自分の腕に自信があるのなら、望みを捨てず、従者になるために努力しようとなるはず。

過信は時として仇となるが、それでも、守る・守れるという自信がなければ、いざ危機に陥ったときに被害を被るのは主人の方なのだ。

これは琴だけに限った話ではなく、すべての主従たちに言えることだ。


従者は“絶対に守る”という信念を貫き、主人は“この人になら自分の命をも預けられる”と信じ貫く。

“絶対に守れる”という自信と“命を預けられるほど信頼に値する”という自信。

どちらの自信も、お互いを信頼していなければ成り立たない。

信頼の決め手や度合いは、各々の基準で決める。

だから選び間違えたと思っても、それは自己責任。

かくして主従とは、とても奥深く、難しいものなのだ。

「…この学園になら、琴も納得できる人材がおるじゃろう。それも含め、良い報告を楽しみにしておくとしよう。

琴が跡を継げば、この学園の理事長には琴が就任することになる。教師陣も、気にかけてやってくれ。

…少々、喋り過ぎてしまったか。新入生諸君、今日は本当におめでとう。儂からは以上じゃ」