③私、突然お嬢様になりました


もちろん、私の気のせいかもしれないが…。

これから一緒にやっていくペアの彼に対して私自身が不誠実ではありたくないし、できれば適度に仲良くやって平穏な学園生活を過ごしたいのが本音だ。

「…わかりました。じゃあ、侑也くんって呼びます。あと、私、別に様なんかつけるほど大層な人間でもないので呼び捨てにしてもらっていいですよ。西園寺グループの孫娘ってことだって昨日発覚したことですし。感覚は一般人と同じなので…。それに、間違ってたら申し訳ないですけど、さっきから笑ってるの本心じゃないですよね?」


そう言って、目の前で笑う彼をジッと見つめ返してみる。


そんな私の言葉に一瞬、大きく目を見開いた侑也だったが次の瞬間には、フッと怪しげな微笑みを浮かべ私を見据えた。


そして。


「へぇ?これはちょっとびっくりだ。理解があるなら助かるよ。君、そこまでバカじゃなかったんだ」


と、先程までとは打って変わって小馬鹿にしたような口調でそう言い放つ。


「…ふーん。それがあなたの本性?裏表激しいんだ…」

ちょっと顔立ちが良いからって理由で、ペアであることを喜んじゃった上に、トキメいた数十分前の自分を殴りたい。

やっぱり顔も性格も良い人間なんてそうそういないんだなと、心の中でため息をついた。

「別に僕は裏表激しくないよ。ただ好き嫌いがハッキリしてるだけだし。むしろ誠実だと思うけどね」

クスッと意地の悪い笑みを浮かべ、悪びれた様子もない彼。

…うわぁ。どうしよう…すっごく苦手なタイプかも。

口角が引きつりそうになるのをどうにか堪えた私は、冷静に彼に言葉を紡ぐ。

「なるほどね。あなたが私のことをよく思ってないっていうことはなんとなく把握したわ。けど…初対面でそこまで邪険にされる筋合いはないし、それに、私のこと嫌ならなんでペアなんか引き受けたの?」

「ハハッ。僕が引き受けたくて引き受けるわけなだろ?君のお祖父様の命令だよ、西園寺グループの執事が当主直々の命に背けるとでも?」

嘲笑で返され、さすがに私も若干イラッとしてしまう。

ダメよ。こういうのは先に怒ったほうが負け…。耐えるのよ、琴乃!

「…まぁ、確かにそうね。それじゃ、私がお祖父様に頼んで別の執事とペアを変更してもらえばいいってわけね?そしたら、侑也くんは嫌いな私とペアを組まなくていいし」

我ながらナイスアイデアだと心の中で思っていると、呆れたような表情で私を見る侑也は盛大にため息をこぼした。

「あのさ…一応僕は、当主様から君のこと任された立場なんだよ。だから、会って数時間でペア解消だなんて僕の経歴に傷がつくようなことやめてくれる?てか、君もっと感謝したら?西園寺グループの権威があってこそだよ、僕クラスの執事見習いがつくなんて」

…はぁ?どんだけ偉そうなのよこの性悪男!

そんな彼の傲慢な態度に私は開いた口が塞がらない。

苛立ちからついつい拳を握りしめる私に対し。

「それに君のことは嫌いだけど、執事としての業務は完璧にこなすつもりだから安心していいよ?」

と、言い放つ侑也にとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「ふざけないで…!私は別に優秀な執事なんかじゃなくてもいいの。とりあえず櫻乃学園を無事に卒業できれば成績だってそこそことれてればいいし。どちらかといえば平穏に…普通に学園生活を過ごしたいだけ」

つい口調が荒くなるも、私は至って真剣に声を上げる。


「…ったく、本当にわかってないね。櫻乃学園に転入してきた時点で普通の学園生活過ごせると思ってんの?悪いけどここはそんな甘くないから。ランクと家柄がものを言うんだ。…君も西園寺の名前背負ってるってこと肝に銘じとくことだね。僕も君が西園寺である限りはサポートするつもりだし」

やれやれと肩を竦めつつ、侑也はリビングにあるソファに腰を下ろした。

「とりあえず…明日からの学園生活せいぜい僕の足を引っ張らない程度には頑張ってもらうよ?」

侑也の脅しのような言葉に少しずつ抱いていた不安が増していくのを感じる。

…私、本当にこの悪魔みたいな執事見習いと上手くやっていけるのかな?

私は内心そう思いつつ、小さく肩を落としたのだった。


翌日。

コーヒーの良い香りで私は目を覚ました。

「ほら、いつまで寝てんだよ。初日から遅刻なんて愚行ありえないからな。さっさと制服着替えてダイニングに来て。朝食出来てるから」

それだけ言うと、私の部屋を後にする侑也くん。

そうだ…私、今日から櫻乃学園に通うんだ。

机の上にキッチリ置かれている制服を見て、彼が置いてくれたことに気づく。

綺麗にたたまれた制服はシワの1つも見当たらない。

なるほど…。執事としての仕事だけはちゃんとすると言っていた彼の話は信じてよさそうだ。

私はサッとベッドから起き上がり、寝巻きを脱ぐと置かれている制服に袖を通した。

「…おはよう」

「そこ座って。髪は僕がするからあんたはそれ食べて」

制服に着替えて部屋を出た瞬間、侑也くんにテーブルの前の椅子に座るよう指示される。

ひとまず、ここでの生活に慣れるまでは彼に従っておいた方が得策だと私も素直に席につく。

そして、ふとテーブルの上に視線を移した私は驚いて目を丸くした。

良い匂いの正体これだったんだ…。

テーブルの上には、コーヒーにヨーグルト。コーンスープに、目玉焼き。焼きたてのパンが並び美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐる。

すごい…。自分の準備も完璧に済ませた上でここまでの準備。

『君もっと感謝したら?西園寺グループの権威があってこそだよ、僕クラスの執事見習いがつくなんて』

あの言葉は今思い出しても鼻につくが、自分でそう言ってのけるくらいには優秀だということなのだろう。

「…ありがとう。いただきます」

「別に…これが僕の仕事だからね。っと、あんたが遅いからあんま時間ないな…ほら、髪も済んだよ。あと…学園に着くまでにこれ暗記すること」

パンを一口頬張った時、バサッと無雑作に置かれたノートを見つめ、私はキョトンとした表情を浮かべる。

「なにこれ…?」

怪訝そうにノートを見つめる私に侑也くんはニヤリとほくそ笑んだ。

「西園寺グループの令嬢としてこのくらいは頭に入れておく必要があること纏めといた。執事の仕事は完璧にこなすって言ったでしょ?あんた、公久様に聞いたけど頭は悪くないみたいだしそれだけが唯一の救いかな」

ムッ。

本当にいちいち言動に棘がある男だ。

「わかった…移動中に確認する」

パンを口に押込み、コーヒーで流し込んだ私はパラパラとノートを捲ってみる。

しかし、隙間なくギッシリと書かれている情報に思わず私の口元が引きつった。

こんな大量の情報移動中に全部覚えろって…?やっぱり悪魔だわ、この男。

でも、馬鹿にされたまま終わるのは癪だし…ね。

どうせできないだろうと思われているのかと考えると余計に腹がたった。

見てなさいよ、完璧に覚えてやるから…!

そう心に誓い、私はノートを掴むと侑也の後に続き寮を後にしたのだった。


――――…


「まぁ、あの方が西園寺の…」

「あらあら、確か今日から転入するって噂、本当だったのね」

昨日訪れた学園の門をくぐると、ちょうど登校時間ということもあって多くの生徒の姿が見える。

見かけない私がよほど珍しいのかヒソヒソと小声で話している生徒達を横目に心の中でため息をこぼした。

…うわぁ、本当にお嬢様学校って感じ。私、やっていけるかな…。しかも、小声で喋ってる内容聞こえてるし。

いかにも「ご機嫌よう」と言ってそうな雰囲気の生徒たち。

そして。

「琴乃様、こちら1年A組が本日より琴乃様が通うクラスになります。私もお側におりますのでわからないことなど何なりとお申し付けください。さ、こちらへ」

車をおりた瞬間に態度を一変させたこの沢城侑也という執事見習いも私が頭を痛める原因の一つ。

顔が引きつりそうになるのをなんとか堪え、「えぇ。ありがとう」と優雅に答えてやる。

私もこの数日で成長したものだ。

ガラリ。

教室の扉を開け、私が一歩教室に足を踏み入れた瞬間。

「……」

「……」

先ほどまでガヤガヤしていたはずのクラスがシーンと静まり返った。

な、なに?この空気…。

教室内にいるほとんど全員の視線が私に注がれていることに気づき、些か居心地が悪い。

すると。

「おはようございます。本日より西園寺グループのご令嬢、西園寺琴乃様が1年A組に転入されました…お嬢様学科、執事学科の皆様、どうぞよろしくお願いいたします」

私の前にサッと出てきた侑也くんは、爽やかに微笑むと深々クラスのメンバーにお辞儀をした。

まさか彼に助け舟を出されるとは思わなかったがそこは優秀な執事見習いといったところか。

「西園寺琴乃と申します。皆様、よろしくお願いいたしますね」

ノートに書かれていた言葉遣い、挨拶に気をつけながら私はニコリと微笑んだ。

第一印象がまずは物を言う。それは、庶民だろうがお金持ちだろうが変わらないはず。

オドオドした印象で舐められてもらっちゃ困るわ。

その時だった。

「まぁ…!今日から転入でしたのね。お噂はかねがね聞いております…失礼。見たことがない方だったので少々クラスの皆様も緊張されたご様子で」

優雅な笑顔を携えて私に歩み寄ってきたのは、これぞお嬢様と言った見た目の彼女。

長い栗色の髪は綺麗に巻かれ、頭には大きめの黒のカチューシャをつけている。

見た目は、少し派手だが顔立ちも整っていて立ち振舞も優美だ。

えっと…確かこの子は…。

侑也のノートには、同じクラスのメンバーが写真つきで記載されていた。

「…はじめまして。菖蒲池純連様…ですね?西園寺琴乃と申します。よろしくお願いいたします」

ピクリ。

「あら。私のことご存知なのですね…」


一瞬、私が名前を告げた時、菖蒲池さんの顔が真剣な表情に変わる。


「えぇ、もちろんです。クラスメートですもの。それに菖蒲池財閥のこと知らないなんてことありえませんわ」


うふふと、お嬢様の笑みを浮かべ対応する私は内心、冷や汗をかいていた。

菖蒲池純連。
1年A組クラス委員長。
ランクは3級。
ゴールドに光るバッジがその証拠だ。

菖蒲池財閥は、アパレルブランドを数多く所有しており、その規模は年々拡大している。彼女自身も成績優秀で1年生にして唯一の3級を保持。コイツに目をつけられると危険だから気をつけること…。

確か侑也くんのノートにはそんな内容が記載されていた。

つまり、私が1年A組で平穏な学園生活を送る上で、最初の難関なのである。

返答を間違えたら…終わりよ。

ゴクリと息を呑んだ時。

「純連様のことちゃんと知ってるなんて…思ったより賢いんだね?それとも執事の入れ知恵かな?」

「…千影。口がすぎますわよ」

菖蒲池さんの後ろから、スッと現れたの男の子は彼女のパートナー執事のようだ。

彼のこともノートにあったわね…。

名前は本郷千影。
菖蒲池純連のパートナー執事見習いで、成績優秀、執事としての力量もトップクラス。1年の執事学科の中で総合2位の実力者だ。

性格に難ありのため要注意って書かれてたけど、侑也くんに言われるくらいだからよっぽどね。

「純連様、失礼いたしました。私も新しいクラスのメンバーとして、ちょっと褒めただけですので」

悪びれた様子のない彼に対し。

「…千影、僕のパートナーに失礼は許さないよ?」

今まで黙っていた侑也くんがおもむろに口を開いた。


「へぇ…?沢城が庇うんだ、意外だな〜。俺の予想では、西園寺家当主に無理矢理ペアにさせられたのかと思ってたけど…仲良いんだ?」

目を見開く本郷くんは侑也くんから視線を移し、私を見つめる。

いえ、本郷くん。正解です…!

そんなツッコミを心の中で入れた私。

すると。

「仲良いとかそういう話じゃないだろ。琴乃様はれっきとした西園寺グループのご令嬢なんだ。沢城家の一員として西園寺グループにお仕えするのが僕の仕事だからね」

と、本郷くんに言い返す侑也くん。

「ふーん。さすが沢城。執事学科の総合1位様は言うことが違うね〜」


「…まぁ、僕が1位なのは当然だけど。千影も僕に次いで毎回2位だし、頑張ってるほうじゃない?」

「…は?」

二人の視線が絡んだ瞬間、バチバチと火花が散っているように見えるのは…気の所為だと思いたい。

ちょっと、転入初日で争いごとは勘弁なんだけど!

二人のやり取りに内心ハラハラしていると。

「千影下がりなさい。ごめんなさいね、西園寺さん、沢城くん。私のペアが失礼ばかり…」

菖蒲池さんが本郷くんをたしなめ、間に入ってくれたおかげで何とかその場がおさまった。

「いえ。こちらもうちのペアが言い過ぎましたし…」

「まぁ…西園寺さんってすごくお心が広い方なのね。ぜひ仲良くしたいわ。西園寺さんはご存知みたいだけど改めて自己紹介させて?菖蒲池純連よ。そしてペアの本郷千影。よろしくね?わからないことがあれば何でも聞いてちょうだい」

サッと、私に向かって手を差し出し微笑む菖蒲池さん。

表情が全然変わらない…。まだ、本心がわからないから言動には気を付けないとね。

「えぇ…こちらこそ。よろしくお願いします」

そんなことを思いながら、私も彼女の手をギュッと、握り返したのだった。


「まぁまぁ合格点なんじゃない?初日にしてはだけど」

「侑也くんって、何でそんなにひと言多いのかな?普通に上出来だくらい言えないの?」

昼休み。

私は、屋上で侑也くんと共に昼食を取っていた。

本当は学校の食堂に行ってみたかったんだけど、好奇の目で見られるし少しはゆっくりしないと今日一日の体力がもたないからと人目のない屋上に来ていた。

それにしても…お弁当まで用意してくれてるなんて…本当に優秀だこと。

屋上に広げたシートに座り、彼が作ったお弁当を食べる私。

「菖蒲池純連と対等に話せてたし、あそこまで言えれば上出来。意外に器用なんだね琴乃って。ノートの内容もそれなりに頭に入ってるみたいじゃん」

「まぁ、自分の平穏のためだしね…とりあえず心配なのは午後からあるマナーレッスンだよ。今日はお茶会がテーマらしいし。お茶会なんて出たことないよ」

午前中は、普通のカリキュラムで座学の授業だったからなんとかなったけど…。

問題は午後にある特別授業。つまり、私1人の授業。

「ふっ、その辺は僕にまかせて。今から叩き込んであげるから」

今から…?せっかくの休み時間なのに?

しかし、時間もないからしょうがない。

ハァ…特別授業、いったいどんな感じなのかな?

先行きの不安に気が重くなりつつ、私は再度お弁当に箸をつけた。