8日 後編 「今に縋る」
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朔夜side
流れる時間は止まることなく進み、俺と唯鈴は今、入学式が終わって家に帰っている途中だ。
見慣れない通学路を見渡す中、あることがずっと、俺の頭から離れないのだ。
入学式で、名前を呼ばれたら返事をして立つのは当たり前のこと。
でも唯鈴は、え、私?と言って返事をせずに立っていた。
他の生徒が呼ばれていくその後も、何故あのタイミングで私が呼ばれるの、などと文句を言っていた。
今思い出しても……
「ふっ、ははっ」
「もう朔!何度笑えば気が済むのよっ」
「あー悪い悪い、くくっ」
どうしてもこみ上げてくる笑いに耐えられず、自然と細まる目で唯鈴を見ると、頬をぷくっと膨らませていた。
ふっ、
「可愛い」
そう思った瞬間、唯鈴がバッとこちらを向いた。
あっ、やべ。
「声に出て……」
すると唯鈴はこくっと頷く。
そうだよな~、あー最悪。
これ唯鈴も俺も、前に同じようなことやってたな。
「ねぇ朔、さっきの私に言ったの?そうよね?」
「ちげーよ」
帰り道に、他愛のない会話が続く。
「じゃあ誰に言ったのよ……」
悲しそうに言う。
なんでそんな悲しそうなんだよ……
ほんと、こいつの前だと嘘つけねぇな。
「はいはい、お前だよ」
そう言って逃げるように止まっていた足を再び動かし始める。
後ろから唯鈴が追いかけてくる。
あいつ……さては運動音痴だな?
後ろをたまに振り返りながら家に向かう。
そしてまた振り返ると、唯鈴がバランスを崩していた。
足が絡まって……っ
急いで唯鈴の元へ走る。
「……っと、大丈夫か?」
間一髪、唯鈴を受け止めることが出来た。
「……大丈夫よ、ありがとう」
「ったく、気をつけろよ」
「ええ、ごめんなさい」
こいつ、本当表情変わんねぇな。
じゃあ、さっき唯鈴が悲しそうにしていたのは……?
俺も……なんであんなに必死になって助けたんだ?
多分、それは唯鈴の走る様にあった。
細い足で常に絡まりそうになって、今にでも壊れてしまいそうな……
怖いくらいに綺麗な、からくり人形のようで。
肌は陶器のように白く、頬はほんのり桃で、腰までかかっている髪は黒曜石のように深みがある。
手だって、“日焼けを知らない”くらいに白く細い。
彼女に、傷がついて欲しくなかった。
………って、何考えてんだろ、俺。
そして唯鈴の体を起こし、顔を覗く。
彼女の表情は変わらない。
そう、変わらないのだ。
でも、顔色が酷く悪かった。
「おい、唯鈴?体調悪いのか?」
「…………」
唯鈴は何も答えない。
「おい、唯鈴、唯鈴。なにか言えよ」
言ってくれ………一言でいいから、俺を安心させてくれ。
「ど、どうして今になって……なん、で……」
唯鈴がそう言った次の途端、唯鈴は頭が痛いのか、頭を手で抱えた。
息も荒い。
「唯鈴っ、深呼吸しろ。俺に寄っかかっていいから。ほら、な?」
すると、徐々に呼吸が整ってきた。
「はぁ……はぁ……」
「唯鈴……」
俺は、唯鈴のことを全然知らない。
なのになんで………
こんなにも、胸が痛む?
苦しそうにしている唯鈴を、どうしても見たくなかった。
それは何故?
苦しむのを見たくないのは、普通だろう。
でも、唯鈴はどこか違う。
他人事のようにはとても思えない。
何か大切なことを忘れている気がしてならない。
………いや、気のせいだよな。
だって、唯鈴とはまだ出会って1週間なのだから。
記憶力はいい方だ。
そんな俺の記憶にないのなら、気のせいとしか“言いようがない”。
「はぁ……もう大丈夫よ、ごめんなさい」
そう俺に謝って、力の弱い足で立とうとする。
辛うじて立った唯鈴は、産まれたての子鹿のようだった。
震えてんじゃねぇか……
「唯鈴、無理するな。顔色が悪い」
「私はこれを望んだ、嬉しいの。そう、嬉しいのよ……」
自分に言い聞かせるように言う唯鈴。
「何言って……」
唯鈴に俺の声は届いていなさそうだった。
唯鈴の抱えているものを、少しでも持ってやりたい、そして楽にしてやりたい。
ふと、そう思った。
たまにふざけたり、表情を見せることがある唯鈴。
そんな唯鈴にも、辛いことがあるのなら、救い出してやりたい。
そして「笑顔が見てみたい」と思った。
それだけだ。
「唯鈴、その大丈夫は信じれないな。だから悪いが……こうさせてもらうぞ」
俺は、いわゆるお姫様抱っこで唯鈴を抱き上げた。
「朔………」
急にしたが……嫌だったか?
でも、返ってきた反応は想像していたものとは全然違うもので。
「かっこいいわ」
………はあ?
「急に何言い出すかと思ったら……そんな顔で言われても信憑性無いぞ」
「そんな顔とは失礼ね」
自分の顔色が悪いことは分かっているのかそう言う唯鈴。
それが、当たり前のように。
その事実に胸が痛んだ。
苦しいはずなのに何も言わない唯鈴に、少し怒りも覚えた。
「唯鈴、今度から体調悪い時はすぐに言え。少しでもだ、分かったな?」
「………ええ」
ん?
「なんだ今の間は。分かったな?」
「分かったわよ……」
その口約束が無意味だったということに気がつくのは、もう少し後のこと。
唯鈴が揺れないように、少し足早に俺は家へ向かった。
家に着き、病院に行こうと言ったが、唯鈴はそれを頑なに拒んだ。
理由を聞いても、
「お金の無駄よ」
としか答えない。
唯鈴は表情を変えない。
でも分かる。
本当の理由が他にあることくらい、簡単に。
顔に出ないだけで、唯鈴にだって感情はあるのだから。
今の不安定な状態で、無理に病院に連れていくのはかえって体に悪い。
そう思い、俺は家で様子を見ることにした。
唯鈴をベッドに寝かせる。
「唯鈴、どこが苦しいんだ?言ってみろ」
「………あたま………」
頭か……そういやさっきも頭抱えてたな……
俺は唯鈴のおでこに手をやる。
「!?さ、さくっ……」
熱は……無さそうだな。
「唯鈴、熱は無いみたいだが、やっぱ頭痛はあるか?」
熱は無いはずなのに、顔が赤い唯鈴。
さっきまで真っ青だったのに。
「………少しだけ」
「じゃあ薬持ってくる。他になにかいるものあるか?」
「何か飲み物を……」
「分かった。じゃあ、すぐ戻るから」
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「……朔のせいで、熱が出そうよ……」
俺が部屋を出た後唯鈴がそんな事を言っていたなんて、俺が気づくはずなかった。
俺は、数分して薬と飲み物を持って戻ってきた。
でもその時にはもう、唯鈴はぐっすりと眠っていたから、俺は部屋を出ることにした。