やり返す?
「や…」
八神さんはあたしを弄ぶようにクスッと笑う。
やり返す…?それって、復讐?
「ねえ、どうする?清水?」
あたしは…復讐なんて……そんなの
ムリ。
あたしは、復讐なんてできない。
いくら正義感だけで動いているあたしでも、そんなの、ムリ。
人を傷つけるなんて…
「む…ムリ!」
あたしは、八神さんの視線から逃れるように顔を逸らす。
八神さんの顔が曇る。
「あんたも、いい根性してるよな、清水愛香。」
根性?
根性じゃない。
あたしは、正義のために、あんたのために、イジメを受けているんだ!
「あたしは、自分の正義感に従って…あんたを助けるために身代わりになっている。…っそれに…あたしにはやり返すなんてこと、できない…」
根性なんかで済ませないでほしい。
あたしは、逃げたり、忘れたり、やり返したりしない。
———戦うんだ———
「さようなら。」
あたしは、八神さんに背を向けて神社の階段を駆け降りる。
手遅れになるかもしれないなんて思わなかった。
愛香が去り、神社に残された夜風は立ちつくしていた。
そして、にわかに肩をすくめる。
「ああいう無駄な正義感が1番面倒臭いんだよな。」
夜風が、つぶやく。
「手遅れになる前に、忠告したのに。」
夜風は、首をゆっくりと振ると、左手を上げる。
「怜…早く起きて…」
夜風は、神社の裏側にまわり、階段を降りた。
やがて神社には再び平和が訪れた。
「あ、ぶーちゃ〜ん!今日も昼休み、先週のトイレに来てね!!」
机に詰め込まれた異臭を放つ沢山の雑巾を片付けている時、聖理奈があたしに言った。
学校に来たら、毎日嫌がらせを受け、いじめられ…
クラスのみんなも誰も話してくれなくなった。
いわゆる、シカトだ。
「……」
「返事くらいしたら?」
聖理奈が机を蹴る。
机があたしの方に倒れてきて、額に強くぶつかる。
「った……」
「馬鹿なの?早く返事すればいいじゃない。」
涙が溢れる。
「っ…、はい…」
あたしの返事を聞くと、聖理奈は麗華のところに走り寄って行ってしまった。
やっぱり、慣れない。
イジメは、辛い。
キツい。
「……っ…う…」
溢れてくる涙を拭い、あたしは黙々と雑巾を集めた。
「あ〜。ぶーちゃん、今更きた〜。」
あたしは、結局素直に呼び出しに従った。
呼び出しを無視して、何倍も苦しいイジメを受けるより、こっちの方が賢いはずだ。
「今日はぁ、あたしたち、相談に乗ってもらおうと思ってね。」
麗華があたしを見て微笑む。
……ん?
いじめられるんじゃなかったの?
変だな…
「じゃあ、まず、あたしからね!」
彩綾が名乗り出る。
「昨日さぁ、なーんか調子が悪くてさ、バレエで上手く踊れなかったの。先生には注意されるし…サイアク。あんたでストレス発散させて?」
避ける暇なんてなかった。
彩綾の拳があたしの腹部のめり込む。
「あ…あが!!」
結局は、こうやっていじめられるんだ。
「お、おえ…」
彩綾に殴られて、吐き気がする。
あたしは、無理矢理詰め込んだ昼ごはんを吐き出した。
「何やってんの?一発殴っただけじゃん。」
彩綾があたしの頬を平手打ちした。
……しかし、その瞬間、悲鳴をあげる。
「いやぁ…!!あんたの吐いたものが、手についた…!」
彩綾は自分の手を見て水道にすっ飛んでいった。
「あはは…もう、彩綾ったら繊細すぎるよ〜。」
聖理奈があたしに近づく。
「や……」
「えっとぉ…うーんと…あたしは、とりあえず、彼氏がいない不満をぶつけるわ〜。」
聖理奈のローファーがあたしを捕らえる。
ぐらりと視界が揺れる。
眩暈がする。
「あ…う……」
何度も何度も蹴りが入る。
「次はあたしの番〜?」
やがて柑奈が呑気に言う。
「あたしは、今金欠だから、お金もらうわ〜。」
そして、あたしの財布から贅沢に一万円札を抜き取る。
「やめて…!それ、部活の衣装代…!」
「はぁ?そんなの知らねーっつーの。」
柑奈は一万円札をポケットにねじ込んでしまった。
「もぉ〜、みんな、素手でやるなんて、どんだけ優しいのよ〜。」
麗華がケタケタと高い声で笑う。
「ななみんは、もっと面白いことやってくれるよね?」
麗華が突然振る。
前の奈々美だったらびっくりして、おどおどしていただろう。
でも、今のななみんは違う。
「もっちのろん!!任せてね〜。」
奈々美は、木製のモップを持つ。
「ま、あたしも、鉄製は使わないから。感謝してよね。」
その声と同時にモップが振り上げられる——
怖い…!
あたしは咄嗟に目をつむった。
ガコンッ!!
首、そして肩に強烈な痛みが走る。
「がはっ…!!」
あたしは、胃液と一緒に血を吐いた。
床のタイルが紅に染まる。
「ひ…」
これにはあたしでも固まった。
「う……おえぇ……」
その時、あたしじゃない誰かが嘔吐した。
「——百合香ちゃん。何してんの?」
恐ろしく冷たい声で、麗華が言う。
激しく吐き戻していたのは、百合香だった。
「こんなことで吐くとかどういうつもり?そんなことしてたら……ね?分かるよね?」
麗華が静かに、力強く百合香に問いかける。
「う…うっく……ぐ…はい……」
涙を零しながら、百合香が頷く。
その体は、ひどく震えていた。
……どういうこと?
百合香は、何に怯えているの?
そんな、頭の回らなくなったあたしを救ったのは、またもやチャイムだった。
「やっば…!予鈴じゃん。次、化学だっけ?」
「うわ!第2理科室じゃん!!」
みんなは慌てたようにドタドタと帰ってしまった。
百合香もヨロヨロと走ってついていく。
あたしは、一人で沢山の嘔吐物に囲まれてへたりこんでいた。
授業、受けられない。
もう、本当に保健室に行こう。
あたしは、ゆっくりと立ち上がり、壁に手をついた。
足を引きずりながら歩く。
校舎に入って保健室に向かう。
「失礼します…。4年B組の清水愛香です。」
「はい、あら、どうしたの?」
「さっきから腹痛が…」
その後のやりとりは正直よく覚えていない。
あたしは、保健室のベッドの上でいつのまにか眠っていた。
少し気分の良くなったあたしは、屋上に来ていた。
伏見くんと話した柵に寄りかかる。
ここは、5階。
落ちれば、死ぬ。
一番身近な生と死の境目。
あたしがこの境目を越えるのはいつだろう…
明日かもしれないし、明後日かもしれない。
なんなら、今日かもしれない。
「ぶーちゃん!」
…あなたたちは、いつも絶妙なタイミングで来る。
あたしは…ゆっくりと振り返った。
涙で霞んだ視界に、6つの人の輪郭が映る。
あたしの瞳から涙が一筋の涙が溢れる。
涙は、屋上で吹く風に乗り、床に落ちる。
「なに?そこで思い詰めた顔しちゃって!」
柑奈がニヤニヤ笑いながら言う。
「それとも、ウチらに会えて嬉し泣きしてたの?」
あたしは、答えずに、涙を流していた。
心は、すごく静かだった。
おかしいくらいに。
今までで一番落ち着いていた。
麗華が周りに人がいないことを確認すると、私に歩み寄った。
誰にも見られていない時、麗華は本性を現す。
「ぶーちゃんってさ、よくあたしたちのこと無視するよね。そんなにいじめてほしいわけ?ドMだね〜。」
ケタケタと麗華が笑う。
「でもぉ、あたしはSだから、そういう悲しそうな顔をされると、いじめたくなるんだよねぇ〜?あたしたち、相性いいね〜!」
麗華は口だけで不気味な笑みを浮かべていた。
さっきまで落ち着いていた心は、嘘のように砕け散ってしまった。
恐怖だけが体の中に残る。
「そんな屋上の淵にいて、どうしたの?もしかして、死ぬ気だった〜?」
ギクリとする。
あながち間違っていないかもしれない。
「でもぉ、そんなことしても無駄だよぉ。死ぬなら死ねば?あたしが手伝ってあげようか?」
麗華の手があたしの首に回る。
ぎりぎりと麗華の手が首を締め付ける。
「う……うぐ……が…」
気管が締まり、息が出来なくなる。
頭がくらくらする。
あたし…殺される…!
その時だった。
——ドンッ!!
あたしの首を絞めていた麗華が吹っ飛ぶ。
「な…!」
倒れた麗華がものすごい形相で睨む。
あたしは、呼吸できるようになり、咳き込む。
麗華に体当たりしたのは…
———百合香だった。
肩で息をしている。
足が震えている。
しかし、麗華を見つめる彼女の目は、今までで一番強い目をしていた。
「麗華姫、もうやめて!こんなこと、したらいけない!!」
百合香が掠れた声で叫ぶ。
「は…?」
「もう…あたし耐えられない!
イジメなんて、あたしにはできない…!」
百合香…!
百合香の顔に光が戻っていた。
どんなキッカケがあったのか分からないけど、百合香が麗華に逆襲した。