舞と中葉は全国的にも有名な浄瑠璃(じょうるり)海岸に来ていた。

 まだ3月なので海から来る風もまだまだ冷たい。

 だが、舞の身体は熱かった。冷たいはずの風も心地良いくらいだ。

「ハァッ、ハァッ、中葉君。ここが、あの、日本の…ハァッ、夕日50選で有名な…ハァッ、浄瑠璃海岸よ。ハァッ、海風が、気持ちいい…ハァッ、ね」

 舞は息を切らしていたが、対する中葉は寒そうに身体を縮めていた。

「そうだね。ここの景色は今も絶品だし、夕方になるともっと凄いんだろうな。寒いけど、絶対に夕方までここにいような」

「ハァッ、ハァッ、中葉君は大丈夫?やっぱり…ハァッ、少し…ハァッ、寒いかしら…ハァッ」

「オレの方は大丈夫だよ。それよりも舞の方が心配だよ。やっぱり2人乗りでここまではキツかったかなぁ。ごめんな、オレの体力が無いばかりに…」

「そんなことないわよ…ハァッ、中葉君。体力が…ハァッ、無いのは…ハァッ、仕方がないわ。それだけ…ハァッ、中葉君は繊細だって…ハァッ、ことなんだから」

 舞は苦しそうにしながらも中葉をフォローした。

 舞がこうなっているのは、ここまでほとんど自分が自転車を漕いでいたからだ。というのも中葉が舞を乗せて宮内駅を出発したものの、2人分の重さになったペダルを漕ぐことができずにすぐリタイア。宮内駅からこの浄瑠璃海岸までの10キロの道のりを、舞がほとんど中葉を乗せてきたのだ。

 念願の2人乗りはできたが、どう考えても男女逆だった。

 だが、幸運にも舞はそのことに気がついていない。

「そんなの…ハァッ、ハァッ、どうっていうことないわよ。これくらいの距離…ハァッ、大丈夫。いつも…ハァッ、自転車通学で鍛えられているから…ハァッ、体力はあるし。響ちゃん達の…ハァッ、場合は…ハァッ、橋本君が響ちゃんを…ハァッ、乗せていたけど。2人乗りは…ハァッ、女が男を乗せて…ハァッ、する場合も…ハァッ、あるんだから」

 舞の息も元通りにはなっていないので、2人は夕方までここで休んでいくことにした。

 もちろん中葉が舞に寄り添って…



 舞達は浄瑠璃海岸から宮内駅に戻ってきていた。

 薄暗い中、2人は宮内駅の裏改札口のベンチに座っていた。相変わらず中葉が舞に寄りかかっている。

「さっきの夕日は本当に絶品だったね。あんなに美しいとは正直思わなかったよ。まさに海辺のデートに相応しい眺めだったね」

 そう言葉にもしていたが、中葉の顔は凄く満足そうだった。夕方に見た景色がとても良かったらしい。

 その彼に肩を貸している舞の顔も、うっとりしていた。

「本当に素晴らしい眺めだったわ。それにあの夕日に照らされながらの接吻。私の思い出のアルバムに永遠に残りそうよ。それでも今日の夕日ではなくて、昨日の夕日になってしまったけど…」

 舞はうっとりした顔を宮内駅の外へと向けた。

 どこからかニワトリの声が聞こえてくる。穏やかな朝だ。もうすぐ学校に行く為に学生達がやってくるだろう。さすがにそろそろ帰らないとマズイ。

 その事実に気づき、舞の顔が青ざめる。

 家には連絡を入れていない。実は浄瑠璃海岸に向かっている途中、スマホが落ちて壊れてしまったのだ。しかも唯一番号を知っている家の電話も、数日前から故障したままで放置されている。

 中葉の方はというと、どうやらスマホを家に忘れてきたようで連絡をしようともしなかった。

 家に帰ってからの親の反応が恐ろしい。

 今日の学校は休むことになるだろう。何しろ今の時刻は午前7時なのだから。

 制服姿なら良かったのだが、今は生憎私服で制服は家のクローゼットの中だ。しかもほとんど寝ていない。

 中葉君はよく眠っていたようだったけど…

 中葉は今も舞の肩を借りて半分眠っている状態だった。最終電車に乗る素振りも見せなかったが、さすがにもう帰らなければいけない。

「中葉君、私、そろそろ帰るから。中葉君も帰った方がいいわよ」

 舞は自分に寄り添っている中葉を優しく揺らした。

 揺れを感じた中葉は、舞の肩から頭を上げる。

「そうだなぁ、もう朝になってしまったし、舞も帰って眠らないとな。淋しいけど、仕方がないね」

 中葉はまだ眠いのか、そう言いながらも目を擦っている。

 昨夜は舞が帰ろうとする度に淋しそうな目を向けて舞を帰さなかったが、さすがにこれ以上引き止める気は無いらしい。

 宮内駅は柏原駅以上に田舎にある駅なので、駅全体が閉められることが無い。さすがに表側には鍵がかかるが、裏手は空いたままだ。だからこうやって朝まで駅にいられたのである。

 だが、一晩一緒にいたとはいえ、今回はAをするだけで終わっていた。今回の中葉は性欲よりも睡眠欲の方が勝っていたのだ。

 かなりの拍子抜けを味わい、舞の2回目のデートは幕を閉じた。



 自分の家を前にして大きく溜息を吐く。

 覚悟していた朝帰りも、結果がこれでは嬉しくもないし、楽しくもない。それなのにこれから親に怒られないといけないなんて。

 かなり不満だわ。これなら昨日のうちに帰れば良かった。

 中葉君だって、寝るのなら家で寝た方が良かったのよ。それなら暖かい場所で睡眠がとれたはずだし、家の人にも怒られずに済む。学校にだって爽やかな顔で登校できたのに。

 あんな寒空の下で寝ていて風邪をひかなかったかしら。ちょっとだけ心配だわ。

 今は大いに中葉の心配はできない。何しろこの扉を開けた途端、自分の身が危なくなるのだ。できることならそれは避けたい。

 それでも早く家に入って眠らないとさすがに限界だ。

 家に着いた後、玄関先で15分程ウロウロしていたが、ようやく覚悟を決めた。思い切って玄関を開ける。

 仕事着姿の父が、ドタドタと足音を響かせて舞のところに来た。

「ま、舞、こんな時間まで、な、何をしていたんだ。と、父さんは心配で、心配で…うっ、うっ、うっ!」

 父が涙を流しながら詰め寄ってくる。

「この間の補導といい、最近どうしたんだ。も、もしかしてまたこの間の男と一緒だったんじゃないだろうな。と、と、と、父さんは絶対に許さないぞ!」

「ごめん、ごめんって、父さん。確かにこの間の男の人と一緒だったけど、危ないことは全然無かったから。連絡できなかったのは悪かったけど、宮内駅にずっといたから安心してよ」

 舞は父を抑えようと必死だったが、その言葉がまずかった。

「ま、また駅にいたのか。え、駅で何をしていたんだ。まっ、まっ、まさか大人になっちゃったんじゃないだろうな。そんなことは、断じてあってはいかっーん!」

 父の顔は涙と怒りでもうぐしゃぐしゃだ。

「と、父さんはもう限界だ。あの男の家に殴り込むっ!」

 顔を真っ赤にさせながら物置に置いてあったスコップを取り、それを持って出て行こうとする。

 父は本気で乗り込むつもりだ。眠気も何もかもが吹っ飛んだ。

「ちょ、ちょっと父さん、止めてよ。少しは娘を信用して。私はまだ大人になっていないから!」

 舞は必死に止めたが、怒りの化身となった父は舞の制止を振り切って出て行ってしまった。

 そう、そのまま出て行ったのだ。車も使わず、自らの足で走って!

 頭に血が上って冷静な判断ができなかったのだろうが、これなら追いかけなくてもいいだろう。数時間後には帰ってくるはずだ。

 舞は取り敢えず一息吐いた。

 だが、ここからが問題だ。家の奥から静かな足音が聞こえてきた。

 舞はこれから起こることを思い、憂鬱になる。

 だが、これをクリアしなくては自分の部屋で安眠できない。

 覚悟を決めて、目の前に来るであろう敵の姿を待っていた。