……百合香の病室。
あたしがお見舞いに持ってきた花が、無惨に床に散っている。
リハビリをしていた百合香が、肩で大きく息をする。
「っ……。バカ!バカ!!バカー!!!愛香のバカ!!」
百合香がその大きな瞳から、宝石のような涙がポロポロと溢れ出す。
「なんで!?なんでそんな復讐をするの!?確かに彩綾たちは悪いことをした!!でも、なんで殺すの!!どうして!?」
あたしは、百合香のその言葉を無表情で聞いていた。
かわいそうに。麗華姫たちに洗脳されてしまったんだね。
あいつらが悪いやつだ、っていう感覚が鈍っているんだ。
「もうやめてよ愛香!そんな酷い復讐をして、何になるの??」
その問いは、何回も聞いた。
その度に答える。
「あたしが、そして百合香が救われるため、だよ。」
百合香が目を見開いた。
「違う…!」
「違うよ愛香。復讐は、負の連鎖を生むだけだよ!絶対に切れない鎖で、愛香を縛っていくだけだよ。もう絶対に逃げられないところに、愛香を、縛りつけるんだよ!?」
あたしの心に、冷たい水が広がっていくようだった。
「何回も言っているよね、愛香。本当の復讐は、愛香が幸せになること、だよ?」
聞き飽きた。
あたしは、くるりと百合香に背を向けた。
病室を出る時、後ろで、百合香がポツリと、つぶやいた。
「……目を覚ましてよ、愛香…。」
震えた、声だった。
その声から逃れるように、あたしは後ろ手に扉を閉めた。
その途端、両目に涙が盛り上がる。
「っ……、なんで…」
「なんで百合香はわかってくれないの…!」
ぽろぽろ、ぽろぽろ、
涙が床に落ちて。
なんで、私は泣いているの……?
あたしは、目をゴシゴシと擦り、早足で廊下を歩いた。
もう、振り返らない。
すでに手遅れなんだ。
あたしは、もう道を踏み外した。
あたしは、復讐をする。
絶対に。
さあ、深紅の復讐を、続けましょう…。
「っ……、彩綾ちゃんが…。」
恐れていたことが起きた。
彩綾ちゃんが自殺した。
偶然じゃない。
あたしたちは知っている…。
きっときっと、これはぶーちゃん…愛香が陰にいる。
「………やっぱり、公開した方がいいと思う。あの写真。」
あたしは、歯を食いしばって、麗華姫に言った。
麗華姫は、彩綾の両親から彩綾の死を聞いて、俯いている。
麗華姫の様子が、普段と違う。
何か、違和感がある。
「彩綾……。」
ぼそっと、麗華姫が呟いた。
「どう……して…。」
心なしか、麗華姫の顔がいつもより白かった。
「やっぱり……絶対。」
麗華姫が一点を凝視して何かを呟いている。
「あたしが…あそこに居たのに…。」
そこまで言うと、麗華姫は顔を上げた。
「ななみん。」
「っ……はい」
突然呼ばれて、動揺する私。
「あの写真は、撒かない。」
麗華姫がキッパリと言った。
「え…?」
聞き間違いかと思った。
あの写真は、最後の切り札。
それを、なぜそんなに早く手放すの…?
「どうしてっ……!」
「うるさいっ!!!」
一気に目が吊り上がった麗華姫が、あたしの頬を叩いた。
パンっと大きな音が鳴り、ワンテンポ遅れて、鋭い痛みが走る。
「うるさいっ!あたしがやらないって言ったらやらないんだよ!!」
いつもより取り乱したように叫ぶ麗華姫。
呼吸が荒い。
麗華姫の尋常じゃない気迫に押されて、あたしは黙った。
「ごめ……」
———バシッ
麗華姫に右手を強く叩かれる。
右手に握っていたあたしのスマホがごつんと音を立て、アスファルトに転がった。
衝撃で画面が割れたのが、光が反射して、わかる。
「あっ……!」
止める間も無かった。
———バキィ!!
麗華姫の革靴が、スマホを踏みつけた。
何度も何度も踏みつける。
呆然とするあたしの前で、スマホは見るも無惨に、壊されていく。
粉々になったスマホを蹴散らし、麗華姫はあたしを睨みつけた。
「あたしは、死なない。」
麗華姫が口角を上げて呟いた。
「は……?」
どういう意味…?
麗華姫は、目を見開いてあたしを見つめる。
目が怪しい輝きを放っていた。
「あたしは、死なないわ。あんたたちが死んでいくのは、必然。あんたたちは、弱いから!でも、あたしは違う。あたしは、みんなとは違う。あたしの家は、裕福で、豪華で、大きくて、セキュリティも万全だから…!あたしは死なない!」
喋りまくる麗華姫を、あたしは呆然と見つめていた。
「麗華……姫?」
麗華姫は、あたしを見つめて、ニヤリと口角を上げる。
「あたしは……。あたしは、あんたを見捨てる。」
ピシッ……。
私の頭に強い痛みが走った。
え……。
麗華姫は、何を言って…?
わ、悪い冗談だよね……?
「あ……あは…あはは!そ、そんな冗談…あたしでもつ、通じないよ〜…!面白い〜」
引き攣る口の左右を目一杯上げて、麗華姫を見る。
嘘でしょ、嘘だって、言って。
「あたし、あんたと一緒にいたのは、別にあんたを気に入ったわけじゃないし。結局あんたが使えるコマだったからよ!」
「あんたは所詮あたしの娯楽の道具だったワケ。なんなら、柑奈も、聖理奈も、裕二も、彩綾も、所詮あたしの遊び道具よ。使い捨てのコマなんだよ!!」
「あたし、あんたたちの肩を持つ気なんて、そうそうないから。」
「勘違いするんじゃねぇよバカ女。」
たくさんたくさん言葉を浴びせられ、あたしは放心していた。
クラクラと目眩がし、額を手のひらで抑えた。
べっとりと濡れたファンデーションが手に付着した。
全身から冷や汗が出ていた。
棒立ちになって荒い呼吸を繰り返しているうちに、鼻がツンとした。
瞳に涙がもりあがり、ポロリと地面に落ちた。
「泣いてんじゃねーよブスが」
ドカッ!!
麗華姫に腰を蹴られ、あたしは地面に膝をついた。
ポロポロとこぼれ落ちる涙を拭おうとする気も起きなかった。
——ドカッ!ドカッッ!!
何度も麗華姫に蹴られる。
………知っていた。
このグループは、すごく、すごく脆くて、危うい繋がりだってこと。
もうあたしと麗華姫しか残っていない。
もう、利害関係も何もかもが決裂し、うまくいかなくなる。
人の上に立ちたい、目立ちたい麗華姫。
麗華姫の後ろ盾を借りて目立ちたい取り巻きたち。
利害関係が一致して、表向きには、すごくキラキラした、みんなの憧れのグループ。
利害関係は、すごく脆い関係。
何かが欠ければ、連鎖的に崩れていく。
そんな危うい立場だったんだ。
あたしもこのグループに加わってから、全てを悟った。
その結果、あたしが選んだのは、このグループで生き残ることだった。
その犠牲は、とんでもないものだった。
死ぬほど苦しい日々を乗り越えて、あたしはなんとかやってきた。
どこから狂ってしまったのだろう。
運命の歯車は、突然何かが外れてしまった。
あたしたちは、復讐の魔の手に侵されていく。
こう、なることは覚悟していた。
でも…辛い。
今まであたしがやってきたことが、いま、全て無駄になったのだから。
麗華姫に気に入られようとしてやったことが、全て、自分に帰ってこようとしている。
いやだ、そんなのいやだ。
あたしは…死にたくないよっ………!
まだ10代だ。
人生はこれからなのに。
あたしの周りから人がどんどん消えていく。
気が狂いそう。
愛香、なんで?
どうして…急に?
やっぱり、夜風の影響?
愛香がこんなことできるわけがない。
彩綾たちを追い込んだ知恵は、明らかに愛香一人のものじゃない。
それに、愛香が……
心優しい愛香が、こんなことを思いつくなんて思えない。
でも…待って?
この、どんどん人がいなくなっていく現象…これ、本当に愛香がやっているの…?
これ……あくまで、麗華姫の推測の域だよね。
それに言っていた。
たとえ冤罪でも、どうでもいい、と。
ぶーちゃんの写真、あれは単なる偶然だったとしたら…?
だって…だって。
ぶーちゃんが人をこ……殺しているなんて…そんなこと、考えたくもない。
みんながぶーちゃんの餌食になっているなんて、考えたくない。
そう……そうだよ。
これは、きっと悪い偶然だ。
聖理奈は自殺、柑奈は事故、彩綾も自殺。
そうじゃないの…?
だって、そうでしょ?
警察も、言っているじゃん。
これは、自殺だって。
きっときっと、悪い夢だ。
こんなことはない。
そう信じたい。
……だって…
そう信じないと…。
『次は自分かもしれない』
その疑念が心にこびりつき、頭がおかしくなりそう。
恐怖でどうかしてしまいそう。
そんなのいや。
死にたくないから。
だから、あたしは現実から目を背ける。
これは、偶然なんだ。
絶対に、絶対に……。
信じない。
麗華姫に蹴られていることも忘れて、あたしは歯を食いしばった。
力任せに、何かを吐き出すように、ぶつけるように暴力を浴びせる麗華姫。
……最初から信じていなかった。
不本意だった。
あたしはこのグループに入るつもりはなかった………!
信じられない。
胡散臭い。
昔から、ほのかに感じていた。
だけど、憧れの気持ちの方が強かった。
羨ましかった。
キラキラした人生が。
あたしが浅はかだったっんだ……!