朝の廊下は意外と気持ちがいい。それが晴れの日だと尚更だ。窓から太陽の光が差し込んできて爽やかな朝を演出している。
そういうことから舞と響歌は、朝一だと廊下にいることが多い。太陽の光を一身に浴びていると低血圧な彼女達もようやく目が覚めて元気になってくるからだ。
だが、今日の彼女達は、そんな朝には似合わない、少し硬い表情をしていた。その表情のまま5組へと続く階段を見つめている。
その姿からわかるように、今日は呑気に日向ぼっこをしているわけではない。
彼女達は真子を待っていた。
待つのなら5組にいる方が確実なのだが、それだとお互い挨拶を交わした後の逃げ場が無い。まず彼女と挨拶を交わして、その上で相手がどう出るかを見てみたい。
廊下だと、それが容易にできる。挨拶してからその場で止まって話をしてもいいし、去ってもいい。
だからここで待っているのだ。
「あっ!」
舞が慌てて寄りかかっていた壁から身を起こす。
「まっちゃん、おっはよう!」
すぐに何も無かったかのように、なるべく明るく真子に挨拶をした。その隣では、響歌も笑顔で手を振った。
「…おはよう」
真子は俯き加減でそう返すと、足早に階段を上がっていった。
2人は笑顔のまま固まった。
もしかして…かなり悪い状況になっているの?
2人は階段を駆け上がり、5組の教室を覗いてみた。その教室では、真子が友達と笑顔で話していた。
先程の挨拶の時とは偉い違いである。
「不安的中って、感じかな」
響歌は溜息を吐いた。
舞の方は再び固まっていた。響歌の呟くような声に返すこともできなかった。
私の言葉がまっちゃんとの間に溝を作ってしまった!
昨日はその覚悟もあって真子に強く言ったのだが、実際にそうなってみると想像していた以上にダメージが大きい。
私、もう立ち直れないかもしれない。
舞は真子との友情にヒビが入ってしまったことを実感して大きくうなだれた。
響歌のようにいつも一緒にいなくても、かなりアニメチックで乙女チックなマイナス思考の持ち主でも、真子は舞にとって大事な友人だったのだ。そのことが、今こうなってみて思い知らされた。
真子の為を思って言った言葉のはずだった。自分が悪者になっていい。真子なら、今はわからなくてもこれから先、きっとわかってくれる時が来る。
そう思って、口にした言葉だったけれど…
あんな言葉、言うんじゃなかった!
舞は猛烈に後悔した。
胸が苦しい。あの言葉を取り消したい思いで溢れそうだ。
「ムッチーも、あまり自分を責めないようにね」
響歌が舞を気遣ったが、舞の心は晴れなかった。
「だって、響ちゃん…」
私の言葉のせいで、まっちゃんとの間に溝ができてしまったんだよ。
舞は自分の思いをすべて口にすることができなかった。
その時、この場にいないはずの声が、2人の間に入り込む。
「ムッチーのせいじゃない。それは私が保証する」
声がした方を見ると紗智がいた。その隣には歩の姿まである。
早速、響歌が声をかける。
「おはよう、2人共。爽やかな朝なのに、そんな朝に似合わないシケた顔をしちゃって、どうしたの?」
冗談交じりの挨拶に、彼女達は苦笑いだ。
「それはこっちのセリフでもあるよ、響ちゃん。それにムッチーは、中葉君がいるクラスなのにここにいて大丈夫なの?」
こんな時だというのに、歩は舞の心配をしてくれる。
「あ、うん。まぁ、大丈夫だと思う。1人でいるわけじゃないし、中葉君はまだ来ていないみたいだから」
舞は力無く返すと、その目を再び真子の方へと向ける。今は中葉よりも真子の方が気になっていた。
「で、あの後、どうだったの?」
響歌の2人へ向けた質問に答えたのは紗智の方だった。
「残念ながら、響ちゃん達の期待には応えられなかった。というのはもうわかっているよね?」
当然わかってはいるけど…やっぱりそうなのかぁ。
舞の気分がまた一段沈んだ。
「あの後も、まっちゃんは暗くてさぁ。どんなになだめても聞く耳を持ってくれなかったのよ。ムッチーは酷いって、その一点張りでね。最後には私も歩ちゃんも、まっちゃんには何を言っても無駄だと思って放っておいたんだ」
「やっぱりそうだったか。でも、あれじゃ、放っておくしかないよね」
響歌は納得した。自分が紗智達の立場でもそうしていただろう。
放っておくしかない。そうでないと今度は自分達がキレて真子に何か言っていた。
舞にあれだけ言われた後、違う人間にキツイ言葉を言われたら自殺でもしかねない。いや、自殺は大袈裟かもしれないが、登校拒否くらいにはなっていそうだ。
そうなると舞が自分を悪者にした意味が無くなってしまう。舞は真子を落ち込ます為にあんな言葉を言ったわけではないのだから。
なんとか真子に現状をぶち破って欲しかった。その為に言ったのだ。
半年前の舞だったら、そんな言葉は絶対に言わなかっただろう。思っていることを胸に抱えたまま終わるか、自分の代わりに誰かに言ってもらうかのどちらかだ。
そんな舞が、真子を思い、自分の口で言ったのだ。なんとかいい方向に持っていきたい。これは3人に共通する想いだった。
その為には、自分達までキレるわけにはいかない。今は特に、だ。
本音を言っても、相手に伝わらなければ意味が無い。
本音を言いました。喧嘩になりました。決別しました。完!ではダメなのだ。
決別はなんとしてでも避けたい。
それに真子は高尾のことでも近い将来ショックを受けるだろう。
高尾には既に二股説がある。今はまだ真子は知らないが、いずれは彼女の耳にも入るはずだ。友情の亀裂に加えて失恋を迎える真子の気持ちを考えると、今はこれ以上のダメージを受けさせるのは避けたい。
紗智が大袈裟に溜息を吐いた。
舞に向けてもものではなかったのだが、舞はそれを聞いて萎縮した。
自分の言葉でこうなったことを、溜息によって責められているように感じたのだ。
「私、まっちゃんに謝るよ」
こんな状況になったのが自分の言葉のせいなら、自分が真子に謝ればいい。それで穏便にことが済む。
だが、それをみんなは許さなかった。
特に紗智は舞を睨むように見て強く言った。
「ムッチーは絶対に謝っちゃダメだからね!」
他の2人の目も、そんな風に舞に言っていた。
3人に否定され、舞は何も言えなくなった。
それでも何故、否定されるのかわからない。真子は自分だけに怒っているだけだ。3人に対しては怒っていないだろう。それなら元凶である自分が真子に謝れば、すべては丸く収まる。
そうじゃないの?
これは最短な策のはずよ。いえ、最短どころか、これ以外には何も方法が無いのよ。
まっちゃんとの溝を埋める策は、この他には無い。そんな方法が使えないとなると、どうやってまっちゃんと仲直りすればいいの?
歩が混乱している舞に優しく言った。
「これはムッチーが悪いわけじゃない。私はむしろムッチーはよくやったって、褒めてあげたいくらいなんだから」
「…歩ちゃん」
「だってムッチーは、私達の誰もが言えなかった言葉をまっちゃんに言ってくれたんだもの。それなのにそのムッチーがまっちゃんに謝ったら、せっかく言った言葉がすべて無駄になっちゃうよ」
歩の言葉に、舞は涙が出そうになった。
自分が真子に向けて言った言葉が初めて肯定されたように思ったのだ。
それまで舞は、自分の思いを真子に言ったはいいが、もしかしたら自分の方が間違っているのかもしれないという気持ちになっていた。
自分が言った言葉に自信が持てなくなっていた。それどころか逆に厄介な事態を引き起こしたかもしれないと後ろめたく感じていた。
歩の言葉は、今の舞にとって救いの言葉だったのだ。
だが、舞を救ったのは歩だけではなかった。
「私も今回の件ではムッチーを尊敬したよ。ムッチーも私の知らないところで成長していたんだね。まっちゃんに言った、あの言葉。前のムッチーなら考えられない言葉だったもの」
「さっちゃん…」
「それなのに謝るなんて、絶対にしないで。このことで私達の関係が終わりになっても、むしろ仕方がないとさえ思っているんだから。ムッチーが謝ってまで、私はまっちゃんとの関係を続けたいとは思わない」
紗智が舞の目を見据えてきっぱり言った。
舞にとって、紗智の言葉は衝撃だった。
紗智は真子と一番仲が良かった。そんな彼女が、真子よりも舞を取るといったような言葉を言ったのだ。
驚かないわけが無い。
「まっちゃんはみんなに甘え過ぎなのよ。私はそれに早くまっちゃんが気づいて欲しい。まっちゃんにそのことを自覚して欲しい。そして直して欲しい。そうでないと私はもうまっちゃんにはつき合いきれないわ」
紗智は真子に対して辛辣だった。もしかしたら真子といつも一緒にいる分、自分達よりも遥かにそのことを感じていたのかもしれない。
皆がそう感じる中、紗智は言葉を続ける。
「私はね、まっちゃんには悪いけど、高尾君には加藤さんとでも誰とでもいいから、早くつき合って欲しいと思っているの」
爆弾発言だった。
実際は既に誰かとつき合っている可能性は高いが、まさか紗智の口からそのような言葉を聞くとはここにいる誰もが思わなかった。
さっちゃんはここにいる誰よりもまっちゃんの恋の成就を望んでいると思っていたのに!
舞は彼女の口から聞いた今も、紗智の言葉が信じられなかった。
「…さっちゃん」
響歌は呆然と呟き、歩は目を丸くしていた。
「みんなだって、それは思っていたんでしょ。ムッチーがまっちゃんに言っていたように、まっちゃんももっと活動的にならないと、高尾君の彼女になれる確率なんて例のことが無くても0%に近いわよ。それなら早めに諦めさせた方がいいでしょ」
「そうかぁ、さっちゃんもそうだったんだ」
紗智の本意を知り、歩が納得したように呟いた。その言葉で、紗智だけではなく歩も真子に対して同様に感じていたことがわかる。
彼女達の言葉を聞いて、舞はなんだか気分が楽になった。
そんな舞の肩を、響歌が軽く叩いた。みんな、舞と一緒の気持ちだったんだよ。そう言っているかのように。
響歌は和らいだ顔で舞を見ていたが、すぐにその顔を真剣なものへと変える。
「多分、高尾君には本命がいるよ」
「えぇっ!」
歩が驚いた。
最初から彼女がいそうな人だとは思っていても、実際にそれを聞くとやっぱり驚いてしまうものだ。
舞も得意げに響歌に続く。
「しかもねぇ、なんと2人もいるの!」
それだと本命にならないだろう。
「ムッチーのその言葉も、少し古くなったのよ」
響歌が呆れながら訂正すると、今度は舞が驚いた。
「えぇっ、じゃあ、とうとう1人に絞ったの?」
あっさり頷くだろうと思われた響歌だったが、それにはすぐには答えなかった。しかも難しい顔をしている。
…あれ。
「違うの?」
「そこまではっきりとはわからないんだけど、ある人に『1人に絞ろうかな』と言っていたみたいなのよね」
「ということは高尾君って、今は彼女が2人いるんだ。で、そのどちらかを選ぼうとしているんだね?」
舞はそう納得したが、今度は歩が難しい顔になった。
「そうとも限らないんじゃないかなぁ」
「歩ちゃん?」
「実はね、また加藤さんの話になるんだけど。加藤さんって、先週高尾君のお見舞いに行っていたでしょ。そのお礼かどうかはわからないんだけど、加藤さんに高尾君から先日電話がかかってきたんだって。加藤さん、滅茶苦茶驚いたみたいだよ。連絡先の交換はしていなかったから。加藤さんは今週もお見舞いに行くけど、それについても『楽しみにしてる』って、高尾君が言っていたみたいだし…」
だから加藤さんになるかもしれないと、歩は言いたいのだろう。
「じゃあ、高尾君は今までの彼女達を清算して、新たに加藤さんとつき合うつもりなんだね!」
舞も自信満々で言ったが、それにストップをかけたのは紗智だ。
「それも、そうとは限らないわ。相手はあの高尾君なのよ。そんな言葉なんて他の女子にも言っていそうじゃない。それだったら2組の方でも怪しい人が2人いるしね。私はその2組の人が有力だと思う。もしかしたら既につき合っているのかもしれない」
真子の手前、口に出したことはこれまで無かったが、みんな情報通だったようだ。
それにしてもさすがは女たらしの高尾昌昭。一筋縄ではいかない男だわ。
加藤さんか、2組の人達か、あるいはもっと違う人なのか。
明らかにまっちゃんや谷村さんでは無いわね。
もしかしたら校外の人かもしれないし…ほら、だってあの人だったら、コンパとかにも積極的に行ってそうだもの。それに中学の同級生で、今は他校という場合だってあるわ。それにクラブでの交流とか。
…って、ちょっと、待ってよ。それじゃ、全然わからないっていうことじゃない!
「まぁ、まぁ、ムッチー。それは今考えなくても、いずれわかることでしょ」
だからそんな風に考え込むのは止めようと、歩が言った。
響歌と紗智は2人で別の話をしていた。
この中で一番優しい歩が、考え込んでいる舞に声をかけたというわけだ。このままだと舞だけが話題に置いていかれると思って。
やっぱり歩ちゃんは天使のような心を持っているんだわ。
それに比べて…
「響ちゃん、さっちゃん。なんでまた私を置いて別の話題をしているのよ。一言あってからでもいいじゃない!」
舞に名前を呼ばれた2人は、構わずに話を続ける。
「確かにまっちゃんの性格を考えると、今はムッチーを無視するだけで精一杯だろうね」
「特に私とさっちゃんは同じクラスだし、他には何も知らない亜希ちゃんや沙奈絵ちゃんもいるもの。教室にいる時は普通に接してくると思うよ。もちろん高尾君の話はしないだろうけどね」
「当分は表面だけのつき合いになるのかぁ。それはそれで苦しい間柄だけど…こうなったら仕方がないよね。まぁ、ムッチーは当分無視されるだろうけど。それでもクラスが違うし、登下校だって別だから、そんなに気にはならない…か」
紗智は苦虫を?み潰したような顔で舞にとっては不吉なことを響歌と話していた。
舞の顔は真っ青になった。自分を無視して話していたことなどどうでもよくなった。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。まぁ、私だけがまっちゃんの中で悪者になるんはいいんだけどね。それにクラスも登下校も別だけどさ。コース別では一緒なんだよ。それにお昼休みは4組に遊びに来るじゃない。その時はどうすればいいのよ!」
真子はいつも昼休みには4組に来ている。今日から来ないとなれば話は別だが、多分来るだろう。
何故なら、みんなが行くからだ。
何も知らない亜希や沙奈絵はもちろん来るし、その2人に勘づかれない為にも響歌と紗智も来る。そうなると真子は教室に残っても1人だ。当然面白くないだろう。それに1人で教室に残る勇気も持っていない。だからみんなについて来ざるを得ない。
4組で舞と顔を合わせることになっても、だ。
「でも、お昼休みなら10人くらいで固まっているんだから、心配しなくても大丈夫なんじゃないかな。ムッチーもまっちゃんも、その時間は亜希ちゃん達の話を聞いているだけなんだし…」
歩ちゃんってば、本当に私を安心させてくれる言葉を言ってくれる女神様のようだわ!
考えてみれば歩ちゃんの言う通りで、昼休みは別に心配することじゃないわ。
その時、響歌が舞の安心を打ち砕くことを口にする。
「問題はコース別の時なのよね。あんた達って、その時は大抵4人で行動しているんでしょ。安心するにはちょっと少ない人数だよ。選択コースって、いつも1日の半分くらいの時間を占めているしさ。さっちゃんさぁ、こんな状態でやっていけるの?」
響歌は舞ではなくて紗智に訊いたが、この判断は正しかった。
何故なら、響歌の言葉を聞いた舞の頭が半ば錯乱状態になっていたからだ。それは傍から見てもわかるくらい表に出ていた。そんな舞に冷静な判断ができるはずがない。
それに紗智の方が、こういった時には的確な意見を言ってくれる。
「少し人数は少ない気がするけど、それでも4人はいるからね。私がまっちゃん、ムッチーがこずちゃんと、2人ずつで行動すればいいのよ。あっ、別に私とムッチー、まっちゃんとこずちゃんでもいいんだけどね。でも、4組であるムッチーとこずちゃん。5組である私とまっちゃんの方が、やっぱり自然でいいと思う」
「どうしてそれの方が自然なの?」
歩が不思議そうに紗智に訊いた。
「プログラミングコースって、全部の授業が移動教室だからね。今までは4組に寄ってから、4人で授業をする教室に行っていたんだけど、これからは別々で行くことにする。こんなことが無くても、4組にわざわざ寄るのもなんだか効率が悪いなぁって、実は思っていたんだ」
紗智の言葉に、響歌は納得した。
「そうかもしれないね。授業がある教室へ行く途中に4組があるのならいいけど、そうでもないもの。これを機に別々で行くのもアリだよね」
「でも、4人いて本当に助かったよ。こずちゃん様、様だよ」
紗智はここにはいないこずえに感謝していた。
プログラミングコースを選択している4人の内の1人、広瀬こずえ。
彼女は舞達と同じグループの友だ。高校生にしては大人っぽい、落ち着きのある空気を持った女性だ。頭が良く、顔立ちも整っていて、スラリとした体形だからそう感じるのもあるが、これは彼女の性格からきているところが大きい。
彼女は穏やかなお姉さんといった性格の主だった。グループの中では表に立つ方ではなくて、後ろでそっと見守っているような感じといったらわかるだろうか。
こずえの名が出たので、ここで他のメンバーのことも紹介しておこう。
こずえの他には、後3名いる。
まずは4組のグループのリーダー的立場にいる堀口智恵美。
彼女は4組の席次ナンバーワンの頭脳の持ち主だ。その割に、5組の席次ナンバーワンの紗智に比べて見た目は秀才に見えない。バカっぽいとか能天気に見えるというわけではないが、頭がいい人にありがちな近寄り難さがまったく無いのだ。
いつもどっしりと構えていて大らかだ。だからだろうかグループだけではなくてクラスのリーダーといった感じでみんなから慕われている。舞から見れば凄く羨ましい人物だ。
選択コースはデザインで、響歌や亜希と一緒だ。亜希とは1年の時から仲が良かったが、最近ではそういうのもあって響歌と仲良くしている時も多くなっていた。
智恵美の次に目立っているのは、歩の幼馴染である水野華世だ。
顔立ちは悪く無いが、そんなにオシャレに興味が無いようで長い髪をいつも一つに束ねている。智恵美やこずえの次くらいに頭が良く、クラスで常にベスト5に入っている。本好きだが、漫画も好きだ。よく真子から少女漫画を借りて読んでいるが、真子はそれを何も隠さずに4組に持ってきているので、華世は少し恥ずかしそうだ。
思ったことをポンポン言う時もあるからキツそうにも見えるが、繊細で気遣い屋な一面も持っているので実は心労が絶えないよう。
そんな彼女は、学校では歩と一緒にいる時間が多い。登下校が一緒で、クラスも一緒。その上、コースも一緒なのだから。
秘書コースはその2人と沙奈絵。そしてもう1人、松岡奈央が選択していた。
奈央は顔だけ見ると少し気が弱そうに見えるが、それは彼女とつき合っていくうちにとんでもないと思い知らされるだろう。
彼女は気が弱くはない。むしろ強い方だ。口だけなら華世と同じくらいではないだろうか。芯もしっかりしているが、それは表面上ではまったくわからない。何しろクラスでは、しっかりしているよりも舞に次ぐ不器用そうな人だと思われているのだ。
それは彼女の天然ボケな言動のせいかもしれない。そのせいで意外と目立っていて、なんと1年の文化祭では4組の劇の主役をはっていたのだ!
彼女は1年の時からみんなの愛すべき天然人物だった。
紗智はこの中でも、プログラミングコースで一緒になって話す機会が増えたからか、2年時に新たに加わったメンバーの中でこずえのことが一番気に入っていた。いや、それどころかこずえに対しては一目置いている。
それは、今もだった。
確かにこずえがプログラミングコースにいなければ、昨日のことを知っている3人…特に当事者である2人がいるので、コース別授業は紗智にとってとても過ごしにくい時間になっただろう。何も知らないこずえがいることで舞と真子は普通に過ごさなければならず、当人達にとっては苦痛だろうが紗智の負担がかなり減る。だから紗智がこずえをありがたがる気持ちもわかる。
だが、それが無くても紗智はこずえに対して以前からよく持ち上げる言動をしていた。
「でも、さっちゃん。行き帰りはそれでいいとしても、コース授業や、その間の休み時間とかは大丈夫なのかな。ぎこちなくなったりしない?」
歩はまだ不安だったが、紗智はなんでもないように言う。
「それは大丈夫だと思う。プログラミングコースって、真面目な女子が多いから。みんな授業中はもちろん、休み時間も自分の席に座って先生から出題されたプログラム文を黙々と打っている時が多いんだ。私達も自分の席を立つことは少ないよ。自分の席から離れて友達の席に行くとしても、私はまっちゃんの席までだし、まっちゃんも私の席まで。ムッチーやこずちゃんの席は少し遠いから、今までもそんなに行っていないんだ」
だから大丈夫、と紗智は続けた。
「なんでみんな、あんなに真面目なんだろうってうんざりもしていたけど、今の状況だと真面目なみんなに感謝、感謝だよ。それに4組と5組で別れて座らせてくれたクドにも、今は感謝するよ。さっちゃんやまっちゃんと離された時は相当恨んだけどね」
舞も勝手なことを言っている。その表情はさっきまでとは違って安心しきっていた。
「じゃあ、当分はまっちゃんの様子を伺いながら…の行動になるけど、みんなはそれでいいかな。特にムッチーには気まずい雰囲気のまま過ごさせることになってしまうけど」
響歌の言葉に、みんなは異を唱えなかった。
「もちろんだよ、響ちゃん。そもそも昨日はこんな風になるのを覚悟でまっちゃんに言ったんだから。今更グダグダ言わないよ。それに私にはみんながついているから大丈夫!」
舞は力強い口調で言った。
響歌達3人は、驚きながらも感心した。
前日の真子に対する言葉もだが、何が舞をここまで変えたのだろう?
舞は明らかに変わっていた。素晴らしくいい方向に。
舞のように、真子もなって欲しい。そう思わざるを得ない。
そしてそんな舞を前に『自分も負けてはいられない』と、3人は心の中で思うのだった。
そういうことから舞と響歌は、朝一だと廊下にいることが多い。太陽の光を一身に浴びていると低血圧な彼女達もようやく目が覚めて元気になってくるからだ。
だが、今日の彼女達は、そんな朝には似合わない、少し硬い表情をしていた。その表情のまま5組へと続く階段を見つめている。
その姿からわかるように、今日は呑気に日向ぼっこをしているわけではない。
彼女達は真子を待っていた。
待つのなら5組にいる方が確実なのだが、それだとお互い挨拶を交わした後の逃げ場が無い。まず彼女と挨拶を交わして、その上で相手がどう出るかを見てみたい。
廊下だと、それが容易にできる。挨拶してからその場で止まって話をしてもいいし、去ってもいい。
だからここで待っているのだ。
「あっ!」
舞が慌てて寄りかかっていた壁から身を起こす。
「まっちゃん、おっはよう!」
すぐに何も無かったかのように、なるべく明るく真子に挨拶をした。その隣では、響歌も笑顔で手を振った。
「…おはよう」
真子は俯き加減でそう返すと、足早に階段を上がっていった。
2人は笑顔のまま固まった。
もしかして…かなり悪い状況になっているの?
2人は階段を駆け上がり、5組の教室を覗いてみた。その教室では、真子が友達と笑顔で話していた。
先程の挨拶の時とは偉い違いである。
「不安的中って、感じかな」
響歌は溜息を吐いた。
舞の方は再び固まっていた。響歌の呟くような声に返すこともできなかった。
私の言葉がまっちゃんとの間に溝を作ってしまった!
昨日はその覚悟もあって真子に強く言ったのだが、実際にそうなってみると想像していた以上にダメージが大きい。
私、もう立ち直れないかもしれない。
舞は真子との友情にヒビが入ってしまったことを実感して大きくうなだれた。
響歌のようにいつも一緒にいなくても、かなりアニメチックで乙女チックなマイナス思考の持ち主でも、真子は舞にとって大事な友人だったのだ。そのことが、今こうなってみて思い知らされた。
真子の為を思って言った言葉のはずだった。自分が悪者になっていい。真子なら、今はわからなくてもこれから先、きっとわかってくれる時が来る。
そう思って、口にした言葉だったけれど…
あんな言葉、言うんじゃなかった!
舞は猛烈に後悔した。
胸が苦しい。あの言葉を取り消したい思いで溢れそうだ。
「ムッチーも、あまり自分を責めないようにね」
響歌が舞を気遣ったが、舞の心は晴れなかった。
「だって、響ちゃん…」
私の言葉のせいで、まっちゃんとの間に溝ができてしまったんだよ。
舞は自分の思いをすべて口にすることができなかった。
その時、この場にいないはずの声が、2人の間に入り込む。
「ムッチーのせいじゃない。それは私が保証する」
声がした方を見ると紗智がいた。その隣には歩の姿まである。
早速、響歌が声をかける。
「おはよう、2人共。爽やかな朝なのに、そんな朝に似合わないシケた顔をしちゃって、どうしたの?」
冗談交じりの挨拶に、彼女達は苦笑いだ。
「それはこっちのセリフでもあるよ、響ちゃん。それにムッチーは、中葉君がいるクラスなのにここにいて大丈夫なの?」
こんな時だというのに、歩は舞の心配をしてくれる。
「あ、うん。まぁ、大丈夫だと思う。1人でいるわけじゃないし、中葉君はまだ来ていないみたいだから」
舞は力無く返すと、その目を再び真子の方へと向ける。今は中葉よりも真子の方が気になっていた。
「で、あの後、どうだったの?」
響歌の2人へ向けた質問に答えたのは紗智の方だった。
「残念ながら、響ちゃん達の期待には応えられなかった。というのはもうわかっているよね?」
当然わかってはいるけど…やっぱりそうなのかぁ。
舞の気分がまた一段沈んだ。
「あの後も、まっちゃんは暗くてさぁ。どんなになだめても聞く耳を持ってくれなかったのよ。ムッチーは酷いって、その一点張りでね。最後には私も歩ちゃんも、まっちゃんには何を言っても無駄だと思って放っておいたんだ」
「やっぱりそうだったか。でも、あれじゃ、放っておくしかないよね」
響歌は納得した。自分が紗智達の立場でもそうしていただろう。
放っておくしかない。そうでないと今度は自分達がキレて真子に何か言っていた。
舞にあれだけ言われた後、違う人間にキツイ言葉を言われたら自殺でもしかねない。いや、自殺は大袈裟かもしれないが、登校拒否くらいにはなっていそうだ。
そうなると舞が自分を悪者にした意味が無くなってしまう。舞は真子を落ち込ます為にあんな言葉を言ったわけではないのだから。
なんとか真子に現状をぶち破って欲しかった。その為に言ったのだ。
半年前の舞だったら、そんな言葉は絶対に言わなかっただろう。思っていることを胸に抱えたまま終わるか、自分の代わりに誰かに言ってもらうかのどちらかだ。
そんな舞が、真子を思い、自分の口で言ったのだ。なんとかいい方向に持っていきたい。これは3人に共通する想いだった。
その為には、自分達までキレるわけにはいかない。今は特に、だ。
本音を言っても、相手に伝わらなければ意味が無い。
本音を言いました。喧嘩になりました。決別しました。完!ではダメなのだ。
決別はなんとしてでも避けたい。
それに真子は高尾のことでも近い将来ショックを受けるだろう。
高尾には既に二股説がある。今はまだ真子は知らないが、いずれは彼女の耳にも入るはずだ。友情の亀裂に加えて失恋を迎える真子の気持ちを考えると、今はこれ以上のダメージを受けさせるのは避けたい。
紗智が大袈裟に溜息を吐いた。
舞に向けてもものではなかったのだが、舞はそれを聞いて萎縮した。
自分の言葉でこうなったことを、溜息によって責められているように感じたのだ。
「私、まっちゃんに謝るよ」
こんな状況になったのが自分の言葉のせいなら、自分が真子に謝ればいい。それで穏便にことが済む。
だが、それをみんなは許さなかった。
特に紗智は舞を睨むように見て強く言った。
「ムッチーは絶対に謝っちゃダメだからね!」
他の2人の目も、そんな風に舞に言っていた。
3人に否定され、舞は何も言えなくなった。
それでも何故、否定されるのかわからない。真子は自分だけに怒っているだけだ。3人に対しては怒っていないだろう。それなら元凶である自分が真子に謝れば、すべては丸く収まる。
そうじゃないの?
これは最短な策のはずよ。いえ、最短どころか、これ以外には何も方法が無いのよ。
まっちゃんとの溝を埋める策は、この他には無い。そんな方法が使えないとなると、どうやってまっちゃんと仲直りすればいいの?
歩が混乱している舞に優しく言った。
「これはムッチーが悪いわけじゃない。私はむしろムッチーはよくやったって、褒めてあげたいくらいなんだから」
「…歩ちゃん」
「だってムッチーは、私達の誰もが言えなかった言葉をまっちゃんに言ってくれたんだもの。それなのにそのムッチーがまっちゃんに謝ったら、せっかく言った言葉がすべて無駄になっちゃうよ」
歩の言葉に、舞は涙が出そうになった。
自分が真子に向けて言った言葉が初めて肯定されたように思ったのだ。
それまで舞は、自分の思いを真子に言ったはいいが、もしかしたら自分の方が間違っているのかもしれないという気持ちになっていた。
自分が言った言葉に自信が持てなくなっていた。それどころか逆に厄介な事態を引き起こしたかもしれないと後ろめたく感じていた。
歩の言葉は、今の舞にとって救いの言葉だったのだ。
だが、舞を救ったのは歩だけではなかった。
「私も今回の件ではムッチーを尊敬したよ。ムッチーも私の知らないところで成長していたんだね。まっちゃんに言った、あの言葉。前のムッチーなら考えられない言葉だったもの」
「さっちゃん…」
「それなのに謝るなんて、絶対にしないで。このことで私達の関係が終わりになっても、むしろ仕方がないとさえ思っているんだから。ムッチーが謝ってまで、私はまっちゃんとの関係を続けたいとは思わない」
紗智が舞の目を見据えてきっぱり言った。
舞にとって、紗智の言葉は衝撃だった。
紗智は真子と一番仲が良かった。そんな彼女が、真子よりも舞を取るといったような言葉を言ったのだ。
驚かないわけが無い。
「まっちゃんはみんなに甘え過ぎなのよ。私はそれに早くまっちゃんが気づいて欲しい。まっちゃんにそのことを自覚して欲しい。そして直して欲しい。そうでないと私はもうまっちゃんにはつき合いきれないわ」
紗智は真子に対して辛辣だった。もしかしたら真子といつも一緒にいる分、自分達よりも遥かにそのことを感じていたのかもしれない。
皆がそう感じる中、紗智は言葉を続ける。
「私はね、まっちゃんには悪いけど、高尾君には加藤さんとでも誰とでもいいから、早くつき合って欲しいと思っているの」
爆弾発言だった。
実際は既に誰かとつき合っている可能性は高いが、まさか紗智の口からそのような言葉を聞くとはここにいる誰もが思わなかった。
さっちゃんはここにいる誰よりもまっちゃんの恋の成就を望んでいると思っていたのに!
舞は彼女の口から聞いた今も、紗智の言葉が信じられなかった。
「…さっちゃん」
響歌は呆然と呟き、歩は目を丸くしていた。
「みんなだって、それは思っていたんでしょ。ムッチーがまっちゃんに言っていたように、まっちゃんももっと活動的にならないと、高尾君の彼女になれる確率なんて例のことが無くても0%に近いわよ。それなら早めに諦めさせた方がいいでしょ」
「そうかぁ、さっちゃんもそうだったんだ」
紗智の本意を知り、歩が納得したように呟いた。その言葉で、紗智だけではなく歩も真子に対して同様に感じていたことがわかる。
彼女達の言葉を聞いて、舞はなんだか気分が楽になった。
そんな舞の肩を、響歌が軽く叩いた。みんな、舞と一緒の気持ちだったんだよ。そう言っているかのように。
響歌は和らいだ顔で舞を見ていたが、すぐにその顔を真剣なものへと変える。
「多分、高尾君には本命がいるよ」
「えぇっ!」
歩が驚いた。
最初から彼女がいそうな人だとは思っていても、実際にそれを聞くとやっぱり驚いてしまうものだ。
舞も得意げに響歌に続く。
「しかもねぇ、なんと2人もいるの!」
それだと本命にならないだろう。
「ムッチーのその言葉も、少し古くなったのよ」
響歌が呆れながら訂正すると、今度は舞が驚いた。
「えぇっ、じゃあ、とうとう1人に絞ったの?」
あっさり頷くだろうと思われた響歌だったが、それにはすぐには答えなかった。しかも難しい顔をしている。
…あれ。
「違うの?」
「そこまではっきりとはわからないんだけど、ある人に『1人に絞ろうかな』と言っていたみたいなのよね」
「ということは高尾君って、今は彼女が2人いるんだ。で、そのどちらかを選ぼうとしているんだね?」
舞はそう納得したが、今度は歩が難しい顔になった。
「そうとも限らないんじゃないかなぁ」
「歩ちゃん?」
「実はね、また加藤さんの話になるんだけど。加藤さんって、先週高尾君のお見舞いに行っていたでしょ。そのお礼かどうかはわからないんだけど、加藤さんに高尾君から先日電話がかかってきたんだって。加藤さん、滅茶苦茶驚いたみたいだよ。連絡先の交換はしていなかったから。加藤さんは今週もお見舞いに行くけど、それについても『楽しみにしてる』って、高尾君が言っていたみたいだし…」
だから加藤さんになるかもしれないと、歩は言いたいのだろう。
「じゃあ、高尾君は今までの彼女達を清算して、新たに加藤さんとつき合うつもりなんだね!」
舞も自信満々で言ったが、それにストップをかけたのは紗智だ。
「それも、そうとは限らないわ。相手はあの高尾君なのよ。そんな言葉なんて他の女子にも言っていそうじゃない。それだったら2組の方でも怪しい人が2人いるしね。私はその2組の人が有力だと思う。もしかしたら既につき合っているのかもしれない」
真子の手前、口に出したことはこれまで無かったが、みんな情報通だったようだ。
それにしてもさすがは女たらしの高尾昌昭。一筋縄ではいかない男だわ。
加藤さんか、2組の人達か、あるいはもっと違う人なのか。
明らかにまっちゃんや谷村さんでは無いわね。
もしかしたら校外の人かもしれないし…ほら、だってあの人だったら、コンパとかにも積極的に行ってそうだもの。それに中学の同級生で、今は他校という場合だってあるわ。それにクラブでの交流とか。
…って、ちょっと、待ってよ。それじゃ、全然わからないっていうことじゃない!
「まぁ、まぁ、ムッチー。それは今考えなくても、いずれわかることでしょ」
だからそんな風に考え込むのは止めようと、歩が言った。
響歌と紗智は2人で別の話をしていた。
この中で一番優しい歩が、考え込んでいる舞に声をかけたというわけだ。このままだと舞だけが話題に置いていかれると思って。
やっぱり歩ちゃんは天使のような心を持っているんだわ。
それに比べて…
「響ちゃん、さっちゃん。なんでまた私を置いて別の話題をしているのよ。一言あってからでもいいじゃない!」
舞に名前を呼ばれた2人は、構わずに話を続ける。
「確かにまっちゃんの性格を考えると、今はムッチーを無視するだけで精一杯だろうね」
「特に私とさっちゃんは同じクラスだし、他には何も知らない亜希ちゃんや沙奈絵ちゃんもいるもの。教室にいる時は普通に接してくると思うよ。もちろん高尾君の話はしないだろうけどね」
「当分は表面だけのつき合いになるのかぁ。それはそれで苦しい間柄だけど…こうなったら仕方がないよね。まぁ、ムッチーは当分無視されるだろうけど。それでもクラスが違うし、登下校だって別だから、そんなに気にはならない…か」
紗智は苦虫を?み潰したような顔で舞にとっては不吉なことを響歌と話していた。
舞の顔は真っ青になった。自分を無視して話していたことなどどうでもよくなった。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。まぁ、私だけがまっちゃんの中で悪者になるんはいいんだけどね。それにクラスも登下校も別だけどさ。コース別では一緒なんだよ。それにお昼休みは4組に遊びに来るじゃない。その時はどうすればいいのよ!」
真子はいつも昼休みには4組に来ている。今日から来ないとなれば話は別だが、多分来るだろう。
何故なら、みんなが行くからだ。
何も知らない亜希や沙奈絵はもちろん来るし、その2人に勘づかれない為にも響歌と紗智も来る。そうなると真子は教室に残っても1人だ。当然面白くないだろう。それに1人で教室に残る勇気も持っていない。だからみんなについて来ざるを得ない。
4組で舞と顔を合わせることになっても、だ。
「でも、お昼休みなら10人くらいで固まっているんだから、心配しなくても大丈夫なんじゃないかな。ムッチーもまっちゃんも、その時間は亜希ちゃん達の話を聞いているだけなんだし…」
歩ちゃんってば、本当に私を安心させてくれる言葉を言ってくれる女神様のようだわ!
考えてみれば歩ちゃんの言う通りで、昼休みは別に心配することじゃないわ。
その時、響歌が舞の安心を打ち砕くことを口にする。
「問題はコース別の時なのよね。あんた達って、その時は大抵4人で行動しているんでしょ。安心するにはちょっと少ない人数だよ。選択コースって、いつも1日の半分くらいの時間を占めているしさ。さっちゃんさぁ、こんな状態でやっていけるの?」
響歌は舞ではなくて紗智に訊いたが、この判断は正しかった。
何故なら、響歌の言葉を聞いた舞の頭が半ば錯乱状態になっていたからだ。それは傍から見てもわかるくらい表に出ていた。そんな舞に冷静な判断ができるはずがない。
それに紗智の方が、こういった時には的確な意見を言ってくれる。
「少し人数は少ない気がするけど、それでも4人はいるからね。私がまっちゃん、ムッチーがこずちゃんと、2人ずつで行動すればいいのよ。あっ、別に私とムッチー、まっちゃんとこずちゃんでもいいんだけどね。でも、4組であるムッチーとこずちゃん。5組である私とまっちゃんの方が、やっぱり自然でいいと思う」
「どうしてそれの方が自然なの?」
歩が不思議そうに紗智に訊いた。
「プログラミングコースって、全部の授業が移動教室だからね。今までは4組に寄ってから、4人で授業をする教室に行っていたんだけど、これからは別々で行くことにする。こんなことが無くても、4組にわざわざ寄るのもなんだか効率が悪いなぁって、実は思っていたんだ」
紗智の言葉に、響歌は納得した。
「そうかもしれないね。授業がある教室へ行く途中に4組があるのならいいけど、そうでもないもの。これを機に別々で行くのもアリだよね」
「でも、4人いて本当に助かったよ。こずちゃん様、様だよ」
紗智はここにはいないこずえに感謝していた。
プログラミングコースを選択している4人の内の1人、広瀬こずえ。
彼女は舞達と同じグループの友だ。高校生にしては大人っぽい、落ち着きのある空気を持った女性だ。頭が良く、顔立ちも整っていて、スラリとした体形だからそう感じるのもあるが、これは彼女の性格からきているところが大きい。
彼女は穏やかなお姉さんといった性格の主だった。グループの中では表に立つ方ではなくて、後ろでそっと見守っているような感じといったらわかるだろうか。
こずえの名が出たので、ここで他のメンバーのことも紹介しておこう。
こずえの他には、後3名いる。
まずは4組のグループのリーダー的立場にいる堀口智恵美。
彼女は4組の席次ナンバーワンの頭脳の持ち主だ。その割に、5組の席次ナンバーワンの紗智に比べて見た目は秀才に見えない。バカっぽいとか能天気に見えるというわけではないが、頭がいい人にありがちな近寄り難さがまったく無いのだ。
いつもどっしりと構えていて大らかだ。だからだろうかグループだけではなくてクラスのリーダーといった感じでみんなから慕われている。舞から見れば凄く羨ましい人物だ。
選択コースはデザインで、響歌や亜希と一緒だ。亜希とは1年の時から仲が良かったが、最近ではそういうのもあって響歌と仲良くしている時も多くなっていた。
智恵美の次に目立っているのは、歩の幼馴染である水野華世だ。
顔立ちは悪く無いが、そんなにオシャレに興味が無いようで長い髪をいつも一つに束ねている。智恵美やこずえの次くらいに頭が良く、クラスで常にベスト5に入っている。本好きだが、漫画も好きだ。よく真子から少女漫画を借りて読んでいるが、真子はそれを何も隠さずに4組に持ってきているので、華世は少し恥ずかしそうだ。
思ったことをポンポン言う時もあるからキツそうにも見えるが、繊細で気遣い屋な一面も持っているので実は心労が絶えないよう。
そんな彼女は、学校では歩と一緒にいる時間が多い。登下校が一緒で、クラスも一緒。その上、コースも一緒なのだから。
秘書コースはその2人と沙奈絵。そしてもう1人、松岡奈央が選択していた。
奈央は顔だけ見ると少し気が弱そうに見えるが、それは彼女とつき合っていくうちにとんでもないと思い知らされるだろう。
彼女は気が弱くはない。むしろ強い方だ。口だけなら華世と同じくらいではないだろうか。芯もしっかりしているが、それは表面上ではまったくわからない。何しろクラスでは、しっかりしているよりも舞に次ぐ不器用そうな人だと思われているのだ。
それは彼女の天然ボケな言動のせいかもしれない。そのせいで意外と目立っていて、なんと1年の文化祭では4組の劇の主役をはっていたのだ!
彼女は1年の時からみんなの愛すべき天然人物だった。
紗智はこの中でも、プログラミングコースで一緒になって話す機会が増えたからか、2年時に新たに加わったメンバーの中でこずえのことが一番気に入っていた。いや、それどころかこずえに対しては一目置いている。
それは、今もだった。
確かにこずえがプログラミングコースにいなければ、昨日のことを知っている3人…特に当事者である2人がいるので、コース別授業は紗智にとってとても過ごしにくい時間になっただろう。何も知らないこずえがいることで舞と真子は普通に過ごさなければならず、当人達にとっては苦痛だろうが紗智の負担がかなり減る。だから紗智がこずえをありがたがる気持ちもわかる。
だが、それが無くても紗智はこずえに対して以前からよく持ち上げる言動をしていた。
「でも、さっちゃん。行き帰りはそれでいいとしても、コース授業や、その間の休み時間とかは大丈夫なのかな。ぎこちなくなったりしない?」
歩はまだ不安だったが、紗智はなんでもないように言う。
「それは大丈夫だと思う。プログラミングコースって、真面目な女子が多いから。みんな授業中はもちろん、休み時間も自分の席に座って先生から出題されたプログラム文を黙々と打っている時が多いんだ。私達も自分の席を立つことは少ないよ。自分の席から離れて友達の席に行くとしても、私はまっちゃんの席までだし、まっちゃんも私の席まで。ムッチーやこずちゃんの席は少し遠いから、今までもそんなに行っていないんだ」
だから大丈夫、と紗智は続けた。
「なんでみんな、あんなに真面目なんだろうってうんざりもしていたけど、今の状況だと真面目なみんなに感謝、感謝だよ。それに4組と5組で別れて座らせてくれたクドにも、今は感謝するよ。さっちゃんやまっちゃんと離された時は相当恨んだけどね」
舞も勝手なことを言っている。その表情はさっきまでとは違って安心しきっていた。
「じゃあ、当分はまっちゃんの様子を伺いながら…の行動になるけど、みんなはそれでいいかな。特にムッチーには気まずい雰囲気のまま過ごさせることになってしまうけど」
響歌の言葉に、みんなは異を唱えなかった。
「もちろんだよ、響ちゃん。そもそも昨日はこんな風になるのを覚悟でまっちゃんに言ったんだから。今更グダグダ言わないよ。それに私にはみんながついているから大丈夫!」
舞は力強い口調で言った。
響歌達3人は、驚きながらも感心した。
前日の真子に対する言葉もだが、何が舞をここまで変えたのだろう?
舞は明らかに変わっていた。素晴らしくいい方向に。
舞のように、真子もなって欲しい。そう思わざるを得ない。
そしてそんな舞を前に『自分も負けてはいられない』と、3人は心の中で思うのだった。