母のところには1日おきに来ていた。
この日ナースステーションで呼び止められ、あとで先生からお話があると時間を指定された。

見舞いを終わらせ、指定の時間にナースステーションに行った。先生はそこで待っていてくれた。

「三崎さん、ちょっとこちらによろしいですか。」

先生は私を小さな会議室に連れて行った。

「三崎さん、お母様の様態についてご説明させていただきます。正直申し上げてあまり芳しくありません。残念なことですが、これから回復して退院できることはまずありません。」

「先生、もう母は長くないということですか? 」

「半年、もって1年かと思います。場合によってはもっと早いかもしれません。」

「そんな・・・」

言葉を失った。

「あの・・・母はこのことを知っているのでしょうか。」

「いえ、お話していませんよ。お母様が少しでも長生きするためには何か希望とか楽しみを与えてあげることが必要だと思います。」

「そうですか・・・」

「お辛いでしょうが、何かして差しあげることがあれば是非してあげてください。」


母が正直そこまで状態が悪いとは思っていなかったのでショックだった。
家に戻っても何も手に付かなかった。
正志さんに話そうか迷った。でも、忙しいのに心配をかけられないと思い、今話すことはやめた。


正志さんからは2日置き位に連絡が入っていた。

携帯にメッセージが届いた。

—楓さん、今度の日曜日は午後時間が取れそうだよ。どこか出かける?

—でも正志さんお疲れでは・・・

—何言っているの、楓さんに会えば疲れなんかふっとんじゃうよ。

—映画はどうですか?

—わかった。何を見たいか調べて連絡くれる?

—はい。連絡します。


映画なら寝られると思い、正志さんが眠くなりそうな恋愛映画を選んだ。

当日夕方から映画を見た。正志さんは案の定ほぼ初めから終わりまで寝ていた。
エンドロールのところで正志さんは起きた。

「ごめん、俺ずっと寝てた。」

「はい、ほぼ初めから終わりまで・・・。フフッ、でもよかったです。」

「ん? 」

「寝てもらおうと思ってこの映画選んだので・・・」

「そうなの? 」

「はい。」

「ありがとう、楓さんは優しいね。ではお詫びに美味しいもの食べに行こう。」

「はい。」

正志さんは映画館から近くのスペイン料理の店に連れて行ってくれた。


「素敵なお店・・・」

「ここは俺も初めてなんだ。この前直哉にどこかうまい店あるかって聞いたらここがうまいって教えてくれた。滝先生に連れてきてもらったらしい。」

「滝先生もいい方です。説明もうまいし頼りになります。」

「それはよかった。それで作業は進んでいるの? 」

「いろいろ役所や銀行に電話して聞いています。聞けば聞くほど大変で。たまに滝先生にも質問しています。あの、それでお願いがあるのですが・・・」

「何? 」

「お仕事が落ち着いたからでいいので、一緒に長野に行ってもらえませんか。」

「・・・俺はかまわないけど、いいの?」

正志の返事には間があった。


・・・このあいだは一緒に行ってくれそうなことを言っていたけど・・・
・・・あれ? そうか、二人で旅行ということだ・・・


急に恥ずかしくなった。でも勇気を出して言った。

「頼りたいです。正志さんに頼りたいです。」

恥ずかしさで顔が赤くなっているのが自分でもわかった。

「ありがとう頼ってくれて嬉しいよ。長野に一緒に行こう。休める日が決まったら直ぐに連絡するね。」


スペイン料理はすごくおいしかった。
タコのアヒージョやパエリア、そしてサングリアも美味しかったので二人で結構飲んでしまった。
デザートも食べ終わったとき、お酒のせいで気が緩んだのか私はいきなり母のことを想いだし涙が出てしまった。

「楓さんどうしたの?」

突然泣き出した私を見て正志さんは慌てた。

「ごめんなさい。あの・・・でも・・・今度でいいです。」

「どうしたの? 楓さん、一人でため込まないで話して。」

「実は・・・先日病院に行ったとき、先生から母の余命の話をされました。半年、もって1年だと・・・」

涙が止まらなかった。ずっと我慢していたものがあふれ出でしまった。

「まだお父さんが亡くなったばかりなのに・・・」

「私・・・それを聞いてから母の顔をまともに見られないのです。」

「そうか・・・」

「あの・・・お願いが・・・もう一つあります。これもお仕事が落ち着いてからでいいのですが、・・・母に会ってもらえませんか。」

「もちろん。僕もご挨拶しないといけないって思っていた。」

「嬉しい。母も喜びます。」

「楓さん、今日はそろそろ帰ろうか。」

「・・・はい。」


正志さんは私が涙目だったので、タクシーで帰ろうと言ってくれた。
調布までは結構な距離があった。正志さんはタクシーの中でずっと私の手を握っていてくれたが、あまり話はしなかった。

アパートに近づいたとき、正志さんは私の耳元でささやいた。

「家に行ってもいい?」

耳元でささやく正志の言葉に私はふっと力が抜けた。

「一人でいたくないです・・・」

自然にその言葉が出た。正志さんは握っている手に力を込め、私を見つめた。

この日正志さんと私は結ばれた。