パーシモンがタッと椅子から下りる。

ナォー。
愛らしく鳴いて、塔ヶ崎くんが撫でると、目を細める。満足したのか優雅に長いしっぽを振って歩いていった。それを塔ヶ崎くんが優しい目で追う。
あの彼女の背中を追った時と重なる。
綺麗。オレンジの毛色が彼女みたい。

塔ヶ崎くんはこの子を見る度、彼女を思い出すのかな?私さえ思い出すのだから。

「言って、思ってること。俺も言うから。正直に言う。だから、ちゃんと信じて」

『信じて』って言われたら信じるしかない。
言葉を信じるしかない。

でも、何だろうな。言葉じゃなくて、塔ヶ崎くんの彼女に会った時に力が入った手とか、視線を掠めたピアスとか、目で追った背中とか……
あの人の前では私の事を“彼女”にしたこととか……そんなのが『何とも思ってない』って言葉を信じられなくしている。
《《言葉》》じゃなくて、私が、《《見て》》、《《感じた》》こと。

信じられないっていうか、塔ヶ崎くんが無理にそう思っているんじゃないかなって、不安になる。

「聡子……?」
「向こうに彼氏がいなかったら、どうしたの?」

どうしても言えなかった。あの人は彼氏じゃないんだよって。
私は、ずるいのかもしれない。あの人が彼氏だから、塔ヶ崎くんは諦めたのかもしれない、なんて……。

「いなくても、変わらない。俺の横には聡子がいたし」

私の、ため?
それとも……私の……《《せい》》なのかもしれない。
「納得出来ない?」
「してるんだよ、頭では」
「気持ち……てことか。そうだよな。気持ちだけは……仕方がない。別に今日じゃなくても、いつでも直ぐ言って」
「うん」

これ以上はダメだ。何か言ってしまったら塔ヶ崎くんはその通りにしてくれそう。
好きな人のことだからこそ、本人より気づくこともある。

「全然だな。でも避けないで、時間ちょうだい。ちゃんと納得できるようにするからさ」

……これだけ言ってくれたらもう、十分。これ以上心配かけないように笑顔を作った。
塔ヶ崎くんも、笑ってくれた。
テーブルに突いた腕に乗り出すように、私に近づく。

ドキッとして、目を閉じてしまった。ふっと塔ヶ崎くんが吐いた息が前髪にかかる。

「これ、誰のために張り切ったの?」

そっと指先で、前髪を横に流される。前髪がない分、遮るものがない。近くで綺麗な目がじっと見てる。
「この前、こうやって、触ってた。何で?」
「えっと、先生? 前髪が乱れてたから、だよ」
「生徒に、そんなことする?」
「うん、だから秘密……で」

塔ヶ崎くん、もしかして、先生があの人と一緒にいた人だって気づいてない?

「秘密……?」
セクハラとか言われたら可哀想かな?と思って言った。
「先生、若いんだよ。まだ大学生なの。恋愛対象に全然入……る」

あ、塔ヶ崎くんの元カノ、大学生なんだった。塔ヶ崎くんの顔が……曇った気がした。
「まあ、そうだな。そっか、学校の先生じゃないもんな。スーツ着てたから大人っぽく見えたけど、大学生ってこともあるのか」
「……塔ヶ崎くん、先生の顔、見えた?」

「いや、俺の方からはあんまり」
「そっか」

じゃあ、あの人が誰かわかってないのか。
私から話すのもどうかと黙っていた。

私の前髪を触ってた塔ヶ崎くんの手が、そこから離れた。

「よく、わからないな」
ボソリ、そう聞こえた。

「え?」
「どうすんの、これから」
「これからって」
「聡子はどうしたい? 」
「……どう」

夏休みの思い出は十分出来た。全部が私らしくないことで、もう終わってもいいのかもしれない。
そうだ、忘れてた。私たちはクジでペアになったから一緒に過ごしただけ。

「言い方、変えるね。まだ俺といたい?」
「……うん」
「そっか。じゃあ、俺も……信じることにする」

塔ヶ崎くんがそう言って、テーブルに置いた私の手をポンポンと叩いた。

どういう意味かわからない。
塔ヶ崎くんのこととなると、ますますわからない。

「……あと、何する? 夏休みしか出来ないようなこと。海でも行く?」
「海もちっちゃい頃しか行ったことない」
「……そっか」
「水着買おうかな」
「え、行く?」

何だ、冗談か。浴衣買ってもらったとこだしな。
「いや、いいよ」
首を横に振った。
私たちはお盆休み以外は、朝の数時間一緒に過ごした。
私の家はお盆休みはお墓参りくらいなのだけれど、塔ヶ崎くんのお家は忙しいと思うから。

フェニックスも元気だし家で過ごす必要もないのだけれど、過ごしやすくてついおじゃましてしまっていた。

「……あれ、誰か来てるの?」
そう言って、二階から誰かが下りてきた。

「あ、そうだ。今日、ねーちゃんいるんだった」
「お、おはようございます。おじゃましてます」
「ああ、毎日来てるって言ってた子? おはようございます。どうぞ、ごゆっくり」

私の心配を他所に、あっさりそう言われた。

立ち上がったけれど、そのまま座り直した。

「ねーちゃん全然気にしないから、大丈夫」
「ねー、スピルリナのグリンスムージー飲むけど、いる?」
「いらねー」
「あんたに聞いてない。彼女ちゃん」
「いらないです、ありがとうございます」
「そ」

うわぁ、『そ』って言い方が塔ヶ崎くんにそっくりで、顔が緩む。いや、顔も目元が似てて、美人!!

「私も混じっていい?」
「あ、はい、どうぞ」

って言っても何するわけでもないんだけど。
何となく広げたテキストが目の前にあるだけだ。

「わ、勉強熱心だね。朝から」
「勉強が趣味でして、この前まで」

ぶっ、と塔ヶ崎くんが吹き出した。
「あ、いや、この子、早期自立目指してるから」
と、塔ヶ崎くんがフォロー?してくれた。

「へえ、えらいね」
「えらくないです。単に将来一人なのでそのために出来るだけ準備をしているだけです。自分のため、です」
塔ヶ崎くんがおかしそうに肩を揺らす。
緊張!してるんだってば!

「将来一人ってどういうこと?」
「親戚が全然いなくて、一人っこですし、親亡き後が一人で……猫くらいは飼ってると思うんですけどね?」
お姉さんが、私と塔ヶ崎くんの顔を往復させる。私、何か変なのだろう。

「えっと、子供を持つ気はないの? 子供は持たない場合もあるだろうけど、パートナーは?」
「出来てたらいいんですけど、出来ないことも想定しておかないと。自立さえしてたら委託は出来ると思うので」
「委託?」
「誰かが、一人身の私の骨を拾ってくれる、ということです」

お姉さんは悟ってくれたのか
「なるほど」と、だけ言った。

それから、塔ヶ崎くんを見ると
「撰とは?」と、疑問をそのまま口に出した。確かに夏休みに毎日のように来てたらそう思うのも当然だけど……。

「友人です。クラスメート」
そう答えたけれど、お姉さんは塔ヶ崎くんの顔を見たままだ。

「何やってんの、あんた、寝てんの?」
「まあ、そうだな」

寝てる?塔ヶ崎くん、まだ起きてなかったの?
「ね、えっと……お名前は?」
「佐鳥聡子です」
「聡子ちゃんね。私も家族は多いけど、どうなるかわからないわよ? まだ独身だし。学生だし、医者なれるかわからないし。なるけど」
「でも、独身でも誰かが骨を……」
「拾ってくれると思うんだけど、私死んでたらどうなるか知らない。たぶんってだけ。聡子ちゃんが死ぬまでに、たぶん、拾ってくれるって友達が出来てたらいいわね。今だって、一人で死んじゃった人は、誰かがそうしてる。これからもっと増えるかもしれない」
「そう言われればそうですね」

「何の話してんだよ、朝から」
塔ヶ崎くんは苦笑いだ。

「彼氏は別れたらあっという間に他人になっちゃうけど、友達はずっとそうしてられるものね」
お姉さんがチラリ、塔ヶ崎くんを見ると苦笑いしたまま。

「友達、いいですね。そんなの頼めるくらいの人!」

「あ! じゃあ、私と友達になろ。撰とは別れちゃうかもしれないけど、私とはずっといられる。ただ、私の方が年上だから先に死ぬかもね。そしたら聡子ちゃんの骨は私の子供とか弟に拾うように言っておくね」
「適当だし、めちゃくちゃ」
「うん、適当だし、どうなるかわからない。でも今そうしたいって思ったから言ったの。その時になったら聡子ちゃんの骨拾いたい人100人くらいなってるかもしれないし、私なんかいらないっていわれるかもしれない。でも、聡子ちゃんの骨は拾うからね!」

お姉さんはにっっこり、笑った。
「本気そうだから、怖いわ」
「あら、本気よ? その時々何があるかわからないけど、今は本気。ね? だから安心して」
「あはは! 何かちょっと安心しちゃうから不思議」
「安心して欲しくて言ったのよ。なんせ日々変わるわよ。価値観とか、それによる考えとか。だから、みんな出会って別れるのでしょ。続く関係も、もちろんある」
「わかる気がします、その価値観の変化」
「そ、特に恋愛ね。相手に求める価値観、変わっていく」

「へぇ、大学生的にはどうなの? 参考までに教えて」
塔ヶ崎くんが大学生に興味を持ったことに少し引っ掛かったけれど、私も気になる。

「以前はね、身体能力の高い人。その前は色白。その次は鼻がすっとした人。手の大きな人。今は耳の形が綺麗な人!」

「聞くんじゃなかった。それ、その時の男の特徴だろ?」
「あったりー!」

……私は今は……
バチッと目が合って、バッと逸らしてしまった。

「あ、私、すっぴんパジャマだった。ごめん」
お姉さんはカラカラ笑って部屋へ戻っていった。

「な、自由だろ?」
「楽しいお姉さんだね。やっぱ美人!!」

「そっかなあ。つか、昂良かっつの、二人して、骨、骨」
「あはは、確かに。頑張って素敵な友達つくろ! あ、友達ともっと深い付き合いしよっと」
「はあ」

と、塔ヶ崎くんがため息を吐いた。まあいいや、これで家族公認……と、小さく言った。
「ごめん、あんな姉で」
「何で? 嬉しかったよ。やっぱり不安だったからさ。冗談でも口に出せて良かった。ふとした時に、お姉さんが拾ってくれるから大丈夫! って笑えるよね」

本当に思い出すと吹き出せる。
「ま、そう言ってくれて良かったわ」
「ちょっとした喋り方が塔ヶ崎くんに似てるの」
「……え、マジ? そっかな」
「うん。お姉さんもお兄さんもお医者さんになるの?」
「そ、どっちも医学生」

すごいなあ、色んな意味で。
「大学生も忙しいんだね」
今日初めてあったくらいだし。

「受験のこと、ねーちゃんに聞きたかったら聞いて。聡子も医学部だろ?」
「あ! 本当だ。そうだね。またお願いしようかな」

楽しい時間はあっという間に過ぎた。気づけば夏休みもあと2週間あまり。

また一ついい思い出が出来た。
新学期始まったらどうなるんだろ。

「大学生……か」
「憧れる?」
「うん、すごい大人に見えるよね」
「そうだなあ。こうやって春休みとか夏休みとかはいいけど、学校始まったらリズムが合わないわ。価値観も」

……それは、お姉さんと?それとも一般論?

それとも……
だから、あの彼女に振られたんだろうか。
お兄さんやお姉さんのいる塔ヶ崎くんはだから変に大人っぽいのかな。
だから……大人っぽい人が好きなのかな?

「眉間のシワ!! まーた、何か考えてんな? 俺に聞いてよ、何?」
「塔ヶ崎くん前の彼女とは価値観で別れたの? かなって……」

塔ヶ崎くんは少し躊躇するように視線を泳がせると
「……そうだな。生活リズムもある。向こうは結構時間があって、こっちは授業びっしりあるだろ? 大学生からみたら高校生は子どもに見えるだろうしな。金もなけりゃ、車もない」
「確かに、先生すっごい大人に見えるもんな。向こうからしたら子どもって感じだし」

生活リズム……か。
……あ、でも……塔ヶ崎くんが学校サボるのって……もしかして彼女との時間作ってたのかも……。

パッと顔を見ると、ふっと笑った。憂いのあるような、少し悲しい笑顔。
何を思ってるんだろう。


「と……」
塔ヶ崎くん、誰の事を思ってるの?
そう訊こうとした。
階段を下りる音がして振り返る。
「私、学校行くね、聡子ちゃんごゆっくり」
お姉さんはメークもして、Tシャツにデニムというシンプルな服装だったけど、とても綺麗だった。すっぴんも綺麗だったけど。

「あ、はい。ありがとうございます」

大学生って……すごく大人に見える。

「何か言いかけた?」
「ううん、大丈夫」

「そ。じゃあ、俺は聡子におにぎりでも作るかね」
塔ヶ崎くんが立ち上がってキッチンへと向かう。
どこかからパーシモンが現れて、彼の後をついていく。

「パーシ、お前のご飯じゃないぞ?」
優しい声が聞こえた。