リラクゼーションサロンに来店するお客様は、やはり肩こりや腰痛を訴える人が多い。
さきほど担当した少し肥満気味な女性客も、腰を重点的にマッサージして欲しいという希望を最初に告げられた。
私はその肉付きのよい腰の脊柱起立筋の際を親指で指圧していった。
「あ~そこそこ。気持ちいいわ~。」
腰が痛い症状には臀部や太腿の裏も重点的にマッサージをする。
仙骨の際や坐骨神経を手根や拇指で入念に圧迫する。
力を入れたいときは、ベッドの上に乗って、自分の体重を乗せてマッサージすることもある。
「だいぶ腰がお疲れのようですね。」
私が声を掛けると、うつぶせの体勢の女性客がのんびりとした口調で言った。
「私、介護の仕事をしてるから、どうしても腰を使うんだよねえ。いくら老人の体重が軽いっていっても人ひとりを支えるわけだからね。どうしても腰を痛めちゃうの。」
「そうですか。大変なお仕事ですね。」
「マッサージ屋さんもそうでしょ?医者の不養生っていうけど、アナタ達みたいな仕事の人って実は身体が悲鳴をあげているんじゃない?」
「たしかにそういうとこあります。」
「特にアナタみたいな細い身体でよくやってると思うわよ。」
「いえいえ。そんな。」
たしかに私達セラピストの仕事は長時間立ちっぱなしなので、腰は痛いし足も仕事が終わる頃にはパンパンだったりする。
そんなこともあって、まだお客様が入る前の朝や、閉店後にセラピスト同士で研修という名のマッサージをし合ったりする。
新人セラピストが入ると、先輩セラピストは技術を教える為に背中や腰を揉ませたりもする。
私もたまに新人セラピストに足裏をマッサージしてもらうのだけれど、気持ちいいというよりは痛くてたまらない。
足裏が痛い人は内臓が弱ってるというから、私もそうなのかもしれない。
女性客の施術が終わり、10分もしないうちに次のお客様がついた。
今度は若い女性の二人組だった。
私ともう一人の男性スタッフでご案内した。
もちろんベッドは隣りあわせにする。
二人の施術に大きな差が開かないように、お互いのマッサージの進み具合を確認しながら、施術を進めていく。
二人の女性客はときたま目を合わせては、クスクスと笑い合っている。
なんとなく微笑ましい光景だ。
「リリー」には様々なお客様が来店する。
仕事の合間なのかスーツ姿の中年男性は、施術中もスマホの着信音が鳴ったりする。
デパートでの買い物帰りらしきお客様は、大きな紙袋を持って来店する。
デート中のカップルや友人同士で訪れる若いお客様はレジャー感覚で訪れる。
外国人のお客様にはチップを頂いたこともある。
スタッフには海外留学をした経験のある桐子ちゃんと、アメリカで長期にわたって暮らしていた師匠と呼ばれる山路さんがいるので、外国人のお客様の通訳はこの二人に頼っている。
でも案外ボディランゲージで通じることも多かったりする。
マッサージが気持ちいいのは、どうやら世界共通らしい。
この世界では「気の流れ」という目に見えないものを信じている人も多い。
東洋医学では人間の身体は「気」「血」「水」の3要素で構成されると考えられている。
「気」は生命活動を営むエネルギー。血や水を動かし、自律神経系・内分泌系にかかわる。
「血」は血液にあたる。全身に酸素や栄養を運んだり、ホルモンバランスを調整する。
「水」はリンパ液や涙、汗、尿などの身体の中の血液以外の液体で免疫系に関係している。
これらが体内を過不足なく、スムーズに循環され、バランスよい状態にするのが「健康」への近道と言われている。
わかる人は手の平や足の裏から気が放出されているのを実感できるのだという。
私はまだそこまでの境地には至っていない。
けれど、私達がお客様にマッサージを行うことで、気の流れが整い健康を促せればいいなと思う。
朝、出勤すると受付カウンターの後ろにある大きなボードに、その日シフトに入っているスタッフの名前のマグネットが貼られる。
私はそのマグネットを見て、ひとつため息をついた。
今日も里香先輩の名前がない。
これで里香先輩の休みは2週間になる。
他のスタッフなら気にも留めない。
この仕事は自分で自由にシフトが組めるので、長期にわたって休むこともある芸能関係の仕事をしているスタッフも多い。
けれど里香先輩はセラピストの仕事一本で生計を立てているので、私が記憶する限り3日以上の休みを取ったことはない。
それなのにこんなに長くシフトに入らないなんて、なにかがあったに違いない。
里香先輩が病気なのか、それとも家庭の事情なのか・・・私はなにか不吉な予感がして、それが心配でたまらなかった。
そしてその不吉な予感は最悪な形で現実となった。
店が閉店になり、私達スタッフは大切な話があると告げられ、店長の元へ集まった。
店長はしばらく無言のまま、私達の顔を見渡した。
そして重苦しい声で言った。
「昨夜、私の元へ当店スタッフの吉田里香さんのご親族から連絡がありました。吉田さんは3日前に自ら命を絶たれたそうです。葬儀は実家のある佐賀で取り行うそうです。香典の類いは一切受け取らないとのことでした。」
私達スタッフは突然の訃報に、誰も声を上げることも出来ず、ただ無言で固まることしか出来なかった。
もちろん私もそうだった。
「遺書にはこの店のスタッフ宛にお世話になりありがとうございました、という一文があったそうです。スタッフの皆さんには、吉田さんの思いを受け止め、吉田さんがいなくなった穴を埋めるべく、これまで以上に仕事に励んでもらいたいと思います。以上。」
店長はそう一息で言い放つと、暗い表情で目を伏せた。
私はしばらく身体を動かすことが出来ず、ただ同じ場所で立ちすくんでいた。
どうして?
あんなに優しくて自分をしっかり持っていた里香先輩が、なんで自ら命を絶たなければならなかったの?
私にはどうしても信じることが出来なかった。
きっと何かの間違いではないか、と思った。
これは悪い夢なのではないか、と・・・。
「伊織ちゃん。」
私の肩に古田さんが手を置いた。
「私と美紀ちゃん、近くにあるファミレスでご飯食べて帰ろうと思っているんだけど、一緒にどう?」
こんな気持ちのまま、家には帰れない。
このやるせない思いは古田さんも美紀ちゃんも同じなのだろう。
なんでもいい。
里香先輩のことを語り合いたい。
そう思い、私は古田さんの言葉に頷いた。
さきほど担当した少し肥満気味な女性客も、腰を重点的にマッサージして欲しいという希望を最初に告げられた。
私はその肉付きのよい腰の脊柱起立筋の際を親指で指圧していった。
「あ~そこそこ。気持ちいいわ~。」
腰が痛い症状には臀部や太腿の裏も重点的にマッサージをする。
仙骨の際や坐骨神経を手根や拇指で入念に圧迫する。
力を入れたいときは、ベッドの上に乗って、自分の体重を乗せてマッサージすることもある。
「だいぶ腰がお疲れのようですね。」
私が声を掛けると、うつぶせの体勢の女性客がのんびりとした口調で言った。
「私、介護の仕事をしてるから、どうしても腰を使うんだよねえ。いくら老人の体重が軽いっていっても人ひとりを支えるわけだからね。どうしても腰を痛めちゃうの。」
「そうですか。大変なお仕事ですね。」
「マッサージ屋さんもそうでしょ?医者の不養生っていうけど、アナタ達みたいな仕事の人って実は身体が悲鳴をあげているんじゃない?」
「たしかにそういうとこあります。」
「特にアナタみたいな細い身体でよくやってると思うわよ。」
「いえいえ。そんな。」
たしかに私達セラピストの仕事は長時間立ちっぱなしなので、腰は痛いし足も仕事が終わる頃にはパンパンだったりする。
そんなこともあって、まだお客様が入る前の朝や、閉店後にセラピスト同士で研修という名のマッサージをし合ったりする。
新人セラピストが入ると、先輩セラピストは技術を教える為に背中や腰を揉ませたりもする。
私もたまに新人セラピストに足裏をマッサージしてもらうのだけれど、気持ちいいというよりは痛くてたまらない。
足裏が痛い人は内臓が弱ってるというから、私もそうなのかもしれない。
女性客の施術が終わり、10分もしないうちに次のお客様がついた。
今度は若い女性の二人組だった。
私ともう一人の男性スタッフでご案内した。
もちろんベッドは隣りあわせにする。
二人の施術に大きな差が開かないように、お互いのマッサージの進み具合を確認しながら、施術を進めていく。
二人の女性客はときたま目を合わせては、クスクスと笑い合っている。
なんとなく微笑ましい光景だ。
「リリー」には様々なお客様が来店する。
仕事の合間なのかスーツ姿の中年男性は、施術中もスマホの着信音が鳴ったりする。
デパートでの買い物帰りらしきお客様は、大きな紙袋を持って来店する。
デート中のカップルや友人同士で訪れる若いお客様はレジャー感覚で訪れる。
外国人のお客様にはチップを頂いたこともある。
スタッフには海外留学をした経験のある桐子ちゃんと、アメリカで長期にわたって暮らしていた師匠と呼ばれる山路さんがいるので、外国人のお客様の通訳はこの二人に頼っている。
でも案外ボディランゲージで通じることも多かったりする。
マッサージが気持ちいいのは、どうやら世界共通らしい。
この世界では「気の流れ」という目に見えないものを信じている人も多い。
東洋医学では人間の身体は「気」「血」「水」の3要素で構成されると考えられている。
「気」は生命活動を営むエネルギー。血や水を動かし、自律神経系・内分泌系にかかわる。
「血」は血液にあたる。全身に酸素や栄養を運んだり、ホルモンバランスを調整する。
「水」はリンパ液や涙、汗、尿などの身体の中の血液以外の液体で免疫系に関係している。
これらが体内を過不足なく、スムーズに循環され、バランスよい状態にするのが「健康」への近道と言われている。
わかる人は手の平や足の裏から気が放出されているのを実感できるのだという。
私はまだそこまでの境地には至っていない。
けれど、私達がお客様にマッサージを行うことで、気の流れが整い健康を促せればいいなと思う。
朝、出勤すると受付カウンターの後ろにある大きなボードに、その日シフトに入っているスタッフの名前のマグネットが貼られる。
私はそのマグネットを見て、ひとつため息をついた。
今日も里香先輩の名前がない。
これで里香先輩の休みは2週間になる。
他のスタッフなら気にも留めない。
この仕事は自分で自由にシフトが組めるので、長期にわたって休むこともある芸能関係の仕事をしているスタッフも多い。
けれど里香先輩はセラピストの仕事一本で生計を立てているので、私が記憶する限り3日以上の休みを取ったことはない。
それなのにこんなに長くシフトに入らないなんて、なにかがあったに違いない。
里香先輩が病気なのか、それとも家庭の事情なのか・・・私はなにか不吉な予感がして、それが心配でたまらなかった。
そしてその不吉な予感は最悪な形で現実となった。
店が閉店になり、私達スタッフは大切な話があると告げられ、店長の元へ集まった。
店長はしばらく無言のまま、私達の顔を見渡した。
そして重苦しい声で言った。
「昨夜、私の元へ当店スタッフの吉田里香さんのご親族から連絡がありました。吉田さんは3日前に自ら命を絶たれたそうです。葬儀は実家のある佐賀で取り行うそうです。香典の類いは一切受け取らないとのことでした。」
私達スタッフは突然の訃報に、誰も声を上げることも出来ず、ただ無言で固まることしか出来なかった。
もちろん私もそうだった。
「遺書にはこの店のスタッフ宛にお世話になりありがとうございました、という一文があったそうです。スタッフの皆さんには、吉田さんの思いを受け止め、吉田さんがいなくなった穴を埋めるべく、これまで以上に仕事に励んでもらいたいと思います。以上。」
店長はそう一息で言い放つと、暗い表情で目を伏せた。
私はしばらく身体を動かすことが出来ず、ただ同じ場所で立ちすくんでいた。
どうして?
あんなに優しくて自分をしっかり持っていた里香先輩が、なんで自ら命を絶たなければならなかったの?
私にはどうしても信じることが出来なかった。
きっと何かの間違いではないか、と思った。
これは悪い夢なのではないか、と・・・。
「伊織ちゃん。」
私の肩に古田さんが手を置いた。
「私と美紀ちゃん、近くにあるファミレスでご飯食べて帰ろうと思っているんだけど、一緒にどう?」
こんな気持ちのまま、家には帰れない。
このやるせない思いは古田さんも美紀ちゃんも同じなのだろう。
なんでもいい。
里香先輩のことを語り合いたい。
そう思い、私は古田さんの言葉に頷いた。