「えーと、バイトしたいの?どのくらい入れるかな?」
「……あの。はい。これ……」
前期のカリキュラムを見せる。
「……ふーん。わかった。とりあえず明日からこれそう?」
「はい。あの。はい。」
焦って2回も繰り返した。
「プッ……君、面白いね。顔を見てるだけでなんか和むわ……」
むむっ‼︎また言われた。ぷーっ。
「しかも、膨れっ面リスみたい。あはは」
涙目を拭って三橋さんは言った。
「じゃ、明日履歴書持ってきて。店長には伝えておくから。またね、平野サン」
失礼な。なによ、なによ。
今日はマンションで三橋先輩に会うこともなく、そのまま放課後になった。
詩乃は今日バイトなく、彼とデートと言ってすぐに分かれた。
バイトの面接時間までカフェで時間潰そうかな言うと、横を歩く晴人が一緒に行くというので歩き出した。
歩道を歩いていると、晴人が腕を引っ張って自分の方へ抱き寄せた。
後ろから自転車が凄い勢いで走ってきていた。晴人はさりげなく自分を車道側にして庇ってくれた。
「なんだよ?」
「ありがと。優しいね、晴人」
「奈由は、ボーッとしすぎ。ほんと、心配になるわ」
文学部のこの学科には男子が少なくて、入学時からウマが合うのか一緒にいることが多かった。
詩乃に彼氏がいるので、ふたりでいることも多い。
晴人とそういう関係かと聞かれることも増えて来た。
「なあ、奈由。明後日の土曜日一緒にどこか行かない?」
コーヒーを飲みながら、突然誘われた。どういう意味かわからなくて、パンケーキを頬張ったまま、固まる。
晴人の長い指が私の頬に触れ、つまんだものがそのまま晴人の口に入る。
「パンケーキのかけらが付いてるぞ、まったく。幼稚園児か」
パチパチとまばたきをしながら晴人に聞いてみる。
「えと……土曜日空いてるし、いいよ。どしたの突然」
綺麗な顔の晴人。今までもちょっとは意識してたから、ドキドキする。
晴人がそういう素振りを見せてくれたことがなかったし、疑われても即否定してるのを見てきたから考えない様にしていたし。
「いや、奈由のこともっと知りたいし、もっと側にいてやらないと心配で……」
目を反らしながら、ゆっくり話す。こんな晴人初めて見た。
……心臓がばくばくする。
「私も晴人のこともっと知りたいし、側にいるけどでも、友達だから……」
晴人が意を決したように目を合わせ、言った。
「友達よりも近い距離に居たいと思うようになったんだ」
嘘みたい。それって……。
「晴人……私のこと、友達以上にして、その先は……」
「明後日ゆっくり話す。ここじゃなくて。いいだろ?お前も考えて来てくれ」
時計を指差す晴人を見て、時間まで10分しかないことにようやく気づいた。
バイト先に行くと、三橋さんではなく店長がいた。
とりあえず、週3日は最低でも入り、授業に慣れたら合間にも入ることで合意し採用された。
「前回会った三橋君がチーフをしているから、僕が居ない時は彼に連絡してね。今日は、制服を渡すから着替えて。それから仕事内容について篠宮さんから聞いてもらおうかな。」
篠宮さんは、4年生。三橋さんと同じ学部だそうで、長い髪をお団子に纏めている。口元のほくろが彼女を色っぽく見せる。
ほんと大人っぽい美人。
「原口さんと同級生ですってね。よろしく。」
「はい。原口さん、詩乃とは1年生からの友人です。よろしくお願いします。」
仕事を習っていると、黒いエプロンを巻いた三橋さんが厨房に入ってきた。
「達也、新しく入った平野さん。文学部3年ですって。原口さんの友達みたいよ。」
こっちを見た三橋さんは、私を見てニッと笑い聞く。
「やあ、子リスちゃん。今日は何時まで?」
「達也、彼女を知ってるの?」
子リスってなんなのよ!また、頬を膨らませて彼を見る。すると、ぷっと吹き出して三橋さんが笑う。
「また子リスになってるぞ、ほら、スマイルだぞ、接客だろ。」
呆気に取られた顔をして篠宮さんが三橋さんを見つめている。
クルッと踵を返した篠宮さんに遅れないようについて行く。
なんか、その後の篠宮さんはぶっきらぼうで、シフトの時間が来たらしく先にあがった。
洗い物の手伝いをしていると、三橋さんが横に来た。
「帰り、俺今日10時だけど何時まで?」
「9時までです。」
「危ないから一緒に帰ってやるよ。あがって片付けたら声かけろ。賄い出してやる。食べて待ってろよ。」
「え?」
「子リスだから狼にすぐ食われそうだ。ひと飲みペロリだからな。」
すれ違うとからかっていじられる。でもよく分からないけど、私のこと心配してくれてるのかな。
「子リス、帰るぞ。」
最早、ちゃん付け消えてる。促されて歩き出す。
「少しは覚えたか?篠宮に教わったんだろ?」
「はい。篠宮さんとは親しいんですか?お名前で呼ばれてましたよね。」
「まあ、同じ学部でゼミも一緒だからな。」
眠くてボーッとして、暗がりの電柱へぶつかりそうになった。
急に手を引かれる。
「おいっ!お前、ほんとに大丈夫か?」
「ちょっと疲れてしまって。大丈夫です。」
三橋さんは手を引っ張ったまま歩き出す。
「しょうがねーな。子リスはおねむか。全く。」
そのままエレベーターに乗せられ、部屋の前まで連れて来られた。
「また、明日な。携帯貸せよ。」
そう言うと、携帯のロックを外すように言われて、気づくとまた携帯を手のひらに載せられた。
「俺のアプリと番号入れといたから、何かあれば連絡よこせよ。……子リスおやすみ。また明日な。」
翌日、またバイトに入った。
今日は、詩乃も一緒。
ふたりで話せるかと思ったけど、そんな暇はなかった。
篠宮さんに仕事を教えてもらい、実践するので精一杯。
「じゃあ、そこ洗い物下処理して食洗機やっといてね。」
うーん。ウエイトレスだけかと思いきや、厨房内の仕事も結構任せられる。
足りない人は補うってことらしい。
すると、後ろの扉から三橋さんが入ってきた。
皆が挨拶している。偉い人みたいだ。あっ、こっち見た。
「お、おはようございます。」
「おう、おはよ。」
篠宮さんが入ってきて、三橋さんへ近づいてきた。
「達也、今日一緒に帰ろうよ。私ラストなんだ。」
「俺は今日9時まで。お前、和樹この後入るだろ?あいつもラストまでじゃないのか?」
「和樹とは終わったの。」
「は?」
何か、話がやばい内容になってきた。
こっちを見るから、聞いてたらまずいのかも知れないと思い、ホールへ出た。
詩乃が寄ってきた。
「ねえ、篠宮さんとお付き合いしている人知ってる?」
「うん。ここのバイトの人だよ。三橋さんと篠宮さんは経済学部、篠宮さんの彼氏の本郷さんは商学部。ヒデと一緒なんだよ。」
なるほど、なるほど。狭い範囲で交際してるんだねえ。
ていうか、同じバイトの人と破局した場合かなりやばいんじゃないでしょうか。
うーん。考えてたら、お客様が2組入ってきて、詩乃と分かれてご案内する。
戻ると、不機嫌な顔をした篠宮さんがいた。
厨房の三橋さんに手招きされて、中に入る。
「子リス、2番へこれもっていけ。」大きなサラダの皿を渡された。
すると耳元で「帰り、俺も9時だから待ってろよ。」と囁いた。
「え?」
「子供は1人で帰れないからな。大人が連れて帰ってやるよ。」
「子供じゃないですっ」
膨れていると、また笑われる。
少し経つと、本郷さんというイケメンがホールに入った。
篠宮さんの彼氏、イケメン。というか……。イケメンだらけじゃん、このファミレス。
詩乃がいい人多いというのは本当だった。女性客が多いのもそういうことか。
ヒデ君も人気だし、詩乃が同じバイトにした気持ち分かるわ。
本郷さんは、気さくな感じで接してくれた。
篠宮さんとは一緒にいないし、話さない。こりゃ、だめだ。
9時になり、詩乃といっしょにあがった。
三橋さんと同じマンションなのは話してあったので、迎えに現れたヒデ君と手を繋ぎ、早々に私をおいて帰って行った。
晴人との明日の約束のこと話せなかったな。
まあ、どういうことになるかわからないし、来週話そう。
「三橋さん、私には子リスではなく、平野奈由という名前があります。」
言ってやったぞ、ふんっ。
「はー、お前ドヤってる時もリスになるんだな。ま、なゆはリスのくせに、えばるなよ。」
は?どうして呼び捨て?そしてどうしてまだリスなの?
「お前、今日パン食べてるときも両手でつかんで口の前に持っていって食べてるしさ。まじでリス。しかもちびだし、子リス。」
「ひどくないですか?その言い方。」
三橋さんは私の頭を急になでて、手をぎゅっと握ってきた。
「かわいいっていってんだよ。ちびだし、リスだし。」
「うそだ。絶対そういう風には思えない。みんな笑ってたし。三橋さんが私のこと子リスって言うから。」
「そうか?他のやつにも子リスちゃんって呼ばれてるじゃん。かわいがられるきっかけをやった俺を褒めろよ。」
そうなんだよね。詩乃や篠宮さん以外には子リスちゃんって呼ばれてしまった。
どうしてくれよう、三橋さん。
「くやしいから、三橋さんのこともあだ名つけようかな?」
「ほー、いい度胸じゃないか、考えられるものなら考えてみろよ。」
じーっと、三橋さんの顔を見つめる。
何に似てるかな?じろっとこっちを上から見ている。
「鷹みたいな目だから、タツヤじゃなくて、タカヤにしようかな。」
「なんだそれ?改名かよ?」
「私は優しいから、みんなの前では言いません。でも今日から私といるときは、タカヤって呼ぶから。」
「……いいぞ。いずれ、リスは鷹に食われるんだからな。」
ニッと笑って私の肩を抱き寄せた。
びっくりして、突き飛ばすと危ねえだろと言われた。
後ろから車が来た。
しょうがねえなと、手を握り直された。
「なんなの?タカヤ先輩。チャラい。」
「お前ちょっとぼーっとしすぎ。夜になると、よりひどくなるな。今日も眠いんだろ、子リス。」
タカヤ先輩はかっこいいし、バイト先でも仕事できるいい人なんだけど、私にはいじめっ子にしか見えない。
今日も、皿を持ったまま転びそうになったのをいじられて、みんなに笑われたし。
また膨れている私を、実は優しい目で見つめていることにその時は気づかなかった。
「子リス、明日はお前休みだろ。良かったな。仕事の内容忘れるなよ。復習しろよ。」
「タカヤ先輩のご心配には及びません。私はもう大体覚えましたから。おやすみなさい。」
部屋の前で別れた。