また、相続をしなくてはいけない。
父の相続書類は年明けに受け取りに行く予定だったので、滝先生にご連絡をした。
「三崎さん、いえもう坂口さんだね。お母様迄亡くされたとは・・・お辛いでしょう。」
「事前に聞かされていましたので・・・」
「お父様の相続手続きは出来ています。お母様のも同様に行わなくてはいけません。従ってまた書類を集めてください。それとお父様がお残しになってお母様が引き継がれる予定だった部分に関してはやり直しになります。」
「わかりました。引き続きよろしくお願いいたします。」
こんなことに慣れてしまってはいけないけれど父の時と同じことを繰り返せばいい。それに母の場合は長野に行く必要はない。役所も郵送で出来る。少しは気が楽だった。
長野の家は処分する、福岡のアパートは残す、それは決めていた。
しかし、母の戸籍を調べていくと意外なことがわかった。
母からは両親は亡くなっているとだけ聞いていたが、母の母親は離婚後に別の方と結婚していたのだ。
すでに亡くなってはいるものの、そのような事実を知って動揺した。それと母に妹もいた。離婚の時に母は父親に、妹さんはまだ乳飲み子だったので母親が引き取り新しい家族で暮らしていたのだ。
その妹に母の死を知らせるため連絡を取ると、姉がいることは聞かされていたがまだ小さい時に別れたので記憶は無い・・・、ご連絡ありがとうございました・・・という言葉だけで終わった。
母は、妹だけが母親に連れていかれた事が辛かったのだろう。人にやさしい母だったけど、寂しい思いをした人だったと改めて思い知らされた。
夜、夕飯の片付けをしているとき急に目の前が暗くなった。
「楓、大丈夫か楓・・・」
正志さんが必死に私を呼んでいる・・・そこまでしか覚えていない。
気が付いたときは病院だった。
「正志さん・・・」
ベッドの横には私の手をしっかりと握っている正志がいた。
「楓、気が付いたか。 疲れたんだよ。疲労だけだから少し休めば大丈夫だ。」
「ごめんなさい。」
「何言っている。気が付かなくてごめんな。」
「そんなことないです。正志さんがいてくれたからこんなもんで済んだのよ。」
「楓、それでもこれから無理は禁物だよ。もっと俺を頼れよ。何でも言えよ。」
優しい旦那様が私にはいる、安らげる居場所がある。それを感じながら眠った。
母の一周忌が済んだその年の5月末に軽井沢のホテルで結婚式を挙げた。
もう、式を挙げなくても良かったのだけど正志さんが約束だからと言ってお膳立てをしてくれた。
式には正志さんのご両親と直哉さん、そして雄一伯父さんが出席して父親代わりをしてくれた。
両親の写真も飾った。形だけの結婚式だったけど、またウエディングドレスを着ることが出来たし、両家が揃うことが出来た。
正志さんからまた愛情をいっぱいもらった。
私はいつももらってばかり・・・
春の軽井沢からは、新緑の力強い樹々の力と共にやさしさをもらった。