 今にも泣きそうになりながら駄々をこねるタニア。

 英斗は大きく息をつくと、

「僕が面倒を見るから連れて行こう。こう見えて……、この中で一番強いかもしれないんだ」

「強い? この子が?」

 紗雪は驚いてタニアの顔をのぞきこむ。

「強いじょ。きゃははは!」

 英斗は渋い顔をする紗雪からタニアを取り上げると、

「レヴィア、出発しよう」

 そう言って鱗をパンパンと叩いた。

「タニアも龍族じゃから下手な魔物よりは強かろう。頼みたいこともあるしな……。では行くぞ、しっかりつかまっとれ!」

 そう言いながら、レヴィアは武骨な骨格に薄い皮膜のついた巨大な翼をバサバサっと動かし、帆船の帆のように青空へピンと伸ばした。太陽の光を浴びてゴツゴツとした表面のディテールが浮かび上がり、まるで現代アートのように見える。

 英斗はその精緻な造形、洗練された所作の美しさに見とれ、ぽかんと口を開けながらしらばく見入ってしまった。

 ドラゴンは強く、美しい。その強さはこれらの繊細なディテールに潜む美を羽織ることによって顕現(けんげん)しているのではないだろうか? そう思わせるほどにレヴィアは気高く壮麗な美を(まと)っていた。

「しっかりつかまっておけ! 行くぞ!」

 レヴィアは太い後ろ足で力強く跳び上がると、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら大空へと舞い上がっていく。

 飛行機とは全然違う躍動には乗馬に通ずるものがあり、英斗は振り落とされそうになりながら必死にトゲにしがみついた。

 翼は風をつかみ、グングンと高度を上げていく。

 みるみるうちに小さくなっていくエクソダス。

 うわぁ……。

 英斗は、ドラゴンの背に乗って大空を(かけ)るという、まるでファンタジーの冒険(たん)のような状況に圧倒される。

 雲を抜けると青空のもと、この世界が一望できた。草原が広がり、川がキラキラと光り、遠くには山脈も見える。レヴィアはここを『流刑地』と言っていたが、美しい自然豊かな世界のように見える。なぜそんな呼び方をするのだろう。

 それにしても、一昨日までただの高校生だったのに、なぜ世界の存亡をかけ魔王討伐の一員になっているのだろうか?

 いきなり運命の激流に流されてしまった自分の境遇に軽いめまいを覚え、英斗はため息をつくと首を振り、ただ流れていく風景を眺めた。

 横を見ると紗雪が険しい顔でじっと行く手を見つめていた。その目には自分が世界の未来を勝ち得るのだという確固たる決意が浮かんでいる。まだ十五歳の少女に背負わされた悲しい宿命。きっと逃げることもできたはずだが、逃げて知らんふりするには紗雪の力は強大過ぎたのだろう。

『大いなる力は、大いなる責任を伴う』

 どこかで聞いた言葉が頭をよぎった。

 人化状態で魔物を次々と(ほふ)れる力、それは紗雪を魔物討伐へと動かし、今、魔王討伐隊のエースとして期待されている。もちろん、龍化したレヴィアの方が戦闘力は上だが、魔王城内での戦闘を考えると紗雪の方が適しているのだろう。

 そして自分はキス要員。紗雪のパワーアップ効果が切れた時のチャージ要因なのだ。

 自分で言ってて情けないが、言わばエナジードリンクみたいなものである。愛しい幼馴染が命がけで世界を守ろうとしているのに、自分はエナジードリンクにしかなれない。

 英斗はそんな歯がゆさに胸が絞めつけられるような思いをしてうなだれる。

「これ、着なさいよ」

 えっ……?

 顔を上げると紗雪がカーディガンを差し出している。

「寒いんでしょ? 無理しないで」

「あ、ありがとう」

 ツンツンした態度しながらも気遣ってくれるその優しさに、英斗は嬉しくなってニッコリと笑った。

 しかし、紗雪は照れ隠しなのか不機嫌そうに忠告する。

「いい? あなたたちは絶対前に出ないで」

「わ、分かったよ。何か手伝えることがあったら何でも言って」

「あんたに手伝えることなんて……」

 そう言いかけて、紗雪はハッとすると、顔を真っ赤にしてプイっと向こうを向いてしまった。

 そのウブなリアクションに英斗も、さっきの甘いキスを思い出して思わず赤面する。

 そう、きっともう一回くらいはキスする局面が来るに違いない。あの甘いキスをもう一度……。

 英斗はブンブンと首を振り、にやけ顔にならないようにするのに必死だった。

 きゃははは!

 英斗にしがみついているタニアは嬉しそうに笑った。







18. 邪悪の総本山

 やがて草原のかなたにいくつもの黒煙が上がっているのが見えてきた。

 その向こうには漆黒の円柱がそびえ立っている。それは大草原の中にポツンとたたずむタワマンのような風情だった。

「おぉ、頑張っとるな」

 レヴィアは満足そうに言いながらさらに高度を上げていく。

「あれは何なの?」

 英斗が聞くと、

「あの黒い円柱が魔王城。攻撃しとるのは黄龍隊。言わば陽動作戦じゃな。奴らが魔王軍の注意を引きつけている間にワシらは魔王城に忍び込むって寸法じゃ」

「忍び込む!? この大きさで?」

「フフン、ステルスのバリアを張ればレーダーには映らん。上空から一気に行くぞ!」

 そう言うとレヴィアはバサッバサッと力強く羽ばたいて、さらに高度を上げていった。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめ、じっと魔王城を眺める。倒すべき魔王はあそこにいるのだ。英斗は早鐘を打つ胸をギュッと押さえた。

 近づいていくと魔王城の様子が徐々に分かってくる。漆黒の円柱であるが、表面には現代アートのような不気味な禍々(まがまが)しい模様が浮き彫りにされており、上の方には目のような意匠があしらわれている。まさに邪悪の総本山とも言うべき姿に英斗はブルっと震え、背筋に冷たいものが流れた。

 あの中に小太りの中年男が居て多くの人の命を奪っている。何のためにそんなことをやっているのか分からないが、今ここで奴の暴挙を止めるしかない。


         ◇


 やがて魔王城の上空に差し掛かるとレヴィアは、

「総員戦闘準備!」

 と、叫んだ。

「いよいよだね」

 英斗は紗雪に声をかける。

 紗雪はひどく緊張した面持ちでキュッと口を結び、不安そうに英斗を見つめていた。その瞳にはさっきまでの力強さはなく、どうしたらいいのか分からなくなった迷子の子犬のような困惑が浮かんでしまっている。

 やはりまだ十五歳なのだ。圧倒的に場数が足りないのだろう。こんな調子では戦う前に負けてしまう。

 英斗は焦った。なんとかして青い顔した紗雪に力を与えなくてはならない。しかし、どうやって……?

 一計を案じると、英斗は口を開いた。

「紗雪、覚えてるか? 迷子になった時のこと」

 ニッコリとした穏やかな表情を作り、精いっぱい楽しげな声で聞いた。

 まだ小学校入学前、二人が家族に連れられて少し離れた神社のお祭りへ行った時のこと。英斗はいろいろな縁日に興奮し、紗雪の手を引っ張りながらちょこちょこと先行しているうちに、親とはぐれてしまったのだ。慌てて必死に親を探す二人だったが、それこそ何万人もいる中で見つけるのは不可能に思えた。

 泣きじゃくる紗雪をギュッとハグした英斗は、自分も泣きたい気持ちをグッと我慢して、『このまま見つからなかったら僕が紗雪の面倒を見るから』と、誓う。それは幼児らしい可愛い誓いだったが、お互いが特別な存在へと一歩近づいた忘れられない誓いとなった。

 英斗はその出来事を持ち出して、元気を取り戻すきっかけを探そうとする。

「迷子……? お祭りの……時のこと?」

 けげんそうな顔を見せる紗雪。

「あの時、二人でみんなとはぐれちゃって大変だったじゃないか」

「私がいっぱい泣いちゃったから……」

 紗雪はうつむき、申し訳なさそうに言った。

「いやいや、泣くのは仕方ないよ。でも、はぐれたところに戻ったら見つけられたろ?」

「うん……」

「不安で、耐えられなくなったら原点に戻ればいい。そして僕がいる」

 英斗はちょっと強引だったかなとも思ったが、力いっぱい笑顔を作った。

「ははっ。『僕がいる』って何よ」

「あ、いや、ホント役立たないんだけど、気持ちでは力になりたいんだ」

 紗雪は目をつぶり、何かを考える。

 英斗は美しくカールする長いまつげを見つめ、この不器用な応援が届いてほしいと願った。

「ありがと……。そう、原点に戻らないと。魔王を倒して世界を明るくする。それが私の原点……」

 紗雪はギュッとこぶしを握り、目には光が戻ってきた。

「やり遂げよう」

「うん。……。で、これが終わったら話したいことがあるの」

 紗雪は上目づかいでちょっと照れながら言った。

「わかった。……。実は、僕も話したいことがあるんだ」

「え? ……、何? 今すぐ言って!」

 紗雪は焦ったように前のめりで言う。紗雪もなんとなく気付いているのだ。

「あ、いや、だから終わってからだって」

「なんでよ! 気になるじゃない」

「いや、だから、それは……」

 そこでレヴィアの重低音が響いた。

「何をジャレあっとる! 突入じゃ、しっかりつかまっとけ!」

 急に翼をすぼめ、真っ逆さまに魔王城へと降りていくレヴィア。

「ぬおぉぉぉ!」「ひぃぃぃ!」「きゃははは!」

 いきなり無重力になって必死にしがみつく一行。見ると豆粒のようだった魔王城はみるみる大きくなっていく。

 覚悟はしてたものの無重力でお尻が浮いてしまう状態は、本能的に耐えがたい恐怖を呼び起こす。

 くぅぅぅ……。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめて、ただ時を待った。

 しかし、タニアは嬉しそうに手をバタバタさせながらフリーフォールを楽しんでいる。

 なぜこの子は恐くないのだろうかと、英斗は半ば呆れながら早く到着を祈った。

 直後、レヴィアは大きな翼をブワッと広げ、ブレーキをかけていく。

 今度は逆に激しいGがかかり、英斗は鱗に押し付けられる。

 バサバサバサッとレヴィアは全力ではばたき、ズンっと急に衝撃が伝わってきたと同時に、

「降りろ!」

 と、叫んだ。

 ワタワタとあわてて降りる英斗。

 こうして一行はついに魔王城にやってきたのだ。










19. 肉球手袋

 魔王城の屋上は漆黒の素材でできた、のっぺりとした野球場サイズの丸い広場だった。隅の方に排気ダクトがニョキっと生えている程度であとは何もない。

 下の方では黄龍隊が魔物たちと激しい戦闘を行っており、爆発音が絶え間なく響いている。急がないと見つかって陽動作戦が台無しになってしまう。

 レヴィアは床をこぶしでガンガンと叩き、

「くあーっ! こりゃダメだ。コイツは突き破れんのう」

 と、渋い顔をする。

「え? じゃあどうしたら?」

「プランBじゃ。タニアを連れてこい」

 そう言いながら排気ダクトの方へと走っていく。

「えっ? まさか……」

 嫌な予感をしながら、英斗はタニアを抱えて走った。

 きゃははは!

 英斗にしがみつきながら楽しそうに笑うタニアを英斗は複雑な気持ちで眺める。この幼女に一体何をやらせるのだろうか?

「よーしタニア! パワーアップじゃ!」

 レヴィアは何やらガジェットを用意しながら叫ぶ。

 アーイ!

 タニアは嬉しそうに返事をすると、

「パパ! パパ!」

 と、ニコニコしながら両手を英斗の方に伸ばした。

「え? 何?」

 英斗は何を言われているのか分からず、眉をひそめながらタニアの顔を見つめる。

 直後、タニアは英斗の顔をガシッとつかむと、ぶちゅっといきなりキスをしてきた。

 ん、んむー!

 いきなりのことに何が起こったのかすぐに理解できず固まってしまう英斗。

「ちょ、ちょっと何やってんのよ!」

 紗雪が焦ってタニアを引きはがす。

 呆然とする英斗をしり目にタニアは、

 キャハッ!

 と、嬉しそうに笑ってペロッとくちびるを舌で舐めると、激しい黄金の光を放った。

「へ?」「は?」

 紗雪の時とは全然違う眩しい輝きに一行は唖然とする。それは心にまで染み渡る、温かで神聖な光であり、英斗は思わず後ずさった。

 やがて光が落ち着いてくるとタニアが胸張ってニコッと笑っている。

「お、お前……、まさか……」

 英斗は自分とのキスでパワーアップしたタニアを見て言葉を失う。パワーアップのキスとは昂る相手としなくてはならないのではなかっただろうか? なぜ、こんな幼女が自分で昂るのか分からず、英斗はどうしたらいいのか分からなくなった。

 タニアは、キャハッ! と楽しそうに笑うと、ポッケから肉球のついた可愛い手袋を取り出し、身に着けた。

 レヴィアは予想外の展開に少し困惑しながらも、タニアの頭にヘッドライト兼カメラを装着していく。

 タブレットでカメラと同期するのを確認したレヴィアは、

「ヨシ! タニア。ここを潜って屋上への通路を開けるやり方を探せ!」

 と、床からにょっきりと生えている排気ダクトを指さした。

「あーい!」

 タニアは楽しそうに敬礼をする。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。タニアをこの狭い管に落とすんですか?」

 英斗は幼女に危険なことをやらせるレヴィアにクレームをつけた。

「じゃあお主、どうするんじゃ? 他に方法でもあるんか?」

 レヴィアは毅然とした口調で反論する。その真紅の瞳にはゆるぎない信念が映っている。

「え、いや、それは……」

「いいか、我々は生きるか死ぬか、それこそ八十億人の人命を背負っておるんじゃ。道徳を説くな!」

「わ、分かりますけど……」

 と、その時、タニアがキャッハァ! と上機嫌に叫び、肉球手袋を振り上げる。

 すると、タニアの周りに黄金色の光の微粒子がぶわぁと浮かび上がり、それが急速に手袋に集まっていく。

 手袋に光が集まりきった瞬間、タニアは排気ダクトに向けて肉球手袋を斜めに振り下ろした。

 刹那、黄金色の閃光が走り、手袋から発生した黄金の光がまるでレーザー光のように排気ダクトを一刀両断にする。

 ガン! グワン、グワン!

 と、派手な音を立ててダクトは床に転がった。

 英斗たちはその圧倒的な破壊力に言葉を失う。レヴィアですら突破をあきらめた特殊素材でできた排気ダクトを、まるでダンボールを切るようにあっさりと崩壊させた。それはとんでもない想定外の力だった。

 きゃははは!

 タニアは嬉しそうに笑うと、トコトコと排気ダクトの根元まで行ってそのまま中へと飛びおりていった。

「ああっ!」

 英斗は急いでダクトをのぞきこむ。そんな気軽に飛び込んでいい所ではないはずだ。幼女の向こう見ずな蛮勇に嫌な予感がよぎる。

「タニアぁ……」

 冷汗をかきながら目を凝らすと奥の方でチラチラと動くヘッドライトが見える。どうやら無事なようだが、この先一体どうなってしまうのか胸がキュッと痛んだ。
















20.太陽のシャーペン

「いいぞいいぞ、そこ、入ってみようか?」

 レヴィアがタブレットの映像を見ながらタニアに指示を出している。

『キャハッ!』

 楽しそうに笑いながら、細いダクトの中をハイハイしていくタニア。

「よしよーし、もうちょい前進じゃ」

 レヴィアはタニアの位置をマッピングしながら淡々と指示を出していく。

「これ、空調設備ですよね?」

「そうじゃ。まさか魔王も、こんな小さな幼女が侵入してくるとは想定していないじゃろう。クフフフ」

 最初からタニアを使うプランを準備していたレヴィアのしたたかさに、英斗は舌を巻く。そう、これは誰かの命を危険にさらしてでも勝たねばならない戦いなのだ。改めて平和ボケしていた自分のぬるさにウンザリし、静かに首を振った。

「よーしそこでストップ! ダクトの下を切り裂け!」

『キャッハァ!』

 画面が黄金色にフラッシュし、ガシャーン、バラバラと破壊音が響き渡る。

 果たして、画面に映ったのはダクトの下を通る通路と、そして、凶悪な魔物の群れだった。

 魔物は筋骨隆々とした一つ目のゴリラたちだった。黒毛がふさふさの両腕に熱い胸板、その運動能力の高さは圧倒的で、素早く跳び回って戦車の上に飛び乗り、砲塔をもぎ取った動画は魔物の悪夢として何億回もの再生回数を誇ったほどである。

 そして今、全てを見透かすかのような巨大な一つ目の群れが、全てタニアを凝視している。

 考えうる限り最悪の展開に一行は血の気が引いた。

「ヤ、ヤバい! 逃げるんじゃ!」

 レヴィアは真っ青になって叫んだが、直後、ゴリラが飛びかかり、パンチ一発でダクトは爆散。タニアも吹き飛ばされる。ただ床に転がり落ちたカメラが瓦礫を映すばかりだった。

「あ、あぁぁ……」「ひっ!」

 お通夜のように黙り込んでしまう一行。

 タブレットからはゴリラの奇声と断続的な衝撃音が響きつづけた。

「あぁ……、タニアぁ……」

 英斗はその凄惨な事態に頭を抱えうなだれる。

「待ち伏せ……、されておった」

 レヴィアはガックリと肩を落とした。魔王はこちらの行動をしっかりと把握して魔物を配備していたのだろう。その抜け目のなさに英斗は魔王の恐ろしさの片りんを感じた。

「た、助けに行けないんですか!?」

「お主はこの狭い穴を抜けられるんか?」

 レヴィアはダクトの穴を指さし、悲痛な面持ちで返す。

「し、しかし……。タ、タニアぁ……」

 いきなり可愛い仲間を失い、潜入に失敗した。その苛烈(かれつ)な現実は英斗の心をえぐり、絶望色に塗りたくる。

 紗雪は英斗の手を取り、ギュッと握った。その瞳には涙がたたえられ、今にも決壊しそうである。

「さ、紗雪……」

 直後、紗雪は英斗の唇を強引に奪った。

 んっ! んんっ!

 それは悲痛な焦りにあふれたキスだった。ポロリとこぼれた涙が英斗のほほを伝い、現実の苛烈さに抗おうとする必死な思いが伝わってくる。

 紗雪はバッと離れると、赤いシャーペンを下向きに両手でもって精神集中を図った。全身からは黄金の光があふれ出し、やがてそれはシャーペンに集まっていく。

 激しい輝きをまとったシャーペン、それはもはや地上に現れた太陽のようだった。

「紗雪……」

 タニアの救出のために全力を傾ける紗雪に英斗は胸が熱くなる。

 ハァーーーーッ!

 全体重をかけ、シャーペンを床に突き立てる紗雪。

 ズン! という激しい振動とともに爆発が起こり、辺りは爆煙が立ち込めた。

 煙が晴れると数メートルくらいのクレーターができているのが見える。中心部からは天井裏のような内部の様子も垣間見える。

 紗雪はすかさず中に入ろうとしたが、青黒いねばねばの液体がクレーターのあちこちからピュッピュと湧きだしてきて、悪臭が立ち込める。

 明らかに異常だった。

 レヴィアは紗雪を制止して、指先を液体にチョンとつけてみて、叫んだ。

「ダメじゃ! これは強アルカリ。身体が溶けるぞ」

「ええっ!?」

 せっかく開けた穴に入れない、それではタニアを助けられないのだ。紗雪は泣きそうな顔でガクッとひざをつく。

 魔王城の外壁には自動修復機能があるようで、まるで怪我した時の傷口のように穴は液体で覆われ、表面にはかさぶたのような硬い板ができあがり、やがて元通りになってしまった。

紗雪は呆然として床に崩れ落ち、ポタポタと涙をこぼす。

「お主は寝たふりをしとけ!」

 レヴィアは英斗の耳元でそうささやくと英斗を引きずり倒し、紗雪のもとへ行く。

 レヴィアが記憶を奪ったというシナリオにしてくれるらしい。

 英斗は納得がいかなかったが、できることもないのでゴロンと横たわり、薄目を開けて青空にぽっかりと浮かぶ白い雲を眺めた。

 鉄壁の守り。さすが魔王城、考えつくされている。あの小太りの中年は相当にできる奴なのだ。だてに魔王を名乗っていない。

 潜入に失敗した、というその厳然たる事実の前に英斗は自然と涙がこぼれた。

 これからどうしたらいいのか全く分からなくなった英斗は、大きくため息をつき、ぼやけて見える雲をただ眺めた。
「撤退……か?」

 レヴィアはしおれた様子で紗雪に声をかける。

 しかし、紗雪はうなだれたまま動かない。全力を尽くしてもタニアを助けられなかった事実が重苦しく心を押し沈め、言葉も出せなかったのだ。

 と、その時、ヴォォォンと奇妙な電子音とともに少し先の床が四角く浮き上がり始める。

「マズい! 戦闘準備!」

 レヴィアは叫び、銃を構える。紗雪も急いで飛び起きてシャーペンを構えた。

 英斗もあわてて起き上がり、へっぴり腰でニードルガンを向ける。

 せり上がってきたのはエレベーターである。床から四角く飛び出てきた箱には扉が付いており、屋上との出入り口として使う物のようだった。

 いきなりの展開に英斗の手はブルブルと震え、照準も定まらない。

 鬼が出るか蛇が出るか、一行は何が出てくるのか固唾(かたず)を飲んで見守った。

 キャッハァ!

 ドアが開くと同時に歓喜の声が響く。

 なんと、タニアが一人でトコトコトコと出てくるではないか。てっきりやられたものだとばっかり思っていた幼女は、なぜかエレベーターを使って任務を果たしてきたのだ。

 武器を下ろして唖然とする英斗の前を紗雪が駆けていく。

 紗雪は何も言わず凄い速さでタニアの所まで行くと、ひざまずいてギュッと抱きしめた。

 きゃははは!

 タニアは嬉しそうに笑う。

 見ると紗雪の肩が揺れている。タニアの危機に一番胸を痛めていたのは彼女だったのだ。クールを装っていたが、ママと言って人懐っこく抱き着いてくる可愛い幼女に内心情愛を感じていたのだろう。

 英斗はそんな紗雪とタニアの心の交流を、少し羨ましく思いながらしばらく眺めていた。

 見るとタニアのボーダーシャツには真っ青の血しぶきがかかっており、顔もほこりや血でぐちゃぐちゃである。

 英斗はハンカチでそっとタニアの顔をぬぐい、タニアは幸せそうにそっと目を閉じた。

「お手柄だね、お前凄いな」

 英斗は頭をなでながら話しかける。

 しかし返事がない――――。

 いつもならキャッハァ! と、にこやかに返事してくれるのだが。

「お、おい、どうしたんだ?」

 英斗はタニアのプニプニのほっぺたをつついたが、タニアは糸が切れたように首をガクッとさせた。

「えっ!? おい!」

 心配して声をかけた英斗だったが、

 すぴー、すぴー、と寝息が聞こえてくる。

 紗雪は驚いてそっとタニアの首を支えて様子を見た。

「ね、寝ちゃった?」

 むにゃむにゃ、と口を動かしてまた寝息を立てるタニア。

 二人は顔を見あわせ、ちょっと困惑した様子で微笑みあった。

 『手のひら攻撃』の時もそうだったが、タニアは力を使うと寝てしまうらしい。今はゆっくりと寝かせてあげたいが、こんな敵地では寝かせておく場所もない。

 英斗はレヴィアからもらったおんぶひもでタニアを背中に背負う。親戚の子供を何度か背負ったことがあるのである程度慣れてはいるが、人類の命運のかかった戦闘に子供をおんぶして突入することにさすがに困惑は隠せなかった。

 それにしても、あの屈強なゴリラの群れをタニアが一掃したという事実は、少なからずレヴィアと紗雪を動揺させた。あのゴリラはすばしこく、例えドラゴン化したレヴィアであっても手こずる敵なのだ。つまり、タニアが一番強いということになる。

 この不可解な幼女が人類の行方を決めるのかもしれない。


         ◇


 可愛い寝息を聞きながらいよいよ魔王城潜入である。

 一行はついにやってきた正念場に口数も少なく、口をキュッと結びながらエレベーターへと乗り込んだ。紗雪も強引にキスしたことなんてもう気にもかけていない様子で、眉をひそめ、深呼吸を繰り返している。

 行先階は一つだけ、タニアが戦っていた階だろう。

 レヴィアは恐る恐るボタンを押し、魔王城の中へと降りていく。

「ドアが開き次第散開じゃ!」

 レヴィアは緊張感のある声で指示をする。

 英斗はニードルガンをチェックし、両手でしっかりと握った。ドクドクと早鐘を打つ鼓動が感じられ、手に汗がにじむ。

 チーン!

 エレベーターのドアが開くと同時に飛び出す一行――――。

 しかし、そこには誰もおらず、まるでビル解体現場のような瓦礫(がれき)に埋め尽くされた広い空間が広がるだけだった。

 床には紫色にキラキラと輝く魔石が多数転がっており、これらがゴリラの遺体からできたのであれば、相当数のゴリラがここで倒されたことは間違いないようだった。

 不気味な静けさの中、英斗が口を開く。

「これ……、タニアがやったんですかね?」

 元はオフィスの会議室のような空間だったような名残が見えるが、まるで竜巻に滅茶苦茶にされてしまった被災現場かのようである。

「分からんが……、そうなんじゃろう」

 レヴィアは予想以上の壊滅具合に青い顔をしながら答える。

 あの可愛い幼女が無数のゴリラ相手にどんな戦いをしたのかは分からないが、これを見る限り一方的な蹂躙だったのだろう。

 しかし、一体どうやって?

 一行はその凄まじさに押し黙ってしまった。





22. 特異点

 と、その時、ガガガガッ! とノイズが響き渡り、3D映像が天井から降りてきて目の前に大きく浮かび上がった。椅子にふんぞり返った小太りの中年男、魔王である。少し薄くなった頭髪に脂ぎった肌、そして細い目がいやらしく一行を睥睨(へいげい)した。

「フンッ! 好き放題やってくれたな、おい!」

 不機嫌そうに言い放つ魔王。

「何を言っとる! 好き放題やっとったのはお主の方じゃろう!」

 レヴィアは鋭い視線でにらみつける。

 魔王は一行をジロジロと眺め、英斗で目を止め、興味深そうに目を細めると言った。

「ほほう、小僧、お前か……」

「えっ……?」

 単なるキス要員の自分になぜ興味など持つのか分からず、英斗は動揺する。

「お前を始末するのが先だったな……」

 魔王はあごをなでながら、少し悔しそうに言った。

「な、何を言ってるんですか!? 自分はただの何もできない……」

「どうだ、小僧。ワシと取り引きせんか?」

 魔王は英斗をさえぎるようにもちかけ、いやらしい笑みを浮かべる。

「は? 取り引き……?」

「ワシの部下になれ。地球の半分をやろう」

「はぁっ!?」「えぇっ!?」「へっ!?」

 一行はその荒唐無稽な提案に唖然とする。ただの無力な高校生になぜそんな取引をもちかけたのか理解できなかったのだ。

 もちろん、紗雪もタニアも英斗のキスでパワーアップしているのだから、弱体化させるうえで英斗の切り崩しは正攻法とも言えなくもなかった。しかし、そうだとしても地球の半分というオファーは異常だった。

「なぜ……、私なんですか?」

「お前は特異点だ。ただの学生だったらなぜここにいる? オカシイと思わんのか?」

「と、特異点って……、何ですか?」

「知りたいだろ? クフフフ……。部下になれ。悪いようにはせん。クフフフ」

 いやらしく笑う魔王。彼は何かを知っている様子だった。

 英斗はその蠱惑(こわく)的な話に思わず吸い込まれそうになる。『自分は特別な人間だ』そう思わせてくれる言葉の魔力はすさまじい。何の変哲もないただの高校生が魔王討伐で魔王城まで来ていることは確かに変なのだ。

 その時、紗雪が英斗の腕をつかみ、今にも泣きそうな顔で英斗を見る。その瞳にはクールビューティの鋭さはなく、捨てられそうな子犬のような胸に迫る悲哀の色が浮かんでいた。

 ハッと自分を取り戻す英斗。そう、魔王の側へ行くことは全人類に対する裏切り、紗雪に対する背信なのだ。選べるわけがない。

 英斗はふぅと大きく息をつくと、紗雪の手をギュッと握り、

「お断りします!」

 と、毅然(きぜん)と断った。こんな提案をしてくるということは相当追い詰められているということだろう。自分を特別扱いしてくれることに若干の未練はあるが、ただのブラフかもしれない。そんな甘言に期待するようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせた。

「ハッ! まぁいい。後悔して死んでいけ」

 魔王は肩をすくめ、首を振る。

「下らん話ばかりしおって。その()っ首叩き落としてくれるわ!」

 レヴィアは親指を立てて首を切るしぐさをしながら、叫ぶ。

「クハハハ! 威勢はいいが、ここは俺の城なんだぜ? せいぜいあがいて見せろ!」

 魔王はいやらしい笑みを浮かべると、親指で下を指さした。

 へっ!?

 レヴィアは焦って辺りを見回す。

 直後、ガタガタガタっと音をたてながら床板が次々と崩落していく。なんと、魔王は一行の一帯を落とし穴にしたのだった。

「ひぃ!」「きゃぁ!」「このやろぉぉぉ!」

 床板と一緒に落ちていく一行。

「クハハハハ!」

 高笑いが上の方で響く。

 暗い穴を真っ逆さまに落ちながら英斗は必死に手立てを探す。しかし、パラシュートも何もない英斗には打つ手など何もなかった。もはや絶望的な破滅しか考えられず、無重力の中、走馬灯が回りかける。

 次の瞬間、ボン! という爆発音とともにレヴィアがドラゴン化した。しかし、穴はドラゴンが入れるようなサイズではない。レヴィアは落とし穴にすっぽりと詰まり、不完全な変形状態のまま

「痛てててて!」

 と、叫び、壁面を鱗のトゲでガリガリと削りながらズリ落ちていく。

 紗雪はレヴィアのシッポの上に落ち、素早く体制を整えると続いて落ちてくる英斗を上手く抱きとめた。

「ひ、ひぃぃ……。あ、ありがとう」

 九死に一生を得た英斗は、ガタガタと震えながら涙目で紗雪に抱き着く。

 甘酸っぱく優しい紗雪の香りがふんわりと英斗を包んだ。

「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」

 紗雪は真っ赤になりながら英斗を引きはがそうとしたが、英斗の震えを見てふぅと息をつき、険しい目で上を見上げた。

 かなり落ちてきてしまったようで、さっきのフロアがはるかかなた上の方に見える。これでは戻ることは現実的ではなかった。

 レヴィアは徐々にゆっくりになり、やがて停止する。

「痛ててて! お主ら早く何とかしてくれぇ!」

 下の方から重低音の声が響く。

 紗雪は英斗を、安全なレヴィアの尻尾の裏に座らせると、シャーペンを握り締め、穴の壁面をあちこち叩いていく。

 ガンガン、カンカン、キンキン、と叩く場所によってそれぞれ反響音が違う。

 紗雪は目星を付けると黄色く輝く魔法陣を描いた。

 魔法陣から飛び出す岩の槍たちは激しい衝撃音をたてながら壁面をうがち、やがて大穴を開けていく。どうやら外壁とは違って通れそうだった。

 こうして何とか死地からの復帰はできたものの、魔王城の中は魔王のテリトリーであり、圧倒的なアウェイであることは変わらなかった。







23. 百万匹の脅威

 壁を抜けるとそこは暗闇に沈む広大な空間になっていた。

 コンクリート打ちっぱなしの硬い床を歩くと、コツコツと高い音を立てる足音が反響して辺りに響きわたる。

「ここは……?」

 シーンと静まり返るその空間には、暗闇の中に何かがたくさん並んでいる。

 紗雪はライトの魔法でフロアを照らし出し、あまりのことにギョッとする。何とそこには大小織り交ぜて無数の魔物が陳列されていたのだった。

「な、なんだこりゃぁ」

 英斗はその異様な空間に背筋がゾッとした。

 オーガやゴリラ、サイクロプスだけでなく、見たこともない大蛇やフクロウにコウモリなど凶悪な面構えをした魔物が静かに微動だにせず並んでいた。

 最初は剝製(はくせい)かとも思ったが、体表は温かく熱を帯びており、いつ動き出してもおかしくなかった。

「魔物の研究室かもしれんな」

 レヴィアが腰をさすりながら言う。

「研究室?」

「ここで新たな魔物を創り出し、それを量産して魔王軍にするんじゃろう」

 確かに見渡す限り同じものはなく、全部別の魔物だった。ここで作っているというよりは研究目的の方がぴったりくる。しかし、どうやって創り、量産しているのだろうか? まさに魔王軍の強さの秘密がこの研究室に隠されていそうだった。

 一行は静かに魔物たちの間をぬい、奥を目指す。

 最奥までいくと、手術台のようなステージが見えてくる。よく見ると、多くの機械がびっしりと並んでいた。どうやらここで新たな魔物を創るようだったが、これだけでは何とも言えなかった。

 レヴィアは興味深そうに機械を観察していくが、それはバイオ的な機械というよりは発電所のようなエネルギー系の機械であり、なぜ巨大電力で魔物が生まれるのか首をひねるばかりだった。

 これを見ると魔物は生き物ではないということになる。魔物は倒すと魔石になって転がるので生き物ではないのではないか、とは言われていたが、それを補強する証拠といえそうだ。

 さらに、散らばっているメモ書きを読み込んでいくと、ここ数年で魔物の生産速度が飛躍的に向上していることが分かった。単純に計算してみて百万匹に達する数が生産されたことになる。

「百万匹!?」

 英斗は青い顔をして叫んだ。昨日の大攻勢でも十万匹しか倒していない。残る九十万匹はどこへ行ってしまったのだろうか?

 世界を簡単に焼き尽くせる圧倒的な武力がどこかに隠されている。その事実に一行は言葉を失い、お互い顔を見合わせ、腕組みをして考えこんだ。

 この空間にいるのだとしたらとっくに現れていてもおかしくないが、魔王城の警備は比較的手薄だった。となると、地球にすでに送り込んでいることになるが、そんな話は聞いたこともない。一体どうなっているのだろうか?

 九十万匹の大軍隊が地球のどこかに秘かに配備されているかもしれない。その可能性に英斗は胸が苦しくなり、思わず深呼吸を繰り返した。

 今ここで魔王を仕留めない限り、人類滅亡は避けられないかもしれない。魔王城攻略の重要性は一気に高まってしまった。

「とりあえず、こいつら焼いちゃっていいですか?」

 紗雪は不機嫌そうにレヴィアに聞く。

 確かにこの数百匹の魔物たちが動き出したらとんでもない事になる。停止している間に叩くというのが得策だろう。

 レヴィアはニヤッと笑い、

「よし、大暴れしてやるか!」

 と、真紅の瞳に決意の色をにじませて叫んだ。

 紗雪は手術台の上にピョンと跳び乗るとそこから魔物たちに向けて炎の魔法陣を次々と描いていく。オレンジ色に燃え上がるかのような輝きを帯びた魔法陣は、暗い空間を煌々と照らし、刹那、無数放たれる炎の槍はまるで花火のように美しい輝きを放ちながら次々と魔物たちに襲いかかる。

 着弾した炎の槍は魔物たちを吹き飛ばし、燃やし、隅へと変えていく。

 レヴィアはドラゴン化し、フロアに降りると、重低音の咆哮を放つ。ビリビリと手術台は揺れ、英斗は思わずしゃがみ込む。

 不気味に光る巨大な牙の並んだ口をパカッと開けたレヴィアは、入口の方の天井めがけてドラゴンブレスを放った。鮮烈なエネルギーの奔流は天井を直撃し、やがて溶岩のような輝きを放ちながらどんどんと溶けだしてくる。こうなると魔王城も弱い。上のフロアの床も抜け、瓦礫が降り注ぎ始めた。形勢逆転である。

 グワッハッハーーーー!

 レヴィアの豪快な笑いがフロア中に響き渡る。

 英斗は二人の圧倒的な破壊力に気おされ、手術台の裏で小さくなっていた。

 ただ、魔王としたら魔王城内でここまでの破壊活動をされてはたまらないはずだ。きっと何か手を打ってくるだろう。










24. 魔王城炎上

 さて、どういう手を打ってくるかと、英斗は辺りを必死に警戒した。自分のできる事なんてこんなことくらいなのだ。二人の派手な攻撃の後ろで頑張って辺りをジッとチェックしていく。

 すると、隅っこの方にかすかに動く影を見つけた。それは様子をうかがうような、明らかに不穏な動きをしている。小型の緑色の魔物、ゴブリンだろうか?

「何かいるぞ!」

 英斗は叫んで立ち上がり、震える手でニードルガンを構えた。生まれて初めての射撃、ドクドクと高鳴る鼓動の音を聞きながら静かに引き金を引く。

 ニードルガンから放たれた針のようなニードルは、青色に美しく輝きながら光跡を描き、次々とゴブリンへと迫った。

 最初は大外ししていた英斗だったが、連射しているので修正は容易である。逃げ惑うゴブリンに合わせてニードルガンを操り、最後はついに命中させた。

 グギャッ!

 と、断末魔の悲鳴を上げながらゴブリンは倒れ、手元から何かが転がる。

「伏せろ!」

 レヴィアが叫んだ直後、それは大爆発を起こした。なんと、手りゅう弾を持たせた魔物を送り込んできているのだ。

 直後、ワラワラとゴブリンたちが物陰から身を現したが、レヴィアがブレスで一気に焼き払う。大爆発が次々と起こり、英斗はその激しい衝撃に頭を抱えて何とか耐えた。

「ふぅ、油断もすきも無いのう……。英斗、よくやった!」

 英斗は少しは役に立ててホッとして胸をなでおろす。

 しかし、レヴィアが焼き払ったあたりの壁が崩壊すると、爆煙の向こうに妖しく赤色に光る点がならんでいる。

「へっ?」「えっ?」「きゃぁ!」

 なんと、魔物たちの群れが殺る気満々でスタンバっていたのだ。

 直後、サイクロプスにオーガにゴリラたちが雄たけびを上げながら瓦礫を跳び越え、一気に押し寄せてくる。

「正念場じゃ! ()ぎ払え!」

 レヴィアは立て続けにブレスを連射し、次々と魔物たちを火に包んでいく。撃ち漏らしを紗雪が魔法の風の刃で薙ぎ払い、さらに生き残りを英斗がニードルガンで始末していく。

 フロアは一気に苛烈な戦場と化し、風魔法が切り裂く魔物の血しぶきが舞い、焼け焦げた死体が転がり、爆発音が響いた。

 攻撃をかいくぐって飛びかかってくる魔物に英斗は必死にニードルガンを当て続け、戦線を防衛する。魔王城内ということもあって、魔物たちはレーザー攻撃を禁止されているらしく、何とか英斗も役に立てていた。レーザーを撃たれていたら英斗など即死だっただろう。


       ◇


 激しい戦闘も終焉を迎え、やがて静けさが訪れる。何とか一行は魔物の襲撃の一掃に成功したのだ。

 はぁはぁと荒い息をしながら、英斗はニードルガンをおろし、ふぅと大きく息をつくとペタンと座り込んだ。

 背中からは、すぴー、すぴー、という寝息が聞こえてくる。これでも起きないとはタニアは大物かもしれない。

「どうやら敵さんの手は尽きたようじゃな」

 レヴィアも一息ついて満足そうに笑みを見せた。

 紗雪もひざに手をつき、大きく肩を揺らしている。まさに死闘だった。


 すると、ガラガラっと音を立てて入口の方にたくさんの瓦礫が降ってくる。天井を攻撃していたのが効いてきたらしい。

「見てくるわ」

 紗雪は疲れた体に鞭を打ち、ピョンピョーンと魔物の焼け焦げた死体の間を器用に飛び越えながら天井の穴の方へ行き、上を見上げる。そこには激しい炎がオレンジ色に辺りを照らしている様子が見て取れた。

 上のフロアのさらに上のフロアでも火災が発生していて、次々と延焼が進んでいるらしい。

「ねぇこれ、このまま全部ぶち抜けないかしら?」

 紗雪はレヴィアに聞く。

 レヴィアも穴を見上げ、その延焼具合にニヤリと笑うと、

「ほう、思ったより安普請(やすぶしん)じゃな……。やってみるか」

 そう言ってまたブレスを派手におみまいした。

 降ってくる瓦礫を器用によけながら、紗雪も岩の槍で上層階のフロアの天井を抜き、レヴィアと一緒に魔王城を火に包んでいく。

 それは想定外の展開ではあったが、確かにこのまま魔王のフロアまで焼き尽くせば勝ちである。

 上の方のフロアで断続的に発生する爆発音、ガラガラと次々と降り注ぐ瓦礫、初めて見えた勝ち目らしいチャンスに英斗は手に汗握って二人の活躍をジッと見つめていた。もしこれで魔王を仕留めることができたら、自分も世界を救った英雄の一員なのだ。それは人類八十億人を救った偉業であり、ただの高校生が成し遂げたとんでもない英雄譚になる。

 英斗は早鐘を打つ鼓動を感じ、湧き上がってくる興奮を抑えられずにいた。


          ◇


 激しい爆発音が上の方で上がり、いよいよクライマックスが近いことを感じさせたその時、いきなりレヴィアは攻撃をやめてしまう。

「やられた!」

 と、叫びながら英斗の方へ、ズシンズシンとフロアを響かせながら駆けてくるレヴィア。

「えっ……?」

 英斗はいきなりの展開に焦ってキョトンとしてしまう。

 レヴィアは手術室脇の非常口らしきドアのところまでやってくると、

「ダメだ! 逃げられた! 追うぞ!」

 そう言って、シッポをブンとものすごい速度で振り回し、ドアを吹き飛ばす。

 英斗はガックリとうなだれ、ふりだしに戻ってしまったような脱力感に大きなため息をつき、大きく首を振った。













25. 無慈悲

 外で戦っていた黄龍隊から連絡があり、シャトルが上層階から射出され、北の方へと飛んでいるらしい。今、メンバーが追跡しているということなので急いで後を追うしかない。

 ドアが吹き飛ばされた非常口からは太陽の光が差し込み、外の景色が良く見えた。外からは一切侵入を受け付けない外壁だったが、内側からは簡単に開けられてしまうらしい。

 英斗は恐る恐る首を出して辺りを見回した。先ほどまで激しい戦闘が行われていた周囲も今は静まり返り、くすぶっている木々から白い煙がうっすらと上がるばかりである。

 下を見ると、はるかかなた下の地面まで何もない。手すりや非常階段など何もない、実に魔王城らしい割り切った作りだった。落ちたら一巻の終わりだと思うと、英斗は肝がキュッと冷える。

 レヴィアは一足先に外へと飛び出し、翼の調子を確かめてステップに頭を横付けして叫ぶ。

「早く乗れ!」

 紗雪はピョンと跳び乗り、眩しそうに目を細めて辺りを見回した。

 英斗も跳び乗ろうと思ったが、レヴィアは羽ばたいているので、揺れ動いて隙間もそれなりにある。普通に人間にはとても跳び乗れそうにない。英斗が恐る恐る鱗のトゲに手を伸ばすと、紗雪はすっと手をつかみ、

「は、早くしてよね!」

 と、真っ赤になりながら英斗を引っ張り上げる。

「あ、ありがとう」

 うまく乗り移れた英斗はニッコリと笑ったが、次の瞬間、足を滑らせて思わず紗雪にしがみついた。

 うわっ!

「ちょ、ちょっとなにやってるのよぉ」

 口調は厳しかったが、紗雪は微笑みを浮かべながら優しく英斗を確保すると、そっと座りやすいところへと移動させた。

 英斗はそんな紗雪の心遣いが嬉しくなり、紗雪を隣に座らせるとしっかりと手を握る。

 紗雪はちょっと驚いたような表情を見せたが、拒むわけでもなくプイっと向こうの方を向いた。

 英斗は柔らかな紗雪の手の温かさを感じながら、早く穏やかな日々を取り戻したいと願った。


       ◇


「つかまっとれ! 急いで追うぞ!」

 そう言うとレヴィアは力強く大きな翼をはばたかせ、一気に高度を上げていく。

 振り返るとブスブスと黒い煙を噴き上げている魔王城が小さくなっていくのが見えた。拠点を潰せたことは大きな成果ではあったが、英斗は胸騒ぎが押さえられず、キュッと唇を結ぶ。

 どこかに隠された九十万もの魔物たち、あっさりと捨てられた魔王城。自分たちは追い詰めたつもりでいるが、もしかしたら魔王にしてみたら想定の範囲内なのかもしれない。

 英斗は紗雪の手を握りなおし、気持ちを落ち着けようとなんども大きく息を吸った。


        ◇


 雲を抜け、さらに加速した時だった。

 いきなり激しい閃光が天地を埋め尽くし、体中の血液が沸騰するかのような激しい熱を受け、英斗は思わず気を失いそうになる。

 グハァァァ!

 レヴィアは絶叫するとドラゴン形態を維持できなくなり、気絶したまま少女の姿に戻ってしまった。

 空中に放り出された一行。

 ただ地面へ向かって一直線へと落ちていった。

 いきなりの大ピンチに何が何だか分からないながら、英斗は必死に歯を食いしばって意識を保つ。全身がやけどしたように激痛が走りながらも、何とか顔を上げた。

 紗雪を見ると、気絶してしまったようでぐったりとしてしまっている。

「さ、紗雪!」

 そう叫んだ時、巨大な灼熱のもくもくとした塊が視界に入ってきた。

 え……?

 その禍々しいエネルギーの塊に唖然とする英斗。

 それはやがて巨大なキノコ雲へと成長し、熱線をまき散らし、赤く輝きながら上空へと舞い上がっていく。

 それを見て英斗は全てを理解した。核兵器だ。魔王は核を使って魔王城を爆破したのに違いない。

 証拠を残さないため、そして、あわよくば自分達を抹殺するために核で魔王城を吹き飛ばしたのだろう。

 その、容赦ない蛮行に英斗は震え、生ぬるかった自分の発想を反省した。自分たちが戦いを挑んでいる全人類の敵とは、こういう無慈悲で容赦ないサイコパスなのだ。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、キノコ雲をにらむ。

 しかし、このままでは地面に激突して全滅である。

 英斗は紗雪の手をつかんだまま、手足をうまく動かして落ちる向きを変え、少し離れたところを落ちていくレヴィアの手をつかんだ。

 レヴィアは全身赤く腫れあがっていて、とても意識を取り戻せるような状態には見えない。

 万事休す。

 英斗はギュッと目をつぶり、事態の深刻さに混乱する頭を必死に動かした。
「くっ!」

 英斗は自然と湧いてくる涙をぬぐいもせず、次に紗雪に叫んだ。

「おい! 紗雪! 紗雪!」

 しかし、自分よりダメージは深いようで、うめき声を上げるばかりで気が付く様子がない。

 その間にもどんどん迫ってくる地面。

 圧倒的な絶望が英斗を襲い、湧きだす涙は風に吹かれて宙を舞った。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、意を決すると紗雪の唇を吸う。初めて自分から紗雪に手を出したのだ。

 柔らかなぷっくりとした唇を割って侵入し、紗雪の舌を探しだす。そして、ありったけの想いをこめて舌を吸い、また、軽く甘噛(あまが)みした。

 英斗の想いは紗雪の脳髄を官能的に揺らす。

 直後、ピクッと反応があり、紗雪の舌が自然と英斗の舌を求め始めた。そして金色に輝き始める紗雪。

「よし! いいぞ!」

 英斗はバッと離れると、レヴィアを抱えながら紗雪のほほを叩いた。

 紗雪はゆっくりとまぶたを開き、ぼーっとしていたが、辺りを見回し、真っ逆さまに堕ちている状況を把握するとバッと大きく見開いた。

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 おびえる紗雪を英斗はギュッと抱きしめ、

「核攻撃を受けた。何とか落ちるのを止められないか?」

 と、紗雪の耳元で頼み込む。もはや紗雪の超常的な力にしか頼れないのだ。

 胸にしがみついて硬直している紗雪の背中を、英斗は優しくトントンと叩き、

「紗雪にならできる。そうだろ?」

 と、耳元で語り掛ける。

 どんな方法があるのかなんてさっぱり分からないが、紗雪もドラゴンの仲間なのだ。きっと空を制するやり方があるに違いない。

 紗雪はしばらく何かを考えると、ゆっくりとうなずいた。

 シャーペンを取り出した紗雪は、下向きに何やら魔法陣を描き始める。

 英斗はレヴィアを抱きしめながら一緒に紗雪の腰にしがみついた。黒光りする光沢のあるタイツ越しに紗雪の体温が感じられ、ちょっとドキドキしながらしっかりと身体を固定させる。

 もう地面激突まで数十秒もないのだ。

 背中からはうなされているようなタニアの声が聞こえる。

「タニアー! もうちょい頑張れ! ママが何とかしてくれるから!」

 英斗は後ろを向いてそう叫びながら、タニアのプニプニの手を優しくなでた。

 直後、紗雪の描いた魔法陣が緑色に輝きを放ち、英斗は目をギュッとつぶってただ紗雪の体温を感じる。

 次の瞬間、紗雪の風魔法が暴風を巻き起こし、一行は噴き上げられる形で少しずつ減速しはじめた。

 元々は攻撃魔法なのだろう。その暴風は容赦なく英斗たちを襲い、服など千切れんばかりにはためいている。しかし、地面に激突することに比べたら我慢できる話だった。

 そっと英斗がうす目を開けると、うっそうと茂る森の木々はいぜんとして徐々に大きくなっていくが、このペースで減速していくなら何とかなりそうだった。

 英斗がホッとしてキノコ雲の方を向くと、爆心地から白い(まゆ)状に広がっていく白い球体が目に入った。


 え……?

 英斗はそれが何かすぐには分からなかった。まるでガチャガチャの透明カプセルみたいに綺麗な球体がどんどんと大きくなっていくのだ。

 しかし、地面の方を見ると、まるで火砕流のように白い(まゆ)が通過していくところはありとあらゆるものがことごとく破壊され、煙の津波に埋もれていっていた。

 そう、それは核爆発のエネルギーの衝撃波だったのだ。

 英斗は真っ青になり、

「紗雪! やばいやばい! 逃げなきゃ!」

 と、叫んだ。

「え?」

 紗雪が顔を上げたが、もう間に合わない。

 白い繭が目の前に大きく広がり、視界を真っ白に変えていく。

「来るぞ! 備えて!」

 英斗はそう叫ぶと紗雪をギュッと抱きしめ、腰のあたりに顔をうずめた。

 刹那、激しい衝撃波が一行を襲う。そのとんでもない核のエネルギーは、みんなをまるでピンポン玉のように弾き飛ばす。その衝撃で散り散りとなった一行は火砕流の爆煙の中に飲みこまれていった。

 英斗はなすすべもなく瓦礫の渦巻く爆流にもみくちゃにされ、意識を失ってしまう。

 後に残されたのは全ての木がなぎ倒された瓦礫だらけのハゲ山で、まさに死の大地が広がるばかりだった。









27. 襲いかかる悪夢

 ピッ、ピッ、ピッ――――。

 電子音の単調なリズム音が聞こえてきて英斗が目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。

 えっ……、あれっ……?

 目をこすりながらバッと体を起こした英斗だったが、あちこちから激痛が走る。

「うっ! 痛てててて……」

 思わず顔をしかめ硬直する英斗。

「うぅぅぅ……。なんだよこれ……」

 腰を押さえながらゆっくりと辺りを見回すと、それは病室のようだった。近未来的なドアの形状からするとエクソダスの中の病院なのかもしれない。

「なんでこんなところに……、あっ!」

 ようやく核攻撃を受けて吹き飛ばされたことを思い出した。あの絶望的な状況から生還したらしい。英斗は両手を眺め、傷一つなくきれいないつもの自分の手であることを確認し、小首をかしげた。

 確かに身体の節々が痛いので、それなりのダメージを受けているようだったが、傷が一つもないのは不自然だった。エクソダスの医療技術が発達しているということなのだろうか?

 隣のベッドを見ると毛布が膨らんでいる。誰かいるようだ。

 英斗は体をいたわりながらそっと床に足を下ろし、隣のベッドをのぞいてみる。

 それは毛布で顔を隠したショートカットの黒髪の少女だった。きっと紗雪だろう。

「さ、紗雪か?」

 声をかけてみると、彼女は毛布をずり上げて隠れてしまった。

「ねぇ、あれから……、どうなったの……かな?」

 恐る恐る聞いてみると、もぞもぞと毛布が動き、隙間から手が伸びてきてスマホを差し出してくる。

「ス、スマホ……? 見ろって?」

 英斗は怪訝に思いながらもスマホを受け取り、画面を見た。そこには動画が映っている。

 再生をタップして英斗は凍り付いた。それは無数の魔物が世界中を破壊しつくしている動画だったのだ。

「え……? これ、本物? 映画とかじゃなくて、リアルなの?」

 海から無数の魔物が次々と上陸し、レーザー光線を乱射しながら街を火に包んでいく。

 東京上空からのドローン映像では、あっという間に海岸線から上がった火の手がどんどんと内陸に進んでいる様子が見て取れた。それはまるで貪欲な炎が東京を食べつくしていくかのように、炎の津波がゆっくりと、しかし確実に全てを炎に沈めていく。

 英斗は凍り付いた。この圧倒的な破壊力に対抗できる力を人類は持ち合わせていない。このままだと人類は滅亡してしまう。

 な、何とかしないと……。

 しかし、この圧倒的な魔物の攻勢を止められる方法など思いつかなかった。タニアに頼んでまた宇宙からの手で押しつぶしてもらおうかとも思ったが、どこを潰すというのだろうか? 東京を丸ごと押しつぶしてしまったらみんな死んでしまう。

 それにこれは録画映像だ。もう全ては終わってしまっているかも知れない。

 やがて、炎の波は英斗たちの街も飲みこみ、全てを灰燼に帰していく。

 あ……、あぁ……。

 英斗はスマホを持つ手が震え、気が遠くなっていく。

 パパもママも、友達も、あの住み慣れた我が家もすべてこの世から消えていく。それはとても信じたくない現実だった。

「な、なんだよこれ!」

 ポトリ、ポトリと落ちる涙をぬぐいもせず、英斗は叫んだ。

 九十万の魔物は地球各地の海の中に隠れており、一気に世界各国の都市を襲い始めたらしい。当然、軍隊も出動したが、圧倒的な数の暴力の前に殲滅され、もはや魔物の破壊を止める方法は残されていなかった。

 うっうっ……。

 紗雪の毛布が揺れる。

 英斗は紗雪の手を取るとギュッと握りしめた。

「もう……、終わりなのよ……、全部終わり。もう生きてる意味なんてないわ!」

 激しい悲しみが紗雪から吹き出す。英斗は返す言葉も見つからず、ただ、呆然としながら涙を流していた。

 確かにみんな死んでしまったら、どう生きて行ったらいいか全く分からない。勉強したって行く大学も無ければ勤める会社もない。気になるマンガもアニメも続きは二度と作られないし、お気に入りのアーティストももう二度と歌わない。農家も漁師もなく、レストランも無ければお菓子もない。瓦礫の山と化した日本で、世界で、自分たちはどうやって生きていくというのだろうか?

 英斗はただゆっくりと紗雪の手をさすった。自分にはもうこんなことしかできなかった。

















28. 究極のオカルト

「ねぇ……、どうしたらいいの?」

 毛布の隙間から泣きはらした紗雪の瞳がのぞく。そこにはクールビューティの冷徹な美しさはみじんもなく、ただの迷える子犬だった。

 英斗はそっと優しく紗雪の髪をなで、涙にぬれるほほに手のひらを当てる。

 紗雪は目をつぶり、英斗の手に自分の手を重ねて大きく息をつく。

 そのなまめかしく動く、赤いぷっくりとした唇に英斗は目が釘付けになった。

 何度もキスを交わした愛しい唇……。

 英斗は吸い寄せられるように近づいていく。

 紗雪は少し驚いた様子を見せたが、うるんだ瞳で英斗をジッと見つめ、次の瞬間貪るように英斗の唇に吸いついた。

 熱いキス。二人は全てを忘れお互いを求めあう。激しく舌をかわし、唇を吸い、また舌を重ねあった。

 苛烈な現実から逃げるように熱く抱きしめあい、ただ、お互いを貪るように全てを吸いつくしていく。

 やがて、英斗は胸に当たっている二つのふくらみに自然と手が伸びていく。まだ発達途中の小ぶりなふくらみではあったが、張りがあってそれでいて柔らかく吸い付くように英斗の手のひらになじんだ。

 いきなりのアクションに紗雪は舌の動きがピタッと止まる。

 しかし、英斗の手はもう止まらない。

 そして、ゆっくりとまた紗雪の舌が動き始め、熱い吐息が漏れた。

 その時だった。

 バシュー!

 と、自動ドアが開き、二人は慌てて飛びのくように離れる。

「おいこら、そこまでにしとけ。病室じゃぞ!」「きゃははは!」
 
 レヴィアはいつもの黒とグレーの近未来的なジャケットの姿で呆れたように言い、タニアは嬉しそうに笑った。

 紗雪は真っ赤になって毛布をかぶり、英斗はバツが悪そうにうつむく。

「まぁ、気持ちは分からんでもない。じゃが、そんなことしてる暇はない。魔王討伐の続きをやるぞ!」

「討伐って……、今さら討伐したってどうしようもないじゃないですか」

 英斗は力なく首を振る。

 レヴィアは静かにじっとうなだれる英斗を見た。

 しばらく何かを考えた末にレヴィアは、うんうんとうなずくと、

「地球を……、死んだ人を元に戻せるとしたら?」

 と、とんでもない事を言い出した。

 は?

 英斗は眉をひそめ、レヴィアを見た。

 レヴィアは、じっと英斗を見つめている。

「何言ってんですか、死んだ人が生き返る訳ないじゃないですか!」

 英斗は荒唐無稽なことを言い出したレヴィアに(いきどお)りを覚え、にらむ。

 しかし、レヴィアは動じない。その真紅の瞳は澄み渡り、とても嘘や冗談を言っている雰囲気ではなかった。

 英斗はどういうことかレヴィアの真意をはかりかね、首をかしげる。

 レヴィアはクスッと笑うと、言った。

「生き返りはありえないと思っとるのか?」

「どんなに医療が発達しても死んだ人は生き返りません。常識ですよ」

 ハッハッハッハ!

 レヴィアは楽しそうに笑った。

「な、何がおかしいんですか!」

 レヴィアはベッドの下からカゴを取り出すと、それを英斗に見せた。

 それはズタズタになったシャツで、赤黒くテカっている。

「これは……、何ですか……?」

 そう言いながら持ち上げて英斗はハッとした。

 それは英斗の着ていたシャツだった。そして、赤黒いのは血の固まったもの。ズタズタになりぐあい、出血量からいって着ていた人は即死に違いない。と言うことは……。英斗は背筋にゾッと冷たいものが流れるのを感じた。

「お主は一度死んだんじゃ」

「……。マジですか……? それでは蘇生の技術がここにはあるって……事ですか?」

 英斗は震える手で、自分の血が真っ黒になって染みついたシャツをまじまじと眺め、呆然とする。

「違うんじゃ。ここでは人は死なんのじゃ」

 レヴィアはそう言ってウンザリしたように肩をすくめた。

 英斗は驚いた。人が死なないとはどういうことだろうか? 全く想像もつかない非科学的な話に頭が付いていかない。

「死なないってどういうことですか? そんなこと……、あるんですか?」

「ここは流刑地といったろ? ここの食べ物を一度でも口にしたものは、ここでは人は年も取らないし死んでも生き返ってしまうんじゃ。死なずに無限の時を反省し続けろって事じゃろうな」

「ま、まさか……」

 英斗は青くなる。そんなバカげたことが現実にあるとはとても思えなかったが、それでもこのシャツを見れば自分が一度死んだこと自体は認めざるを得ない。あの核爆発の膨大なエネルギーの火砕流に飲みこまれて、生き残れる方がオカシイのだ。

 今生きている自分自身の身体が不老不死を証明してしまっている。そんなオカルトめいた事実が英斗の心を言いようなく不安にさせた。









29. 不老不死の恐怖

「もちろん、地球だったら死ぬぞ。紗雪の祖先だってみんな死んどるからな。じゃが、ここにいたら死なんのじゃ」

 エクソダスがここに墜落(ついらく)してから五百年、それでもレヴィアの身体は子供のままだ。その理由が不老不死にあるとすれば辻褄(つじつま)があわないこともない。

「では、死んだ日本のみんなも生き返らせられる?」

「原理的には可能じゃろうな」

 レヴィアは淡々と言うが、そんな荒唐無稽なことをどう理解していいのか分からず、英斗は言葉を失った。

 するといきなり毛布を跳ね上げて紗雪が起き上がり、

「ど、どうしたらいいんですか?」

 と、叫んだ。その悲痛な瞳には光が戻り、一縷(いちる)の望みに託す切実な想いが浮かんでいた。

「分からん」

 首を振るレヴィア。

「分からんってどういうことですか?」

 英斗は食って掛かる。

「まぁ、おちつけ。全ては女神さまの(おぼ)()しじゃ」

「女神……?」

「このエクソダスを撃墜した憎っくき神様じゃな」

 レヴィアは肩をすくめ、渋い顔で答える。

「じゃあ、女神さまに会って、地球を元に戻してくれって頼めばいいって事ですね?」

 英斗はレヴィアに迫り、手をつかんだ。

「まぁ、そうじゃな。そもそもこの流刑地からの攻撃で地球は滅亡しかかってるんじゃから、元に戻す理由にはなるじゃろう」

 紗雪も身を乗り出して聞く。

「どこに女神さまはいるんですか?」

「分からん。分からんが、魔王は知っているようじゃ」

「魔王……?」

 紗雪は眉をひそめ、英斗と目を合わせた。

 地球を滅ぼしている悪の権化(ごんげ)が救済の手がかりを持っている。それがどういうことなのかいまいち二人にはピンとこなかった。

「魔王は以前『女神に復讐してやる!』と、息巻いておったから、女神さまについての情報を持っているようなんじゃ」

「女神に復讐……、彼もここに閉じ込められたということなんですかね?」

「龍族と一緒じゃな。何か女神さまの逆鱗に触れることをして飛ばされたんじゃろう。あの魔物を創る能力が関係してるかもしれんな」

「魔物で悪さをしたとか……、ですかね?」

「その辺りじゃろうな。何しろ嫌な奴じゃ」

 レヴィアは目をつぶり、肩をすくめた。


      ◇


 レヴィアから現状と今後の作戦についての説明が続いた――――。

 地球では七十億人以上が死に、いまだに魔物の攻勢は衰えていないそうだ。人類はもう長くはもたないだろう。しかし、地球制覇が終われば九十万の魔物の大群はこちらに戻ってきてしまう。そうなればここも無事ではすまない。それまでの間に魔王を仕留めるしかもはや道はないとのことだった。

 今やるべきことは本当にそれなのかすら確信が持てないまま、英斗はフワフワした気分でただ相槌を打っていた。

 説明が終わるころには陽はすっかりと沈み、窓の向こうではたなびく雲が茜色に輝いている。

 英斗は広いバルコニーに出ると伸びをして、少し冷たくなってきた空気を大きく吸い込んだ。

 そして手すりに腕を預けながら徐々に鮮やかさを増していく茜雲を眺める。

 死んでしまった両親や友人、滅んでしまった日本、もはや当たり前のように続いていた愛しい日々は(つい)えた。ただ、まだどこかでそれが自分の中では()に落ちていない。

『自分の目で確かめるまでは信じられない……』英斗はそう思ったが、実際のところは信じたくないだけだった。多分それを受け入れてしまったら心が崩壊してしまいかねないので、心が自然とブレーキをかけているのだろう。

 英斗はふぅと大きく息をつき、うなだれる。

「英ちゃん?」

 気がつくと紗雪が隣にいた。うすいピンクの入院服をまとい、心配そうに英斗の顔をのぞきこんでいる。

 英斗は両手で顔をこすり、

「あ、ああ、紗雪。どうしたんだ?」

 と、無理ににこやかな顔を作って答えた。

「魔王討伐だけど……、本当に……続ける?」

 紗雪は困惑する思いを素直に口にしてうつむく。

 ふぅと英斗は大きく息をついた。

 レヴィアの言うことには筋が通っている。確かに女神という超常的存在に頼るしか今はもう道はないし、そのために魔王を制圧することは必須条件だ。しかし……。

 英斗は頭を抱えて首を振る。

 女神になんて本当に会えるのか? 女神は地球を再生なんてしてくれるのか? ということを考え出すとどう考えても上手く行きそうになかった。

 しかし、やらないというのであれば自分たちを待つのは死だけだ。さらにたちが悪いことに、ここでは死なないらしいから永久に苦しみ続けるような末路が待っているのかもしれない。

 今回も誰かが瓦礫の中から自分を掘り出してくれたから、ベッドの上で蘇生ができたが、もしそのままだったら、瓦礫の中で永遠に苦しみ続けていたのかもしれないのだ。

 英斗は死なない事の本当の恐ろしさをここで初めて実感し、ブルっと体を震わせた。

 もしかしたら地球へ行って自殺することが本当は正解なのかもしれない。英斗はそんな発想にハッとして自分が恐くなり、胸がキュッと痛んだ。










30.バカバカバカバカ!

 英斗は首をブンブンと振り、後ろ向きな発想を振り払う。

 ネガティブな思いに負けないためには希望を追うしか道はない。たとえ可能性がほとんど無くても、今はレヴィアの無理筋のプランに乗る以外道はなさそうだった。

 英斗は自分の頬を両手でパンパンと叩き、気合いを入れなおすと、紗雪の手を取り、うるんだ瞳を見つめ、

「大丈夫! 女神さまに地球を再生してもらおう」

 と、笑みかける。

 紗雪は口をとがらせベソをかきいていたが、他に道が無いことも分かっているのだろう。ゆっくりとうなずいた。

「『できる』と思っていれば道は開けるよ。一緒に頑張ろう」

 英斗は必死に鼓舞する。我ながら無責任なことを言っているとの自覚はある。しかし、中途半端な取り組み方では絶対に上手く行かない。やると決めたら全力でやる以外ないのだ。

 しかし、紗雪は無言でうなだれている。

 英斗は大きく息をつくと紗雪を自分の方へと向かせ、やさしく両手で抱き着いた。

 えっ!?

 小声で驚く紗雪。

「大丈夫、僕がついてるよ」

 耳元でそう言って優しく紗雪の黒髪をなでた。ふんわりと柔らかい柑橘系の香りに包まれながら、ちょっと調子に乗りすぎてしまったかと英斗は苦笑する。

 紗雪はキュッと口を結ぶと、静かにうなずいた。

 群青色から茜色への美しいグラデーションの夕暮れ空を風が踊り、サワサワと木々の葉を揺らしていく。

 故郷を失い、たった二人の日本人となった二人はお互いの体温を感じながら底なしの不安に何とか抗おうと必死にもがいていた。


       ◇


 やがて紗雪が大きく息をつく。こわばっていた身体からも力みが抜けたようだった。

「あの……」

 紗雪が真っ赤になって口を開いた。

「どうした?」

 紗雪は英斗の手をギュッと握り、

「私、英ちゃんにひどいこといっぱいしちゃった……」

 と、小声で言うと胸に顔をうずめた。

 英斗はそのしおらしい紗雪を見て、こみあげてくるおかしさをこらえきれず、クスクスと笑った。

「な、何がおかしいのよぉ」

 紗雪は泣きそうな顔で英斗をにらむ。

「ごめんごめん。僕はそんなこと全く何にも気にしてないんだよ。紗雪は僕のところに戻ってきてくれた。もうそれだけで十分なんだよ」

 英斗は優しい目で紗雪のほほをなでた。

 紗雪はボッと一気に顔を真っ赤にすると英斗の胸に顔をうずめ、

「バカ!」

 と、照れ隠しに怒った。

 英斗は顔いっぱいに幸せを浮かべ、サラサラとした美しい黒髪を優しくなでる。絶望の中でただ一つのよりどころとなってしまった紗雪。こみあげてくる限りない愛しさに英斗はしばらく言葉を失い、ただじんわりと伝わってくる紗雪の体温を感じていた。

 紗雪がいなければ今頃日本で魔物たちに殺されていただけの人生だったが、いまだに生きながらえて大逆転のチャンスをうかがえている。見方によってはそれはまさに奇跡だった。

「もしかして……」

 紗雪はピクッと動いてつぶやく。

「え?」

「あの時、寝たふりしてたでしょ?」

 紗雪はジロリと英斗を見上げた。

「あ、あ、あの時って……どの時?」

 英斗は紗雪の気迫に気おされ、しどろもどろに返す。

「『どの』って……。もしかして全部!?」

 真っ赤になる紗雪。

「い、いや、そのぉ……」

「バカバカバカバカ!」

 紗雪は英斗の胸をベチベチと叩いた。

「ごめんごめん。なかなか言い出せなくてさ……」

 紗雪は口をとがらせ、涙目で英斗をにらむ。

 英斗はそんな紗雪を限りなく愛おしく感じ、ニコッと笑うとそっとすべすべのほほをなでた。

 紗雪はピクッとして恥ずかしそうにうつむく。

「ごめんね」

 英斗が耳元でささやくと、紗雪は英斗を見上げた。

 キュッキュと澄み通るこげ茶色の瞳が動き、英斗はそのギリシャ彫刻のような端正な紗雪の美貌に引き込まれていく。

 次の瞬間、紗雪はそっと目を閉じた。

 英斗は一瞬驚き、困惑する。

 これは……、そう言うことなのだろう。

 おねだりするかのようにぷっくりとした紅い唇がかすかに動く。

 早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、英斗は大きく息をつくとそっと唇を近づけていった。
 コホン!

 咳払いが聞こえ、二人はハッとしてあわてて離れる。

「悪いがヘルスチェックの時間じゃ。今、パワーアップされると困っちゃうんでな」

 レヴィアはニヤニヤしながら、言った。

 二人は真っ赤になってモジモジとしている。

「お、魔王の拠点が見えるじゃないか!」

 レヴィアはそう言って遠くの山の方を指さした。

 二人は驚き、指の指す方を見る。

 そこには、水色にボーっと輝いているドーム状のものが小さく見えた。それは遠くの山脈の切れ目に、まるでイルミネーションのような鮮やかな彩りを与えている。

「えっ? あれ……、ですか?」

 英斗は弱い近視を補うように目を細め、必死に目を凝らしながら聞く。

「さよう。あの水色は巨大シールドじゃな。火山丸ごと覆っておるんじゃ」

「シールド……?」

「物理攻撃を一切通さない厄介な膜じゃな。そんな長時間維持はできんと思うんじゃが、今回は我々にも時間がない。面倒な話じゃよ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「ど、どうやって突破するんですか?」

「今、工作隊が秘かにトンネルを掘っている。明日の朝には内部に到達するからそれからがお主らの出番じゃ」

 レヴィアはニヤリと笑って二人を見る。

「魔王は……、あの中にいるんですね?」

 紗雪は眉をひそめながら聞く。その顔には重すぎる任務に対する悲壮感が浮かんでいた。

 核攻撃も辞さない深刻な人類の敵、そして逆転の手がかりを握る中年男。それが鉄壁な守りを展開する火山に立てこもっている。とても一筋縄ではいきそうにない。

 紗雪は美しい顔を曇らせ、ため息をついてうなだれる。

 英斗はそんな紗雪の肩をポンポンと叩き、

「僕がついてる。一緒に行こう」

 と、言いながら優しくハグをした。


        ◇


 翌朝、タニアを含めた一行はレヴィアの背に乗って火山を目指す――――。

 レヴィアは力強く飛び上がると、バサッバサッと巨大な翼をはばたかせ、朝の冷たい空気を切り裂きながら一気に高度を上げていった。

 みるみる小さくなっていくエクソダス。上空から見ると巨大なパラボラのノズルスカートの形がよく分かり、宇宙船の形をしているのが良く見えた。今度は死に戻りではなくちゃんと戻ってきたいと思いながらも、ミッションの難易度はむしろ前回より高く、気が重くなる英斗だった。

 英斗は大きくため息をつき、抱えたタニアの頭をなでながら、昇ってくる真っ赤な太陽を渋い顔で眺めた。

 ふと見ると、紗雪はそんな英斗をジッと心配そうに見つめている。

 英斗は、失敗したと思い、慌ててグッとサムアップして無理に笑顔を作る。

 自分なんかより前衛の紗雪の方が圧倒的に不安は大きいはずだ。自分が士気を下げるようなことをしてはならないと、英斗は気合を入れなおした。

 レヴィアは力強く羽ばたくと雲を抜け、さらに高度を上げながら眩しい朝日を浴びながら火山を目指し飛んでいく。

 タニアは飛んでいく大きな鳥の群れを見つけて指さし、キャハッ! と嬉しそうな歓声を上げて英斗を見上げる。

 英斗はそんなタニアの頭をそっとなで、マシュマロのようなプニプニのほっぺたを軽くつまんだ。

 きゃははは!

 タニアは楽しそうに笑い、英斗の心にのしかかる重しをひと時軽く癒したのだった。


        ◇


 火山を見渡せる稜線へと降りてきた一行――――。

 目の前には半透明の巨大なシールドのドームが水色に輝きながら火山全体を覆っている。高さは五キロほどはあるだろうか、その遠近感が狂う圧倒的な大きさに英斗は気おされ、改めて魔王の型破りな技術力、実践力に舌を巻いた。女神と過去にいろいろあったらしいという魔王は、その存在自体が神に近いのかもしれない。

 ズン! ズン! と腹に響く爆発音が響いてくる。

 見下ろすと警護の魔物たちと黄龍隊らしきドラゴンがすでに戦闘を行っている。地下を掘り進んでいる工作隊がバレないようにする陽動作戦なのかもしれない。

 レヴィアはドラゴンのままシールドのドームを忌々しそうに見つめると、

「核融合炉出力最大! 充填でき次第全砲門ポイントAに全力砲撃!」

 と、重低音の声を上げた。エクソダスに通信しているらしい。

 いよいよ始まる魔王討伐の第二弾。倒すだけでよかった前回とは重みが全然違う。

 英斗は稜線を渡る強い風に髪を揺らしながら、キュッと口を結んでこれからの戦闘にブルっと武者震いをした。













32. 不可解なオーロラ

「お主、何やっとる。()よ準備せんかい」

 レヴィアは巨大な真紅の瞳をギロリと光らせ、英斗に小声で伝える。

「えっ!? じゅ、準備って?」

 あわてる英斗に、レヴィアはあごをシャクって紗雪を指した。

「ぼ、僕から行くんですか?」

「昨日は自分から行っとったじゃろ?」

 ニヤッと笑うレヴィア。

「み、見てたんですか!?」

 英斗は真っ赤になって目をギュッとつぶり、顔をそむけた。

「重篤なけが人を観察するのは基本じゃからな。じゃが、健全で安心したぞ。ガハハハ」

 英斗はチラッと紗雪の方を見る。

 紗雪は大きな岩の上に立って黄龍隊の戦いっぷりを真剣に見つめていた。

 ふぅと大きく息をつくと英斗は覚悟を決め、紗雪のところまで行って、

「紗雪、ちょっと……」

 と、声をかけて手招きした。

「何?」

 キョトンとする紗雪。

「そろそろ準備を……」

 そう言いながら赤くなってうつむく英斗。

「準備……? あっ!」

 そう言って真っ赤になる紗雪。

「あっちに行こう」

 英斗は紗雪の手を取ると林の中へといざなった。


      ◇


 カサカサと落ち葉を踏み分けながら紗雪は沈んだ声で言った。

「ねぇ……、私たち勝てるかしら?」

 確かにあんな巨大で壮麗なシールドを展開する魔王にたった四人で突っ込んでいく、それも完全なアウェイで。勝率は限りなく小さく見える。不安になるのは仕方ないだろう。

「もちろん勝てるよ!」

 英斗はニコッと笑って返したが、言っていて自分でも無責任に感じてしまう。

「ありがと……、でも本当は……どう考えてるの?」

 紗雪は上目づかいで聞いてくる。

 英斗は足を止め、大きく息をついてうんうんとうなずくと、紗雪をじっと見つめて答える。

「正直勝てるかどうかは時の運だね。でも勝つと信じてる人だけが勝てるって思うんだ」

 紗雪は目をつぶり、しばらく考えこむ。

 高いとは言えない成功確率。でも、それはゼロじゃない。であればそれをどうたぐり寄せるかだけがポイントなのだ。

 そもそも一度は死んだ命である。惜しんでいるような話でもない。成功を信じて全力を尽くすこと、それが今やるべきことだろう。

 紗雪はギュッとこぶしを握り、カッと目を見開いた。その瞳には決意が浮かんでいる。

「ありがと!」

 英斗に笑いかける紗雪。

 そして、すっと歩み寄り、唇を近づけてくる。

 英斗も自然にそれを受け入れた。

 決戦前の熱いキス。二人は舌を絡ませ、またお互いの舌を吸った。もしかしたら最後のキスになってしまうかもしれないという想いが二人を熱く求めあわせていく。

 やがてズン、ズンという激しい爆発音が響き始める。エクソダスからの粒子砲の攻撃が始まったらしい。

 英斗は紗雪からそっと離れる。

 紗雪は眉をひそめ、うるんだ瞳で『もっと』と、訴える。

 もちろん、いつまでも求めあっていたいのは英斗も同じだったが、さすがに戻らねばならないだろう。

 英斗は唇にチュッと軽くキスをするとニコッと笑いかけ、紗雪は口をとがらせて伏し目がちにうなずいた。


      ◇


 レヴィアのところへ戻ると、シールドのドームに次々と爆発が起こり、爆炎が上がっている様子がよく見えた。

 粒子砲はドームの一点を次々と狙い撃ちし、シールドは徐々にダメージが蓄積していっているように見える。

 さらに怒涛のような連射が加わり、やがて、シールドを突き抜け、火山で爆発が起こる。

「よっしゃぁ!」

 レヴィアはガッツポーズしながら重低音で吠えた。

「おぉ! シールド破れるんですね」

 英斗は晴れやかな顔で声をかける。

 すると、ドームの頂上から打ち上げ花火のように虹色に輝く光の玉が射出され、宇宙へ向かって一直線へと飛び上がっていった。

 光の玉はオーロラのような不思議な光の幕を周りに形作りながら上昇し、辺り一面を幻想的な光のアートへと変えていく。

 何だろう? と思った瞬間だった。

 目の前に広がったのはたくさんの落ち葉、そしてうっそうとした森の木々……。

 へ?

 直後、全身に激痛が走り、のたうち回る。

 英斗はなぜか全身傷だらけで森の中で寝っ転がっていたのだ。

 着ていた服はズタズタで、英斗は額から垂れてくる鮮血に視界が赤く染まり、言葉を失った。

『一体何をされた?』

 英斗は激しく早鐘を打つ鼓動を聞きながら、冷汗をタラリと流す。

 オーロラを眺めたら血だらけになって転がっていた。吹き飛ばされて転がされたということだろうが、攻撃を受けた記憶もない。攻撃のショックで記憶を失ったのなら、オーロラの記憶もあやふやになっているはずだがそこは鮮明である。まるで時間を止められている間に攻撃を受けたような不気味で異質な攻撃だった。

 どんな攻撃か分からなければまたくらってしまうかもしれない。英斗は極めて面倒な事態になってしまったことにウンザリしながら額から垂れてくる血を手で拭った。









33. 可愛いスライム

「み、みんなは……?」

 英斗は傷だらけの身体を何とか持ち上げ、足を引きずりながら斜面を登り、稜線を目指す。

 林を抜けると、レヴィアが倒れているのが見えた。巨大なドラゴンのどてっぱらに大穴が開き、おびただしい血が流れ出している。地面には血液がまるで小川のようにちょろちょろと流れ、くぼみには赤黒い血だまりができていた。

 あわわわわ……。

 英斗はその凄惨な情景に思わずよろけ、ペタンと座り込んでしまう。

 あの頼もしいドラゴンが倒されてしまった。それは英斗の心を折るのに十分なインパクトをもって脳髄を揺らす。もはや魔王討伐どころではない。

「そ、そうだ、紗雪とタニアは?」

 英斗はガクガクと震えるひざに(むち)を打ち、よろよろと立ち上がって辺りを見回すと、向こうの林の方に銀色の輝きが見えた。紗雪のジャケットに違いない。

「さ、紗雪ーーーー!」

 英斗は、叫びながらヨタヨタとしながら必死に足を動かし、紗雪を目指した。かなりの距離を吹き飛ばされてしまっていてダメージが心配だ。

 近づくと紗雪は藪の中でぐったりとしている。顔は傷もなく綺麗で安心したが、血色が悪い。

「お、おい、大丈夫か!?」

 英斗は声をかけてみるが返事がない。

「お、おいって……」
 
 英斗はほほを軽く叩いてみる。すると、口から真っ赤な鮮血がタラリと流れだした。

 ひっ!

 あわてて身体を調べると、太い枝が紗雪の胸を貫通するという絶望が目に入ってくる。

 英斗は声にならない声を上げながらしりもちをついてしまった。血のりのべったりとついた太い枝のあたりからはおびただしい血が流れた跡があり、見るからに即死という状況である。

 英斗は凄惨な状況に声を失い、ガタガタと震えながら首を振り、後ずさった。

 次々と失われていく命。一体何がおこっているのかわからず、英斗は青い顔をしながら紗雪のきれいな死に顔を見つめていた。

 さっきまでみずみずしく、熱いキスを交わした唇も今や青くなり、石の彫刻のようになってしまっている。

「う、嘘だろ。おい……」

 自然と湧いてくる涙をぬぐいもせず、英斗はただ紗雪に話しかける。しかし、紗雪はもはやピクリとも動かなかった。

 あ……、あぁ……。

 どうしたらいいか分からず、英斗は力なく紗雪に手を伸ばし……そしてガックリとうなだれた。

 と、その時、青白い光が紗雪から放たれ始める。

 え?

 英斗はその神聖な淡い輝きを不思議そうに見つめる。

 やがて紗雪の身体が徐々に色を失い始め、透明になっていく。

 一体何が起こっているのか分からず、英斗は呆然としながらガラスみたいになっていく紗雪を眺めていた。

 紗雪がすっかり透明な水色になった時だった、いきなりドロリと液体になって紗雪が流れ出す。

 死体が溶けていく、そんな想像もしない出来事に英斗は驚き、思わず飛びのいた。

 流れ出した水色の液体はやがてくぼみのところに集まり、神聖な水色の光を放ちながら球体となり、大きく育っていく。

 最終的に紗雪はまるで魔物のスライムのようになってしまった。

 英斗はこの不可思議な現象に圧倒され、首をひねる。

 レヴィアはこの世界では自分たちは不老不死だと言っていた。であるならば、これは紗雪が再生するプロセスなのだろう。しかし、スライムがどうやって紗雪になるのか見当もつかなかった。

 神々しい光を放つ水色のスライム。英斗は次はどうなるのかドキドキしながらじっと眺めていた。

 いつまで経っても何も変わらないと思っていた英斗だったが、よく見るとスライムの内部に金色に輝く小さなかけらがあることに気が付いた。

 英斗は急いでスライムに近づき、そっとそのかけらを見つめる。それは小さすぎて良く分からなかったが小魚のシラスのような形に見えた。なぜスライムの中に魚が生まれたのかよく分からず首をひねる英斗。

 徐々に大きくなってきた魚は頭が丸くなり、小さなクリっとした目が付いた。

 英斗はハッとする。ここに来てようやくこれが人間の胎児だということに気が付いたのだった。そう、きっとこれは受精卵から赤ちゃんになる過程なのだ。

 さらに胎児は大きくなっていき、水色のスライムの中で立派な赤ちゃんへと成長していく。それはまさに生命の神秘ではあったが、本来お母さんのおなかの中で十カ月かかるプロセスを数十分で再現している。こんなので本当に大丈夫なのだろうか?

 そろそろ出産となってスライムから出てくるのかと思ったが、赤ちゃんはそのままスライムの中で成長を続けていく。

 (たま)のようにかわいい赤ちゃんがスライムの中でピクピクと手足を動かしている。その顔はどことなく紗雪の面影が感じられた。

 紗雪が戻ってくる。それは絶望に打ちひしがれた英斗にとっては福音だったが、不老不死という自然の摂理を無視したこの世界の奇妙な力はまた別の不安を呼び起こす。

 こんな復活方法があるとしたら自分たち人間は何なんだろう? 今まで培った記憶や経験はどうなってしまうのだろうか? 次々と湧きおこる疑問に首をひねりながら、英斗は静かに可愛い赤ちゃんを眺めていた。












34. バチーン!

 さらに大きくなっていく赤ちゃんは保育園児くらいにまで育ってきた。ここまでくるともう記憶の中にある紗雪そのものである。一緒に公園で駆けずり回っていたころの紗雪を思い出し、英斗は思わず顔をほころばせた。

 ここに来て英斗は、昨日自分もこうだったに違いないことに気がつく。自分が昨日、一度死んで受精卵からやり直したという荒唐無稽な話をどう理解したらいいか分からず、英斗は首をひねり、眉をしかめた。

 もし、本当に再生したのなら何か証拠があるはずである。英斗は自分の両手をじっと見つめ、ふと思いついて自分のひじを見てみた。子供の頃に側溝に落ちて、その時にコンクリートのエッジで思いっきり切ってしまった大きな傷跡が、ここに残っているはずである。

 首をひねってひじをのぞきこむ英斗。しかし、そこはつるっとしていて傷跡など全く見えなかった。

 えっ……?

 英斗は青い顔をして頭を抱え、大きく息をつく。これまで何度も何度も見て気になっていた肉の盛り上がった不格好な傷跡、それがない。この身体はすでに愛着のある自分の身体ではなかったのだ。自分は今、スライムになって再生された第二の身体にいる。

 しかし、身体が違っても自分だと感じてしまう。これは一体なんなのだろうか? 自分という存在は脳の中に宿っているのではなかったのか? 一体魂はどこにあるのか? 英斗は知ってはならないこの世界の真実に触れた気がして、背筋にゾクッと冷たいものが流れるのを感じた。

 そうこうしているうちにも紗雪は成長し、スライムの膜の中でひざを抱えた姿勢でゆったりと揺れ動いている。森の中で水の珠に閉じ込められた美少女、それはアートを超えた神々しさをはらみ、触れてはいけない神聖な輝きを放っていた。

 やがて胸が膨らみ始める。透き通るような白い肌が静かにゆっくりと盛り上がり、美しい紡錘形を形作っていく。そこには神秘的な美が宿り、英斗は目が釘付けになって思わずゴクリと唾をのんだ。

『見ちゃダメ!』

 英斗は頭にこだまする心の声を聞き、正気を取り戻す。ギュッと目をつぶると大きく息をつき、服を取りに歩き出した。

 枝に刺さった服と下着を回収していると、バシャ! という音がする。見るとスライムの膜が破け、羊水とともに紗雪が出てきていた。

 落ち葉の地面に横たわる裸体の美少女。

 英斗はあわてて駆け寄ってジャケットをかぶせ、抱き起こすとハンカチで顔をぬぐってあげた。

 直後、ゴポォと勢いよく羊水を吐き出し、咳をする紗雪。

 英斗は急いで背中をさすってあげる。

 紗雪はまぶたをゆっくりと開けた。澄み通るこげ茶色の瞳がキュッキュと動き、やがて英斗を見つめる。

 一瞬どうなるのかと構えた英斗だったが、紗雪はいつもの調子で、

「あら、英ちゃん……。どうしたの?」

 と、笑いかける。

 英斗は言葉に詰まる。さっきまで胎児だった人に『どうしたの?』と、聞かれてもどう答えていいか分からなかったのだ。

 困惑している英斗にいぶかしく思った紗雪は、自分が素っ裸でびしょぬれなことに気が付く。

「きゃぁ! 何よこれ! エッチー!」

 バチーン!

 森に盛大なビンタの音が響き渡る。

 あひぃ……。

 英斗はいきなりの攻撃に対応が遅れ、まともに食らって思わずしりもちをついた。

 ふーふーと息を荒くしながら、真っ赤になって英斗をにらんだ紗雪だったが、辺りを見回して首をかしげた。彼女にとってみれば、オーロラを見上げていた次の記憶が英斗に顔を拭かれているものだったのだ。

「紗雪は生き返ったんだよ」

 英斗は叩かれたところをさすりながら言った。

「生き……返った?」

「そう、別に僕が脱がした訳じゃないよ」

 英斗は渋い顔で説明する。

「えっ……あっ……そ、そうなのね……」

 紗雪は真っ赤になって小さくなり、申し訳なさそうにジャケットを整えた。

「レヴィアさんとかも死んじゃったから見に行ってるね」

 英斗はそう言って立ち上がって歩き始める。

『確かに気が付いたら裸体だったら正気ではいられないよなぁ』と、英斗は理解はするものの、我慢したのに叩かれたことには納得がいかなかった。さらに、さっきまで胎児だったのに記憶も人格もしっかりと連続していることを確認して、人間とは何なのだろう? という悩みがまた深くなってしまう。

 紗雪は、申し訳なさそうにもじもじしながら、

「英ちゃん……、ゴメン……」

 と、謝った。

 英斗は振り向かずにサムアップすると、そのままレヴィアの方へと進んで行った。









35. 本番

 稜線に戻ってくると、レヴィアもびしょぬれの金髪おかっぱの少女姿で倒れていた。

 紗雪と同じく受精卵から再生されたのだろう。まだ幼いながら、その透き通るような肌の美しい裸体は英斗には目の毒だった。

 英斗は顔を赤くして顔を背けながら、タオルで胸を覆ってレヴィアを抱き起こす。

 う……、うぅ……。

 眉間にしわを寄せ、うめくレヴィア。

 白い肌に整った目鼻立ち、長い金色のまつげが美しくカールしている。どことなく紗雪にも通じるものがあり、血のつながりがあるのかもしれない。

「レヴィアさん、起きてください」

 英斗はほほをペチペチと叩き、声をかける。

 レヴィアはゆっくりとまぶたを開け、

「ん? んん……?」

 と、辺りを見回す。そして、素っ裸でびしょぬれの自分を見て、

「我は死んどったのか?」

 と、ウンザリしたような表情で英斗を見上げた。

 英斗は水のしたたる美少女に少しドキッとしながら、真紅の瞳を見つめてゆっくりとうなずいた。

 きゃははは!

 林の方から元気な笑い声が聞こえ、見下ろすとタニアが素っ裸でトコトコと歩いてくる。これで全員無事ということではあるが、唯一死ななかった英斗だけが全身傷だらけで痛みをこらえているのは何だか腑に落ちず、英斗は首を傾げた。


      ◇


 一行は地下に掘られたベースキャンプに後退し、被害状況を確認する。

 記録班の映像を見ると、オーロラが展開された直後、英斗たちも黄龍隊もすべて動かなくなり、そこに火山の砲門から次々と砲撃を当てられていたようだった。

 オーロラには意識を断つ機能があったらしい。レヴィアたちも知らない新兵器を投入してくる魔王の底知れなさに、英斗は渋い顔をして映像を見つめていた。

 自分のことを『特異点』と呼び、部下にしようとした小太りの中年男、魔王。彼が一体何を考え、何を目指しているのかさっぱり分からない。誰しも何らかの意図があって動いているものだが、魔王に限って言えばそれが滅茶苦茶だった。

『女神に復讐』というのが本当なら女神と直接やってもらえばいい話で人類は関係ない。なぜ滅ぼす必要があるのか?

 英斗は大きくため息をつき、肩をすくめた。

 ズン! ズーン!

 地響きが響いてくる。魔物たちの攻撃が始まったようだった。

 ベースキャンプは小さなドーム状のシールドで覆われ、魔物たちの攻撃から耐えていたが、いつまでも耐え続けられるわけではない。一行と黄龍隊は急いで再度攻撃の態勢を整えていく。

 明り取りの穴から見上げると、パピヨールたちが上空で群れてレーザー攻撃をシールドに雨のように降らし、爆音の嵐を奏でている。このままだとシールドを突破されるのも時間の問題のように思えた。

 気が気でない英斗はそわそわしてしまうが、紗雪は堂々としたもので、タニアをひざに乗せて一緒に手遊びをしている。

「これ、大丈夫なのかな?」

 英斗は眉をひそめながら紗雪に声をかける。

「ダメならまた生き返るだけだわ」

 紗雪は覚悟を決めた様子でそう言うと、タニアをキュッと抱きしめた。

 タニアはきゃははは! と、嬉しそうに笑い、紗雪はその楽しそうな顔に癒され、優しい顔をする。

『生き返ればいい』

 理屈ではそうなのだが、そう簡単に割り切れない英斗は渋い顔でため息をついた。

 それにしても死に戻りを計算するなんてまるでゲームの世界である。なぜ、こんなリアルな世界でゲームみたいな戦略が成り立ってしまうのか英斗は困惑し、首をかしげた。


      ◇


 タッタッタと軽快な足音が通路の穴の方から響いてきて、

「さて、そろそろ本番じゃ!」

 と、レヴィアが顔を出して言った。

「魔物を倒すんですか?」

「そんなのは黄龍隊に任せとけ。ワシらは一気に火山へ行くぞ!」

 そう言いながら手招きをした。

 一気に魔王のいる火山へ行くというレヴィアの言葉に、英斗の心臓がドクンと高鳴る。いきなり核心がやってきてしまったのだ。

 緊張でこわばっている英斗の肩を紗雪はポンポンと叩き、

「大丈夫よ。『僕がついてる』んでしょ?」

 と、言ってニコッと笑った。その笑顔には曇り一つなく、まるで吹っ切れたように明るい表情だった。

「え? いや、まぁ、そうなんだけど……」

 英斗は生き返ってからすっかりポジティブになった紗雪に、少し違和感を感じながらも、自分の言葉を使われては反論もできない。

 大きく息をつき、パンパンと自分の頬を両手で張った英斗は、

「大丈夫、行こう!」

 と笑顔を見せてレヴィアの後を追った。
 ベースキャンプから工作隊によって何キロも掘られたトンネルを、速足で進む一行。暗く、足場は悪い中を少しかがみながら進むのでかなり疲れるが、そんなことも言っていられない。

 小一時間進んだだろうか、向こうの方に明かりが見えてきた。ようやく出口らしい。

 英斗は一瞬安堵したが、これから苛烈な命のやり取りが始まることを思い出し、キュッと唇をかんだ。

 出口の所では、ヘッドライトつきヘルメットに泥だらけのつなぎを着た工作隊の若い男たちが待っていた。夜通し穴を掘り続けたその表情には疲れが見えるが、それでも重要な仕事をこなした達成感が浮かんでいる。

「棟梁! 皆さん! 託しましたよ!」

 代表の男はヘルメットを脱いでそう言うと、背筋を伸ばし胸に手を当て、他の男も続いた。前回、魔王城を崩壊させた一行の功績は龍族の中ではとても高く評価され、今回もみんなの期待が英斗らに向けられている。五百年間苦しめられたにっくき魔王城から魔王が逃げ出す動画は、みんなが何度も再生していた程だった。

「任せとけ! 五百年の恨み、キッチリ晴らして見せる!」

 レヴィアはそう言って代表の男の肩をバシッと叩き、サムアップすると、はしごを登って地上を目指す。成功確率なんて高くない挑戦ではあるが、リーダーとしてはそう言う以外ないのだろう。英斗は上に立つ者の辛さをひしひしと感じた。

 英斗も激励を受け、軽く会釈をすると逃げるようにレヴィアに続く。

 もう自分たちの挑戦には多くの人たちの希望がかかってしまっている。人類のためだけではなく、必死に道を切り開いた彼らや黄龍隊のためにも結果を出さねばならない。

 英斗はどんどんと積み重なる重圧に押しつぶされないよう、必死に深呼吸を繰り返し、成功を祈った。


        ◇


 はしごを登りきって穴を抜けると、そこは静謐(せいひつ)な森だった。高い(こずえ)からの木漏れ日がチラチラと英斗を照らし、チチッチチッという小鳥のさえずりが響き、トンネルを無事抜けたことを祝ってくれているかのようである。

 時折、ドーン、ドーンと戦闘音が聞こえてくるが、シールドの向こうでの音はあまり伝わってこないようだった。

 少し歩くと、高い木々のさらに上に、荒々しい岩肌を見せる火山がそびえているのが見えてくる。魔王はここにいるのだ。

 先頭を歩いていたレヴィアはくるっと振り返り、

「よーし、お前ら戦闘準備!」

 と、紗雪と英斗を見てニヤッと笑う。

 え?

 ポカンとする英斗の手を紗雪はキュッと握ると、

「行きましょ!」

 と、言って、そばの大樹の裏へといざなった。

 英斗はようやくどういうことか理解した。これからの戦いに向けて気を引き締めているのに、この【戦闘準備】はそれとは逆の力を揺り起こす。

 英斗は赤くなって何も言わず紗雪について行った。

 木陰に入ると、紗雪は英斗に振り返り、

「いよいよ……だね」

 と、言ってうつむく。人類の未来がこの一戦にかかっているという事実が紗雪の心に重くのしかかっているように見える。

 英斗は気持ちをほぐそうと、おどけた調子で、

「魔王捕まえて女神の居所を吐かせる……簡単なお仕事だよ」

 と、肩をすくめた。

「簡単って……、もう……」

 紗雪は口をとがらせ、ジト目で英斗をにらむ。

「人間はできることしかできない。できることを丁寧に積み重ねていく事にフォーカスした方がいい、って塾の先生は言ってたよ」

 英斗は諭すように言った。

 紗雪はしばらく考え込み、

「そうね……。できることしかできないもんね……」

 と、うなずくと、つきものが落ちたようにニコッと笑い、

「きて……」

 と、両手を伸ばした。

 英斗もほほ笑むとそっと唇を重ねる。

 これから始まる限界を超えた最難関の挑戦。そのプレッシャーを吹き飛ばすように二人はお互いの想いを確かめ合った。


       ◇


 タニアにも【戦闘準備】を施した後、一行はドラゴン化したレヴィアに乗り、一気に火山へと舞い上がる。

 ステルスのシールドを展開して気づかれないようにして、一気に高度を上げていく。切り立った溶岩でできた火山は赤茶けた岩がゴロゴロとしていて草一つ生えていない。

 こんな殺風景な火山のどこに魔王は潜んでいるのだろうか?

 硫黄の臭気漂う中、英斗は辺りを見回し、顔をしかめた

「おっ! どうやらあそこのようじゃな」

 峰の連なる少しくぼんだ所に隠れるように洞窟が開いているのをレヴィアは見つけた。入り口には巨大な魔物が二体立っている。

 魔物は巨大な岩でできた胴体に手足が生え、円筒形の首が乗っている。

 レヴィアは岩陰に着陸すると、三人を下ろした。

「ゴーレムじゃな。とてもワシらでは倒せん」

 そう言いながら肩をすくめるレヴィア。

 ドラゴンブレスの炎でも平気な体躯に、強烈なパンチ力、そして高出力のレーザー攻撃。ゴーレムは極めて厄介な相手だった。









37. 決意

「じゃあどうすれば……?」

 紗雪は青い顔をして、心配そうに言った。

「なあに、倒す必要はないんじゃ。お主はちょいと奴らを引き付けてもらえんか?」

「引き付ける……?」

「奴はパワーはあるがノロマじゃからな。お主が洞窟の入り口から奴らを手前に引きつけてくれたらワシらがその隙に洞窟に入るって寸法じゃ」

「ちょ、ちょっと待って! 紗雪はどうするの?」

 英斗があわてて聞くと、

「奴らはノロマだし、あのサイズじゃ洞窟には入って来られん。ピョンピョンと奴らの間をぬって洞窟に飛び込めばいいだけじゃ」

 と、レヴィアは事も無さげに言う。

「そんな簡単にいかないでしょう。レーザーとか撃ってくるんですよね?」

「そりゃ撃ってくるが、動き回っていたら当たらん」

 レヴィアは悪びれもせず、無責任に言う。

「いやいや、そんなの危険ですよ」

 英斗が抗議すると、

「じゃあどうするんじゃ?」

 と、にらんだ。その真紅の瞳には非難というより、諭す色が浮かんでいる。レヴィアもすべてわかった上で言っているのだ。となると、もっといいやり方を提案しないとならなかったが、レーザー撃ってくる頑強な相手に安全なやり方など思い浮かばない。

「ど、どうって……」

 英斗がしどろもどろになっていると、紗雪は英斗の肩を叩き、

「大丈夫、ノロマを引き付けて洞窟に逃げ込むだけの簡単なお仕事だわ」

 そう言ってニコッと笑った。

「紗雪……」

「それが一番確実だわ」

 紗雪の瞳には決意が浮かんでいる。

 英斗は大きく息をつき、ゆっくりとうなずいた。


         ◇


「ハーイ! ノロマ達、こっちよ!」

 紗雪は単身飛び出してゴーレムを挑発する。

 しかし、ゴーレムは微動だにしない。

「あ、あれ……?」

 拍子抜けした紗雪は大きく息をつき、

「じゃあ、これでどう?」

 と、黄色い魔法陣を描き、岩の槍を次々とゴーレムに射出した。先の鋭い重い槍、それが超高速でゴーレムの顔面に突っ込んでいく。

 ズガガガガ! と激しい衝撃音が走り、土煙がもうもうと上がった。

 しかし、ゴーレムは微動だにしなかった。顔の表面には細かな傷がたくさんついてはいるもののダメージらしいダメージは受けていないようである。

「何よこれ……。あんたたち壊れてるんじゃないの?」

 紗雪は口をとがらせるとジト目でゴーレムたちを見て、大きく息をついた。

 ここまでやって反応がないなら普通に強行突破でいいのではないか、と思った紗雪は、

「じゃあ、通してもらうわよ!」

 そう言ってピョンピョンと軽やかに跳ねながらゴーレムの間を通ろうとした。

 刹那、ゴーレムの目が激しく輝き、激しい咆哮が火山の峰々にこだまする。

 きゃあ!

 紗雪は急いで距離を取ろうとしたが、ゴーレムが口から発したレーザーを胸のところに浴びてしまった。

 もんどりうって倒れる紗雪。

 あぁぁ!

 英斗は思わず飛び出してしまいそうになるのをレヴィアに制止される。

「さ、紗雪ぃ!」

 英斗は震える手を力なく紗雪の方に伸ばした。

「大丈夫じゃ。あ奴のジャケットなら致命傷にはならん」

 レヴィアは英斗の腕をガシッとつかみながら諭す。

 果たして、紗雪はピョンと跳びあがり、痛む胸を押さえながらゴーレムをにらんだ。

 ゴーレムは地響きをたてながら前進し、また口をパカッと開く。

 紗雪はジグザグにピョンピョンと跳びながら後退していき、ゴーレムたちの撃ってくるレーザーを上手く避けていく。

「こ、こっちよ! このノロマ!」

 紗雪は痛そうに胸をさすりながら虚勢を張り、さらに後退し、大きな岩の裏に隠れる。

 ゴーレムは土煙を派手に上げながら巨体を揺らし、一歩ずつ紗雪を目指しながらレーザーを次々と放った。紗雪の隠れている岩は次々と爆発を起こしながら少しずつ削れていく。

「紗雪ぃ……」

 英斗は手を組んで、泣きそうになりながら紗雪の無事を祈った。

「何やっとる! 行くぞ!」

 レヴィアは紗雪のことはお構いなしに洞窟へと行こうとする。

「待って! 紗雪が……」

 追い詰められている紗雪を見捨てて先を急ぐ。それは確かに正解かもしれない。しかし、どんなに正解でも英斗には荷の重い決断だった。

「お主は馬鹿か! 何のため紗雪が頑張ってると思っとるのか? 紗雪の献身を無駄にするのか?」

 くぅぅ……。

 ゴーレムたちの総攻撃を受けて隠れている岩はどんどんと小さくなっている。紗雪は逃げられるのだろうか?

 しかし、ここで助太刀に入れば洞窟侵入すら怪しくなるのは避けられない。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、自然に湧いてきた涙をぬぐうとタニアを抱きかかえ、レヴィアにうなずいた。








38. 一か八か

 なるべく足音を立てないように静かに駆け、洞窟の入り口を目指す。ゴーレムたちは紗雪にご執心でこちらのことは気づいていないようだ。

 必死になって駆け込んだ洞窟、そこには巨大な扉が行く手を阻んでいる。まるで水門みたいな巨大な鋼鉄製の自動ドア。当たり前だが、そう簡単には入れてくれないらしい。

「タニア! GO!」

 レヴィアは予期していたかのようにタニアに指示を出し、タニアは英斗からピョンと跳びおりる。

 なるほどタニアは適任だ。先々のことを考えて行動するレヴィアに英斗は舌を巻き、自らのふがいなさに首を振った。

 タニアは胸のポッケから肉球手袋を取り出すと、キャハッ! と奇声を上げ、扉に向けて縦横無尽に光の刃を射出する。直後、鋼鉄の扉は大小さまざまな三角形のかけらとなってガラガラと崩れ落ちた。

「急げ!」

 レヴィアはすぐに内部へと駆けだしていく。

「さ、紗雪を待たないと……」

 英斗は紗雪が気になって前へ進めない。

「馬鹿もん! 紗雪を信じろ!」

 レヴィアは真紅の瞳をギロリと光らせて怒鳴った。

 『信じろ』その言葉に英斗は口をキュッと結んだ。そう、レヴィアは正しい。自分たちは仲良しグループではなく、人類の命運がかかった魔王討伐隊なのだ。

 個々の安否より目的遂行が優先される。それは分かっている、分かっているがゆえにキュッと胸が苦しくなる。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、無言でタニアを抱きかかえると、レヴィアを追いかけた。


        ◇


 その頃、紗雪はゴーレムたちに追い詰められていた。

 ズン! ズン! と岩が爆破され削られていく中で、岩にはあちこちにひびが入り、いつ崩壊してもおかしくない状況になっている。

 英斗たちはもう洞窟には入れただろうか? 英斗のことだから『紗雪を放って洞窟へは行けない』などとごねてはいないだろうか?

 紗雪の本音としては英斗に待っていて欲しい。先に行かれて追いつけなかったら、もう二度と会えないかもしれないのだ。

 だが、これは魔王討伐。自分を見殺しにしてでも魔王を制圧するのが正解なのである。

 紗雪は静かに首を振り、寂しそうにキュッと口を結んだ。

 何とかこの岩から抜け出して洞窟へと行きたいが、ゴーレムの脇をすり抜けて洞窟へと走ればレーザーをもらってしまうのは避けられない。ジャケットでどこまで耐えられるだろうか? 下半身に当たってしまったらと考えると、とても現実解ではなかった。

 その時、岩の上部が吹き飛び、ガラガラと大きな石が落ちてくる。

 ひぃ!

 もう残された時間は長くない。紗雪は頭を抱え、必死に考えた。何としてでも英斗に会いたい。

「英ちゃん……、どうしたら……?」

 紗雪は何度も大きく息をつき、活路を探す。

 追い詰められた紗雪は最終的に一つのアイディアにたどりつく。それは大切なジャケットを放棄する一か八かの戦略だった。

 紗雪はシルバーのジャケットを脱ぐとその辺の石を詰めてジッパーを閉め、袖先を結んだ。これで囮の出来上がりである。

 大きく息をつき、タイミングを計った紗雪は、砲丸投げのようにジャケットをブンブンと振り回して、思いっきり崖の方へと放り投げた。

 この作戦が失敗したら紗雪にはもう打つ手がない。紗雪は祈りながらジャケットの行方を見守る。

 大きく弧を描きながら銀色のジャケットは空を飛び、陽の光をキラキラと反射しながら落ち、ガン、ガンと何度かバウンドして崖の下の方へと転がり落ちていった。

 果たして、ゴーレムは攻撃をやめ、ジャケットを紗雪と誤認して崖の方へと歩き出す。成功だ。ゴーレムがお馬鹿で助かった。紗雪はギュッと両手のこぶしを握る。

 これで英斗に会いに行ける。紗雪は両手で顔を覆い、ポロリと涙をこぼした。

 ズン! ズン! と、ゴーレムが崖の方へと歩いていく。

 紗雪は涙をぬぐうとそっと岩陰からゴーレムの様子をうかがい、ゴーレムの死角をうまく()うように、ピョンピョンと軽やかに溶岩だらけの大地を駆け、洞窟へ飛び込んだのだった。










39. 泣きぼくろ

 洞窟を進む英斗たち――――。

 洞窟と言っても、ドアから内側はまるで宇宙船のように金属でできた通路となっていた。歩くたびにカンカンと音が響き、英斗は渋い顔をしながらなるべく静かに進んでいく。

 ヴィーン! ヴィーン!

 警報音が通路に響き渡る。

 どうやら戦闘は避けられそうにない。

 英斗はタニアを降ろすとニードルガンを取り出し、辺りをうかがう。

 直後、少し先の通路脇のドアがプシューと音を立てて開いた。

「来るぞ!」

 レヴィアは銃を構え、英斗はあわててニードルガンの安全装置を外し、へっぴり腰で備える。

 刹那、魔物が次々と飛び出してくる。

 それは魔王城でも見た一つ目のゴリラだった。厚い胸板、ムキムキの筋肉を誇示しながらワラワラと通路をふさぎ、グルルルとのどを鳴らす。全てを粉砕しそうなその屈強な腕は英斗などワンパンチで潰されてしまうに違いない。

 くっ!

 明らかに銃なんか効かない敵にレヴィアと英斗は後ずさりして冷や汗を流した。

 しかし、タニアは嬉しそうにキャハッ! と奇声を上げるとトコトコとゴリラに向けて歩き出す。

「お、おい、タニア……」

 可愛い幼女と屈強なゴリラたち。どう考えても幼女に勝ち目はなさそうなのであるが、なんとゴリラたちはタニアを見ると一瞬驚いたようなしぐさを見せ、後ずさりし始めた。

 きゃははは!

 タニアは肉球手袋を黄金色に輝かせ、楽しそうに笑うとピョコピョコとゴリラたちに向けて走り出す。

 直後、ゴリラたちは一目散に逃げだしたのである。そして、元居た部屋に逃げ込むとドアを閉めてしまった。

 ぶぅ?

 タニアは不思議そうに首を傾げ、物足りなそうな声を出す。

 あのゴリラたちは魔王城でタニアに惨殺されたものの生き返りではないだろうか? タニアにいいように殺されてしまった記憶が恐怖を呼び起こしたのかもしれない。

「カハハ! タニア、お主凄いな」

 レヴィアは嬉しそうに笑い、不満げなタニアを抱き上げた。

「マジかよ」

 こんな小さくてかわいいタニアが戦わずに勝利をもぎ取った滑稽さに、英斗は笑いがこみあげてきて少し笑うと、タニアの頭をグリグリとなでてやる。

 あいぃ

 タニアはチャーミングな泣きぼくろを見せながらにっこりと笑った。


      ◇


 カンカンカン!

 後ろから迫る足音に慌てて振り返ると、そこには黒いボディスーツの人影が。

 でも、その見慣れた駆けるフォームに英斗は手を高く掲げ、大きく振る。紗雪だった。

「英ちゃーん!」

 紗雪は飛ぶように突っ込んでくると英斗の胸に飛び込む。

 ぐほっ!

 パワーアップしている紗雪のハグは強烈だったが、英斗はそんなことが気にならなくなるくらい紗雪の柔らかな香りに安堵していた。

「英ちゃん、英ちゃん! うわぁぁん」

 紗雪は今まで我慢してきた心細さを英斗に爆発させる。

 英斗は優しく頭をなで、涙にぬれるほほにほほを寄せた。

「待ってやれなくてごめんな」

 耳元でささやく英斗。

「大丈夫、分かってるの。ちょっと寂しかっただけ」

 紗雪は英斗の体温を感じながら、これから始まる大勝負に向けて何とか気持ちを整えていった。

「紗雪、ご苦労じゃった。おかげで魔王までもう少しじゃ」

 レヴィアはなにやら小型の観測機械の表示を見ながら言った。

「えっ? そんなことわかるんですか?」

「この宇宙線観測装置によるとこの先に大きな空洞があることが分かっとる。きっとその辺りに奴はいるじゃろう」

 レヴィアの指示した画面には確かにぽっかりと空洞が映っている。火山の中にくりぬかれた巨大な空洞、一体何の目的で作られたのだろうか? 英斗は首をひねりながらうなずいた。








40. 最後の一人

 しばらく進み、大きな鋼鉄製の扉に来た一行。例によってタニアが強靭な扉をバラバラに壊すと内部の様子が露わになる。

 そこは夜中の体育館のように真っ暗な空洞だった。

 レヴィアは銃を構え、様子を見るが、動きはない。

 飛び散った扉の破片が、静まり返った内部にグワングワンと鳴り響くばかりだった。音の反響具合からすると相当に広そうである。

「誰も……、おらんのかのう……?」

 レヴィアが恐る恐る一歩踏み入った時だった。ズン! という爆発音とともにレヴィアが吹き飛ばされる。

 ぐはっ!

 もんどりうって通路に転がるレヴィア。

「レヴィアさん!」

 英斗が駆け寄ると、苦しそうにうめき、

「き、気をつけろ……。上から撃たれた」

 と、胸を押さえた。

 レヴィアのグレーのジャケットには焦げた跡があり、焦げ臭い煙がうっすらと上がっている。

「だ、大丈夫ですか!?」

 青くなりながら英斗が聞くと、

「このくらい大丈夫じゃ。じゃが、ちょっとばかり休ませてくれ……」

 そう言いながらレヴィアはゴロリと横たわり、苦しそうに荒い息吐く。

 くっ!

 英斗はスマホを取り出し、カメラモードにしてそっと扉の脇から差し出してみる。すると、上の方で何やらほのかな明かりが動いているのが画面に映った。

 これがレヴィアを狙撃した敵……、魔王かもしれない。

 紗雪は画面をのぞきこみ、眉をひそめると、シャーペンを取り出し、

「その辺を狙えばいいのね、見てらっしゃい!」

 と、魔法陣を描き始めた。奥歯をかみしめ、今までにない怒気を感じさせる。

 サラサラと描きあげられていく魔法陣は鮮やかに赤く輝き、強烈なエネルギーが蓄積されているのがひしひしと伝わってくる。

 紗雪は方向を確認しながら魔法陣の脇にルーン文字をいくつか書き足し、最後にぶつぶつと何かを唱えながら両手で魔法陣を回転させた。ゆっくりと回りだした魔法陣はビカビカと明滅しながら徐々に回転数を上げていく。

 刹那、魔法陣は鮮烈な紅い閃光を放ち、轟音を立てながら無数のファイヤーボールを射出する。撃ち出されたファイヤーボールは弧を描きながら斜め上の方へと眩しい光跡を残しつつ上昇していき、ズンズンズン! と激しい爆発音を響かせていった。

 動いていた明かりが何だかは分からないが、これだけの攻撃を浴びせたのだ、何か反応があるだろう。

 爆発音が広間で大きく反響し、こだましている。一行は静かになるのをじっと待った。

 直後、広間に照明が灯り、いやらしい笑い声が響き渡る。

「ハッハッハッハ! またお前らか。特異点君、出てきたまえ」

 魔王だ。英斗は紗雪と顔を見合わせる。

「何か言いたいことがあるんだろ? 日本が滅んだことに文句でもいいに来たのか? クフフフ」

 英斗はギリッと奥歯を鳴らすと、紗雪の制止も振り切って一歩広間に進み、上を見上げた。そこにはスタジアムの貴賓室のように、ガラス張りの部屋が設置されており、中で中年男がふんぞり返って高そうな椅子に腰かけている。

 英斗はギロリと魔王をにらむと、

「お前、女神の居所を知ってるな?」

 と、核心から切り出した。

「はっはっは! なるほど、女神か。確かに女神なら日本を元に戻せるからな。まぁ……それしかないか……。クフフフ……。女神なら金星だぞ」

 魔王はいやらしく笑いながら何とも理解しにくいことを言う。

 英斗はいきなり別の惑星の話になって困惑を隠せない。女神のような超常的存在が宇宙の彼方にいるというのはありえない話ではないが、どうやって会いに行ったらいいか見当もつかない。

「ど、どうすれば会える?」

「簡単な話さ。今ちょうど俺がやってることがまさに女神を呼ぶことだからな」

 英斗は魔王の言葉の意味をはかりかね、首をひねった。

「要は人類を全滅させるんだよ」

 魔王は肩をすくめながらとんでもない事を言い放ち、英斗は怒りで真っ赤になる。

「お前、ふざけてんのか!」

 英斗の怒りが広い広間にこだまする。

 魔王は肩をすくめ、やれやれといった表情であざける。

「人類は女神が創り、育ててきたもの。それが滅んだとなれば地球をやり直さないとならん。で、その準備のために地球に降り立つんだ。そして、その時に最後の一人に声をかけるのさ」

「最後の……、一人……?」

「そう、あいつは結構滅びの美学が好きでね。最後の一人の話が特に好物なのさ」

 英斗はその捉えどころのない話に困惑する。人類が滅亡する最後の一人と話すのが好きというのはどういった性癖なのだろうか? あまりにも趣味が悪すぎるのではないか?

 英斗は首をひねり、大きく息をつく。

 こんな荒唐無稽な話を信じて良いのだろうか? そもそも女神とは何者なのだろうか? 魔王との関係は?

 英斗は混乱し、仏頂面で魔王を見上げた。
「お前はなんでそんなこと知ってるんだ?」

 英斗は眉をひそめ、魔王をにらんで聞いた。

「七百年前くらいにある地球滅ぼしたら、実際に出てきてそう言ってたんだよ」

 英斗は唖然として頭を抱える。気軽に地球を滅ぼし、女神と会話する魔王、どういうことか混乱してしまう。

「ちょ、ちょっと待って。お前と女神の関係って何なんだ?」

「ん? 元同僚だよ。俺も地球たちを作り、運営していたメンバーの一人だったのさ」

 英斗は言葉を失う。このムサい中年男が女神と同列だったという。そんなこと信じられるだろうか?

「ではお前も……、神?」

「はっはっは。まぁ、創られた人からしたらそう見えるかもしれんが、ただのITエンジニアだよ」

 英斗はパンクした。なぜITエンジニアが神様みたいになっているのか? この世界は一体どうなっているのか?

「では女神も……、エンジニア?」

「んー、彼女の場合は管理者(アドミニストレーター)かな?」

 英斗は何が何だか分からなくなって宙を仰いだ。

「そんなことはどうでもいい。どうだ? 俺の部下にならんか?」

 魔王はいやらしい笑みを浮かべながら英斗を懐柔にかかる。

 ただの高校生を標的にするのは釈然としなかったが、石垣を崩すなら一番弱いところから、ということかもしれない。

「それはお断りしたはずです」

 英斗は毅然とした声で答える。

「部下になるなら……、女神と会った時に地球の再生を頼んでやってもいいぞ」

 魔王はニヤリと笑った。

 えっ!?

 英斗は困惑した。地球の再生は最優先事項。女神の同僚が頼んでくれるなら成功確率は上がるのではないだろうか? 地球を滅ぼした張本人であり、にっくき敵ではあるが、神に近い男の提案は一見悪くないようには見える。

「この世界の半分もやろう。龍族の上に立て」

 さらに提案を重ねる魔王。

 一介の高校生には荷が重い決断に英斗はギリッと奥歯を鳴らし、考え込む。

 女神への依頼方法は二つ。魔王を倒し、女神が出てくるタイミングで直接頼むか、魔王の仲間となり、魔王に依頼してもらう。どっちが成功率が高いかと言えば仲間になった方が高いかも知れない。

 しかし……。

 英斗は何かが引っ掛かり、首をひねった。

「英ちゃん!」

 紗雪が英斗の腕をギュッと握り、首を振る。紗雪のこげ茶色の瞳には涙が浮かんでいる。

 英斗はハッとして紗雪を見つめた。

 魔王の甘言に惑わされてはいけない。『女神に頼んでやる』なんて言ってるが、履行される保証なんてないのだ。

 英斗は何度か深呼吸し、気持ちを整える。相手は人の命を何とも思わないサイコパス、魔王。それを忘れてはならない。

 英斗はキッと魔王を見上げ、

「本気で仲間にしたいなら、そこから降りてきたらどうだ!」

 と、言い放った。魔王がそんなことを言い出すのは追い込まれているからだ。要は自分たちの勝利が近いということでもある。

 魔王は呆れたような目で肩をすくめると、パチンと指を鳴らした。

 ガラガラガラと音をたてながら出入り口にシャッターが下りる。魔王は英斗たちを閉じ込めるつもりだ。

「マズい!」

 逃げようと思ったがもう間に合わない。

 キャハッ!

 すかさずタニアが肉球手袋を光らせながら飛び出し、シャッターに対峙した時だった。

 パン! と、爆発音がしてタニアが吹き飛ばされ、転がっていく。

 上着の焦げ跡から焦げ臭い煙が立ち上り、意識を失ってしまうタニア。

「タ、タニアぁぁぁ!」

 転がっているタニアを英斗は抱き上げ、ギュッと抱きしめた。

 幼女を撃つなんてありえない。それが戦場の宿命だとしても許し難い。

 英斗はタニアの心臓が動いているのを確認すると、顔を上げ、魔王をにらんだ。

 魔王はレーザー銃を肩に担ぎ、ニヤリと笑い、

「そんな余裕を見せてていいのかね? クフフフ」

 と、意味深なことを言う。

「ど、どういうことだよ!」

 英斗が叫んだ時だった。ゴゴゴゴと、重低音を発しながら奥の巨大な鋼鉄製シャッターが上がっていく。

 何が始まるのか分からなかったが、英斗は死がすぐそこにひたひたと迫っている足音を感じ、冷汗を浮かべながらゴクリと唾をのんだ。








42. 龍の矜持

 暗闇に沈むシャッターの向こう側からは、何者かがグォォォ! と腹に響く重低音の咆哮を放ちながらズン、ズンと足踏みをして地響きを響かせている。

 なるほど、ここは地下闘技場だったのだ。魔物同士を戦わせ、それを高みの見物する娯楽施設。そこにまんまと誘いこまれていたのだ。

 英斗はキョロキョロと辺りを見回し、隅の物陰にタニアをそっと横たえると、ニードルガンを出し、魔物に向けて構えてみる。

 しかし、青い顔してカタカタと震える腕でニードルガンを構えてはみるが、数十メートルはあろうかという巨大な敵相手にこんな針の銃が効くとも思えない。頼みの綱のタニアも倒れてしまい、もはや絶体絶命だった。

 何か活路を見出さない限りここで死亡である。復活できたとしても魔王の手中に落ちて、死ぬよりひどい目に遭わされるに決まっているのだ。

『マズい……、非常にマズい……』

 英斗は冷や汗を流しながら紗雪の方をチラッと見た。

 紗雪もシャーペンを構えているが表情は険しく、苦戦は必至だった。

 シャッターが上がり終わるとスポットライトが敵を照らし上げ、二人はその現れた姿に唖然として言葉を失う。

 なんとそれはドラゴンのレヴィアだった。いかつい漆黒の鱗に淡く黄金色の光をまとい、三十メートルはあろうかという巨体に巨大な翼。そして、巨大な鋭い牙に大きな真紅の瞳。それは見慣れたレヴィアそのものだった。

「レ、レヴィアさん……なんで……」

 英斗が気おされ、動揺していると、ドラゴンは咆哮を一発放ち、二人はその重低音に心が折れそうになる。

 紗雪は先日レヴィアと戦って負けたばかりである。このままでは蹂躙されてしまう。

「紗雪、勝つ方法はあるか?」

 英斗は小声で聞いてみるが、紗雪は力なく首を振るばかりで、シャーペンを持つ手も震えてしまっている。

 ズーン! ズーン! ドラゴンはゆっくりと巨体を揺らしながら近づいてくる。万事休すである。

 このままでは勝てない。英斗は必死に策を考える。頼りになるのは紗雪だけ。紗雪を最大限にパワーアップするにはどうしたらいいか……。

 ここで英斗は一つのアイディアを思いつく。そもそも紗雪も龍族である。で、あるならばドラゴン化できるはずだ。人化状態でレヴィアより紗雪の方が強いのだからドラゴン化できたら紗雪の方が強いのではないだろうか?

「紗雪、ドラゴン化できるか?」

 英斗は聞いてみたが、紗雪は口をとがらせて、

「いろいろ試したんだけどうまくいかないのよ……」

 と、ベソをかきながら答える。

「パワーアップ状態で試したことは?」

「え? そ、そう言えば……、やったことないわ」

 ハッとする紗雪。

 ずっとパワーアップしてたら無敵だったので、試そうとも思っていなかったようだ。

「や、やってみるわ」

 紗雪はシャーペンを高く掲げ、目をつぶると何やらぶつぶつとつぶやき始める。

 それを見たドラゴンはギュァァァと雄たけびを上げるとパカッと巨大な口を開いた。

「危ない!」

 英斗は紗雪を抱きかかえると、隅に置かれた物置の物陰へとダッシュした。

 直後、ドラゴンブレスの鮮烈な高熱が辺り一帯を覆いつくす。

「ぐはぁ! あちちちち!」

 英斗は物置の脇で床に突っ伏してその灼熱に耐える。

 その時、『ギュワァァァ!』と、別のドラゴンの咆哮が響き渡った。

 英斗は驚いてその咆哮の方を見上げると、何とそこには純白の巨大なドラゴンが宙に浮かんでいた。神々しい淡い金色の光をまとい、巨大な純白の翼をゆったりとはばたかせながら辺りを睥睨(へいげい)してる。

「も、もしかして……」

 あわてて英斗は周りを見回したが、抱いてきたはずの紗雪はいなかった。無事、ドラゴン化に成功したらしい。

 純白のドラゴンはグルルルとのどを鳴らし、漆黒のドラゴンを威圧した。

 漆黒のドラゴンは何が起こったのかよく分かっていないようで、ポカンとしている。

 直後、紗雪は華麗にくるりと回転すると、その長く強靭なシッポで思い切り漆黒のドラゴンの鼻っつらを痛打した。まるで重機が電信柱をなぎ倒したようなゴスッ! という腹に響く衝撃音が放たれ、

 ギュォォォォ!

 と、悲鳴を響かせながら漆黒のドラゴンは弾き飛ばされ、壁に激突するとその巨体で派手な地響きを起こす。

「す、すごいぞ紗雪!」

 英斗はこぶしをギュッと握り、上気した顔で叫んだ。愛すべき幼なじみが今、神々しい龍となって世界のために戦っている。それは絶望の中に現れた誇らしい奇跡であり、英斗は思わず涙ぐんだ。












43. 死の宣告

 漆黒のドラゴンは怒り狂い、渾身のドラゴンブレスを放つ。灼熱の輝きが広間をまぶしく光で覆った。

 しかし、紗雪は待っていたかのようにパカッと大きな口を開け、純白の息を吐く。氷魔法のアイスブレスだった。

 氷の溶ける激しい蒸気がブシューっと辺りに吹き荒れた。

 くぅっ!

 激しい蒸気の暴風から必死に顔を守りつつ戦いを見守る英斗。

 漆黒のドラゴンが息切れした直後だった、さらに威力を上げた紗雪は氷のつぶてをドラゴンに浴びせかけ、鱗を穿(うが)ち、体表を凍らせていく。

 ギュワァァ!

 漆黒のドラゴンはたまらず逃げた。体中に白く霜が降り、苦しそうな叫びをあげている。

 直後、紗雪は一気に急降下してドラゴンの首を後ろ足で思い切り蹴り飛ばす。強靭な太い後ろ足が生み出すパワーはとてつもなく、ゴスッという重低音の振動が響き渡った。

 ドラゴンは悲鳴を上げながらゴロゴロと転がる。

 ここぞとばかりに畳みかける紗雪は、すかさずドラゴンの喉笛(のどぶえ)に迫ると大きな口で噛みつき、その強大で鋭い牙を逆鱗に合わせ、一気にかみ砕いた。

 ギュッ……ギュォォォ……。

 漆黒のドラゴンは断末魔の叫びをあげながら腕を上げ、鋭い爪の手が力なく宙をつかむ。

 直後、ボン! と、爆発音を残して魔石へと変わるドラゴン。床にコロコロと転がった魔石は鮮やかに真紅に輝きを放ち、この戦いの終止符を告げた。

 魔石になったということはあのドラゴンはレヴィアではなかったということだろう。魔王がレヴィアをコピーした魔物を作り上げたのかもしれない。

「ヨシッ!」

 英斗は物置の物陰でガッツポーズをすると、飛び出し、

「魔王だ、魔王! 一気に決めよう!」

 と、魔王の部屋を指さして叫ぶ。

 紗雪はグンと巨大な首を振り、魔王を見上げ、ギュォォォォ! と重低音の咆哮を響き渡らせ、パカッと口を開いた。

 直後、アイスブレスの鋭い氷のつぶてが無数、超音速で射出され、魔王のいる部屋のガラスを激しく穿(うが)つ。

 強烈な衝撃音が響き渡り、あたりは霜で真っ白になった。

 しかし、いつまで経ってもガラスには何のダメージも入らず、魔王は平然としている。

「はっはっは! 小娘、やるな。だが、貴様らは『魔王』をなめすぎだ。クフフフ……」

 いやらしく笑う魔王はパチンと指を鳴らした。

 刹那、天井に開いた無数の穴から次々とレーザービームが紗雪に降り注ぐ。レーザーは次々と紗雪の上で爆発を起こし、紗雪の純白の鱗を吹き飛ばしながら紗雪を血に染めていく。

 グギャァァァ!

 悲痛な叫びが響き渡り、翼が破けてズタズタになった紗雪は、ドスンと床に墜落して地響きをたてながら転がった。

「さ、紗雪ぃ!」

 英斗は真っ青になって叫ぶ。

 渾身の攻撃が通じずに一方的にやられた。この残酷な事実は英斗の心を絶望で塗りたくる。レヴィアが倒れ、タニアがやられ、ついに紗雪が倒れたのだ。もはや打つ手がない。

 血だらけになった純白のドラゴンは、龍の形態を保てずにボン! と、音を立てて美しい美少女姿になってゴロリと転がった。

 ぐはっ!

 真っ赤な鮮血を吐く紗雪。

 なんとか身体をよろよろと起こす紗雪だったが、ゴホッゴホッとせき込んでしまう。

「さて、そろそろ完全に終わりにしよう。この世界だとまた生き返ってきてかなわん」

 魔王はタブレットを取り出し、いやらしい笑みを浮かべながら画面をタンタンと叩く。

 ブォォン……。

 不気味な電子音とともに広間の奥に瑠璃色の輝きが立ち上がった。

「ま、まさか……」

 英斗は血の気が引いて言葉を失う。それはゲートだったのだ。

 魔王の意図は分からないが、きっと決定的な危機をもたらしてくる予感に英斗はガクガクとひざが震えた。

 紗雪はギョッとして、急いで逃げ出そうとしたが足に力が入らないようで、よろよろと英斗に向けて手を伸ばしながら苦しそうに歩き出す。

「紗雪ぃ!」

 英斗が紗雪を迎えに行こうとした時だった。

 突如、激しい風が巻き起こる。ゲートがとんでもない速度で空気を吸い込んでいるようだった。

「うわぁ!」「キャーーーー!」

 二人は予想外の事態に頭を抱えうずくまる。

「はっはっは! そのゲートの向こうは別世界の宇宙、つまり真空だ。ゴミ掃除にはちょうどいい」

 魔王は愉快そうに笑いながら絶望的な宣告をした。つまり、ゲートに吸い込まれたら最後、宇宙に放り出され、血液が沸騰して爆発して死んでしまう。そして、別世界なら生き返りもない。それは二人にとって完全なる死の宣告だった。

















44. 自分の順番

「英ちゃーん!」

 紗雪は必死に床に張り付いて何とか耐えようとしていたが、吸い込む風が強すぎてじりじりとゲートへと引き寄せられていく。

「さ、紗雪!」

 英斗は叫んだものの、自分自身床に張り付いていることしかできない。とても助ける余裕などなかった。

「いやぁーーーー!」

 紗雪の悲痛な叫びが英斗の心に突き刺さる。

 大切な人の死が目前に迫っているのに何もできない。英斗は無力な自分の情けなさに涙をポロポロとこぼし、ギリッと奥歯を鳴らすと、顔を上げ、叫んだ

「魔王! わかった。部下にでもなんでもなるからゲートを止めてくれ!」

 しかし、魔王は何も答えない。ただ、ニヤニヤと紗雪がどんどんと吸い込まれて行く様子を眺めるばかりだった。

 もう紗雪が吸い込まれるまで何秒もない。吸い込まれたら確実な死あるのみ。なのに英斗には打てる手がもう何もなかった。

「魔王! 貴様、呪ってやるー!」

 英斗は絶望の中、絶叫した。

 と、その時、金色に光る小さな人影が紗雪の元へと飛んでいき、直後、紗雪を英斗の方へと動かし始めた。

 えっ!?

 驚いて目を凝らすと、それはタニアだった。

 タニアは肉球グローブを金色に光らせながら床に爪を立て、ものすごい風圧をものともせず、チャカチャカチャカと軽快に英斗の方へと進んで行く。

 近づいたところでタニアは器用に紗雪を放り投げ、

 キャハッ!

 と、嬉しそうに笑った。

 英斗はあわてて紗雪の腕をつかみ、グイっと引っ張り寄せる。

 だが、悪夢は終わらない。

 バン! という爆発音がして驚いて顔を上げると、意識を失ったタニアの身体が宙に浮き、そのままゲートへと吸い寄せられていくのが見えた。

「タ、タニア?」

 その一瞬の出来事に英斗は頭が付いていかなかった。

 まるでスローモーションのようにくるくると回りながら宙を舞うタニア。

 かわいいプニプニとしたほっぺ、モミジのような手が死神の標的となってしまった。

 やがてタニアはすぅっとゲートの中に吸い込まれ、バリバリっと瑠璃色の輝きが明滅する。

 あ……、あぁ……。

 言葉を失い、ただ、タニアが消えていったゲートを見て唖然とする英斗。

 魔王がレーザー銃を撃ったのに違いない。

 タニアは逝ってしまった。もうあの人懐っこい笑顔を見ることはできない。『パパ、パパ』と、うるさいくらいにまとわりついてきた天使のような微笑みはもう失われてしまったのだ。

 紗雪はガタガタと震え、現実を受け入れられずにただ静かに涙を流している。

 英斗はキッと魔王を見上げる。

 涙目で揺れる視界の向こうで、魔王は手にレーザー銃を構え、満足そうにニヤけていた。

「お、お前ーー!」

 英斗は吠える。悪逆非道な魔王のサイコパスっぷりに、幼女に助けてもらうばかりだった自分の無力さに、全てがどうしようもなくムカついてただ、吠えるしかできなかった。

「うるさいなぁ。君にも静かになってもらおう」

 魔王はやれやれという感じで銃を英斗の方に向ける。

 くっ!

 英斗は紗雪を抱きかかえながら強風の中を駆け出す。

 バン! という爆発音が足元で炸裂し、英斗は肝を冷やしたが、何とか物置の裏に飛び込む。

「はっはっは、無駄なあがきだな。それそれ!」

 魔王は楽しそうにレーザーを放ち、物置は爆発しながら屋根が飛び、扉がはずれ、少しずつ小さくなっていく。

 出口は閉ざされ、辺りは死の暴風が吹き荒れ、上からはレーザー攻撃。決定的な窮地に追い込まれ、英斗は自分の首に死神の手がまとわりつき始めたのを感じた。

 紗雪を見ると、ガタガタと震え、ただ涙を流すばかりである。

 バン! と、目の前の板に大穴が開き、もはや万事休すだった。

 英斗は少しひんやりとする紗雪の身体を抱き寄せ、何も言わずギュッと抱きしめる。紗雪の震えがどうしようもない死への恐怖を伝えてくるが、それに負けないように英斗は力強く抱きしめた。

『死ぬなら一緒に殺してほしい』英斗は絶望の淵でそんなことを思いながら、ひたひたと迫ってくる死のタイミングを待った。パパもママも友達もみんな死んでしまっているのだ。ついに自分の順番が来たに過ぎない。

 英斗はそんな諦観の中で迫りくる魔王の銃撃音を聞いていた。













45. 予想外の真実

 その時だった。

 パンパン! と、軽い銃声に続いて、

「ぐぁぁぁ! 何だお前!」

 と、魔王の悲鳴が響いた。

 英斗は驚いてそっと物置の影から上を眺める。そこには、なんと銃を構えた金髪おかっぱの少女がドヤ顔で倒れた魔王を見下ろしている。

「レ、レヴィアさん!」

 英斗はその意外な救世主に目を疑った。

 扉の向こうで倒れていたはずのレヴィアが、なぜか観覧室にいる。魔王が設置したセキュリティを苦労して何個も突破したのだろう。レヴィアの執念の勝利だった。

 英斗はへなへなと物置にもたれかかり、死の恐怖からの解放に安堵する。

 やがてゲートは閉じられ、広間には静けさが戻ってくる。

 うぅぅぅ……。

 紗雪のむせび泣く声が広間にかすかに響いた。

 英斗は紗雪の背中をそっとなでる。

 ついに手にした念願の勝利。しかし、大活躍したあの笑顔の幼女はもう居ないのだ。

 勝利の感慨よりも、失ったものの大きさに胸が締め付けられる思いで、紗雪の体温をじんわりと感じながら英斗は一緒にほほを濡らした。


        ◇


 観覧室に上がると小太りの中年男は手足を縛られ転がされていた。足からは血が流れ、顔を歪めながら英斗を見上げている。

 英斗は無言でニードルガンを魔王の顔に向けた。

「ひっ! や、止めろ! 止めてくれぇ!」

 おびえた目で喚く魔王。

「さっき僕が『止めてくれ』って言ったときどうしたっけ?」

 英斗はカチャリとニードルガンの安全装置を外す。

「わわわわ、悪かった! 反省する。話し合おう!」

「どうせお前も不老不死なんだろ? 一回死ねよ」

「ひぃぃぃ!」

 目をギュッとつぶって顔をそむける魔王。

 いたいけな幼女を殺したにっくき敵、魔王。英斗はそっと引き金に力をこめていく。

「それは後にしてくれんか?」

 レヴィアがそっと英斗の腕をつかみ、たしなめるように顔をのぞきこむ。

「どうせ生き返るんだから一回()らせてくださいよ!」

 英斗は吹きだしてくる怒りを押さえられず、言い返した。

「五百年……、五百年じゃぞ? 我がコイツにいたぶられ続けたのは! 殺しても殺したりないほどの恨みじゃ。ちょっと待っとけ!」

 真紅の瞳に燃え上がる積年の恨み。それは文句を言わせぬ迫力で英斗に迫る。

 英斗はふぅと大きく息をつくとうなずき、ニードルガンをおろす。

「まずどっから行くかの?」

 レヴィアは魔王を憎々しげににらみながら英斗に聞く。

「じゃあまず、地球にいる魔物を全部消せ! この野郎!」

 英斗はそう言うと、流血している足を思い切り蹴った。

 ぐはぁ!

 魔王はうめき、ギロッと英斗をにらむ。

 英斗は眉をピクッとさせると、無言のままニードルガンで足をカッカッカ! と数発撃った。

 ぐほっ!

 激痛でビクンと跳ねる魔王。

「お前を宇宙に放り出してもいいんだぞ?」

 英斗は座った目で淡々と脅した。

 少し前の英斗だったらこんな脅しなど到底できなかった。何しろ平凡なただの高校生だったのだ。しかし、何度も死線を超え、タニアを失った今となっては、配慮など度外視したむき出しの怒りの表現ができるようになっていた。それは一皮むけた成長でもあり、また、けがれた大人に一歩近づいてしまったことでもある。

「タブレットメニューのAの3だ……。そこのスイッチを全部オフにすれば魔物たちは行動をやめる」

 魔王はほほをピクピクと動かしながら嫌々答えた。

 レヴィアは淡々とタブレットを操作し、

「これじゃな。……。よし、とりあえず止めたぞ」

 と、英斗にサムアップする。

 英斗はうなずくと、魔王をにらみ、聞いた。

「お前が殺した人類を復活させるには女神に頼るしかないのか?」

「女神でなくても管理者(アドミニストレーター)なら誰でもできる。俺も昔は管理者(アドミニストレーター)だったが、今はできない」

 魔王は淡々と答える。

 英斗は管理者(アドミニストレーター)という言葉の意味をとらえかね、首を傾げた。神聖な全知全能の神様に、システム管理者のような呼び名がついていることの不自然さに理解が追い付かない。

「そもそも管理者(アドミニストレーター)って何? 女神は神様じゃないの?」

 そう聞く英斗を、魔王は鼻で笑うと、

「君はここが何でできているか分かってないのかね?」

 と、偉そうに言った。

 英斗はじっと魔王をにらみ、大きく息をつくと、無言でカッカッカ! とニードルガンを魔王の太ももに数発打ち込んだ。

 ふぐぅ!

 魔王は激痛に悶える。

「質問にはちゃんと答えようよ」

 英斗は無表情で諭しながら見下ろす。残酷なことをやっている自覚はあるが、パパもママも友達も、みんなの命運がかかっているのだ。奴にペースを握らせてはならないと、本能の導くままに引き金を引く。

「くっ! ……。世界はコンピューターで作られてる。管理者(アドミニストレーター)はその管理者だ」

 魔王は吐き捨てるように言う。

 英斗は魔王が何を言っているのか分からず、ポカンとした顔で言葉を失った。
 なぜコンピューターと女神が関係あるのか? 英斗には皆目見当がつかず、レヴィアの方を向く。

 レヴィアはチラッと英斗を見ると目をつぶり、無言でうなずいた。なんと、レヴィアも魔王のバカバカしい話を受け入れてしまっているのだ。

「ちょ、ちょっと待って! ここはコンピューターの中だって? 僕たちはゲームの世界にいるってこと?」

 英斗は混乱した。確かに不老不死とか不可解な出来事ばかりのこの世界。明らかに異質であるから何らかの仕掛けはあるのだろう、とは思っていたが、この世界全部がコンピューターによって合成された世界とはバカバカしい、冗談めいた話だった。

「我も独自にこの世界を調べておった。結論は魔王の言う通りじゃ」

 レヴィアは肩をすくめ首を振る。

 英斗はレヴィアの手を取ると、

「いや、ちょっと待ってくださいよ! 見てください、ほら、プニプニですよ、プニプニ! こんなのコンピューターじゃ合成できませんよ」

 そう言って、やわらかなレヴィアの小さな手のひらを揉んだ。

「お主が言っとるのは地球のしょぼいコンピューターのことじゃろ? この世界を作っておるのは桁違いに高性能なコンピューターじゃ。このくらい造作もないわい」

 レヴィアはそう言って英斗の手を振り払う。

「そ、そんな……」

 英斗はがく然として手のひらを眺める。指のかすかな動きに追随(ついずい)して盛り上がる手のひら。その皮膚の奥で縦横無尽に走る血管。これがコンピューターによる合成とは到底思えなかった。

 しかし、紗雪が受精卵から再生された様を思い出せば、それはコンピューターによる合成という話の方がしっくりくるのもまた事実である。

「わ、分かりました。この世界はコンピューターによる合成。そうかもしれない。でも、ここの魔物がなぜ日本に行っても動いているんですか? コンピューターによる合成像が地球上でも動くって矛盾してますよ」

 レヴィアはクスッと笑うと、

「地球がなぜ特別だなんて思うんじゃ?」

 と、返した。その瞳にはある種の諦観(ていかん)が浮かんでいる。

「はぁっ!?」

 英斗は耳を疑った。生まれてきて十六年、日本が仮想現実世界だったなんて一度も感じたことはなかった。どこまでもリアルで、高精細で、ち密な世界。それが全てコンピューターによる合成像だったなんてとても認められない。

「いやいやいや、地球上には高度な観測装置もあって、厳密に世界はリアルで破綻してないって話ですよ? そんな訳ないじゃないですか!」

「そんなの観測装置の所だけ精度上げて終わりじゃ。結局は人間に違和感のない精度だすだけで何の問題もないんじゃから」

 レヴィアはウンザリしたように首を振る。

「そ、そんな……」

「そんなことはいいから人類復活の方針を決めろ。我も協力してやる」

「ほ、方針って……」

 英斗は困惑した。なるほど、地球がコンピューターによる合成だとしたら、昔のバックアップをリストアするだけでみんな元通りに復帰するだろう。それは確かに可能だし現実解だ。そしてそれがコンピューターシステムの管理者(アドミニストレーター)ならできるというのも筋が通っている。

 しかし、そんなことを認めてしまっていいのだろうか? それはつまり、自分はゲームの中のキャラクターに過ぎないということを受け入れることだ。確かな肉体をもってリアルな世界に自立していると考えていた自分にはもう戻れない。

 くぅ……。

 英斗は目をギュッとつぶるとうなだれた。

 そのやり取りを見ていた紗雪は、カツカツと近づき、そっと英斗の手を取り、

「英ちゃん……。悩むのは後でいいわ。早く地球を……日本を元に戻さないと」

 そう言って英斗を見つめた。

 すっかり憔悴しきった紗雪は顔色も悪く、泣きはらした目が痛々しい。

「そ、そうだな……。管理者(アドミニストレーター)に会って直談判……。どうやるか考えないと」

 英斗はギュッと紗雪の手を握り返し、魔王を見下ろした。

 魔王はふんっ! と鼻を鳴らし顔を背ける。

「女神以外に管理者(アドミニストレーター)はいないのか?」

 英斗が聞くと、魔王は面倒くさそうに答える。

「そりゃぁたくさんいるよ。でも、この星系の担当はいつもの女神、ヴィーナだ。他の担当に声かけたって権限持ってないから無駄だろう」

「女神と会う方法は金星に行くか、人類を滅ぼすかしかないのか? 他にあるんじゃないの?」

「あったらもうやってるよ!」

 魔王は吐き捨てるように答えた。












47. 破局的噴火

「金星へはどう行くんだ?」

 英斗の問いかけに、魔王はふぅとため息をつき、偉そうに答える。

「今、ここを動かしているコンピューターをハックして上位階層へ行くしかない。だが、千年やってるのにまだ成功していないんだ。お前らじゃ無理、諦めろ」

 英斗はムッとしてニードルガンを構える。

「あわわわ、ちょっとそれ痛いからやめて!」

 魔王はおびえた様子でうねうねと芋虫のように動いた。

「で、女神を呼ぶにはいったん全人類を滅ぼすしかない……、そういう事だな?」

「そうだよ! 最初からそう言ってんじゃん!」

 なじってくる魔王に、英斗は半ば無意識にニードルガンを放った。

 ぐはぁ!

 魔王は痛がっているが、英斗は人類を滅ぼさねば次へ行けないことで頭がいっぱいだった。

「面倒なことになったのう……」

 レヴィアは涙目になっている魔王を見下ろしながらつぶやく。

「こいつの金星へのアプローチのやり方をちょっと見せてもらいましょうか?」

 英斗の提案に、レヴィアが腕を組みながら、

「確かに。まだ地球には何億人も残っておるから、殺すのは避けた……、あれ……?」

 そう言っている時だった。ゴゴゴゴと地響きが聞こえてきた。

「な、なんですかこれ……」

 英斗はレヴィアと顔を見合わせる。その間にも地響きは大きくなり、地震のように揺れ始める。

「まさか……」

 英斗が魔王を見下ろすと、魔王は勝ち誇ったようにニヤけていた。

 英斗はニードルガンで脚を撃ち、

「貴様! 何やった!?」

 と、叫ぶ。

 魔王は痛みで顔を歪ませながらも余裕を見せ、

「俺が窮地に陥ったとAIが判断したら自動的に噴火するようになってんだよ」

 と言って鼻で笑った。

 ここはまさに火山のど真ん中。噴火したら木っ端みじんである。

 レヴィアは真っ青になると、

「ダメじゃ! すぐに逃げるぞ!」

 と言って、弱っている紗雪の手を取り、裏のドアへと走り出す。

「このオッサンも連れてかなきゃ!」

 英斗はそう叫んだが、レヴィアは、

「馬鹿もん! 噴火に巻き込まれたら上手く生き返れないかも知れんぞ! 急げ!」

 と、叫びながらドアの向こうの階段を駆け上っていってしまった。

 魔王を見れば薄笑いを浮かべている。きっと噴火に巻き込まれても大丈夫な策を隠し持っているのだろう。

 せっかく捕まえた地球復活のキーマンである魔王。ここで逃がしてしまうのはあまりにも惜しいが、揺れはますます激しくなって天井からもバラバラとかけらが降り始めている。こんな太ったオッサンを担いで逃げるのはとてもできそうになかった。

 溶岩流の中に巻き込まれたら、それこそ地面の下で何万年も閉じ込められてしまうかもしれないのだ。それだけは絶対に避けねばならない。

 くっ!

 英斗は断腸の思いで駆け出し、レヴィアの後を追った。


      ◇


 激しく揺れる螺旋(らせん)階段をぐるぐると回り、たどり着いた非常口。

 レヴィアがガン! と開けると青空が広がる。そこは火山の中腹だった。

 一行はドラゴン化したレヴィアの背中に乗り、一気に空へと飛び出す。

 直後、ズン! と激しい衝撃波が一行を襲い、真っ黒な噴煙とともに火山全体が破局的な大噴火を巻き起こした。

 一瞬視界が全て真っ暗になり、マグマの雨が降り注いだが、レヴィアは巧みにシールドを張りながら力強く羽ばたき、何とか脱出に成功したのだった。

 人類再生の手掛かりである魔王はマグマの中へと消え、タニアも失った。その厳然たる事実は英斗の心に刺すような痛みを走らせる。英斗は自分のふがいなさに絶望し、レヴィアの鱗のトゲを抱きながら静かに涙を流した。


       ◇


 エクソダスに戻ると英斗と紗雪は病室でメディカルチェックを受ける。

 特に紗雪は心身ともにボロボロで、ベッドに横たえるとすぐに意識を失ってしまった。

 たくさんの管に繋がれて生気を失った紗雪の顔をしばらく眺め、英斗は大きく息をつく。

 紗雪の毛布を丁寧に整えて、英斗は自分のベッドの毛布に潜った。

 みんな想像以上の活躍をしたと言っておかしくない。それなのに、またしても魔王を取り逃がしてしまった。この無慈悲な現実は英斗に重くのしかかる。

 何がいけなかったのか? どうすればよかったのか? そんなことをグルグルと考えて悶々とする英斗。

 ただの高校生にできることなど限られている。どうしようもなかったとしか言いようがない。

 だが、心はそんな簡単に割り切れないのだ。特にタニアを失ってしまったことがどうしようもなく心を絞めつけていた。

 その時だった。

『パパ、パパ』

 かすかにそんな声が聞こえた。

 えっ!?

 英斗は驚いてバッと跳び起き、

「タ、タニア……?」

 と、病室内を見回す。しかし人影は見えない。

「い、いるんだろ……、おい……」

 英斗はよろよろと立ち上がり、涙をポトポトと垂らしながら、必死にベッドの下までくまなく探した。

「おい! タニアァ!」

 だが、どんなに探しても幼女などいない。英斗は頭を抱えてしばらく動かなくなり、そのままバタリとベッドに倒れ込む。

 くぅ……。

 いつの間にか、あのプニプニほっぺの可愛い幼女が、自分の心の中でどうしようもないほど大きくなっていたことを知り、英斗はむせび泣いた。











48. 紗雪の決意

「タニアぁ……」

 宇宙に飛ばされた幼女は即死なのだ。生き返りもしない。頭ではわかっていても英斗はどこか奇跡を期待してしまう。

 英斗はバっと毛布をかぶり、ひとしきり泣きじゃくると、涙でグチャグチャになったまま睡魔に流され、眠りへと落ちていく。

 病室にはピッピッピというヘルスメーターの電子音だけが静かに響いていた。


      ◇


 紗雪の回復を待ち、数日後、三人は日本へと戻る――――。

 ゲートをくぐるとそこは一面瓦礫のだらけの大地が広がっていた。

「えっ!? ここが、うちの街?」

 英斗は焦げた臭いに覆われた惨状に驚いて辺りを見回す。

 いくつか建物は残っているが、窓枠の向こうには青空が広がっており、裏側は崩れてしまっているようだった。

 瓦礫には黒い(すす)がべっとりと付き、ガラスは全て溶けて流れ、灼熱にさらされ、破壊されたすさまじい惨状を物語っている。

 また、遺体の一部と思える見てはいけない物もあちこちに見受けられ、英斗は目をつぶって大きく深呼吸を繰り返すと、手を合わせた。

「あれ、何かしら?」

 紗雪が震えた声で遠くを指をさす。その先には煙が一条空へとたなびいていた。

「生き残りかもしれんのう。行ってみるか……」

 レヴィアはウンザリとした様子で歩き出す。

 道には電信柱が倒れ、潰れた車が黒焦げになって転がり、ビルのがれきがあちこちで山になっている。紗雪はピョンピョンと飛び越え、英斗とレヴィアは苦労しながら後を追った。

 果たして、煙は崩れたショッピングモールから上がっていた。つい先日まで多くの家族連れでにぎわっていた華やかなショッピングモール【アエオン】も、今や廃墟同然である。

 生き残りがあそこで生活しているに違いない。

 一行は無言で【アエオン】を目指した。


       ◇


 もうすぐでショッピングモールと言うところまで来た時のこと。

 タッタッタ……。

 どこからか足音が聞こえた。

 一行は立ち止まり、お互いの顔を見合わせる。

「おい! 動くな!」

 崩れたビルの上から若い男の声がする。

 慌てて見上げると、刺青をしてバンダナをかぶった男がボウガンを構えてニヤニヤしている。

「な、なんだ。生き残りか?」

 英斗は怪訝そうな顔で聞く。

「【アエオン】はおれらの縄張り(しま)だ。勝手に近づくんじゃねーぞ!」

 男はクッチャクッチャとガムを噛みながら言う。

「そうか、悪かった。【アエオン】には用はない。立ち去るよ」

 事を荒立てたくない英斗は両手を上げて戻ろうとした。

「おーっと! 女どもは置いてってもらうぜぇ」

 すると、似たような格好した半グレっぽい連中が瓦礫の裏から次々と顔を出し、日本刀や斧を見せびらかしながら英斗たちを囲み、いやらしい笑みを浮かべた。

「ちびっこいのはまだ早そうだが、JKは随分な上玉。いい声で鳴きそうだ。グフフフ……」

 バンダナ男がいやらしく笑う。

 英斗は肩をすくめ、首を振る。欲望のままに暴虐を働くクズども、これが人間という生き物の本性なのかと、心底ウンザリしたのだ。

 直後、ボン! と爆発音が上がり、上空に巨大な漆黒のドラゴンが現れる。

 へ? はぁ?

 男たちは目を丸くして固まった。

 直後、ギュォォォォ! というすさまじい重低音の咆哮が響き渡る。

「誰が『早そう』じゃって? このクソたわけが!」

 レヴィアは大きな翼をゆったりとはばたかせながらそう叫ぶと、くるりと素早く回転し、その巨大なシッポを鞭のようにしならせながら、男たちのいる一帯を吹き飛ばした。

 ぐはぁぁぁ! うぎゃぁぁ!

 男たちはあっさりと吹き飛ばされ、

「化け物だ! 逃げろ! 逃げろー!」

 と、慌てて逃げていく。

 レヴィアはギュァァァ! と、雄叫びをあげ、逃げていく男どもを睥睨した。

 紗雪は座り込み、うっうっう……と涙を流し始める。

 英斗は紗雪の手を取り、優しく両手で包み込んだ。

 自分たちの街が廃墟と化し、生き残りも半グレに支配されている。それは想像以上の絶望だった。

 女神には何とかしてこれを復旧してもらうしかないが、その道のりも見えてこない。英斗も目をつぶって大きく息をつき、肩を落とした。

「一回滅亡、、させましょ」

 紗雪がつぶやいた。

「え?」

 英斗は驚いて聞き返す。

「あんな奴ら一回死ねばいいのよ!」

 紗雪は涙をポロポロとこぼしながら叫んだ。

 英斗はなんて答えたらいいか分からず、言葉に詰まる。確かに確実に生き返るのであれば一度殺すというのは選択肢だ。しかし、女神に会えるかも、復旧してもらえるかもわからない状態で残っている何億人を全員殺すわけにはいかないのだ。

「いや、ちょっと落ち着いて」

「じゃあ、どうすんのよ! パパもパパもみんな死んじゃったのよ? 理想語ってる場合じゃないわ!」

 紗雪は真っ赤な目で英斗に食って掛かる。

 英斗はそんな紗雪をそっとハグし、

「わかった。今日はもう帰ろう」

 そう言って泣きじゃくる紗雪の背中を優しくさすった。











49. 新魔王

「ちょっと、英斗、いいか?」

 その日の夕方、病室のベッドでウトウトしているとレヴィアが入ってきて起こされた。

「ん? 何かありました?」

「紗雪が、人類を滅ぼすそうじゃが……お主はいいか?」

「え……? どうやって?」

「月を……落とすんじゃ」

「は? 月って……、あの空に浮かんでいる……」

「そうじゃ、直径四千キロの超巨大ゲートを月の軌道上に開いて、そのまま地球へと跳ばすらしい」

 英斗は唖然とした。確かに魔王のタブレットを上手く使えばできないことはないだろう。だが、それは地球を失うことだ。もし、女神に復旧を断られたらもう、自分たちには帰る場所も無くなってしまう。

「さ、紗雪はどこにいるんですか?」

「指令室におる。だが、決意は固いようじゃぞ」

「ありがとうございます!」

 英斗はダッシュで指令室に向かった。帰ってきてから様子がおかしかったが、具体的な行動にまで出ていたなんて英斗は自分の甘い見通しを悔やんだ。


      ◇


 指令室まで来ると、紗雪がテーブルの上に地球と月の映像を浮かべて見入っていた。

「あら、英ちゃん。これで女神さまに会えるわ」

 紗雪は何かにとりつかれたように力なく笑った。

 英斗は何度か深呼吸して呼吸を整えると、

「女神さまに……地球復旧をしてもらえる目途(めど)はあるのか?」

 と、静かに聞いた。

「そんなのないわよ。ふふふ」

 紗雪は不気味に笑う。

 英斗は眉をひそめると、テーブルを叩き、叫ぶ。

「一人だって殺人だよ? 何億も殺して復旧の目途(めど)もないなんて許されないよ!」

 しかし、紗雪は意にも介さず、

「あら、誰の許しが要るの?」

 と、首をかしげる。

「えっ……、そ、それは……」

 英斗は口ごもった。もはや地球上には国も何もない。残った数億人の意志の決定など誰にもできなかった。

「私ね、魔王になるの。地球を滅ぼす魔王。もう止められないわ。ふふふ」

 紗雪は人差し指を振って嬉しそうに言う。その目は焦点が合っていないようにうつろに宙を泳いでいた。

「お、お前……正気か?」

 青くなる英斗。紗雪はあまりのショックに変な考えに染まってしまったようだった。

 紗雪はギロッと英斗をにらみ、ギリッと奥歯を鳴らすと、

「だったら、英ちゃんがパパやママを生き返らせてよ! できるの?」

 そう言って、バン! と、テーブルを叩き、英斗の顔をのぞきこむ。

 振動でカタカタとティーカップが揺れる。

「それは、じ、時間をかけて……」

「時間ってどれくらい? 千年? 一万年? 待てば必ず女神に復旧してもらえるの? いい加減にしてよー!」

 紗雪の目からは涙がポロポロ溢れ出し、英斗は答える言葉を失って目をそらした。

 確かに紗雪の言うとおりだった。女神にOKをもらえるかどうかなんて待っても変わらないのだ。むしろ、中途半端に地球が復興してしまったら、逆に復旧の目は無くなってしまうかもしれない。

「英ちゃんは責任なんて感じなくていいわ。私が魔王になって私が人類を滅ぼすの! 恨まれるのは私一人でいいわ。私がすべて悪いの!」

 英斗は何も答えられなかった。ここまで決意している人は止められない。

 大きく息をつくと、英斗はうなずき、そっと紗雪をハグした。

 英斗の胸で泣きじゃくる紗雪。数億人の命を賭け金とした前代未聞の賭け。英斗は地獄に堕ちる時は一緒に堕ちようと覚悟を決めた。


     ◇


「あと三分じゃ、もう止められんぞ?」

 地球上空の宇宙空間に展開されたシールドの中で、レヴィアは英斗と紗雪を見た。

 月の軌道上には巨大な瑠璃色のリングが光り輝き、迫りくる月を今まさに飲みこもうとしている。

「失敗したら地獄の業火に焼かれる覚悟はできました」

 英斗はそう答え、うつむく紗雪をそっと引き寄せてハグした。

「これはお主ら人類の問題じゃからな。我は決定を尊重するのみじゃ」

 レヴィアはゲートに迫る月を見ながら眉をひそめ、これから始まる宇宙規模の破滅にぶるっと身震いをした。

 やがて月は瑠璃色のゲートに接触し、ビカビカと激しく明滅する。

 いよいよ始まった地球破壊プロセス。もう誰も止められない。

 英斗はキュッと一文字に口を結び、大罪を犯さざるを得ない自分の運命を呪い、せめて一部始終を目に焼き付けておかねばと大きく息をついた。

 直径3,475mに及ぶ巨大な衛星、月。大宇宙に浮かぶ見慣れたウサギの餅つき模様はやがてゲートへと吸い込まれ、直後、地球のそばに設置されたゲートへと転送されていく。

 秒速一キロメートルで地球の周りをまわっていた月は、その速度のまま地球へと突っ込んでいく。しかし、月のサイズはデカい。衝突までまだ数分はかかるだろう。月の落とす巨大な楕円の影が不気味に太平洋一帯を覆い、これから始まる大惨事の圧倒的なスケールを予感させる。

 英斗は大きく息をつくと、一部始終を見逃すまいとじっと目を凝らした。







50. 人類最後の一人

 月の接近に伴なって、地球の大気も海も陸地も月へと引き寄せられ、月に近い側の地球表面が荒れ始めた。

 宇宙から見ていると些細な動きにしか見えないが、きっと荒れ狂う暴風と巨大津波で多くの死者が出てしまっているだろう。

 覚悟していたこととはいえ息苦しくなり、英斗は思わず胸に手を当てて何度も深呼吸をした。

 やがて、激しい閃光が月と地球の間に放たれ始める。大気圏突入である。あと数十秒で衝突だ。

 見続けられず英斗に抱き着いていた紗雪は、チラッとその様子を見るとハッと息をのみ、英斗の胸にまたギュッと抱き着く。

 英斗はそんな紗雪の髪をなでようとしたが、手がブルブルと震えてしまってうまくできず、自然と溢れてくる涙で頬を濡らした。

 次の瞬間、爆発的な光の洪水が宇宙を輝きで彩り、英斗はあまりのまぶしさにギュッと目をつぶった。

 強烈な輝きが衝突個所を中心に辺りを光で覆いつくし、そこから跳ね上げられる灼熱のマグマはリング状に宇宙へと爆散し、まるで王冠のように美しく衝突を彩った。

 大地はめくれ上がり、衝突個所から同心円状に地上を灼熱のマグマの海へと変えていく。

 英斗はそのとんでもないエネルギーの織りなす天体ショーをボーっと見つめ、破滅の美の黒い誘惑に心を奪われていた。

 宇宙に届く大津波が太平洋を徐々にマグマの海へと塗り替えていき、やがて、地球は真っ赤に輝く灼熱の玉と化した。もはや生き残っている生き物などいないだろう。

『やってしまった……』今さら後悔など何の意味もないことはよく分かってはいるが、英斗はあまりにも衝撃的な地球の破滅に心の置き場がなく冷汗をタラタラと流した。

「さて、女神の登場を待つばかりじゃな」

 レヴィアは腕組みをしてポツリと言った。

「僕と紗雪だと二人ですが……出てきてくれますかね?」

「わからん。女神なぞ呼んだことないからな」

 肩をすくめて首を振るレヴィア。

「その時は私を殺して……」

 紗雪は英斗を見上げて言った。

「いや、僕が死ぬよ」

 英斗はそう言って震える紗雪の髪をそっとなでる。

 その時だった、いきなりシールド内に笑い声が響いた。

「はっはっはー! じゃあ死ね!」

 慌てて声の方を見ると、魔王が魔物たちを引き連れてレーザー銃を構えている。

 なぜ、ここにいることが分かったのだろうか? 一行は唖然とし、言葉を失う。

 バン! という衝撃音とともに太ももに激痛が走り、英斗が崩れ落ちる。

「くぅっ! な、なぜ……?」

 直後、ワラワラと一つ目ゴリラの大群が紗雪とレヴィアに襲いかかった。いきなりの事態に二人は全く対応できず、屈強なゴリラの腕力の前にあっさりと確保され、手足を縛られ転がされる。

「特異点君、こないだはいいように(なぶ)ってくれたな? オイ!」

 魔王はツカツカと歩きながら再度レーザーを発射した。

 がはっ!

 英斗の太ももの肉がはじけ飛び、血が噴き出す。

 英斗は激痛に意識が飛びそうになりながら必死に歯をギリッと鳴らしたが、なすすべがない。万事休すである。

 今まさに死の淵に追い込まれた英斗は、耳がツーンとなって音がボワボワと反響し、時間がゆっくりと流れているように感じた。

 魔王は英斗のすぐそばに立ち、眉間に照準を合わせると、

「女神を呼ぶ条件を俺が満たしてやろう。クフフフ」

 そう言って引き金の人差し指に力をこめる。

「やめてぇ!」

 紗雪が縛られたまま、必死に体をくねらせながら魔王の足元に近づいてきた。

 魔王は汚らわしいものを見るような目で紗雪をチラッと見下ろすと、何も言わず、紗雪の頭を蹴り飛ばした。

 かはっ!

 ゴロゴロと転がった紗雪の口からは真っ赤な鮮血がタラリと垂れ、脳震盪(のうしんとう)を起こしたようにブルブルと震えている。

「何すんだ……」

 英斗が魔王の足につかみかかろうとした時、バン! と衝撃音が響いた。

 大事なところの破片をまき散らしながら崩れ落ちる英斗は、床に転がりビクビクと痙攣(けいれん)するばかりの肉隗(にくかい)へとなり果ててしまう。

「え、英ちゃん……」「小僧……」

 あまりの出来事に紗雪もレヴィアも現実が受け入れられず、ただ、呆然として転がっていた。

 頭にレーザーを食らってしまった英斗は、こうして十五年の短い人生を終えたのだった。
「さてさて、いよいよ女神の降臨だぞ!」

 満天の星々の中、真っ赤になって鮮烈に光るマグマの球、地球に背を向け、魔王は宙を仰いだ。

 やがて、たおやかに流れる天の川の淡い濃淡の間から、すい星のように光の筋が迫ってくるのが見える。

 レヴィアは苦々しい表情で光の筋を目で追いながら、何とか手首をしめつけるバンドを取れないかモゾモゾとあがいてみた。しかし、手首に食い込むバンドはビクともせず、ギリッと奥歯を鳴らす。

 ポケットのクリスタルスティックに手が届きさえすればドラゴンになれる。レヴィアはバレないように慎重にゆっくりと身体をひねりながら、そっと指先を伸ばした。

 そうこうしているうちに光の筋は徐々に大きくなってきて、一行のそばまでやってくると、上空で止まる。それは黄金色に輝く光でできた乗り物のようで、中に人影が動いてが見えた。

 やがて白い階段が乗り物からツーっと伸びてきて一行の所へと降りてくる。途中シールドがあるのだが、干渉せずにすり抜けて通路を作り上げた。その物理法則を超越した出来事をレヴィアはウンザリしたような顔をして眺める。

 降りてくる人影、それはチェストナットブラウンの髪を揺らす美しい女性だった。透き通るような白い肌に整った目鼻立ち、そして琥珀色の美しい瞳が印象的である。純白のボディスーツの上にキラキラと黄金に輝くレースのドレスをまとい、髪には金色の髪飾りが少し浮いてゆったりと回っていた。

 レヴィアは険しい目で女神をにらむ。五百年前、自分たちを流刑地送りにして多くの同胞を殺した憎い相手である。キッチリと言うべきことを言わねば気が収まらなかった。

 まるでファッションショーのように優雅に腰を振りながら階段を降りてきた女神。シールド内に魔物が多くいて死体が転がっていることをいぶかしそうに眺めると、魔王を見つけ、

「あら、グシタムじゃない。どういうこと?」

 と、つまらなそうに肩をすくめた。
 
「ヴィーナ様、お久しぶり。そろそろ刑期も満了かと思いまして……」

「そうだったかしら? 何だか全然反省しているように見えないんだけど?」

 ヴィーナはチェストナットブラウンの髪を軽く指先で持ち上げながら、英斗の遺体を見つめて眉をひそめ、次に縛られて転がっている紗雪とレヴィアを眺めた。

「いや、千年は短くないですよ。ちょっと成果を見てくださいよ」

 そう言うと、星空を指さした。その先には虹色に光の玉があり、そこからオーロラ状の光のリボンがゆったりと伸びてきた。

 レヴィアはそれを見て焦り、

「ヴィーナ様! 見てはいけません!」

 と、叫んだ。

「え? あのオーロラがどうかし……」

 そう、答えかけたヴィーナは、まるで時が止まったかのように琥珀色の瞳を見開いたままピタッと止まってしまった。

 レヴィアは目をギュッとつぶってため息をつく。女神に文句はあるが、魔王のペースになる方がよほど問題に思えたのだ。

「クフフフ……、はっはっは!」

 魔王は愉快そうにひとしきり笑うと、微動だにしないヴィーナに近づき、何かのケーブルを伸ばすと、いきなりケーブル端子を持った手をヴィーナの脇腹にズブリと潜り込ませた。

 その異様な光景にレヴィアは戦慄を覚え、一体何が始まるのかその不気味さに冷や汗を流す。

 瞬き一つしないヴィーナにケーブルで繋がったタブレットを、上機嫌でタンタンと叩く魔王。

 やがていやらしい笑みを浮かべると、

「クフフフ……、これで俺様の勝ちだ」

 と、ニヤニヤしながらヴィーナからケーブルを引き抜いた。

 やがて動き出すヴィーナ。

 ヴィーナは違和感を感じ、眉を寄せて小首をかしげ、魔王をにらんだ。

 しかし、魔王は逆ににらみかえすと、

「ヴィーナよ、長い間いたぶってくれたなぁ、オイ!」

 と声を荒げた。

「あら……あたしを愚弄(ぐろう)する気? いつからそんなに偉くなったの?」

 ヴィーナは琥珀色の瞳を光らせてギロリとにらむ。

「今、この瞬間からさ。ヴィーナ、お前はもう俺の支配下だ」

「何言ってんの? 身の程知らずが!」

 ヴィーナは怒りをあらわにすると、手を前に出し、手のひらの上に、まるでお盆を持つようにピンク色の魔法陣を浮かび上がらせた。

 直後、魔法陣からは無数のピンクの花びらがブワッと噴き出し、竜巻の様に渦を巻きながら星空に吹き上がった。辺りにはハラハラと花びらが降り注ぐ。

散華吹雪(ブロッサム)!」

 ヴィーナはそう叫ぶと魔法陣を魔王やゴリラたちの方に華麗に舞わせた。刹那無数の花びらが花吹雪となって魔王たちを襲う。花びらは淡くピンクの光を放ちながらまるで刃物のように空気を切り裂きながら無数、魔王たちを目指した。

 満天の星空のもとに舞うピンクの花吹雪。それは幻想的な美しさを放ちながらその場を支配する。

 ゴリラたちは花びらを手で払い落そうとしたが、あまりの数に対応ができず、花びらの吹雪に埋もれ、無数の四角いブロックノイズを浮かべながら次々と消えていった。

 しかし、魔王は健在だった。確かに花びらは無数直撃しているのだが、全く効き目はなかったのだ。












52. 根源の焔

「クフフフ……。はっはっは!」

 魔王は大口を開けて笑う。

 ヴィーナはなぜ効かないのか理解ができず、険しい目をして魔王の醜い脂ぎった顔をにらんだ。

 この世界において管理者(アドミニストレーター)の攻撃は絶対である。どんなに物理的な対策を講じようともこの世界を動かしているのはシステムであり、システムに直接働きかける管理者(アドミニストレーター)の攻撃は防ぎようがないのだ。

 だが、花びらに込められた【消去コマンド】を浴びても魔王は平然としている。これは魔王も管理者(アドミニストレーター)権限を持っていることを示していた。

 なぜ? どうやって? どこまで権限を使える? ヴィーナはギリッと歯を鳴らして目を凝らし、魔王のデータを必死に集める。

 しかし、魔王に関する一切のデータは取れなかった。それは自分よりも高位であることを示している。

「な、なぜ……? あんた一体……」

 ヴィーナは焦り、慌てて空間跳躍(ワープ)で逃げようと扇子を取り出してパチンと鳴らした。しかし、何も起こらない。自分の権限も制限されてしまっていたのだ。

 ハッとして魔王をにらむヴィーナだったが、打つ手がない。ここに来てヴィーナは絶体絶命の窮地に追い込まれたことに気がついたのだった。

「クフフフ……。次は俺の番だな……」

 魔王は手のひらを上にして気合を込める。

 直後、ブワッと虹色のきらめきが放たれ、ヴィーナは険しい表情で後ずさる。

 魔王の手のひらの上にゆらゆらと立ち上がる虹色の炎。それは神秘的な輝きを放ちながら辺りを照らした。

「ま、まさかそれは……」

 ヴィーナはおののいて、言葉を失う。

 よく見ると、揺れている炎は全て無数の輝く「1」「0」の数字で構成され、この世界を構成するデジタルの本質をそのまま表すきらめきだった。

「そう、これは根源の焔(エッセンスライト)……。この世界の根源に揺蕩(たゆた)うこの世界の本質だ」

「な、なぜおまえがそんなものを!」

 ヴィーナは冷や汗を流しながら叫ぶ。この世界の根源にアクセスできるということは管理者(アドミニストレーター)でも触れない、この世界のさらに上位の世界全てのことにアクセスできるということ。ヴィーナは今まで感じたことのない底知れぬ恐怖にゾッとして、青ざめた顔で唇を震わせた。

「お前の権限に、俺の千年にわたる研究成果を組み合わせた。そう、まさにお前のおかげだな、はっはっは」

 ニヤニヤしながら根源の焔(エッセンスライト)を揺らめかせる魔王。

 ヴィーナは踵を返すと飛び上がり、宇宙船に向かってツーっと飛び上がる。

「逃がすか! 死ねぃ!」

 魔王はそう叫ぶと、根源の焔(エッセンスライト)をヴィーナに投げつけようと振りかぶった。

 一部始終を見ていたレヴィアは、ヴィーナが決定的な危機に陥ったことに覚悟を決めざるを得なくなった。女神には思うところはあるが、超常者となってしまった魔王が今後自分たちを放っておくとは思えない。女神だけが自分たちの希望なのだ。

 大きく息をつくと、レヴィアは何とか指先を届かせたクリスタルスティックに気合を込める。

 直後、ボン! という音を立てて、漆黒のドラゴンが満天の星々の中に現れ、鱗に浮かぶ黄金の光をぼうっと浮かび上がらせた。

 魔王は爆発音に振り向いたが、レヴィアの方を向いた時には長く巨大なシッポが目前に迫っていた。

 うわぁ!

 ズン! と鈍い音を立てて吹き飛ぶ魔王。

「女神さま、逃げてください!」

 そう言うと、レヴィアは転がる魔王に向けてパカッと大きな口を開いた。

 ほとばしる灼熱のドラゴンブレス。

 しかし、直後に倒れたのはレヴィアだった。

 ギュァァァ!

 レヴィアは苦しそうに巨体を倒し、痛そうにうめいた。

「バカが! 管理者(アドミニストレーター)相手にそんな攻撃が効くとでも思ってるのか」

 苦しむレヴィアの鱗には根源の焔(エッセンスライト)が美しく虹色に輝きながら燃え上がり、どんどんと火の手を広げていく。

「さて、ヴィーナ! どこへ行こうというのかね?」

 魔王はツーっと飛んで逃げているヴィーナの方に手のひらを向け、グッとこぶしを握った。

 キャァ!

 髪の毛を引っ張られたヴィーナの悲鳴が響き、動きがピタッと止まる。魔王は管理者(アドミニストレーター)の力を使いこなしていた。

「ふんっ!」

 魔王がこぶしをブンと手前に引っ張ると、ヴィーナは髪の毛を引っ張られるように引き寄せられ、宙を舞って、魔王の足元に転がった。

 もはやこの星系で最強となってしまった魔王。ヴィーナはかつてない恐怖にガタガタと震え、これから始まるであろう惨劇に言葉を失っていた。








53. オタマジャクシの怒り

「逃げられるわけがないだろう。クフフフ……」

 魔王はいやらしい笑みを浮かべると、ドスッとヴィーナの胸を踏みつけにした。

 カハッ!

 苦しそうにうめくヴィーナ。

 魔王はニヤリと笑うと、虹色の炎の中でビクンビクンと痙攣をおこしているレヴィアの方を向き、

「無駄なあがきをしおって。五百年、長かったな……。ノイズの海に消えたまえ」

 と、勝ち誇る。

 しかしもう、レヴィアには意識は残っておらず、ドラゴンの巨体はブロックノイズを残しながら徐々に小さくなり、最後には灰一つ残さずに消えていった。

「さて、ヴィーナ。これからお前は俺の奴隷だ。分かったな?」

 魔王はそう言うとヴィーナの脇腹を蹴り上げた。

 ぐふぅ!

 ヴィーナは一瞬衝撃で浮き上がり、ゴロゴロと転がった。

 何とか活路を見出そうと、荒い息をしながらよろよろと身体を身体を起こすヴィーナだったが、今度は頭を蹴り上げられ意識が飛んでしまう。

 こうして、魔王の一方的な蹂躙で地球の復旧どころではなくなってしまった。

 紗雪は火の玉となって鮮烈な熱線を放っている地球をボーっと眺めていた。英斗もレヴィアもパパもママも友達も全てが失われてしまったことに、もう生きる気力も何もすべてなくなってしまう。絶望に塗りつくされ視界すら暗くよどむ中、指先一つ動かせず、ただ力なく涙を流していた。

 満天の星々の中、ただ、魔王がヴィーナをいたぶる凄惨な衝撃音だけが響いていた。


       ◇


 時は少しさかのぼり、撃ち殺された英斗の魂は黄金の光が渦巻く全てが溶けこんだスープの中を流されていた。

 キラキラと輝く黄金の微粒子が英斗の魂の中にもいきわたり、徐々に分解して液体へと変えていく。

 英斗は全てから切り離され、ただ、スープの中を漂いつづける。

 何か大切なことがあったような気もするが、今はただ静かにこの温かな光の中へゆったりと溶け込んで全てと一つになっていきたい。必死にあがいていたが、あがく必要などなかったのだ。英斗は満足感の中でゆったりと流れに任せていた。

 どんどんと分解されていく英斗の魂……。

 その時、どこかから声が聞こえた。

『パパ、パパ……』

 誰のことを言っているのか? 自分には関係ない……。そう考えていた英斗だったが、次の瞬間、泣きぼくろのチャーミングなプニプニほっぺの幼女のイメージがふわっと浮かぶ。

 え……?

 英斗は混乱した。この可愛いのは一体何だ?

 幼女は必死に何かを語りかけてくる。

『パパ、そっちはダメ……』

 ダメと言われても、今さら必死にあがくような生き方になど戻れない。このまま静かに全てと溶け合っていくこと、それが人としてあるべき姿に違いないのだ。

 だが、次の瞬間、魔王に顔を蹴り上げられて転がる紗雪のイメージが浮かぶ。美しく透き通るような肌に鮮血がツーっと流れていった。

 え……?

 何だこれは……?

 これは誰……?

 えっ!? さ、紗雪じゃないか!

 直後、爆発的なエネルギーが魂の奥底から湧き上がってくる。

 うぉぉぉぉぉ!

 と、英斗は雄たけびを上げた。

『そうだ、紗雪にタニアじゃないか、思い出した。一体僕は何をやっているんだ?』

 英斗は正気を取り戻し、辺りを見回す。すると、向こうの方に巨大な手が見えた。それは幼児のプニプニとしたモミジのような手だった。

 ただの火の玉のような発光体になってしまった英斗だったが、うねうねと形を変えることで何とか推進力を得てオタマジャクシのように必死に泳ぐ。

 タニアの手もグググっと伸びてきて、最後には英斗の魂をグッとつかんだ。

 直後、激しい閃光が走り、英斗は全身が焼けるような激しいエネルギーの奔流を受け、意識をもっていかれそうになる。しかし、それは望んで得た覚悟の痛みであり、英斗は歯を食いしばりながら時空を超えていったのだった。











54. コペンハーゲン解釈

「あ、あれ……?」

 気がつくと英斗は真っ白な空間にいた。天も地も純白で穢れ一つない不思議な空間だった。自分の身体を見てみると素っ裸で向こうが透けて見える。どうやら幽霊みたいになってしまっている。

 一体、ここはどこで自分はどうなってしまったのだろうか? 死後の世界ということなのだろうが、一体ここで何すればいいのだろうか? 英斗は首をひねり、遠近感も何もない純白の世界を見渡した。

 直後、ポン! という破裂音がして空中に幼女が現れる。素っ裸で半透明なプニプニの女の子、タニアだった。

「タ、タニアーーーー!」

 英斗は思いっきり抱き着いた。

 魔王に飛ばされて死んでしまったタニア。何度も何度も後悔をして冥福を祈っていた幼女がここにいる。

 英斗はそのプニプニのほっぺにスリスリと頬ずりをして涙をポロポロとこぼした。

 キャハッ!

 タニアは嬉しそうに奇声を上げると、英斗の頭にしがみつく。

 英斗はほんのりとミルクの匂いがする温かなタニアをしっかりと抱きしめて、再会を喜ぶ。

 死んでも終わりではないというこの世界の奇妙さに、英斗は底知れぬ不気味さを感じつつも、幼女の柔らかい温かさに安堵を感じていた。


         ◇


「で、ここはどこなんだい?」

 英斗は純白の空間を見回しながら聞く。

「生と死のはざまだよ。あのね、ママが危ないの。助けて?」

 と、タニアは小首をかしげ、つぶらな瞳をウルウルとさせた。

「お、おう。紗雪がひどい目に遭っているのは見た。どうしたらいい?」

「パパ、楽しい未来を選んで」

 と言って、タニアはニッコリと笑うが、未来を選ぶも何も、自分は死んでしまっている。英斗はけげんそうな顔で首をかしげた。

「思い出して、世界はデジタルでできているんだよ」

 その言葉に英斗はハッとする。そう、この世界はコンピューター上で作られた世界。であるならば死というのは単に【状態】に過ぎないに違いない。データさえ書き換えられればいくらでも復活の目はある。

 とはいえ、自分は管理者(アドミニストレーター)でも何でもないただのキャラクターだ。システムの動作には干渉などできない。

「理屈は……、分かる。でも、どうやったらいいか分かんないよ」

 英斗は泣きそうな顔をする。あまりに無力すぎる自分に息が詰まってしまうのだ。

「大丈夫、あたしが教えてあげる」

 タニアは可愛い胸を張り、この世界の姿を説明し始める。

「そもそも、この世界がデジタルな世界になったのはパパが選んだからだよ」

 タニアは人差し指を英斗に向け、つぶらな瞳をキラリと光らせた。

 英斗はタニアが何を言っているのか分からず、首をかしげる。なぜ、この世界の構造が自分の選択の結果なのだろうか?

「異世界系のラノベとかたくさん読んで、妄想ふくらませてたんじゃない?」

 タニアは指を振りながら英斗の目をのぞきこむ。

「そ、そうだね。中学に入ってからよく読んでた……かな?」

「異世界を実現できる世界構造って何だと思う?」

 そう言われて英斗は考え込む。そんなこと今まで考えたこともなかったのだ。異世界は異世界。物語上の空想なのだから、どう実現するかなんて興味もなかった。しかし、実際に実現するとしたら……。少なくとも物理法則が成り立たなくても構わない世界でないと無理だろう。となると……。

 英斗は首をひねった。

 思いつくのは仮想現実空間。そう、MMORPGゲームのようなコンピューターによる合成した世界ならいくらでも実現できるだろう。

「そりゃあゲームみたいな空間なら実現可能だよ? でもそれと僕の妄想と何の関係があるの?」

「パパ、宇宙は無限にあるんだよ」

 は?

 英斗はいきなり宇宙の話をされて混乱する。

「宇宙は決まった一つが時の流れに合わせて動いているんじゃないの。同時に無数の宇宙があり、さらにその宇宙一つ一つがどんどん無数の宇宙に分岐しているのよ」

 タニアはニコッと笑って言う。

「いやいやいや、宇宙は一つだろ。一つの宇宙があって、みんなその世界に住んでいる。常識だよ」

「それは【コペンハーゲン解釈】だね。量子力学を知ると、そんなナイーブなことありえないことが分かるよ。キャハッ!」

 タニアは宙に浮き上がると、クルクルッと回って楽しそうに笑った。

「ちょっと待って! なんでタニアはそんなこと知ってるの? 幼女の知識じゃないじゃないか!」

 英斗は眉をひそめ、いぶかしげに聞いた。

「ふふーん。じゃぁこれならいい?」

 ボン! と爆発音がして、黒のボディスーツに身を包んだ美少女が現れる。それはどことなく紗雪にも似た、黒髪を長く伸ばした女の子だった。その透き通るような肌にパッチリとした目鼻立ちはドキッとさせる魅力がある。

「あたしは幼女であり、少女であり、老婆なのよ。どう……? キャハッ!」

 少女は右腕を高く掲げモデルのセクシーポーズを取りながら、挑発的な視線で英斗を射抜いた。

 英斗は頭がパンクした。ずっとプニプニの幼女だと思っていたタニアが、魅惑的な美少女となって自分を挑発している。それは想像もしなかった事態だった。








55. 海王星の衝撃

「ちょっと、君……。何者なの?」

「ふふっ、何者でしょうか? そのうちに分かるよ! キャハッ!」

 楽しそうにはぐらかすタニア。

 英斗は大きく息をついて、首を振る。

「で、宇宙が無数ある。まぁ、それはあるかもね。量子って複数の状態を同時に取れるんだろ? 量子コンピューターの話で聞いたことあるよ」

「そうそう。では、その無数の状態を確定するのは誰?」

「だ、誰……?」

 英斗は考え込む。確かに宇宙に無数の状態があるとしたら誰がそれを決めるのか? しかし、そんなことわかりようがない。

「パパだよ」

 タニアは嬉しそうに英斗を指さした。

「はっ? なんで僕?」

「正確に言うと、一人一人、魂を持つ者が独自の世界を規定していくんだ」

「え? では、一人ひとり別の世界に生きてるって……こと?」

「そうだよ? 今この世界にいる他の人も、別のことを志向したら別の宇宙へと分岐していくんだ」

 英斗は混乱する。そんなことしたらネズミ算式にどんどんと宇宙は増えまくってしまう。

「そんなことしたら宇宙だらけになっちゃうじゃないか!」

「そうだよ? だから『宇宙は無限にある』って言ったじゃん。キャハッ!」

 英斗は言葉を失った。無限、それは限りがないこと。限りが無ければいくらあっても大丈夫……。

 しかし、それはとても信じがたく、首をひねる。

「まぁ、理屈はいいよ。異世界系ラノベに影響を受けたパパは、この世界の無数の在り方のうち、デジタルな世界を選んだんだ」

「ちょっと待って! まさか、紗雪が龍族だったのもレヴィアさんたちの世界があったのも全部僕の妄想の結果?」

「もちろん!」

 タニアは嬉しそうに答えた。

 英斗はへなへなと座り込んでしまう。中学時代に『紗雪が龍族だったことを知った』のではなかった。英斗が選んだ世界で『紗雪はそういう設定を背負った』のだった。

「バカな……」

 英斗はこの荒唐無稽な話をどう理解したらいいのか途方に暮れ、頭を抱えた。

「納得するのは後でいいわ。ママがピンチなの。助けて」

 すらりとした長い指で英斗の手を取るタニア。

 英斗はその柔らかい指にドキッとしながら、

「助けるって……、どうやって? 僕死んじゃってるんだよ?」

 と、泣きそうな顔でタニアを見た。

「んもー! 助けられる世界を選択する。それだけでいいのよ」

 タニアは口をとがらせる。

「せ、選択って……、どうやって?」

 タニアはニコッと笑うと、

「選択はふつう無意識に行われているわ。でも、意識的にやりたいなら瞑想(めいそう)ね」

 そう言って、長いまつげが魅惑的な目を嬉しそうにキラッと光らせた。

「め、瞑想なんてやったことないよ……」

 泣きそうな顔をする英斗。

 タニアはふぅとため息をつくと、

「深呼吸を繰り返すだけよ。四秒息を吸って、六秒止めて、八秒かけて息を吐く。やってみて」

「わ、わかったよ」

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

「うまいうまい。徐々に深層意識へ降りていくよ」

 しかし、英斗は次々と湧いてくる雑念に流される。『紗雪は痛そうだったな、直せるかな?』『レヴィアの彼氏ってどんな人なんだろう?』『ラーメン食べたいな、ラーメン』

 英斗は頭を振り、必死に雑念を振り払おうとするが、振り払っても振り払ってもわいてきてしまう。

「ダメだ! 上手くいかないよ」

「大丈夫、もう少しだから。雑念湧いたら消そうとせずに『そういう考えもあるね』と、ただ、受け止めてそっと送り出してあげればいいわ。あたしも手伝ってあげる」

 タニアはそう言うと、そっと英斗にハグをした。

 柔らかい柑橘系の匂いに包まれ、英斗は顔を赤くしながら深呼吸を始めた。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 ドクン、ドクンとタニアの鼓動が聞こえてくる……。

 次々と湧いてくる雑念をそっと送り出し続ける英斗。

 やがて、グンっと何かに引き込まれる感覚があって、一気に感覚が鋭くなっていく。

 自分の身体や周りのものが目をつぶっていても分かるようになってきた。

 深く静かに鼓動を打つ自分の心音も聞こえてきて、タニアの鼓動とセッションしているのが分かる。

 ハグしているタニアの柔らかなふくらみも細部まで感じられる。

 さっきまで真っ白で何もないと思っていた空間の本当の姿……。そこは超巨大コンピューターの中のサイバースペースだった。その実体は、全長一キロメートルくらいはあろうかというデータセンターにずらりと並んだ円筒形のサーバー群。

 意識をさらに広げていくと、見えてきたのは巨大な(あお)き惑星、海王星だった。
 地球の四倍のサイズのガスでできた真っ青な巨大惑星。この青の中の氷点下二百度になるダイヤモンドが吹き荒れる嵐の中で、超巨大コンピューターシステムは湯気をもうもうとたてながら地球をシミュレートしていた。

 英斗は自分の選んだ世界の結果がこんなサイバーな構造物になり、地球を街を人を動かしている事実に感嘆する。単に『異世界があったらいいな』と無意識で思っていただけで自分たちの世界がこんなことになるとは全く想像もつかなかった。

 ここで、レヴィアたちの宇宙船が火星に行こうとして、女神に止められた理由に気が付く。そう、女神たちは火星を作っていなかったに違いない。探査機の調査に耐えられるレベルの火星は作ってあったものの、レヴィアたちに暮らされると都合が悪かったのだ。

 しかし、魔王は『女神は金星にいる』と、言っていた。なぜ海王星ではなく金星なのか不思議に思った英斗はさらにメタな視点で海王星を俯瞰(ふかん)していく。そして次の瞬間、ブワッと意識が金星に飛んだ。

 神々しく黄金色に輝く惑星、金星。そしてその衛星軌道に広がる巨大な構造体。それは宇宙空間にまるで悪魔の羽のような巨大な黒いパネルを無数展開し、ぼうっとほんのり赤く光っている。そう、これらもコンピューターシステムだった。

 なんと、海王星はこの金星のコンピューターシステムによって創り出されていたのである。

 つまり、金星のコンピューターシステム上の仮想現実空間で海王星が作られ、海王星で作られたコンピューターシステム上で仮想の地球が作られていたのだ。

 このまるでマトリョーシカのような入れ子構造の世界に、英斗はめまいがした。

 自分は異世界が欲しかっただけなのに、なぜこんなとんでもない複雑な構成になっているのだろうか? きっとこの金星もまた別の星のコンピューターシステムに作られているに違いないのだ。

 英斗はその複雑怪奇な宇宙の構造に気が遠くなり肩をすくめ、首を振る。

「パパ! 急いで!」

 振り向くとついてきたタニアが指さしている。指先には空間の切れ目があった。

 英斗は全てを理解し、うなずく。

 この宇宙は自分の作った情報の世界。分かるということはすなわち自在に動かせるのだ。


       ◇


 英斗は気がつくと、死んで転がっていた遺体の中に戻っていた。吹き飛ばされた頭は元に戻り、心臓もドクンドクンと元気に鼓動を打っている。

 英斗は両手を見つめ、指を動かし、元通りになったことを確認した。瞑想し、単に自分が復活した世界を思い描いただけで本当に生き返ってしまったのだ。世界がこんな仕組みになっていたとは本当にどうかしている、とまるでキツネにつままれたような顔をして英斗は首を振った。

 視線を感じてそちらを見ると、転がされた紗雪が丸い目をして英斗を見つめている。

 英斗はニコッと笑って立ち上がる。

 女神をいたぶっていた魔王は、いきなり英斗が立ち上がったのを見て唖然とする。

「お、おい……。お前なんで生き返ってんだ?」

 しかし、英斗は魔王を無視し、スタスタと紗雪のところまで行った。

「え、英ちゃん……」

 すっかり弱って、涙と血で汚れてしまった綺麗な顔を向ける紗雪。

 英斗は涙ぐんでそっと抱き起し、

「僕が来たからもう大丈夫だよ……」

 そう言いながら、怪我を瞬時に治した。

 うっ……うっ……。

 紗雪は英斗の体温を感じながら嗚咽する。完全に諦めた絶望の中に現れたまさかの温かな希望。落ち着いた英斗の心音を聞きながら紗雪は少しずつ自分を取り戻していった。

 無視された魔王は怒髪天を()く勢いで怒り、

「無視してんじゃねーぞ! ザコが!」

 と、叫びながら腕をビュンと振り、光の刃を撃ち出した。

 光の刃は光の微粒子を辺りにまき散らしながら優雅に宙を舞い、英斗の背中に着弾し大爆発を起こす。

 ズン! という激しい衝撃がシールドいっぱいに響き渡り、漆黒の爆煙がもうもうと上がった。普通の人間なら木っ端みじんである。

「クズは死んどけ! カッハッハ!」

 魔王はいやらしく笑いながら吐き捨てるように言った。

 ところが、爆煙が晴れていくと英斗たちは平然としているではないか。

「な、何だお前は……。やはり特異点か……」

 と、眉をひそめ、思わず後ずさった。

 英斗は魔王の攻撃が効かない宇宙を選んでいる。どういう機序でこうなっているのか英斗も分からないが、もう魔王の攻撃が効くイメージがわかなかった。

 英斗は憂鬱そうな顔をして、

「ねぇ? 魔王って殺した方がいいよね……。でも……」

 と、紗雪に聞いてうなだれる。

 人殺しなんて初めてなのだ。たとえどんな悪人でもその人の未来をすべて切断してしまうということは抵抗があり、戸惑ってしまう。

 紗雪は英斗の顔を見上げ、

「あいつは生かしておいてはダメよ。地獄なら私が落ちるわ……。殺して」

 と、まっすぐな目で英斗を見つめた。

 英斗はしばらくその澄み通ったこげ茶色の瞳を見つめ、

「勇気を……、くれないか?」

 と、泣きそうな顔で頼む。

 紗雪はクスッと笑うと目を閉じて唇を差し出した。

 英斗はそっと唇を重ね、紗雪の柔らかな舌をチロチロと優しくなでた。

 体内に流れ込む紗雪の新鮮なエクソソーム。体中に勇気が沸き起こってくる。

 英斗は戦いに行く時のキスの気持ちを初めて理解したのだった。









57. 宇宙の意志

「おい! 何見せつけてくれてんだよ!」

 魔王の罵声が響いた。

 ユラリと立ち上がる英斗。

 くるっと振り向き、確固たる決意が浮かぶ目で魔王を見据えると、ツカツカと魔王の方へと歩き出した。

「特異点だろうが今の俺には関係ない。すり潰してくれるわ!」

 魔王はクワッと目を見開くと、次々と煌びやかに輝く魔法陣を展開し、英斗を炎であぶり、重力で潰し、絶対零度で凍らし、真空で切り裂いた。

 その圧倒的な攻撃のラッシュはすさまじく、爆発的なエネルギーの奔流が英斗の身体の周りで渦巻く。

「あぁ! 英ちゃん!」

 激しい閃光に目を向ける事すらできない紗雪は、今にも泣きそうな顔で叫んだ。

 しかし、英斗の歩みは止まらない。次元を切り裂いても、英斗の身体のデータを書き換えても何をしても止まらなかったのだ。

 爆煙を身にまといながら、青く不気味に光る眼でまっすぐに魔王をにらみ、淡々と魔王との距離を詰めていく英斗。

 あまりの想定外のことに魔王の額を冷汗が流れる。この世界の法則を牛耳っているはずの魔王に倒せない者がいることなどあってはならなかった。

 魔王はピョンと大きく後ろに飛び、距離を取ると、

「仕方ない……。究極の技で葬ってやろう……」

 魔王はギロリと英斗をにらみ、両手のひらを英斗に向け、うぉぉぉぉ! と雄たけびを上げる。

 魔王の目は血走り、苦しそうにしながら技を繰り出そうと脂汗をタラリとながした。

 満天の星々の美しいシールドの中を、英斗は淡々と魔王を目指し、歩く。辺りには、魔王が放った魔法の残り火がかすかな音を立てていた。

 直後、ギュウンと空間が一瞬歪み、全ての音がピタッと止まる。

 英斗も足を空中に上げたまま不安定な姿勢で止まってしまった。

 魔王は辺りを見回し、全てが止まっている状況に満足げにうなずくと、

「クハハハ! 見たか! これが世界制動(シャットダウン)だ! 海王星のサーバーの動作を止めた。お前らはもう動くことも感じることもできん。俺の勝ちだ! はーっはっはっは!」

 と、満足げに笑った。不気味な存在だった英斗ももはやただの人形同然である。

「さーて、あの女を無茶苦茶に犯してぶち殺し、生首を見せてやろう。どんな顔するかな? クフフフ……」

 魔王はタッタッタと軽快に紗雪のところまでかけていくと、紗雪の顔を、身体をねちっこく視姦し、

「うーん、ちと胸が足りんがいい身体だ。グチャグチャに犯してやる。ウヒヒヒ……」

 と、言いながら服に手をかける。

 直後、ゴスッ! と、鈍い音をたてて、魔王が吹っ飛んだ。

 ぐはぁ!

 魔王は一体何が起こったのか分からず唖然とする。何かが頭をヒットした。しかし、自分以外時間が止まったこの空間で吹き飛ばされるなどありえない。

 満天の星々の中に浮かぶシールドの中で、英斗は離れたところで足を上げたままだし、ヴィーナも転がったままだ。一体どういうことか分からず、魔王は鼻息荒くしながらギリッと歯を鳴らした。

 魔王は辺りを慎重に見まわし、再度紗雪に迫るとそっと服に手を伸ばした。

 刹那、ゴスッ! とまた魔王が吹き飛ばされる。

 ゴロゴロと転がり、無様にひっくり返る魔王。

「チクショウ! 誰だ!」

 魔王は真っ赤になって辺りを見回す。そして、英斗の立っている位置が微妙にさっきと違うことに気が付いた。

「小僧……? 貴様、動けるのか!?」

 魔王は信じられないというような顔で喚いた。

 英斗はニヤッと笑うと、

「あれ? バレちゃった」

 と、嬉しそうに肩をすくめた。

「な、なぜだ……。くっ!」

 魔王は得体の知れない英斗の強さにゾッとして、冷や汗を流す。

「諦めな、宇宙の意志がお前を許さない」

 英斗はそう言って、ツカツカと魔王に向かって歩き始めた。

 魔王は気おされ、後ずさりながら、

「特異点、お前は危険だ! この世界ごと葬ってやる!」

 と、充血した目で叫ぶと、床を蹴り跳び上がった。シールドを超え、宇宙へ高く舞い上がっていく魔王。

 火の玉になった地球の紅い輝きをうけながら満天の星々の中で

「ぬぉぉぉぉ!」

 と、鬼のような形相で魔王は吠えた。

 いよいよ、魔王の最大の攻撃が来る。英斗はキュッと口を結ぶと、精神をもう一度瞑想の世界へと下ろしていく。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 と、深呼吸を繰り返し、その時を待つ英斗。

 汗びっしょりになった魔王はニヤリと笑い、

「準備は整った……。この一帯の星系含めてお前ら全部消し去ってやる。お別れだ……。クフフフ……」

 と、ドヤ顔で英斗を見下ろした。
















58. フローラルの香り

 英斗はすまなそうな顔で、

「本当に申し訳ないんだけど……。お前が作ったのはそれか?」

 と、魔王のすぐそばに発生した【空間がぐにゃっと歪んだ黒い球】を指さした。

「へ?」

 魔王は横を見て凍りつく。

 そこにはマグマの塊となった地球がぐんにゃりとひずんで見え、真ん中に漆黒の丸が不気味に口を開けていた。

「こ、これはブラックホール!? なぜここに? 金星に仕掛けたはずだぞ!」

 真っ青になって逃げようとした魔王だったが、時が動き出す。

 強烈なブラックホールの重力がグン! と魔王を襲い、まるで無数の手で捕まえたように魔王の動きを止めた。ブチブチっと魔王のシャツが引きちぎられ、ブラックホールへと吸い込まれて、パリパリっとかすかな閃光を発しながら消えていく。

「き、貴様ーーーー! 何やった!?」

 吸い込まれてしまったらもう生き返ることもできない【根源の力(エッセンス)】で作ったブラックホール。魔王は必死に活路を探した。

 しかし、ワープも何も一切の権能がロックされていて何もできない。

「僕は何も? ただ、お前が致命的に失敗する世界を選んだだけさ」

 英斗は肩をすくめる。

「くぅぅぅ! だから特異点は嫌なんだよ! うわっ! うわぁぁぁぁ!」

 魔王は断末魔の叫びをあげ、ブラックホールへと真っ逆さまに堕ちていく。

 刹那、パリパリっとほのかな閃光を上げ、魔王の身体は漆黒の球体の中へと消えていった。

 あの邪悪な限りを尽くしてきた魔王。それが今、宇宙の根源へと還っていった。もはや二度と悪さすることはないだろう。

 終わった……。

 英斗は大きく息をつくと手を合わせ、ただ、冥福を祈った。

 ブラックホールは徐々に火の玉となっている地球の方へと落ちていき、最後には地球を飲みこみ始める。綺麗な灼熱のマグマの球体だった地球に、まるで風船をつまんだようなえくぼができると、徐々にそれが広がっていき、どんどんとブラックホールに飲みこまれていく。

 英斗は紗雪のもとへ行き、手をつないでその恐ろしい天体ショーを眺めていた。自分の妄想で選んでしまった世界。そこで織りなされた数々の冒険の日々。それらが今、終焉(しゅうえん)の時を迎えたのだ。もう邪魔するものは誰もいない。あの愛しい日常がもうすぐ戻ってくる。

 徐々に小さくなっていく灼熱の地球を眺めながら、英斗は何も言わずただ、その数奇な運命を感慨深く思い、紗雪の手をぎゅっと握りしめた。


        ◇


 地球が全てのみ込まれると、満点の星々の世界が広がった。ヴィーナが乗ってきた乗り物が淡く黄金色に輝き、まるで満月の夜のように静かに辺りを照らしている。

 英斗は倒れているヴィーナを揺り動かし、

「女神さま……。大丈夫ですか?」

 と、声をかけた。

 ヴィーナはゆっくりとまぶたを開き、琥珀色の瞳で英斗を見つめる。その美しい澄んだ瞳に徐々に力が戻ってくると、ゆっくりと辺りを見回し、

「あれ……? あいつは?」

 と、不思議そうに聞いた。

「僕が倒しておきました」

 英斗はニコッと笑う。

 ヴィーナはピクッと眉を動かすと、辺りを解析し、地球があったところにありえない重力を見つけた。

「な、何よこれ……」

 と、真っ青になって【根源の力(エッセンス)】で作ったブラックホールを調べていく。

 システム上ありえない、全てを飲みこむその異常な存在にヴィーナは唖然として、

「これであいつを……? 君が倒した……の?」

 と、目を丸くして英斗に聞く。

「そう、僕が」

 英斗はニコッと笑って手を差し伸べる。

 ヴィーナは信じられないという表情で英斗の目を見つめ、英斗に引っ張ってもらって起き上がった。

 しばらく何かを考えていたヴィーナだったが、ハッとして、

「そうか! 君、君なのね!」

 と、嬉しそうに笑いながら英斗にハグをした。

 うわっ!

 いきなり抱き着かれ、華やかなフローラルの香りに包まれて焦る英斗。

「ありがとう。待ってたわ」

 ヴィーナは安堵した表情を浮かべ、耳元でささやいた。







59. 再会の分娩室

 ――――それから五年。

 英斗とレヴィアは東京の田町にある女神のオフィスで働いていた。

 地球を丸っと動かすコンピューターシステムと言ってもバグや障害は発生するし、ハッカーたちが悪さしたり、魔王のようなテロリストが攻撃を仕掛けてきたりする。管理者(アドミニストレーター)である女神にはそういったトラブルを解決する役割があり、英斗たちはそれをお手伝いしていた。

 いくら英斗が好きな宇宙を選べると言っても、些細なことまで全部宇宙を選び続ける訳にもいかない。世の中、あちらを立てたらこちらが立たないことは多いのだ。

 英斗がデスクで端末を叩いていると、レヴィアがコーヒーを片手にやってきて、

「嫁さん、そろそろ予定日じゃろ?」

 と、ニコニコしながら聞いてくる。

「はい、もうそろそろですよ。すっかりお腹も大きくなって、ポコポコ蹴ってくるんですよ」

 英斗は嬉しそうにそう返す。実は仕事をしていても、もうすぐ生まれる赤ちゃんのことで頭がいっぱいだったのだ。

「ははは、楽しみじゃのう」

「レヴィアさんのところはまだですか?」

 ニヤッと笑う英斗。

「う、うちはそういう計画じゃないから……」

 真っ赤になって、うつむくレヴィア。

「ふふっ、毎晩パワーアップしてそうですね」

 レヴィアはギロッと英斗をにらむと、

「お主はどうしてそういうデリカシーの無いことを!」

 と、いいながら背中をバシバシと叩いた。

「痛い、痛いですって! あ……」

 その時、ピコンとスマホにメッセージが入る。

「じ、陣痛だ! 行かなきゃ! 後、お願いします!」

 英斗は急いで空間を割ると病院へと跳ぼうとする。

「おいおい、まずは自宅なんじゃないのか?」

 レヴィアは呆れたように言う。

「あっ! そうだった! さ、紗雪ーーーー!」

 英斗は行先を自宅へと変え、空間を跳んで行く。

 いよいよやってくる赤ちゃん。いままで覚えたことのないような嬉しさ半分、不安半分の不思議な感情に戸惑いながら、英斗は紗雪の元へと急いだ。


         ◇


 翌朝、空が白み始めたころ――――。

「はい! 頭見えてきたよー! さぁ最後のひと踏ん張り!」

 女医さんの声が分娩室に響く。

 んんーーーー!

 パジャマ姿の紗雪は分娩台で足を開き、持ち手を握って全身の力をこめていきんだ。もう何時間も激しい痛みと戦って疲労困憊(こんぱい)だったが、いよいよクライマックス、最後の力を振り絞る。

 直後、するりと赤ちゃんが女医さんの手に降りてきた。

 オギャー! オギャー!

 分娩室に可愛い声が響きわたる。

 や、やった……。

 長かった、手に汗握る出産に安堵し、英斗は紗雪の髪をなでながら大きく息をついた。

 女医さんは手早くへその緒を処理すると、

「はい、可愛い女の子ですよー!」

 と、嬉しそうに英斗に見せた。

 生まれたての真っ赤な新生児。その可愛い顔には泣きぼくろがついている。

 それは忘れられないタニアのチャームポイントだった。そう、やっぱりタニアは二人の子供だったのだ。

 英斗はこの数奇な運命に思わず涙ぐむ。魔王軍の襲撃で、魔王城で、激しい戦いの中、何度この子に助けられたか知れないのだ。

 今はか弱い新生児でも、すぐにとんでもない存在へと育っていくだろう。

「ありがとう。待ってたよ」

 英斗はそっとタニアの頭をなでた。

 タニアは目を開け、英斗を見ると泣き止み、

「パパ……?」

 と、小首をかしげる。

「おぉ、パパだぞ!」

 英斗は唖然としている女医さんからタニアを受け取ると、

「ほら、ママもいるぞ」

 と、紗雪の方を向かせる。

 紗雪はそっと伸ばした指でタニアの泣きぼくろをなで、

「おかえり……」

 と言ってポロリと涙を流した。

「マンマ……」

 タニアはちっちゃな手で紗雪の人差し指をキュッとつかむと、幸せそうに微笑んだ。

 女医さんはその光景を見て、

「え? なんでもう話せるの?」

 と、青ざめた顔で思わず後ずさった。








60. 限りなくにぎやかな未来

 それから三年、タニアが過去へと旅立つ時がやってきた――――。

 自宅のリビングで出発準備をしているタニアを眺め、心配で仕方ない英斗は泣きそうになりながら、

「タニア! 肉球手袋は持ったか? おやつは?」

 と、声をかける。

「大丈夫だよ、パパ。きゃははは!」

 ボーダーのシャツを着た可愛いプニプニの幼女は、楽しそうにくるりと回る。

 なぜこんないたいけな幼女を送り出さねばならないのか、因果の歪みの理不尽さに英斗はうなだれる。

「ごめんなぁ、制約でタニアじゃないと行けないんだ……」

 紗雪はそんな英斗を見て、

「大丈夫よ、あなた。タニアは立派に活躍してたじゃない」

 と、英斗の肩をポンポンと叩く。

 タニアはトコトコっと英斗の前まで来ると、

「じゃあ、行ってきますのチュー!」

 と、言って唇を突き出し、英斗に両手を伸ばす。

「お、おう。魔物は強いぞ。気をつけろよ」

 そう言いながら英斗はタニアを抱き上げる。

 タニアは目をつぶると嬉しそうに英斗の唇にぶちゅっとキスをした。

 神々しく光り輝き始めるタニア。

 きゃははは!

 プニプニのほっぺで楽しそうに笑った直後、英斗の腕の中でブゥン……という音を残してタニアは消えていった。

「あぁ……、タニア……」

 ガクッとひざから崩れ落ちる英斗。

「大丈夫だって……」

 紗雪はそう言ってそっと英斗にハグをする。

 巨大な手で十万匹の魔物を潰し、魔王城で一つ目ゴリラの群れを倒していったタニア。英斗はその情景を思い出しながら、手を組んでひたすらに無事を祈った。

「なんで……、うちの娘が戦うことになっちゃったのかしら……?」

 紗雪が不満げに言う。

 世界には無数に人間がいる。何もわざわざ未来から娘が助けに行く必然性などなかったのだ。

 英斗はピクッと反応し、目を宙に泳がせながら、

「な、なんでだろうね……」

 と、ごまかす。

 しかし、紗雪にはそんなごまかしは通用しない。

「あなたのせいなの!? どういうこと?」

 紗雪はギロッと英斗をにらむ。

「え? あ、そ、それは……。昔のラノベに父娘で一緒に戦うのがあって『そういうのもいいなぁ』って思っただけなんだよ」

 紗雪は唖然とし、宙を仰いだ。

 紗雪が戦う羽目になったのも、タニアが戦う羽目になったのも全部英斗の妄想のせいだったのだ。

「こんなになるなんて思わなかったんだよぉ」

 必死に弁明する英斗。

 紗雪はジト目で英斗をにらむと、

「あなたの妄想は危険だわ。これからはラノベ禁止ね!」

 と言ってプイっと向こうを向いてしまった。

「えっ! き、禁止ぃ!?」

 大好きな趣味を禁止され、呆然とする英斗。

 異世界で、宇宙で、ヒーローやヒロインが活躍するファンタジーは、英斗の魂をどこまでも無限にはばたかせてくれていたのだ。それが禁止になってしまう……。

 はぁ~と、英斗はため息をついて、この世界の理不尽さを憂えた。

 その時だった、

 ガチャ!

 いきなりリビングのドアが開いた。

「ただいまー!」

 そう言いながら、黒のボディスーツに身を包んだ美少女が現れる。それは紗雪にも似た、黒髪を長く伸ばした女の子だった。

「あれ? タ、タニア……? は、早かったな……」

 段取りと違う帰還を果たしたタニアに、英斗は固まってしまう。

 タニアはそんな英斗に迫ると、ニコッと笑いながら美しい目をきらっと輝かせ、

「じゃあ、ただいまのチュー!」

 と、目をつぶって唇を近づける。母親似の美しく整った顔、長くカールしたまつ毛。もう女としての魅力がのぞいているタニアに、英斗は心臓が高鳴ってしまう。

「ダメ、ダメー!」

 紗雪が焦って介入してくる。大きくなった娘と英斗がキスするのは許しがたかったのだ。

 タニアはクスッと笑うと、

「じゃあ、ママとチュー!」

 と言って、紗雪に抱き着くと、唇を吸った。

 予想外の展開に紗雪は対応が遅れ、手をバタつかせる。

 ん、んん-ーーー!

 紗雪はタニアに舌まで入れられてしまい、目を白黒とさせた。

「ダ、ダメよ!」

 両手でタニアを突き放す紗雪。

 直後、二人は神々しい黄金色に輝きだした。

「え?」「は?」

 紗雪は英斗と顔を見合わせ、唖然とする。

「新たな扉を開いちゃったみたいね。くふふふ」

 タニアはペロリと唇をなめながら、嬉しそうに笑った。

「もう! この子は!」

 紗雪はタニアを捕まえようと飛びかかり、タニアはまるで鬼ごっこみたいに鋭い身のこなしで逃げ回る。

 きゃははは!

「待ちなさい!」

 タニアは壁を蹴り、天井を蹴り、リビングを縦横無尽に逃げ回る。なんというおてんば娘だろうか。

 娘に負けじと追いかける紗雪。

 黄金の輝きを振りまき、すさまじい運動性能を見せる二人を見ながら、英斗は、

「俺ってもう要らないのでは……?」

 と、アイデンティティの喪失の危機に震える。

「おっとアブナイ!」

 紗雪の手をギリギリで避けたタニアだったが、よろけた隙にひざが英斗に直撃。ゴスッ! と鈍い音を立てて英斗が吹っ飛び、ごろごろと転がった。

「あっ! いけない! パパー!」「あぁっ! あなた!」

 パワーアップしたタニアの洗礼を受けた英斗は、ぐったりとして意識が飛びかける。

 慌てて英斗を抱き起こす紗雪。

「あなた……、大丈夫?」

 目を回しながら英斗は、

「キ、キスは相手の了解を取ってからな……」

 そう言って、ガクッと紗雪のふくよかな胸にもたれた。


 こうして三人の限りなくにぎやかな暮らしが始まった。

 タニアの起こす楽しい騒動の数々はまたの機会に……。



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