佐原には正月に正志さんの実家と母の墓参り、春には父の墓参りと年に2回来た。
母の三回忌の時、お婆様が風邪をこじらせて入院をしていたので二人で見舞った。
「お婆様・・・」
「楓さん・・・来てくれたのね。」
「いかがですか? 」
「もう年寄りですからね。家には戻れないでしょうね。」
「そんな、大丈夫ですよ、お爺様がお待ちですよ。」
「あの人ったら一度見舞いに来ただけですよ。それに比べて正志さんは優しいわ。楓さん良かったわね。正志さん、楓を頼みますよ。それと、お爺様は正志さんのことを孫のように思っているの。だからたまには顔を見せてあげてね。」
「お婆様・・・」
「楓さんも正志さんを大切にね。」
それが私にとってお婆様の最後の言葉だった。
2月末、お婆様は肺炎で亡くなった。
・・・また一人 空に召されてしまった・・・
4月初めの公園墓地は桜が満開だった。
お婆様の納骨には正志さんは出席せず私だけが出席した。妙子さんはその席にいたが言葉を交わさなかった。
私はお婆様から頂いた黒紋付を着た。
黒紋付に風で舞い散る桜の花びらが彩りを加え、お婆様があまり悲しまないで・・・と言っているようだった。
正志さんと結婚して3年。二人には子供が出来なかった。病院に行って妊活もしてみたがそれでも出来なかった。
正志さんは口には出さなかったが子供が好きだったので、たまに公園で子供たちが遊んでいるとずっとその姿を追っていた。
それを見ているのは辛かった。
そのうちに子供たちと正志さんは仲良しになった。
週末、正志さんはその子たちにサッカーを教えるようになった。
本当は自分の子供とサッカーをしたりキャッチボールをしたりしたかったのだろうけど、今はよその子たちと楽しそうに遊んでいる、それは複雑な気持ちだった。
それでも正志さんが笑顔で子供たちと接しているのをそっと見守った。
正志さんの仕事は順調だった。所長と共に次から次へと大きな仕事をこなしていた。
その都度忙しくてろくな休みが無かった。たまに休みが取れると正志さんは子供たちとサッカーをしていた。
私は正志さんの身体が心配だった。
「正志さん、少し身体を休めないと・・・」
「大丈夫だよ。僕は頑丈に出来ているから。」
「でも私には正志さんしかいないのよ。もしものことがあったら・・・」
「何言っているの、大丈夫だよ。僕は楓を一人にはしないから。」
正志さんは今でも結婚前と同じように私を愛してくれる。心配がないとは言えないけど、私は幸せなのでそれ以上正志さんには言わなかった。
平穏な日々が訪れていた。
私は日中暇なので近くにある会社で経理事務の仕事をパートで始めていた。
昔、会社勤めをしていた時に経理だったので、お手の物だった。ただ正志さんがフルに働く必要はないと言うので、週に3日、9時から16時までにした。それでも仕事から離れていたのでしばらくは慣れなくて疲れた。