「審判に選ばれたものは、この判定に関していかなる不正も贔屓もしないと、太陽の創造神に魔法宣誓しております。もし誓いを破れば命はありません」
「わ、わかりました」
そんな命なんて懸けないでほしかった……!!
でもそれならいくら不合格にしてくれとお願いしても、話は聞いてもらえないわね。最悪、生涯無料治癒をつけて頼もうかと思っていたのに……!
不興を買うのは簡単だけど、できるだけ穏便に進めたい。まあ、でも王太子の婚約者の判定試験なのだから、厳正さが必要なのは納得だ。
「そこで今回出す課題は——わたくしが好きな殿方に嫁げるようにしていただきたいのです!」
……え、それが課題?
悪女と名高いイライザ様を好きな人のもとへ嫁げるように? うーん、この課題……わざと失敗するのは良心が咎めるわね。好きな殿方がフィル様だったら、喜んで身を引くけれど。
「あの、ちなみに好きな殿方というのは、どなたですか?」
「そっ、それは……! その、ええと……ジル、ですわ……! わたくしの護衛騎士のひとり、ジルベルト・モーガンですわ!!」
顔も耳も真っ赤に染めながら、好きな殿方を暴露するイライザ様は純情な乙女のようだ。本当にこの方が噂の悪女なのだろうか?
「それは、アリステル公爵家からの正式な申し入れなら、お相手様はお断りできないのでは?」
「ええ、それはそうなのですが、問題はお父様ですの」
「アリステル公爵様ですか?」
「父はわたくしを王太子妃にしたくて、何年も前から裏で画策していますの。今回のエルビーナ皇女の件もおそらく関わりがあるはずです」
「えっ!」
フィル様に視線を向けると、知っていると言わんばかりに頷いた。この腹黒王子のことだ、きっとエルビーナ皇女よりイライザ様の方がいいと思ってなにもしなかったに違いない。
私と出会う前のことだけど……でも目の前のイライザ様を王太子妃に考えていたとなると、それはそれでなんだかモヤモヤとする。
「ですから、お父様にはわたくしが王太子妃になることを完全に諦めてもらい、ジルこそが夫に相応しいと認めさせたいのですわ」
「なるほど……簡単にはいかなそうですね」
「ええ、わたくしもできることはしておりますのよ。例えば、性悪女のふりをして暴力を振るわれて婚約解消したいご令嬢の相手を唆して破談にしたり、婚約者がいる男性にいい寄る恥知らずなご令嬢にはとてもきつい言葉を投げたり……そうやって、王太子妃に相応しくないとアピールしてきましたの」
なんと悪女の噂は自作自演だった。しかもちゃんと相手を選んでいて、本当に辛い思いをしているご令嬢たちを救っている。その正義感の強さや家柄からも、私はイライザ様こそ王太子妃に相応しいと思うのだけど。
「わたくし、もう十年もジルを想っていますの。彼以外を夫にするなんて考えられませんわ」
その言葉に、ジクリと心の傷が疼く。
私が知らない、私には与えられなかった、一途な愛の話だ。
「ラティシア様。ジルはこんなわたくしでも好きだと言ってくれています。ジルもお父様に認めてもらおうと努力していますが、もう他に手がないのです。わたくしはジルが夫でなければ、生きている意味がないほど彼を愛しているのです」
こんなにも強く相手を想うことがあるのかと思った。
これほどの一途な愛は、とても眩しくて、羨ましくて、わざと失敗するなんてできないと思った。
「承知しました。この課題、なんとかこなしてみせます!」
「ラティシア様! ありがとうございます……!!」
炎のような紅眼が潤んで、キラキラと輝いて見えた。
さて、覚悟を決めたのはいいものの、今の私になにができるのだろう?
そもそもアリステル公爵に会うことができるのか? 本当に気がすすまないけれど、フィル様の婚約者である立場を使ったら面会くらいはできるだろうか。
例え会えたとしても、フィル様の婚約者である私が説得するのはかなり難しいかもしれない。
「いったいどうすれば説得できるのかしら……」
ひとり言のように呟いた言葉に、フィル様が答えてくれた。
「そうだね。基本的に貴族たちは僕に逆らわないから、ラティが僕の寵愛を受けていると見せつけるのが、一番手っ取り早いね。邪魔するようなヤツがいたら遠慮なく処分できるし」
「そうですわね。その後でジルを認めさせるよう、山場を作りましょう」
「え? あの?」
フィル様は寵愛を見せつけるとか、邪魔なヤツは処分とか過激なことを言うし、イライザ様も当然のように受け止めて山場を作るとか乗り気になっている。もしかして王族や高位貴族の方々にとってはこういうのが普通なのだろうか?
私が困惑していると、それに気付いたフィル様が優しく微笑んで、そっと手を握ってきた。大丈夫だよと言うように私に温もりを与えて、話を続けていく。
「よし、イライザ。茶会を開いてくれ」
「規模は?」
「貴婦人たちをできるだけ集めてほしい。あと、君は悪者になるけどかまわないよね?」
「承知しました。悪者など……悪女のわたくしに対して、かわいいことをおっしゃるのですね」
ふたりの間でどんどん話が進んでいくが、その速さに課題をクリアするはずの私自身がついていけない。これはさすがによくない気がする。
「あの! 待ってください! これはズルではないのですか!?」
今のところ私の関与はゼロだ。課題をこなすと決めたのだから、すべての準備を整えてもらうのは違うと思う。
「あのね、ラティ。課題をこなすのに協力を得てはいけないというルールはないんだ」
「そうですわ。つまりフィルレス殿下もわたくしも、ラティシア様の味方ということです」
「そのルールはありなのですか?」
その考え方でいくと、課題は自分でこなさなくてもいいということ?
「もちろん。そもそもどんな課題が来るかわからないのに、ひとりでこなせなんて無茶な話だと思わない?」
「確かに……」
「そうだよね。それに僕はラティに苦労をしてほしくない」
「この判定試験は王太子夫婦となる、おふたりの絆の深さを見るためのものでもありますの。これから国を担っていくのですから、互いに支え合うことが必須ですわ」
「なるほど……!」
イライザ様の説明に深く納得すると、フィル様が珍しくムッとした顔になった。珍しいなと思って見ていたら、またいつもの甘ったるい微笑みを浮かべて耳触りのいい言葉を並べた。
「まあ、そんなものがなくても、僕はいつでもラティの味方だけれどね?」
「そうですか、ありがとうございます」
当然いつものように華麗にスルーだ。なんの気持ちも込めないで即返答する。
「うふふ、さすがのフィルレス殿下も苦戦しているようですわね」
「ははっ、これはこれで楽しいけどね」
イライザ様の苦戦の意味がよくわからないけれど、フィル様に楽しまれているのが腹立たしい。さっきからイライザ様とはよく理解し合っているようだし、婚約者は私でなくてもいいのではと強く感じる。
「ではラティ、茶会で着るドレスを選ぼうか?」
「それでは、わたくしはお茶会の支度をしてまいりますわ。ラティシア様にだけ招待状をお送りしますので、よろしくお願いいたします」
「うん、頼むよ」
「よ、よろしくお願いいたします」
そう言ってイライザ様は執務室を後にした。フィル様から今回の作戦の全貌を聞こうとしたのに、当日のお楽しみだと言って教えてくれなかった。
三週間後、イライザ様から届いたお茶会の日になった。
フィル様が手配したお茶会用のドレスは、淡いパープルのドレスに黒いレースとリボンの飾りがついたものだ。フィル様はリーフ柄が上品なジャガード織りの黒いジャケットを羽織り、胸元には淡いパープルの花の飾りが添えられている。
どこからどう見ても仲のいい婚約者にしか見えないが、これも作戦のうちだと言われた。
そして私はアリステル公爵家へ向かう馬車の中で、ようやくこの計画の全貌を聞かされる。その内容に絶句し、あの一瞬でよくそこまで考えられるものだと感心してしまった。イライザ様にはすでに詳細を伝えてあるらしい。
「はあ……本当に腹黒」
「うん? なにか言ったかな?」
「いえ、なんでもありません」
つい本音がこぼれてしまった。慌てて知らないふりをする私を、フィル様はうっとりと見つめてくる。
「ああ、ちなみに腹黒は僕にとって褒め言葉だから」
「聞こえてた……!?」
「王太子教育のおかげで、読唇術もできるんだ」
「いやいやいや、そのスキル今すぐ破棄してください」
「それは難しいね」
そんなやりとりをしている間に馬車は公爵邸へとついてしまった。これからイライザ様の愛を叶えるための、作戦が始まる。
私は気合を入れて、馬車から降りた。
「まあ! フィルレス殿下だわ!」
「相変わらず麗しいわね……あら、あの方が……」
「どうしてあんな一介の治癒士が婚約者なのかしら」
「フィルレス様、お可哀想に……きっとなにか弱みを握られているのだわ」
「そうよね、でなければ他に相応しいご令嬢がいますものね」
耳に入るのは私が婚約者になったことへの罵倒だった。
悲しくなるどころか、むしろもっとフィル様に聞かせてほしい。なによりも、私が一番そう思っている。
「ラティ、まずは主催者へ挨拶しよう」
「はい、かしこまりました」
「ここは段差があるから気を付けて」
「ありがとうございます、フィル様」
そう言って「うふふ」と幸せそうに私たちは微笑む。普段は隙のない笑みを浮かべて決して崩れないフィル様が、甘くとろけるように微笑んだ。その様子を見ていた周りの貴族たちが、ざわりとどよめく。
「イライザ様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「元気だったかな? イライザ嬢。すまないけれど、今日は私も参加させてもらうことにしたよ」
「えっ……フィルレス殿下……!? わたくしが招待状を送ったのは、ラティシア様だけですわ!」
「ああ、そうらしいね。愛しい婚約者のそばにいたくて僕が勝手についてきたんだ。気にしないでくれ」
「なっ……!!」
「では、今日は楽しませてもらうよ」
イライザ様は悔しそうに顔を赤らめて、ブルブルと震えている。悪女を自作自演してきたおかげか、演技力が半端ない。
挨拶もそこそこにテーブルに着こうと、イライザ様に背を向ける。複数のテーブルが通路をあけて並んでいて、フィル様はそのなかのひとつに目をつけたようだ。
「ラティ、ここでお茶をいただこう」
「はい……ですがフィル様。椅子の空きはひとつしかありませんわ」
フィル様が声をかければ席を用意することができただろうけど、そのまま空いている椅子に腰を下ろした。
そして——
「大丈夫だよ。ほら、ラティは僕の膝が指定席でしょう?」
「そんな……! い、嫌ですわ」
「ラティ?」
作戦中だということを忘れて、本気で嫌がってしまった。笑顔のままのフィル様の無言の圧力に焦りながら、なんとか言い訳を考える。
「ごめんなさい、その、私恥ずかしくて……」
「っ! その不意打ちはずるいな。ラティの恥ずかしがっている顔が見たい」
「きゃっ」
優しく腕を引かれて、そのままフィル様の膝の上に腰を下ろしてしまった。
もう恥ずかしいのは間違いない。こんなご婦人たちが見守るなか、フィル様の膝に座りイチャイチャするなんて想像もしていなかった。
「ねえ、今自分がどんな顔しているかわかる?」
「わ、わかりません……」
でも顔と耳と首も赤くなっているのは理解している。心拍数は上昇して、呼吸も速い。おまけにフィル様の体温に包まれて、変な汗もかいている。ふわりと香る爽やかな石鹸の匂いに頭が痺れそうだ。