婚約破棄された王太子を慰めたら、業務命令のふりした溺愛が始まりました。


 翌朝、オリバー様とともに魔物の被害があった地域へと向かった。道には魔物の爪痕が残り、馬車では進めないので騎馬で移動することになった。

 途中で数日前に魔物に家を壊されて寝る場所もままならない民や、家族を魔物に殺され悲しみに暮れる民を見かけた。魔物に畑を荒らされて収穫目前の野菜がダメになったと、苦笑いする民もいた。


 私は、なにを喜んでいたのだろう。
 私は、判定試験の合否しか考えていなかった。コートデール公爵様やオリバー様が、民のために要塞のような城を建てて、懸命に魔物と戦おうとしているのに、私は自分のことしか考えていなかった。


 コートデール領に入って、不合格確実だと思っていた自分が恥ずかしい。

 私が治癒魔法で怪我人を治すのも、コートデール領の民を助けるのも同じことだ。
 父が教えてくれた治癒士としての誇りは、忘れていない。治癒魔法でも援護するけれど、他にできることは本当にないのだろうか?

 そう考えながら、まずは今できることをしたくて口を開いた。

「オリバー様、もし怪我人がいたら教えてください。私が全員治療します」
「本当ですか? それは助かります! 身体さえ無事なら、いくらでも復興できますから」
「病に冒された民も、数年前の怪我でも、すべて私が治します。治癒士の誇りにかけて」

 オリバー様の新緑の瞳を見据えて、私は宣言した。
 破顔したオリバー様の案内で、怪我人や病人を治癒しながら領地を回った。




 手当たり次第治癒しながら進んだので、目的の場所までは辿り着けなかったけれど、日も暮れてきたので一度戻ることにした。
 こんなに治癒魔法を使ったのは、治癒室以来でクタクタになったけど気持ちは晴れやかだ。

「ラティシア様、本当にありがとうございます。民たちもその治癒魔法にど肝を抜かれておりました。欠損した四肢も治すなんて、初めて見ました」
「カールセン家の一族は治癒魔法しか使えませんが、その分効果が高いのです」
「なるほど……では、もしよろ——危ない!」

 オリバー様の声で後ろを振り返ると、熊型の魔物、レッドグリズリーが猛然と私に襲い掛かろうとしているところだった。
 大きな巨体に見合わないスピードで私に向かって駆けてくる。涎を垂らした口には、鋭い牙が並んで噛まれたら一巻の終わりだ。

「私の後ろに隠れてください! くそっ、こんなところでレッドグリズリーが出るなんて……!」

 確かに、レッドグリズリーは本来森の中で生息する魔物だ。人が住んでいるところに出てくることはほとんどない。
 なにか子供が攫われたり、敵を追いかけてくるなどがなければ。

 そこでハッと気付いて、ずっと寄り添ってくれた友人の名を呼んだ。


「バハムート! お願い!」
《我に任せろ》

 一陣の風とともに現れて、ドラゴンブレスを一息吐いた。

「ギャアアアアアォォォォ!!」

 その威力は、地面を焦がしただけでなく、レッドグリズリーの骨まで灼いた。
 断末魔の絶叫が耳に残るが、目の前にはもうあの巨体の欠片もない。本当に炭すら残らず、跡形もなく消え去った。

「え……? なに、この威力。え、もしかして神竜になったから、パワーアップした?」
《むう、そうらしい》

 以前とは比べ物にならないドラゴンブレスの威力を目の当たりにして、ジルベルト様が死ななくて本当によかったと思った。

「なんと……神竜の力はすごいな! しかし、神竜はフィルレス殿下のものではないのですか?」
「あはは、バハムートは私と友人なんです。だから危ない時は助けてくれるのです」
「なんですと……!!」
《ラティシア、こちらに来い》

 オリバー様の質問攻めから逃れたくて、すぐさまバハムートのもとへ向かう。バハムートは近くにあった木の根元をじっと見下ろしていた。
 そこにいたのは、怪我を負った子犬だった。息も弱く、怪我をしているのか血まみれになっている。

「この血の匂いにつられてレッドグリスリーが来たのかも。オリバー様、この子犬を連れて帰ってもよろしいですか?」
「そうですね、怪我も治して綺麗にしてやらないと、また魔物がやってきては民に被害が出てしまう。私が抱いて帰りましょう」
「ありがとうございます、怪我は私が治します。元気になったら、また野生に返すか飼い主を探します」
「そうしましょう。私も協力します」

 そうして、弱った子犬を保護したのだった。


 城に戻ってきた私たちは、まずは子犬を回復させようと治癒魔法をかけた。

癒しの光(ルナヒール)!!」

 淡く白い光が子犬を包み込み、どんどん怪我をふさいでいく。全体的に治癒を終えて、子犬の呼吸は安定しているようだ。

「よかった……こんな酷い怪我、魔物にやられたのかしら?」
「そうかもしれませんね。この半年は特に魔物が多くて、私たちの手も回らなくなっていたのです」
「魔物が増えていたのですか?」
「はい、以前はここまで街や村に被害が出ることはありませんでした」

 なにか魔物が増えた原因があるのだろうか?

「バハムート、森で魔物が増える原因ってわかる?」
《さあな、我がいた頃はカールセンの山は平和であったな。今は知らぬが》
「うーん、それって魔物をまとめるボス的存在だったってこと?」
《魔物は強者に逆らえないものだ》

 なるほど。魔物や自然界は弱肉強食だから、自分より強い相手には従うのだろう。それなら半年前からボス的存在がいなくなった可能性がある。


「じゃあ、今、幻影の森にボス的な魔物がいるかどうかわかる?」
《それはそこの駄犬に聞けばよかろう》
「この子犬に? どうして?」

 私が疑問を投げかけると、バハムートは空のように青い瞳を子犬に向けて面倒そうに声をかけた。

《おい、いつまで寝ておる。いい加減起きぬか。ワンコロ》
《誰がワンコロだっ!! ふざけんなよ、デカいだけのトカゲのくせに!!》
「えっ! 犬がしゃべった!?」
《犬じゃねえ!! 幻獣フェンリルだっ!!》

 幻獣フェンリル……この子犬が?

《お前っ! 今、この子犬が?って思っただろう! いいか、これは仮の姿なんだ! 本来のオレは、もっとデカくて勇ましくて、強いんだ!!》
「わかったわ、とにかく汚れを落としましょう。血まみれになっているから」
《お、お前が風呂に入れてくれるなら、オレを洗うのを許可してやる》
「ふふっ、いいわ。その代わり私のことはラティシアと呼んでね」

 オリバー様にお湯の準備を頼んで汚れを落とすと、それはそれは見事な銀色の毛並みとシルバーの瞳が現れた。フェンリルがブルブルと身体を震わせ、風魔法で水気を吹き飛ばしていく。
 バハムートと同じ銀色の色彩で魔法が使える。私と会話もできて、本当に幻獣フェンリルなんだとしみじみ思った。


 すっかり綺麗になったフェンリルに、オリバーとともに森でなにがあったのか尋ねた。

「なるほど……隣国からやってきた魔物が執拗にフェンリル様に襲いかかったのですね」
《ああ、不意打ちを喰らってあの怪我を負って、回復に専念するためこの姿で凌いでいたんだ》
「それで魔物が暴走してしまったのね。でもその隣国の魔物は、森の魔物たちをまとめたりしないのかしら?」
《あの魔物はむしろ暴走させて、破壊を楽しむタイプだ。幻影の森はオレの縄張りだ。必ず取り返す》

 フェンリルのシルバーの瞳には、揺らがない決意の炎が灯っている。

「よし、それでは我らコートデールの騎士たちもともに行こう! 準備があるから三日後でもよろしいか?」
《ラティシアたちの助けなどいらん。オレは幻獣フェンリルだぞ》
「今まで幻影の森を治め、我らの生活に安寧をもたらしてくださったフェンリル様の力になりたいのです。どうか手伝わせてください」
「私もフェンリル様に協力するわ。どんな怪我をしていても、息さえあれば治すから」
《……ふん、勝手にしろ》

 そうして三日後の魔物の討伐のためにそれぞれ準備を進めることになった。




 魔物討伐の朝、私たちは幻影の森の入り口で作戦通りに行動を開始した。

 フェンリルとオリバーたちの精鋭騎士が森の中へ入り、隣国からやってきた魔物を探す。私はバハムートと空中待機で、発煙筒の合図があったら直ちに降りて怪我人を治癒する。

 その他、上空から戦況を見て必要な援助をすることになっていた。バハムートで魔物を倒す案もあったけど、フェンリルのプライドがそれを許さなかったので却下された。

「上空からだと木があるところはよく見えないわね。バハムートはなにか気配を感じる?」
『ふむ。相当強い気配があるのは感じるな』
「そう、何事もなく討伐できるといいけれど」

 しばらくバハムートが上空を旋回していると、突然森から鳥たちが飛び立っていった。その後、すぐに大きな音を立てて、森の中から爆発音が聞こえてくる。
 騎士たちの怒号と、獣の唸り声、それから聞いたこともないような叫び声が上空まで届いた。

「始まったわ! 少し高度を落として!」
《承知した》

 森の木に遮られて、戦闘状況が読めない。ヤキモキしていると、右手に合図の狼煙が上がった。


 バハムートはほんの十秒ほどで現場に降りて、そのまま小さくなり私の肩に乗る。怪我をして動けない騎士が五人ほど木の根元に並べられていた。
 私は症状の重い怪我人から治癒魔法を使っていく。

癒しの光(ルナヒール)!!」

 続けて治癒魔法をかけて、ほんの十分で五人の騎士を全快させた。

「すごい、もう治ったのか!?」
「あんな一瞬で、あの怪我を……!!」
「貴女は月の女神様だ!!」
「もう大丈夫ですね。他に怪我人はいませんか?」

 こうした戦場で怪我を治すと興奮状態の騎士や戦士には特別な存在に映るらしく、大袈裟な褒め言葉をスルーして私の務めを果たしていく。その後も運ばれてきた騎士たちを三人治療して、また上空へと戻った。

 何度か合図があって、降りては治療していった。
 その間も絶えず魔法と魔法がぶつかる衝撃音が聞こえ、魔物が暴れて木々がなぎ倒され地面を揺らしている。私は後方支援しかできないけれど、それでも自分のできることを精一杯こなしていた。


 その時、閃光が森の中を走り目が眩む。
 明るさが戻って目を開くと、辺りの木々は倒されて騎士たちもフェンリルも倒れていた。

「オリバーさん! フェンリル!」

 なぜ私だけ無事なのかと視線を先へ向けると、元の大きさになったバハムートが私の盾になって魔物の攻撃から守ってくれていた。
 対峙する魔物はゴーレムだった。人型の魔物で古代遺跡でよく出現するが、見たのは初めてだった。特徴は圧倒的な防御力と、すべてを破壊するという光線だ。

「バハムート! 待って、治すか——」
《我は大丈夫だ、次が来るぞ!》

 またあの眩い光が走って、目を細める。光が集中して灼熱の光線になり、バハムートの銀翼を貫いた。目の前の光景がやけにゆっくりと見える。
 それでもバハムートは魔物に背を向けたまま、微動だにしない。

 そんな! すぐ治さないと! 神竜になって強くなったのに、どうして……!?

 一瞬遅れて私は身体を動かし、治癒魔法をバハムートにかける。どうしてこんな状況になっているのか。それは単純に相手が強力だから。
 神竜であるバハムートでも防戦一方になるほどの魔物なんて、どうやったら倒せるのか——