1ヶ月が経ち検査入院の日の夜、直哉さんは病院に来て、その後夕飯を一緒に食べ、そして家に送ってくれた。
「ここで大丈夫。ありがとう。」
玄関先で直哉さんを帰るように促した。
ドアを閉めようとしたとき、ドアの外から声がした。
「楓・・・」
「ああ・・・」
その声を聞いて力が抜けた。立っていられなかった。
直哉さんは締まりそうなドアを開け、部屋に入りカギを閉めた。
「楓・・・」
私を抱き起こし熱いキスをした。
「あっ・・・直哉さんダメ・・・」
片手でネクタイを外して、そのネクタイで私の目を覆った。
「兄貴だと思っていいから・・・楓・・・」
直哉さんはキスをしながら耳元で “楓・・・” と何度も呼んだ。
「ああ・・・正志さん・・・」
私は・・・正志さんに・・・抱かれた。
朝起きるとベッドに寝ていた。久しぶりに熟睡した。
隣には誰もいなかった・・・
机の上にメモが置いてあった。
—良く寝ていたので帰ります。
—僕が兄貴の代わりになるよ。
—直哉
・・・直哉さん・・・
昨夜のこと・・・正志さんではなく直哉さんだということはわかっていた。でも正志であってほしかった。“楓・・・”と呼ぶ声と香りが一緒だったから・・・正志さんに抱かれているようだった・・・だからつい・・・
・・・正志さんゴメンナサイ・・・直哉さんゴメンナサイ・・・
気持ちの整理が付かなかった。
毎週土曜日、今まで通り直哉さんは家に来てくれる。一日中正志の側にいて世話をしてくれ、帰り際に私を抱きしめキスをしてくれる。“楓・・・”と呼んで。初めはそれを拒んだ・・・口では拒んでも毎週土曜日が来るのが待ち遠しくなっていった。
そして1ヶ月に一度、正志さんの検査入院の日に直哉さんは私を抱いた。私に目隠しをして・・・
「直哉さんごめんなさい・・・」
「いいんだ。兄貴だと思ってくれていいから。あなたが目隠しを外してというまでこのままでいいから・・・」
そう言ってくれる直哉さんに甘えた。
この時だけが・・・今の私にとって何もかもを忘れられる時間だった。
毎月一度、正志さんが検査入院の日、それが暗黙の決まりだった。それが徐々に崩れていき、どちらからともなく誘うようになり、ついに毎週になった。
直哉さんが帰った夜、寝る前に正志さんの布団を直した。その時正志さんが力のない手で私の腕に触れた。驚いて正志さんを見ると、正志さんの目から涙が一滴流れた。正志さんが私と直哉さんのとのことに気が付いていると思った。
どうしようもなく声をあげて泣いた。
それから数日後、正志さんは呼吸不全となり入院した。
正志さんの涙を見た後は、直哉さんには会っていない。もう来ないように頼んだのだった。
父の時は呼吸不全になってから3ヶ月で亡くなった。覚悟をしなくてはいけなかった。
正志さんのご両親が病院を訪れた。
「楓さん・・・」
お義母様が私を抱きしめて慰めてくれた。
「まったく、正志ったら何しているのかしら、楓さんを悲しませて。だらしないったら・・・」
声を詰まらせて泣いていた。
いつもにこやかなお義父様もぐっと口を真一文字にしていた。
それから1ヶ月後、正志さんと出会って丁度7年目の5月3日16時50分、正志さんは亡くなった。享年36歳・・・
外では私の怒りの代わりに激しい雷が鳴り渡っていた。
葬儀は佐原の坂口家で行うことになった。
私は何もできず、ただ正志さんの亡骸の横にいた。
誰の声も聴くことは無かった。声も涙も出ない、ただそこにいるだけだった。