舞と響歌は駿河駅へと続く道を歩いていた。

 今日はお互いに長い1日だった。舞はずっと中葉の影に怯えて生活をしていたし、響歌は亜希の絶え間なく続く高尾への悪口を聞きながら真子の様子を気にして過ごしていたのだ。

 一刻も早くそんな学校生活から抜け出したい。お互いの意見もこう一致していたので、放課後になるとすぐに学校を飛び出した。

 彼女達は歩きながら互いの身に起こったことを話していた。

「た、大変だったんだね。ムッチーも」

 中葉からのアクションは何かあるだろうと思っていたが、まさか公衆の面前でそこまでするなんて。

「本当に大変だったよ。あの後はもうムカついて、ムカついて!」

 舞はその時のことを思い出して再び怒りが込み上げてきた。

「放課後だったらまだわかるけど、授業の合間にそんなことをされたんだよ。相変わらず私の気持ちは無視し切っているんだから。でも、もう大丈夫のはずだよ。私の気持ちはちゃんと口頭でも伝えたから!」

 舞が意気揚々と言うと、響歌も一応それに合わせる。

「それだったらいいけど。ま、なんにせよ、早くことが済んで良かったじゃない。これでムッチーは新たな出会いに向かっていけるってわけだ」

「えぇ、そうなのよ。本当に早く終わって良かったわ。これで校内恋愛は一応経験できたから、今度の相手は他校生がいいな。やっぱり他校生の方が私の性格には合っているのよ。放課後しか会えない彼だと、いつも会えない分、会えた時の燃え方も凄いと思うしね。それだったら絶対に最後までいくよ。響ちゃん、私、次の相手とは絶対、絶対、大人になるわ!」

 まだ見ぬ相手との恋の情事を、舞は声高らかに宣言した。

 ああいうことがあったというのに、このパワーは凄い。

「ムッチーってめげないよね。そのたくましさを、少しでもいいからまっちゃんにわけてあげて欲しいわ」

 響歌のその言葉に、舞はさっき彼女から聞いたことを思い出した。

 確か、亜希ちゃんが極端に高尾君のことを嫌っているっていう話だったけど。

「亜希ちゃんって、そんなに高尾君のことが嫌いなの?」

 グループの中で高尾のことを好きな人がいる一方で、嫌いな人がいる。これほどやりにくいことは無いだろう。間に立つ人間は大変だ。

 でも、なんでそんなに高尾君のことが嫌いなんだろう。1年の時は別のクラスだったし、そんなに接触は無かったと思うんだけどなぁ。

 もしかして高尾君に何か酷いことを言われたのだろうか?

 でも、それだったら、まっちゃんの方が高尾君から酷いことを言われているでしょ。まぁ、まっちゃんはそのことを知らないけどさ。

「凄い嫌いようだったわよ。よくもまぁ、あれだけもポンポンと悪口が出てくるものだわ。ちょっと感心しちゃった」

「感心って…」

「でも、まぁ、話を聞くと、亜希ちゃんが嫌うのも無理はないかな。あの後、授業中に亜希ちゃんから聞いたんだけど、高尾君って1年の時に爆弾発言をしたみたいよ」

「あっ、もしかして『冬が来た』ってやつ?」

「じゃなくて、1年の冬だったかな。男子達がストーブを囲んで話していた時、ある男子が『女は釣り竿に餌付けて垂らしていたら誰でも引っかかってくる』というようなことを言っていたの。そしたら高尾君が『オレの場合は餌を付けなくても引っかかってくる』って言ったみたいよ。それを偶然、小長谷さんが聞いていて、そこから亜希ちゃんの耳に入ったの。そういう言葉って、いかにも亜希ちゃんが嫌いそうでしょ?」

「なんですって。高尾君ってば、そんなとんでもないことを言っていたの。それって完全に女をバカにしているじゃない。それに高尾君の前に釣り竿の話をしたのは誰よ。高尾君も悪いけど、そいつもかなり酷いことを言っているわよ!」

「さぁね、そこまではわからない。もしかすると最初の言葉も高尾君だったかもしれないという話よ」

 舞は怒っていたが、響歌は冷静だった。

 そんな響歌の態度に、舞の怒りが炸裂した。

「ちょっと、響ちゃんはムカつかないの。高尾君に女子がバカにされているんだよ。女子を魚にたとえるなんてとんでもないよ。亜希ちゃんが怒るのも当然だ。そもそも高尾君はまっちゃんのことだって悪く言っているんだから。それなのになんで響ちゃんは、そんなに冷静なのよ!」

 舞にそこまで言われても、響歌の態度は変わらなかった。

「私達が高尾君の言葉に一々反応しても仕方がないでしょ。それにさぁ、もしそれが本当だとしても勝手に言わせておけばいいじゃない。餌を付けなくてもかかっている女がいるのは事実だしさ。要は、それに私達が引っかからなければいいだけの話なの。だいたい実際の釣りって、餌無しでかかるのは雑魚ばかりという話よ。もしかしたら雑魚でさえないかもしれないけど。そういえば高尾君って、外見が釣り竿に似ているわよね」

 冷静ながらも、その口から出た言葉は辛辣だった。

 舞は響歌の言葉を聞き、顔を輝かせた。

「もしかしたら下駄ばかり釣っているのかもしれないね!」

「空き缶とかね。それにしても高尾君って自分のことをよく知っているのねぇ。私は逆に感心したわ。そういえば『冬が来た』というのも、あれはあれでなかなか…」

 響歌は本当に感心していたし、舞は響歌の言葉が辛辣だったから喜んでいたが、自分達の友人である真子は下駄や空き缶だとでも言いたいのだろうか。

 紗智がこの会話を聞いていたら滅茶苦茶怒っていただろう。

 それでも響歌が真子に配慮しないのは、彼女に対しても思うところがあるからだ。

「まっちゃんも高尾君の外見だけで好きになったからね。光る針に惹かれて食いつく魚そっくりじゃないの。しかも未だに高尾君の性格がわかっていないでしょ。1年間も何を見ていたんだか。はっきり言うけど、まっちゃんは見る目が全然無いよ。ま、亜希ちゃんの登場でこれからどうなるかはわからないけどね」

「どういうこと?」

「高尾君を好きな気持ちが薄れてくるかもしれないってこと。今日もかなり動揺していたしねぇ。でも、今のうちに本性を知って諦めてくれた方がいいかもしれないから」

「どうして?」

 舞の質問に、響歌の顔から笑みが消えた。

「高尾君って、彼女がいるかもしれないのよ」

 えっー!

「そんなの初耳だよ。誰よ、彼女って?」

「そこまではまだ…ね。しかも2人いるという話だし」

 高尾君に彼女って、しかも2人も!

 突然の彼女…いや、彼女達の出現に、舞はかなり驚いた。

 目の前にいる響歌は真剣な顔をしている。どうやら嘘ではないようだ。

 だが、よく考えたら相手は高尾だ。いてもまったくおかしくはない。

 突然の話だったから驚いたけど、これって当たり前の話じゃない。今まで高尾君に彼女の噂が無かったのが不思議なくらいよ。

 舞は高尾彼女説をすんなり受け入れた。

 真子は谷村という身近なところでライバルを見つけて、最近は何かと彼女を意識しているが、高尾はそんなに悠長にして捕まえられる相手ではない。谷村以外にライバルはいるのだ。

 そのことを真子は忘れている。いや、忘れていたいのだ。自分以下だと思っている人だけをライバルとして見ている。そうやって自分を安心させている。

 高尾のことは、加藤も好きなのだ。

 加藤は高尾のことを諦められず、黒崎を振った。それくらい高尾のことが好きなのだろう。

 そのことは谷村のことが判明する以前からわかっていた。もちろん真子だって知っていた。

 それなのに真子は加藤のことを一切口にしていない。

 本当にライバル視しなくてはいけないのは加藤の方なのに!

「もしかしてまっちゃんって、高尾君とつき合えなくてもいいと考えているんじゃ…」

 舞はポツリと零した。

 確信は無かったが、そう思えて仕方がなかった。

「片想いのまま、高尾君を見ているだけでいいということ?」

「そうだよ。響ちゃんはそう思わないの?」

「さぁ、どうだろうね。でも、まっちゃんは見ているだけじゃ辛いって言っていたことがあったわよ。あんたも聞いていたはずだよね?」

 あの喫茶店『カトレア』で、舞は響歌とともに真子からそういった言葉を聞いたことがあった。その時は、まさか真子がそこまで想っているとは思わなかったので、2人揃って驚いてしまったのだけど。

「聞いたよ。確かに、私もまっちゃんの口から聞いた。でもね、まっちゃんは口ではそう言っているけど、心の中では高尾君を諦めているような感じに見えない?」

「諦めている…ねぇ」

「そうとしか思えないよ。2年になっても相変わらず話しかけられていないし、強力ライバルそっちのけで谷村さんを目の敵にしているんだもん。谷村さんだったら、ノーマークでも大丈夫なはずでしょ。それなのに加藤さんそっちのけで谷村さんと低次元の争いをしていてもねぇ」

 舞は真子に対してかなり酷いことを言っていたが、響歌も舞の言葉を否定できなかったので黙っていた。

「まぁ、まっちゃんも人のことは言えないんだけどね。2年になってもオシャレに目覚める気配は無いし、机の上はやっぱりアニメグッズだし、未だに高尾君と挨拶すら交わせないんだもん。まっちゃんは谷村さんを格下のように言っているけど、私から見ればまっちゃんの方が谷村さんに負けているよ。友達のことはあまり悪く言いたくないんだけどさ」

 悪く言いたくないとは言ったものの、かなりの毒舌だ。中葉と揉めた後ということもあってかなり苛立っていたので、真子に対して配慮ができないのだ。

「まぁ、落ち着いてよ。中葉君とのことで苛立つ気持ちもわかるけど、それをまっちゃんのことにぶつけてはダメよ。まっちゃんはまっちゃんで苦しんでいるんだから。そりゃ、私だってムッチーの言っていることは全部当たっているとは思うんだけどさ」

「でしょう!」

 なだめられながらも同意はされたので、舞は気分が良くなり一段と声が大きくなった。

「多分、まっちゃんには少女漫画のヒロイン願望があるのよ」

 突然、響歌の口から突拍子もないことが出る。

「少女漫画のヒロインっ?」

 舞の声が驚きのあまり裏返った。

 響歌の顔は真面目だった。冗談でこんなことを言っているわけではないのだ。

 それにしたって、少女漫画のヒロインだなんて…

 まっちゃんが少女漫画のヒロインねぇ。

「………」

 舞は想像してみようとしたが、すぐにうなだれた。真子を少女漫画のヒロインにして物語を展開してみようと試みたが、あっけなく挫折したのだ。

 ダメだ、今のままのまっちゃんじゃ、正統派のヒロインにはなれない。

 唯一想像できそうなのは、まっちゃんの前に美少年で尚且つ美容に長けた男子が現れてまっちゃんを変身させる。そして可愛くなったまっちゃんと両想いになるといった系のものだ。

 でも、それじゃ、ダメなんだよ…ねぇ。

 まっちゃんは高尾君と恋物語を繰り広げたいんだよ…ねぇ?

「響ちゃん、やっぱりまっちゃんは高尾君と恋物語を始めたいんだよね。他の男子じゃ…ダメ?」

 一応訊いてみたが、響歌の答えはわかっている。

「当たり前でしょ。今のまっちゃんは、高尾君しか目に入っていないもの。学校の人気者、高尾君とまっちゃんの恋物語よ。あんただったら楽に想像できると思ったんだけど?」

「えっー、そんなの想像できないよ!」

 舞が驚くと、響歌は意外そうに舞を見た。

「簡単なことでしょ。たとえばね、人気者の彼はいつも女子に囲まれている。そんな彼に内気な自分は話しかけることもできず、いつも影から見ているだけ。でも、もう見ているだけじゃ、辛いの。彼に群がる女子に嫉妬もしてしまう。いつも自分以外の女子と笑顔で話している高尾君。その姿にチクンと心が痛んでしまう。あぁ、その笑顔が私だけに向けられたらいいのに。それだとどんなに嬉しいだろう。でも、実際はそんなことがあるわけがない。高尾君は私に笑いかけてくれない。もう諦めてしまおうかな。その方が楽になれるかもしれない。うん、きっとそうよ。諦めたらきっと楽になれる。まっちゃんはそう決心した。その時、高尾君から呼び出され、告白されてしまった。『嬉しい。でも、私なんかでいいの?』『君じゃなきゃ、ダメなんだ』で、ハッピーエンドね」

「………」

 舞は絶句した。こんなの、どうすれば簡単に想像できるというのか。

「そういうのとか、委員会とかがきっかけで話すようになり、友達関係から恋人関係に発展するといった系ね。もちろんその場合も、自分からじゃなくて相手から話しかけてもらって…といったパターンよ」

 ま、まぁ、そういうのは実際にも結構あるだろうけど、もし仮に委員会が一緒になっても、高尾君がまっちゃんに話しかけるわけがないよ。

「妄想癖がもの凄いあんただったら簡単だろうと思ったんだけど、どうやら違ったみたいね」

 響歌は本当に意外そうに舞を見ていたが、舞は言葉の意味を悟り、怒った。

「響ちゃんってば、失礼だよ。それって、私はまっちゃんと同類だって言いたいんでしょ!」

「同類でしょうが。川崎君や中葉君との恋物語をどれだけトリップ付で聞かされたと思っているのよ」

「………」

 舞は反論したかったが、もうその通りだったので反論する言葉が見つからなかった。

 響歌はうなだれた舞に構わず話を続ける。

「まっちゃんって、机の上のアニメグッズとは別に少女漫画の雑誌も時々学校に持ってきているでしょ。しかも袋に入れずにそのままで。あの雑誌って、小学校高学年向けの雑誌だよ。私も小学校の時に読んでいたもの。ま、それはそれで、人の趣味にいちゃんもんをつける気は無いからいいんだけどさ。あの雑誌に掲載されているほとんどが、さっき話した王道パターンだったはずよ。その雑誌に少なからず影響されているんじゃない?」

 そういえば…私も1年の時にまっちゃんがそんな雑誌を読んでいたのを見たことがあるわよ。

「それにあの、例のアニメの消しゴム」

 うなだれていた舞が、驚いて顔を上げた。

「もしかしてまっちゃんって、まだアレを使っているの?」

 そんな消しゴムの存在なんて、すっかり忘れていた!

「実はこの前、さっちゃんがまっちゃんの目の前でうっかりあの消しゴムを触ってしまったの。そしたらまっちゃんが凄い勢いで怒っちゃって。あのさっちゃんが1日中謝りっぱなしだったんだから。それでもこれでようやくあの消しゴムの役目も終わっただろうと思っていたら、まっちゃんってば、次の日に新しいアニメ消しゴムを持ってきたの。しかも高尾君の名前入り。また始めから地道に使っていくのかって、私とさっちゃんは呆れていたのよ」

 話を聞いた舞も呆れてしまった。

 凄い勢いで怒ったなんて…

 翌日に再チャレンジするなんて…

「本気で信じているんだね」

「そうみたい。でも、そのおまじないって、逆に誰かに触られたら二度と恋が実らないということにならないのかしらね。まぁ、これも小学生を対象にしたおまじないだと思うから、そんなに深くは設定されていなさそうだけどさ」

「小学生が対象ならそうなんだろうね。でも、そんなおまじないを高校生がするなんて。そりゃ、まっちゃん以外にもしている人はいるかもしれないけど、それだって遊び感覚じゃないのかなぁ。そんな悠長なことをしていたら、その間に好きな人を誰かに取られてしまうよ。消しゴムなんて普通に使っていたらなかなか無くならないもの。本当に信じているんだったら、チビチビ使わずに一気に消して無くならせばいいのに」

 それだとおまじないの意味が無いが、いかにも舞らしい意見だった。

 響歌が吹き出した。

「ハハハッ、やっぱりムッチーはさっぱりしていていいわねぇ。それはその通りなんだけど、そんなことをするのなら最初からおまじないになんて頼っていないって。ま、話が脱線したけど、ムッチーの言う通りでまっちゃんは高尾君を見つめているだけでいいんだと思うよ。独り身の高尾君を見て成就を夢見て、おまじないに想いを託す。本当はそれだけでいいのよ。ま、疑似恋愛に身を投じて、恋する自分に酔っているってとこかな。それで相手から声をかけられたり、告白されたらラッキーっていったところかしらね。でも、これはまっちゃんだけに限った話でもないのよ。女子高生なら、頻度はともかくとして誰にでもあるようなことなんだから。まっちゃんのは重症だけどね」

 話が色んなところに飛んだが、結局は響歌も舞と同じことを思っていたということだ。

 響歌に同意されたので喜ぶかと思いきや、舞は遠い目をして遠くの方を見ていた。

「それでも辛い時はあるし、悩んでいるには違いないんだけど…ね」

 響歌は舞の滅多に無い姿に驚いたが、それには突っ込まずに黙っていた。

 疑似でも本物でも、人を好きになったら楽しいことももちろんあるが、辛いことだってたくさんあるのだ。

 本物の恋ではないとしても、真子が辛くないわけがない。自分に酔っていながらも辛い時は辛いのだ。

 舞も響歌も、今は黙って見守るしかない。

 真子が自分の想いを行動に移す時がくるまで…