舞の言動を呆れて見ていた紗智が、ようやく口を挟んだ。

「まぁ、なんにしても良かったじゃない。別れられて、その上、新しい恋が始まろうとしているんだもの。他の人を好きになったということは、元彼のことは吹っ切れたということだから」

「でもさぁ、好きになった相手って、黒崎君だよ。なんだかこのままいくと同じことを繰り返してしまうような気がする」

 響歌はグラスをテーブルに置くと、溜息を吐いた。

 響歌から見て、黒崎は元彼と同じタイプだ。

 その一方で、響歌が好きになりたかった山田はまったく違う。顔も普通だし、口が上手いわけでもない。女子とも気軽に話してはいるが、決して女たらしではない。話を聞く限りだと面食いそうだが、好きな人ができるとその人だけといった感じがする。

 だから響歌は、心の中で『好きになるのなら山田君の方』と決めていた。

 そう、決めていたのに…

「私って、あの手のタイプに弱いのかなぁ」

 いつの間にか黒崎君を好きになっていた。

「そういえば黒崎君って、今は彼女がいるの?」

 歩が溜息を吐きまくっている響歌に訊いてみると、響歌は眉を潜めた。

「わからない」

「えっ、まさか訊いていないの?」

 真知は意外そうに響歌を見た。響歌だったら、とっくに訊いているだろうと思っていたのだ。

「いや、訊いたことはあるんだけどね」

 あ、それはやっぱりあるんだ。

「その時は、はぐらかされた」

『えっ、はぐらかされた?』

 またもやハモる4人の声。

「1学期の頃、黒崎君の方が、私に『彼氏いるだろう?』って訊いてきたことがあるのよ。その時はまだ彼氏がいたけど、既に末期状態だったから否定したんだ。信じてくれたかどうかはわからないけどね」

「ということは、信じなかった可能性もあるんだ。それって、なんで?」

 歩が訊くと、響歌は左腕を挙げた。手首には響歌愛用のブレスレットがキラリと光っている。

「このブレスレットを指して『それは絶対に彼氏からもらったものだ』と言い張ったのよ。だから私も訊き返したの。『そういう黒崎君の方こそ彼女持ちなんでしょ』ってね。そしたら…」

 そこまで言って、また溜息を吐く響歌。

 ちょっと、そこで止まられると気になるんですけど!

「そしたらどうなったの?」

 舞が響歌に詰め寄ると、響歌は嫌そうに顔を背ける。

「そんなに顔を近づけないで。別にここで止めようと思っていたわけじゃないから」

「だったら、早く言う!」

「はい、はい。で、私が訊いたら、黒崎君は『俺、彼女いないから』と即答したの。でも、さすがにそこで引き下がりたくはないし、そうとも思えなかったから『嘘ついても無駄よ。本当はいるんでしょ』と決めつけるように言ったんだ」

「で、黒崎君は、その言葉になんて返したの!」

 言葉の続きが気になった舞が急かすと、響歌はその舞の顔をじっと見て続きを言った。

「『俺の彼女は葉月さん』だってさ」

「わぉ!」

 真子が目を丸くした。

「で、その後は?」

 歩も興奮して響歌の方へと身を乗り出す。

「確か『俺以外の男の話題をしたらダメだぞ』と続けたのよ。そう言われたら『何、言っているのよ』って、笑うしかないじゃない。しかしさすがは黒崎君、上手く交わしたものだわ。一部始終を聞いていた山田君も苦笑いをしていたわよ」

 響歌は行儀悪く頬杖をつきながら、空いている方の右手でグラスの中にあるストローを回した。アイスコーヒーと共に入っていた氷がカランと音をたてる。その音がやけに大きく感じた。

 歩が力無く笑った。

「でも、さすがは黒崎君だよね。そんなことを言われたら、その気が無くてもコロッといっちゃうかもしれない」

「そうだね。黒崎君が人気あるの、わかる気がするな。質問をかわしただけではなくて、冗談でも口説いてくるんだもん。しかも授業中でしょ。私がテツヤ君にそんなことを言われたら、呼吸困難で病院送りになっちゃうかもしれない」

 舞が両手を自分の左胸に重ねる。

「ムッチーの表現は誇張し過ぎだと思うけど、私も高尾君に冗談でもいいからそんなことを言われてみたいなぁ」

 舞につられて本音をポロッと口にした真子を、紗智がからかう。

「白状した途端に、それ?ちゃっかりとしているわねぇ。でも、それならまっちゃんも頑張らないと。同じクラスなんだし、見ているだけだと勿体ないよ。響ちゃんに負けずに行け、行け!」

 その瞬間、真子の顔が赤くなった。

「さっちゃん、そんな。私にはそんなこと、まだ勇気が無くてできないよ。できることならさっちゃんや、響ちゃん達の勇気をわけて欲しいくらいなんだから。って、今は私の話じゃないでしょ。響ちゃんの話をしているの、響ちゃんの!」

 真子が焦りながら響歌の方に話を戻そうとする。

 歩はもう少し真子をからかいたい気がしたが、確かに今は響歌の方に集中すべきだろう。

「そこまで言うのなら、本当に彼女がいないんだよ。いずれできそうな人ではあるけど、今のところは安心していいと思うな」

「問題は山積みだけどね」

 響歌のこの言葉には、誰も否定できなかった。

 そう、問題が山積みなのだ。しかもそれは、黒崎ではなくて響歌の方に!

「で、どうするの?」

 紗智の表情は真子をからかっていた時とはうってかわって深刻そうだった。

 そんなことを訊かれても、響歌だって困る。すぐ出せそうな答えならとっくに解決させている。

「やっぱりさ、もうこれ以上つきまとわないでって、言うべきなんじゃない?」

 教室内ではないのに、舞が声を潜めて言った。

「でもねぇ。あの2人って、今のところ放課後になると私達のところに来ているだけでしょ。それだけなのにそんなことは言えないよ。もしかすると私の近くにいる誰かとの仲を取り持って欲しいだけかもしれないしさ」

 …それは絶対に無いだろう。

 これで何度目になるだろう、4人は再び心の中でハモッた。

 響歌は自分の考えに夢中で彼女達の呆れている様子には気づいていない。

「いやいや、橋本君の方はまだよくわからないけど、中葉君は確実に響ちゃんのことが好きでしょ」

 確信する舞を、響歌が睨む。

「そんな目で見ないでよ。だって響ちゃんが中葉君からもらった年賀状にだって告白めいたことが書いてあったじゃない。あっ、とぼけるのは無しだよ。私はこの前、それを響ちゃんにしっかりと見せてもらったし、今でもその文面を完璧に覚えていますから!」

「そういえば中葉君って、律儀にもクラス全員に年賀状を送ったみたいだね。しかも裏面すべて手書きの」

「私達はメッセージのやり取りですませたけど、年賀状を使う人だってまだまだいるよ、さっちゃん」

 紗智が呆れながら言ったが、真子がすぐに中葉のフォローをした。

 真子の言動を意外に思いながらも、ここは話を脱線させたくなかった歩は、2人のやり取りを無視して舞に向かう。

「ムッチー、年賀状には何が書いてあったの?」

 歩に無視された2人も、歩と同じ思いだったのだろう、会話を止めて早く話せと目で訴えた。

 みんなにそうされては、話さないわけにはいかない。

 えぇ、たとえ響ちゃんが視線でしゃべるなと訴えていたとしてもね!

「あのね、中葉君の年賀状に『響ちゃん、男は顔じゃない、性格だと言っていたけど、オレの性格はどうかな?えっ、いいって?良かったぁ、響ちゃんに嫌われたら、オレ彼女がいなくなるもんな』と書いてあったの。ちなみに響ちゃんは、中葉君の性格がいいとは一言も言ったことがありません。彼はとても残念なことに、大きな勘違いをしていらっしゃいます」

 ムッチーってば、人が黙っていることをいいことに、いらないことをペラペラと話すんだから!

 響歌は舞を睨んだままだが、舞にはまったくそれが効いていなかった。

「それって…完璧に好きだよね、響ちゃんのこと」

 紗智が舞に同意した。

「しかも既に彼女扱いしていない?」

 嫌な一言を真子が口にした。

「もしかして噂がここまで広がっているのって、中葉君が敢えて広めているからなんじゃ…」

 響歌からすれば、歩のこの予想は大外れして欲しいものだった。

 だが、どう考えても当たっているような気がする。

「なんにしても、噂は確実に広まってしまっているのよ!」

 早くなんとかしないと黒崎の耳まで入ってしまう。いや、多分もう入っているだろう。他校にまで広まっている噂だ、同じ学校の黒崎の耳に入っていないわけがない。

 誤解されるのは嫌~!

 響歌は完全に自分の世界に入っていた。

 この様子から、彼女の考えていることが舞達にも容易くわかった。

「歩ちゃん、やっぱり失恋パー…」

「ムッチー!」

 舞の言葉を、最後まで言わせることなく止める歩。

「だって…」

 止められた舞は不満げだ。

「まぁ、まぁ、ムッチー。響ちゃんも落ち着いて。そうはいっても高校生活はまだ半分以上残っているんだし、焦らずに行こうよ。今は最悪な状況かもしれないけど、時間が過ぎればなんとかなるって。焦らずに少しずつ黒崎君に近づけばいいじゃない。ね?」

 最後を締めくくったのは、やはり普段から響歌の次にリーダー的な役割を果たしている紗智だった。

 できるものなら今すぐなんとかしたいが、紗智の言う通りにした方が無難なのだろう。

 響歌もそう理解はできるのだが、やるせない思いでいっぱいだった。