「もう終わりですか。ではラティシア様にご挨拶してもよろしいですか?」
「ダメだ。グレイは近づくことも許さない」
「えええ……! 頑張って強欲女の相手してきたのに……報奨はないのですか!?」
「一週間の休暇で我慢しろ」
「そんな……! 女神が目の前にいるのに、声もかけられないなんて……!」
この様子を見ていたビオレッタが口をパクパクさせている。
「嘘……なんで? グレイが……? まさか、最初から……?」
さて、そろそろいだろうか。いい加減、馬鹿たちと話すのも疲れてきた。
「カールセン伯爵夫妻は、爵位剥奪。平民となり、マクシスは去勢のうえ第九街区へ追放、ビオレッタは第十三街区の娼館へ追放する」
第九街区は詐欺師が横行する区域で、まともな商人や民は立ち入ることがない。王都に住む民すら避けて通る区域だ。
第十三街区は娼館が立ち並ぶ区域だが、その中でもガラの悪い男たちが訪れる店に話は通してある。股の緩いビオレッタなら才能を活かせる職場だ。
「僕には慈悲の心もあるから、君たちがなるべく辛い思いをしないように手配したよ。そこでラティが見てきた地獄を存分に味わえ」
ふたりは呆然としながら、僕の処罰を聞いていた。
ラティには詳しく話す気はないけれど、回収した資金はあのふたりが無能ゆえ溶かした資産や、散財してきた分の穴埋めに使う。ラティの心情分を上乗せできなくて歯痒いが、ない袖は振れない。
仕方がないのでラティが受けた仕打ちを同じように返し、報いを受けさせることにした。
マクシスは顔面蒼白になり、ビオレッタは目の前に現れたグレイが、僕の手のものだと理解してショックを受けていた。まだまだ物足りないけれど、今はこんなものかとラティに視線を移す。
僕の月の女神は、大きく目を見開いて訳がわからないようだった。そんなラティも愛おしくて、僕だけ見てほしくて、お茶会をお開きにした。
あのお茶会から一週間が経ち、ルノルマン公爵の判定結果を待つだけとなっていた。
入浴などを済ませるために、ラティと別行動になったタイミングでアイザックが書類の束を差し出してきた。今渡すということはラティには聞かれたくない内容ということか。
「フィルレス様、こちらがあのふたりの報告書になります。思ったよりも持ちませんでした」
「え? もう? だってまだ一週間くらいでしょ?」
あのふたりとは、カールセン元夫妻のことだ。僕はその後の経過を報告するように指示していた。こんなに早いとは思わなかったけれど。
「そうなんですが、追放されたその日からいろいろとやらかしたみたいです」
「へえ、少しは反省したかと思ったけど、ダメだったんだ。まあ、それはどうでもいいよ。結果だけ読ませてもらう」
その後、領地にいたマクシスの愛人には手切金を渡して追い出し、マクシスは無一文で詐欺師が横行する第九街区へ送られ、一週間で奴隷商人に売り飛ばされた。
奴隷の取引は違法なものだから、なんの保証もない。去勢された奴隷など、労働者かサンドバッグの役目の需要で取引されたと考えられる。
どちらにしても劣悪な環境で命すらも搾取されるのだ。ラティを傷つけた男は、もうこの国にはいない。
ビオレッタは娼館に売られ、そこそこ客がついた。しかし、その客のひとりと逃亡を図りあえなく捕まり、私刑を受け行方不明になったそうだ。
こちらは生存の可能性は限りなく低いだろう。生きていたとしてもまともな生活が送れるとは思えない。
こうして僕のラティを騙して裏切ったふたりは、この国から姿を消した。
衝撃のお茶会が終わって、レポートをなんとか書き終えまったりとした時間を過ごしている。
専属治癒士は毎日の健康観察が終われば、いざという時までほぼ出番がない。もちろん喜ばしいことなのだが、時間を持て余してしまうのだ。
だから余計なことまで考えてしまう。
元婚約者と義妹に着せられた汚名も、地に落ちたカールセン家の名誉も、全部フィル様が元に戻してくれた。
その際に、今まで私が治癒してきた貴族のご婦人やご令嬢たちが協力してくれたと聞いて、私の誇りも認められたようで嬉しかった。
アリステル公爵家やコートデール公爵家が率先して事実を広めてくれたので、これからはずいぶんと過ごしやすくなりそうだ。
誰も三大公爵家に反するような態度は取らない。腹の中は別かもしれないが、今までのような意地悪がなくなるだけでもありがたかった。
だけど、元婚約者と義妹はその後どうなったのだろうか。気になっていたけど、フィル様は笑顔のまま話をはぐらかすし、事実はわからない。
私はこのモヤモヤした気持ちを、フェンリルのもふもふで癒してもらおうと銀色に輝く毛並みに顔を埋める。
《おい! ラティシア! 頼むから離してくれ!!》
「どうして? もふもふが気持ちいいのに……」
《これ以上もふられたら、主人に消されるっ!!》
「…………」
無言で顔を上げると、ドス黒いオーラを背負ったフィル様が目に入った。
目が合うと途端に甘い微笑みを向けられて、私が直視できなくて視線を外してしまう。
この前のお茶会から、フィル様との距離の取り方がわからない。私のためにいろいろしてくれるのが、嬉しいけれど困惑している。
私にはそんなことをしてもらう価値などないのだ。
「あ、そうだ。言い忘れてたけど、カールセン伯爵家の現当主はラティだから」
「……はい?」
フィル様の口から出た言葉が、素直に呑み込めない。私がカールセン伯爵家の当主と聞こえたようだけど。
「当然でしょう? 本来はラティが正式な後継者なのだから。ただラティは僕の専属治癒士だし、領地の経営は信頼できる人物に管理させているから安心して」
「え? まさか、本当に……?」
それはあの時にあきらめたものだ。
父が誇りを持って受け継いできたカールセン伯爵家。治癒魔法しか使えないけれど、それでも人々の役に立とうとしてきた兄たち。
その誇りを理解して支えてきた母は、どんなに馬鹿にされても笑顔を絶やさなかった。
私を支えてくれた、家族の愛と矜持が詰まっているカールセン家。
それが、私のもとに戻ってきた?
「うん、今はラティがカールセン伯爵だよ。領地に帰りたい時や屋敷に戻るときは相談してね」
「本当に、私の手に戻ってきたのですか……?」
「ああ、君が正当な後継者であると証明できたからね。簡単だったよ」
「フィル様……」
自分の根源が戻ってきたような安堵感に包まれる。
家名という決して代わりのきかないものを、フィル様は取り戻してくれた。なんでもないというように、それが当然だと言ってくれた。
どうして、こんなにも私の心に寄り添ってくれるの? もしかして、本当に私を心から求めてくれているの?
でも、それなら……どうして好きだとか、愛してるとか言ってくれないの?
「君がどんな状況だったのか知ってから、密かに調査を進めて手配していたんだ。これも王族の務めだから」
「あ……ありがとう、ございます!」
ああ、そうか。フィル様は王太子として優秀だし、なにか目的があって私を婚約者にしたのだろう。危なく勘違いするところだった。
胸がぎゅうっと締め付けられたようにつらくなって、なぜか目の奥に熱いものが込み上げてきた。瞬きして堪えていたのに、あっさりと決壊してあふれた涙が頬を伝っていく。
「本当は君の笑顔が見たかったんだ」
フィル様の優しく囁く声に、ますます混乱する。
まるで私のためにすべて手配したと言っているのに、フィル様の胸の内がわからない。私を求めてくれるのに、愛の言葉は決して口にしないから、信じきっていいのかわからなかった。
「だから、もう泣かないで」
フィル様の長い指が私の涙を拭う。その指先が怖々とした様子で、でも優しくて、ますます切ない気持ちが込み上げた。
こんなことを考えていても答えは出ない。フィル様に直接聞ければいいけど、やぶ蛇のような気もする。どちらにしてもルノルマン公爵様の判定結果次第では、婚約を解消しなければいけないから、あがいたところで無駄だろう。
私は気持ちを切り替えて、話題を変えることにした。
「……すみません。思わず感極まってしまって。ところで、五年も前のことなのにどうやって調べたのですか?」
「ああ、それはね、王太子命令で関係者を呼び出して、事実を聞き取りしただけだよ」
「さすがですね」
私があれほど声を上げても、すべて無視されたのに。やはり権力には逆らえないのだ。
「念のため、隣にバハムートにもいてもらったから、みんなスラスラ話してくれたけどね。ついでにルノルマン公爵の判定試験も使ってラティの正当性を調べさせたんだ」
「……それは」
ということは、あのお茶会はフィル様が仕組んだものだったのか。
義妹と元婚約者が招待されたのも、お茶会に呼ばれていた貴婦人たちが私の患者だったのも、フィル様がなにかしら関与していたのだ。
待って、ここまで関与して正当な判定ができるものなのだろうか?
よく考えてみれば、フィル様がすべての判定試験に関与しているような気もする。というか関与している。最初の話ではあくまでも婚約者のために協力するというものではなかったか?
「本当に神竜効果がすごかったな。実際は僕の管轄の仕事ではなかったけれど、大切な婚約者のためだし、ね?」
僕の管轄ではないって、それは——
「思いっきり職権濫用ですよね!?」
「ラティ、使えるものは使ってこそ価値があるんだよ」
フィル様の笑顔が黒かったのは言うまでもない。
ほんの少しだけ、一瞬だけ、なんで好きって言ってくれないのと考えた自分を消したくなった。
やっぱり腹黒王太子の婚約者は、私には無理だ。
穏やかな午後の日差しが差し込む中庭で、私はフィル様と今日もまったりとお茶の時間を過ごしていた。
専属治癒士の制服は判定試験が始まってから着用していない。
今もパステルイエローの生地にスカイブルーのリボンが飾られたドレスを身にまとっている。ハーフアップにした髪はゆるく巻かれて、青いカーネーションの髪飾りが彩りを添えている。
ここは城内を行き交う人たちが通る廊下に面した中庭なので、人通りはそこそこある。できれば誰の目にも触れない場所がよかったけれど、「ラティ、これは業務命令だよ?」と言われたら反論できなかった。
「まあ、なんてお似合いのおふたりなのかしら!」
「フィルレス殿下もラティシア様をとても大切にされていて、羨ましいわ〜」
「ねえ、ご存知? ルノルマン公爵様のお茶会のこと」
「ええ! 聞きましたわ! フィルレス殿下の愛に触れて、恥じらうラティシア様が天使のようだったと……!」
「アリステル公爵夫人も、ラティシア様を……」
なんて会話を繰り広げるご婦人たちが通り過ぎた。
先ほどからこれに近い会話がちらほら聞こえてくる。私がカールセン伯爵になったと知らされてからは、他の貴族たちもすり寄ってきて、なにかと声をかけられた。
今までは治癒魔法しか使えない、義妹を虐げた非道だと言われてきたのに、華麗な手のひら返しに感心したくらいだ。