「大丈夫ですか!?」

 先生の声。大きすぎる物音に、ハッとした。
 次の瞬間、私の中には『絶望』の文字が浮かんだ。

「……ごめんなさい」

 声が震えた。泣きたくなった。手からこぼれた書道具一式が、目の前に散らばっている。
 その下で、『個展の準備』と言っていた大きな紙に、墨の跡がついている。顔を伏せれば、倒れた私の下では、紙がしわくちゃに折り曲がっていた。

「ほんっとうにごめんなさい! 私……、なんてことを……」

 おっちょこちょいにも程がある。ダメだ、バカだ、何をやっているんだろう。
 もう、本当に、私のバカ、バカ、バカ――。

 涙をこらえて息を吐き出すと、溜息みたいになってしまった。それで、余計に申し訳なくなった。

「宍戸さん、立てますか?」

 先生は私の前に回り、手を差し出していた。

「え? あ、……はい。あの、本当にごめんなさい……」

 先生に差し出された手を取り、立ち上がる。罪悪感でいっぱいで、先生の顔を見られない。

「大丈夫ですよ。文字は書き直せばいいだけです。それに、悪いのは私の方です。こんなものを広げたまま、お客様をここに上げて。……お怪我は、ありませんか?」

 ろくに確認もせず、こくりとうなずいた。足元に広がる書道具としわくちゃになった紙は、先生の優しい言葉によって私を余計に罪悪感に(さいな)ませる。

「では、失礼しますね」

 先生はそう言うと、私の手を離した。すると次の瞬間、身体がふわりと浮いた。

「え……っ!?」

 驚き顔を上げると、目の前に先生のアップが迫る。どうやら私は、先生に横抱きにされているらしい。

「すみません、また滑って宍戸さんが怪我をしてしまったら申し訳ないですし、それに硯が割れて破片が飛び散っているといけないので」

 先生はそう言いながら、私を優しくリビングのソファに下ろしてくれた。

「座っていてください。温かいお茶を淹れてきます」

 先生はキッチンへ去っていく。
 私は座ったまま、今度はヘマをしまいと固まっていた。
 リビングのテーブルの上に、古い古文書のようなものや、古い本が広げてあったのだ。

 ――これ、とても高価なもののような気がする。これは絶対に汚せない!

 茶を淹れて戻ってきた先生は、テーブルの上にそれらが広がっていることに気が付き、慌てて隅の方に重ねた。

「すみません、散らかっていて。あまり人を家に呼ばないもので、片付けができていないんですよ」

 先生は恥ずかしそうに笑って、それから私の前にお茶を出す。しかし、それを手にしてしまっては、古い貴重な資料のようなそれにこぼしてしまいそうで怖い。
 動けずにいると、先生は向かいに座り文字通り首をかしげた。

「宍戸さん、先程のことなら気にしないでくださいね? 本当に、大丈夫ですから」

 先生は笑った。無理やり笑ってもらっているような気がして、申し訳なくて、お茶に手を伸ばした。

「熱っ……!」

 湯呑に触れた手を、慌てて引っ込めた。
 それがいけなかった。

「あ……」

 だから思ったのに。
 どうして私は、こんなにも落ち着きがないのだろう。

 見事に湯呑を倒してしまった。その古い資料ような紙に、お茶が少し染みてしまった。