入学式から半年が過ぎた。

 季節は秋。焼き芋…いや、文化祭のシーズンである。

 みんなが文化祭で浮足立っている中、舞はその波に乗れずに憂いていた。

「フゥッ~」

 時間の流れるスピードって、なんて早いのかしら。入学してから数カ月以上過ぎてしまったなんて…

 もうそんなにも経ってしまっているというのに、私ってば、まだテツヤ君と話したことが無いのよ!

 これも赤い鎖の試練なのかしら?

「フゥッ~」

 赤い鎖というのも辛いものなのね。

 テツヤというのは、舞が惚れた自転車の君の名前だ。フルネームは『川崎哲也(かわさきてつや)』。この半年でわかったことは、読書好きの寡黙な青年でT大文学部を目指しているということだけだった。

 しかも彼は女性にはまったく興味が無いみたいなのだ。舞が望むような関係になるには、実際にはかなり難しいだろう。

 それに加えて舞は、実は内気な女性だった|。心の中では毒舌なことを思っているが、それを口には出せない。

 さすがに仲良くなった人の前ではそれが出せるのだが…


「ねぇ、さっちゃん。テツヤ君って、今日もカッコイイよね」

 舞は半分うつ伏せ状態になって、教壇付近で作業している川崎に魅入っていた。

 舞に同意を求められた紗智(さち)は、露骨に嫌な顔をした。

「あんたってば、口を開けばそんなことばかり言っているんだから。バカなことばかり言っていないで、早く文化祭の仕事をしてよね」

「だって…カッコイイんだもの」

「だったら、早く告白すれば?」

 その瞬間、舞の顔がリンゴのように赤くなった。

「やだ、さっちゃん。そんな、大胆な…」

「そんなことよりも早く大道具の仕事に取りかかって。劇で使う背景も、鉛筆描写しただけで全然色が塗れていないんだからね。さぁさぁ、早くする!」
 
 紗智は強引に舞を廊下に連れ出して模造紙が置いてある場所に座らせた。そして筆を持たせると、舞が反論する前に教室に戻っていった。

 何よ、さっちゃんってば。あんなにカリカリすることないのに。

 そりゃ、文化祭はもう目の前に迫っているし、焦る気持ちもわかるけどさ。恋する乙女の邪魔をすることはないじゃない。

 きっとさっちゃんは、まだ恋というものを知らないのよ。だからこの私の、テツヤ君を想うあまり何も手につかない状態を理解してくれないのだわ。

 まったくもう、恋に疎い友人を持つと苦労するわね。

 でも、確かにそろそろ仕上げないとマズイかな。

 舞は仕方なく筆を持った。模造紙には野原の風景が描かれてある。色の指定はどこにも書かれていないので、そこは塗る人の判断に任せているのだろう。

 じゃあ、まずは簡単に仕上がる空から塗っていこうかな。

 舞はそう決めると、絵の具箱から青色の絵の具を取り出す。パレットにそれを大量に出し、水を少し加えると、躊躇なく模造紙に塗り始めた。

 あぁ、なんて素敵な色なのかしら。私、青色って、紫の次に好きな色なのよね。

 フフッ、見てよ。寒々しい白い空が、私が筆を動かす度に生気ある青色に染まっていっているわよ。

 今度買う服は、こんな色のTシャツにしようかしらね。男性っぽく見えるかもしれないけど、まだまだ残暑は続くんだから半袖がいいし、見ている人もスカッとするような気分にさせてあげたいもの。

 初めこそ不機嫌だった舞も、白地が段々と自分の好きな青色に染まっていくのが楽しくなり、いつの間にか上機嫌で筆を動かしていた。

 ある人物が、蒼白な表情で背後に立っているのを気づきもせず…

 しばらくの間、その人は舞の行動を背後から見ていたが、我慢できなくなってボソッと言った。

「空が青いな」

 呟き程度の声だったので離れた場所なら聞こえなかっただろうが、さすがにすぐ傍にいては聞こえるというもの。

 舞が聞き覚えのある声に驚いて振り返ると、すぐその目に飛び込んできた、愛しの君の姿。

 テ、テツヤ君、テツヤ君が!

 いきなり目に飛び込んできた川崎の姿に、舞は動揺し、硬直した。

 こ、こんなに近くにテツヤ君が!

 ど、どうしよう、どうしたらいい?

 いきなり過ぎて何を言えばいいのかわからないわ。
 
 ちょっと(きょう)ちゃん、響ちゃんはまだ戻ってこないの?

 って、さすがに響ちゃんは無理か。じゃあ、さっちゃんでもいい、助けてよ!

「………」

「………」

 舞が何も言葉を返さずに呆然と見ていたからだろう、川崎は気まずそうな顔をすると舞に背を向けて行ってしまった。