「か、翔さん、まだお仕事中ですから。」
そう言って、果穂は翔の膝から必死に離れて乱れた服を整える。

急いで、翔の艶かしく光る唇をハンカチで拭いて体裁を整える。
翔はされるがままただ笑っているだけで、
果穂は困り顔で翔を見つめる。

トントントン。

ノックが響き、
翔が「はい。」と返事をする。

「失礼します。主催者の神宮寺教授が挨拶をと申してますので、一度出て来て下さい。

果穂さんはパーティーの準備をお願いしたいので、そちらにお連れしますね。」

秘書の新田が冷静な対応で、容赦なく2人を引き離す。

「分かった…。もうちょっと休憩時間が欲しいんだけど。」
そう、文句を言いながら果穂に微笑み
「また、後で。」
と言って翔は去って行く。

「果穂さんはこちらに。」
新田に促されて、後を着いて行く。

「社長の講演どうでしたか?」
新田が歩きながら果穂に聞いてくる。

思えば、今まで2人っきりで話した事が無かったなと、今更ながら果穂は気付く。

「凄く感動しました。
講演会を聞いて感動するって言うのは可笑しいかもしれませんが…。」

「惚れ直したでしょ?
自分も学生時代に社長の講演を聞いて、
超絶感動して、絶対この会社に入ってこの人について行きたいって、思ったんです。」
 
振り返ってにこりと笑った新田は、プライベートの方の顔で話し出す。

「毎日一緒に仕事をしていても、どうしようも無くカッコいいなぁって、惚れてしまう瞬間があるんです。

あっ!人間としてですよ⁉︎
俺、ちゃんと彼女はいるので…。」

そう言って慌てて訂正してくる新田は、
いつものクールな秘書の面影を潜め年相応に見えて、果穂も親しみを覚える。

「社長に惚れ込んで、社長が立ち上げた会社に惚れ込んで、今、秘書で居られる事に誇りを感じています。」
そう、胸を張って言う新田が果穂は羨ましくも思う。

「私、今回初めて翔さんの働く姿を見たんですけど、やっぱりカッコいい人だと改めて思いました。
それに、翔さんが翔さんらしく居られるのは、周りで支えてくれる新田さん達のお陰なんだと、改めて思いました。

いつもありがとうございます。」
果穂は新田に丁寧に頭を下げる。

「いえ、俺なんかまだまだ微力です。
社長の近くに居ると日々、思い知らされる。
だから、もっと頑張ろうと思うし、この人みたいになりたいって思うんですけどね。」
ニコニコ笑う新田は、貴重な感じで果穂は若干戸惑う。

「俺、果穂さんもカッコいいって思ってるんです。
あの社長をもってしても、果穂さんには頭をが上がらないんですよ。
絶対服従のドーベルマンみたいだと、密かに思ってます。」

「えっ⁉︎
翔さんが……私にですか?」
確かに犬っぽい所があると思う事があるけど…
びっくりして果穂は思わず聞き返す。

「はい。果穂さんには、まったくと言っていいほど慎重だし、ちょっとした事でもすぐ心配するし、
普段の威厳は何処言った?ってほどに狼狽える。
そういう人間らしい所が見れるのは、果穂さんの事だけですから。」
ほくそ笑みながら、新田がそう言ってくる。

「そんなに、ですか?」
不安になって果穂は聞き返す。

「貴方に出会ってから社長は変わった。
いい意味で、気持ちが穏やかになったと感じます。
ずっと側で見て来た俺ですから、それは明らかです。
そんな人間らしい社長を今まで以上に尊敬しています。
果穂さんのお陰ですね。 
本当に感謝しか無いです。」

翔の言葉をもじって言う新田は、
どこまで本気なんだろうと、果穂は微笑み首を傾げながら着いて行く。

「こちらです。」

と、通された部屋は講演会場の上にあるホテルの一角で、まるでスィートルームの様な広さで、果穂は驚く。

「広いお部屋ですね。」
辺りをキョロキョロしながら果穂が言う。

「社長が、奥様が疲れた時に休める部屋をと希望されましたので、ご自由にお使いください。
19時頃にはスタイリストが来ますので、それまでのんびりお寛ぎ下さい。」

新田は、スッーと仕事様の顔に戻ってクールな感じで、部屋を去って行く。

翔が前に言っていた通り、本当に切り替えの振り幅が凄くて、まるで別人みたい……と、果穂は思った。